第10話 彼女の部屋で酒池肉林①

「あの……。二人とも、明日の朝はご飯を食べずにここに来てくれる?」


 一日が終わりティアラの部屋から退散しようとしたところで、不意にティアラが俺とアレクにそんなお願いをしてきた。


「ん? あぁ……」

「それは構いませんが。突然どうされたのですか?」

「へにゃっ!?」


 ティアラは突然変な声を出した後、真っ赤になったまま硬直してしまった。


 あぁもう、相変わらず可愛いな。

 今の変な声も可愛い。俺の目覚ましにしたい。


「えっとね。たまにはみんなで一緒に朝ご飯を食べてみたいなって、その、思ったの、だけど……」


 ティアラは両の人差し指同士をツンツンさせつつ、頬を紅潮させたまま上目遣いで俺達に視線を送る。


「だ、だめかな……?」

「だめじゃない」

「うむ。だめじゃないな」


 俺もアレクも即座に首を縦に振る。むしろ断る要素が皆無だ。


 それより今の態度何だよ。可愛すぎるだろ……。

 このまま俺の部屋にお持ち帰りしたい勢いですっ。


 しかしそんな俺の願望を素直に口にするわけにもいかず――。

 そんなわけで、いつも通りに俺達はティアラの部屋を後にするのだった。






 翌朝、彼女のお願い通りに朝食抜きでティアラの部屋に向かった俺。

 ノックをしようと腕を上げたところで、タイミング良くアレクが廊下の向こう側から姿を現した。


 彼女はいつも通りの無表情を俺に向けつつ、片手を軽く上げるだけの挨拶をしてきた。俺も同じ動作でそれに応え、今度こそ扉をノックする。


「はーい」


 可愛い返事に胸をときめかせながら俺は扉を強く押す。


 扉を開けた瞬間、良い匂いが鼻を通り抜ける。そしていつもと違う部屋の中の様子を見た俺とアレクは、目を丸くしたまましばらく動くことができなかった。


 窓際近くの丸いテーブルの上に、幾つもの皿が所狭しと並べられていたからだ。


 その皿の上に乗っている料理は全てが色鮮やかで、丁寧に盛り付けされていた。ある種の芸術性すら感じてしまうほどだ。


 中央に置いてある皿の中身、あれは魚料理か? 手前の皿には厚い肉が乗っているな。

 サラダも赤黄緑、そして白とこれまた派手な彩りで、メインに負けない存在感を醸し出している。

 黄金こがね色をしたスープからは白い湯気が立ち昇り、まるで今が飲み頃だと主張しているかのようだった。


 豪華絢爛としか言いようがないというか、とにかくもう大変なことになっていたのだが――。


「何か、朝っぱらから豪華すぎじゃね?」

「あ、あのね」


 面食らいながらも何とか言葉を搾り出した俺の横に、いつの間にかティアラが佇んで下から視線を送ってきていた。


「これは、その、マティウスとアレクの、歓迎会……なの……」

「へ? 歓迎会?」


 予想だにしていなかった彼女の言葉に、思わず俺は復唱してしまった。

 アレクも疑問の表情を顔に浮かべている。


「マティウスがここに来てから二ヶ月で、アレクが一ヶ月経ったでしょ? 私、タニヤ以外の同年代の人とこんなに長く過ごすのは実は初めてで……。だ、だから二人ともっと仲良くなりたいなぁと思って、その、今さらだけど歓迎会を……」


 ティアラはそう言いながら恥ずかしくなってきたのか、しゅるしゅると小さくなってしまった。


 ただでさえ小柄なのにさらに小さくなってどうする。いや、可愛いから俺は全然構わないけど。


 そんな小さくなった彼女の肩を抱き寄せるようにして、タニヤがティアラの言葉を補足する。


「朝から姫様と私で準備したのよ。まぁ、昨日の晩に厨房の人に頼んでいた料理を運んだだけなんだけどね」

「お昼や夜にしても良かったのだけど、やっぱり二人を驚かせたいなぁと思っちゃって……。その、朝からごめんね……」


「いや。ありがとう……」

「オレ達のために、ありがとうございます」


 どうしよう。すげー嬉しいんだけど。マジで嬉しいんだけど。俺、こんなことをされるの、人生で初めてなんだけど……。


 やべぇ。ちょっと鼻の奥がツンとしてきたぞ。


「さぁ。そういうことだから二人とも座って座って。お料理が冷めてしまうわよ」

「あ、あぁ」

「そうだな」


 タニヤに促された俺とアレクはおとなしくその言葉に従う。だが俺はかつてない高揚感に、座っている感覚がなくなってしまっていた。

 こんなにふわふわした感覚は初めてだ。


「マティウスもアレクも、これまでありがとう。そしてこれからも、よろしくお願いします」


 ティアラが俺達に対して小さな頭をペコリと下げる。

 こうして朝っぱらから宴が始まったのだった。






 城の兵士用の食堂の料理も美味いのだが、それ以上にこの料理達は美味かった。


 城で作られた料理なのだから、素材はいつもの食堂の物と大して変わりはないはずだ。

 だがティアラと一緒に食べている、という条件が加わるだけで、こんなにも美味しく感じられるとは。


 つまりティアラは素材の味を引き出す、究極の調味料というわけだったんだよ!

(な、なんだってー!?)


 などとステーキ肉を頬張りながら一人で馬鹿な脳内劇を繰り広げていると、向かいに座るタニヤがおもむろに深緑色の瓶を取り出し、栓を抜いていた。


「おい、ちょっと待てタニヤ。それ酒だろ」

「そうだけど、どうかした?」


「どうかしたも何も、まだ朝だぞ! お前朝から飲むつもりかよ!?」

「あら、別にいいじゃない。今日は姫様も外出の予定はないし、私も今日のために昨日の晩に掃除洗濯はある程度済ませているし」


「そういう問題じゃねぇだろ」


 その時俺の隣から聞こえてきたのは、ごきゅっという何かが喉を通り過ぎる音だった――。

 ってもうそれ飲んだ音しかないじゃん!?


 慌ててそちらに目をやると、アレクが豪快にワイン瓶を口に当て、なんと一気飲みをしているところだった。


「アレクーッ!? おまっ、ちょっ、吐き出せ! 今すぐそれを出せ!」

「大丈夫だ。オレはもう十八歳だ」


「あぁ、確かにこの国で酒が飲めるのは十八からなのでその点は問題ないな。――って違う! 今は年齢の話はどうでもいい! お前仕事中だろうが!」

「ちなみにお前は何歳なんだ?」


「えっ? 俺はつい一週間ほど前に十八になったところだけど。……てことはお前、俺と同い年だったのかよ!?」

「オレの方が一ヶ月ばかりお姉さんだがな」


 そこでアレクは少しだけ口の端をあげ、ニヤリと笑ってみせる。まるで嘲笑するかのように。


 くっ、何この敗北感!? 自分じゃどうにもならないことだけど、悔しいと感じてしまうのはなぜ!?


「じゃなくて! だから今は年齢の話はどうでもいいんだっつーの!」

「心配するな。オレは酒には強い。………………たぶん」


「おいいいいっ!? 今最後にぼそっと『たぶん』って言っただろ! 聞こえてたぞ! いいからとにかく吐け! 出せ! ゲロれ!」


「マティウス君、食事中に汚い言葉を使わないでよ。せっかくの美味しいご飯とジュースが台無しじゃない」

「お前が飲んでいるのもジュースじゃねぇだろうがああぁぁ!?」


 俺は慌ててタニヤの手からワイングラスを奪い取る。

 アレクに気を取られている間に、タニヤは別のワイングラスを用意してちゃっかり飲んでしまっていたのだ。


 何でこいつらこんなに不真面目なの!? 俺が優等生すぎてツライ!


「みんな~。けんかはだめだよぉ」

「はいその通りです。だめだよね~?」


 ティアラの愛くるしい声に、思わず俺の顔はへにゃりと緩む。

 いつもよりゆるーい感じの声がたまらない。

 やっぱり今晩俺の部屋にお持ち帰りしたいですッ!


 …………ん? ちょっと待て。

 いつもよりゆるーい感じの声?


 俺は脳内で引っ掛かった言葉を再度捉える。

 情報を捕捉するため、俺の目線はテーブルに移動。


 ティアラの前には、中身の入ったワイングラスが二つ並んでいた。

 一つはさっき俺がタニヤから取り上げたワイングラス。もう一つの中身は、それより若干色が濃い物だった。


「姫様用に、葡萄ジュースを用意していたのだけれど……」


 タニヤが片手を頬に当てつつ、静かに口を開く。

 ティアラ……。まさか、お前……。


「間違えて、お酒の方を飲んじゃったみたいね」


 お酒は成人オトナになってからああああぁぁっ! ティアラはまだ十五歳いいいい!

 ていうか俺の馬鹿! 大馬鹿野郎っ! 取り上げたワイングラスを無造作に置いたのがいけなかったああぁぁッ!


 自分の失態に思わず頭を抱えて仰け反る俺。今まで一度も使ったことのないあのセリフを今使わずしていつ使う!?

 一生の不覚ッ――!


「アレクぅ……」


 ティアラは椅子から立ち上がると、アレクの方へふらふらと移動を始める。


 えーと、今の甘えるような声は何? その声で俺も呼んでほしいんですけど。


「姫様、どうされました?」


 アレクの問いかけに答えぬまま、ティアラはアレクの前で佇むばかり。


 ――と次の瞬間、ティアラはアレクの胸に飛び込み、ぽすっと顔をうずめた。


「へ?」

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