第9話 あのコとの距離をもっと縮めたい俺③

 俺とタニヤはにゃんにゃん言い合っているティアラとアレクにばれないように、こっそりと部屋の隅に移動する。


「で、どうするんだこの事態? お前が入手したのは惚れ薬じゃなくて、ネコ耳が生える薬だったわけだが?」

「うう……。どうやら今回は失敗みたい。可哀相な私」


「可哀相なのはお前に大金を毟り取られた俺だっつーの。後で返せ。で、本当にどうするんだ?」

「こういうのは、放置していたらそのうち効果が切れる、と昔から相場が決まっているわ」


「つまりしばらくは、にゃんにゃん言い合う二人を生温かい目で見守るしかないってことか」


 俺の口からは、勝手に長い溜め息が漏れた。

 俺もあの中に混ざりたかった。そしてあの尻尾の付け根がどうなっているのかを確認してみたかった。


 …………じゃなくて! 


 やはり、惚れ薬なんて都合の良い物が存在しているはずがなかったんだ。

 薬でティアラの気を引こうとしたのが、そもそもの間違いだったんだよな……。


 俺は心の中で反省しつつ、改めて彼女を見つめる。


 それにしてもやっぱ可愛いよな、ティアラ……。

 せめて今のうちに、ネコ化したティアラの姿を目に焼き付けておこう。


 桃色の頭から生える、大きな茶色の耳。しかし彼女の純潔で純粋な雰囲気は、どんな姿になっても失われないらしい。

 何というか、あの姿に神々しさまで感じ始めてきたぞ。


「タニヤ。俺、ティアラが元の姿に戻る前に、どうしてもやっておきたいことがあるんだ」

「何よ? 突然真面目な顔になっちゃって」


 タニヤはいつの間に持ってきたのか、茶菓子のスコーンをモリモリと口に含みながら答える。


 だからお前ら、王族に出す食い物をつまむのはやめろ!?

……っていかんいかん。だから俺はツッコミ役じゃないんだって。


「もう一度、ティアラのあの耳をなでなでしたい」


 ぶふっ、とタニヤの口からスコーンだった粉末が飛び出てくる。

 おい、こっちに飛ばすなよ汚ねーな。


「珍しく真剣な声と表情をしたかと思ったら、吐く言葉がそれ? てかマティウス君、さっきから目が据わっているわよ」

「うるせー。俺の天使様のネコ耳姿を目に焼き付けてんだ。ほっとけ」


「もう、仕方がないわね。さすがに私もちょっと罪悪感はあるし、君のそのささやかな願いを叶えるために協力してあげるわよ」


 タニヤはスコーンを飲み込むと、今だににゃんにゃんとじゃれ合っている二人に向かって軽く手を上げた。


「アレクー。ちょっといい?」

「にゃんだ?」


「その耳、少しでいいから私にも触らせてくれない? 気持ち良さそうだし」

「まぁ、別にかまわにゃいが……」


 アレクの頭に手を伸ばしつつ、タニヤが俺に目配せをする。

 ……なるほど、そういうことか。


「ティアラ。その、俺ももう一度いいか?」

「ふにゃ!? え、えっと、その。す、少しだけ、なら……」


 なぜかティアラは、少し後退りながら俺に答える。


 え、もしかして俺、さっきのアレで警戒されてしまってる? まぁ確かに、アレはちょっとやり過ぎたと自分でも思うけどさ……。別の誰かが憑依していたみたいというか。


 でも、ティアラのこの怯えた様子も可愛いな。ちょっと苛めたくなるな……。

 ――って、こんなところでSに目覚めんなって俺。

 とにかく落ち着け。平常心、平常心だ。


 ここは無を意識しろ。そう、万物を創生せし神の如く、無を――。


 俺が変な悟りを開きそうになっていると、ティアラが少し顎を引いた。どうやら撫でやすくしてくれているらしい。

 俺とティアラの身長差はかなりあるので、そんなことをしなくても俺は余裕で彼女の頭に手を置けるのだが。

 でも、こういう気遣いが彼女らしいよな。


 フッと自然に笑みを洩らしつつ、俺が彼女の頭に手を伸ばした瞬間――。

 突然、ネコ耳がひゅるんっ! と音を立て、跡形もなく消えてしまった!


「ああああぁぁっ!?」


 何という無常で無慈悲な仕打ち!?

 悟りなんて開こうとせず、さっさと触っとけば良かったぁ!


 がっくりと床に膝をつく俺に、ティアラが申し訳なさそうな顔をしながら俺の顔を覗き込んできた。


「マティウスって、そんなにネコが好きだったんだね……」

「あぁ? えっと、まぁ……」


 何かティアラは、盛大な勘違いをしている気がする。

 確かにネコも好きだが、理性が吹っ飛ぶほどでもない。

 っつーか俺は、それ以上にお前のことが好きなんだよ!


 ――というセリフはさすがに口に出す勇気がないので心の中に留めておく。


「あ、あの……。マティウスっていつもあんな風にネコと……その、じゃれ合うの?」

「えっ!? いや、いつもってわけでもねーけど……。た、たまに、かな?」


 もちろん今のは嘘だ。

 むしろアレは、ティアラだから俺も壊れてしまったんだ。

 お願いだから、少しだけでもいいからそれを察してくれ……。

 自分に向けられる恋の矢印に無自覚すぎると、俺もいつか暴走するぞ?


「そうなんだ……。マティウスの意外な一面が見れて、ちょっとカワイイなって思ったの」


 直後、背後からぶほっ、という噴き出す音が二つ聞こえた気がするが、とりあえず今は無視。

 後で覚えてろよ、お前ら……。


「か、カワイイって、俺が?」

「うん。あの、マティウスって私から見ると凄く大きいの。だからちょっと威圧感があって怖いなって、正直思っていたの……。それにお仕事のせいか、いつも怖い顔をしているように見えて。でも、本当はあんな声や顔もできるんだと思って……」


 ティアラは言っている内にさっきの出来事を思い出して恥ずかしくなってきたのか、語尾が次第に小さくなる。

 だがそれとは対照的に、俺の瞳は大きくなっていた。


 俺って、そんなに怖い顔になっていたのか。ティアラに熱い視線を送っていただけなんだが……。

 彼女にそう言われてしまうとちょっとへこむ。これからは表情に気をつけよう。


 まぁ、経過はどうであれ、ティアラとの距離を縮めることに一応成功したってことだよな、これ?


「あと、頭を撫でられるのって、結構気持ちいいんだね……」


 ネコの気持ちがちょっとわかっちゃった、とはにかむティアラ。その顔に俺の心臓が大きく跳ねた。

 思わず彼女を抱き締めたくなる衝動を、俺は小さな自制心で必死に押さえることになるのだった。







「――で。どうするんだ? それ」


 今日の護衛の仕事を終え部屋へと戻るさなか、俺は隣を歩くタニヤに問い掛けた。

 それ、とは残ってしまった惚れ薬――じゃなくて、ネコ化する薬のことだ。


「うーん。捨てるのも勿体無いし。サンプルとしてもうしばらくは取っておこうかなーと」

「ふーん……」


「あ、もしかしてマティウス君、飲んでみたいの?」

「なわけあるか!?」


「冗談よ。君がまた姫様のネコ耳姿を見たくなった時のために保管しておくわ」

「マジで?」


 こいつのことだから、自室に帰ってこっそり自分でも楽しむものだとばかり思っていたんだが――。

 まさか俺のためにとって置いてくれるとは。


 でも定期的にティアラのネコ耳姿を見て、癒されるのも悪くないかもしれないな。

 と考えていた俺に向かって、タニヤが親指と人差し指の先をくっ付けて作った輪を見せてきた。


「当然、その時はまたお金頂くからねー?」

「…………」


 含みのある笑いを洩らす侍女を冷めた目で見つめたあと、俺は早足に自室へと戻るのだった。


 再びティアラのネコ耳姿を見るのは、俺の給料が上がるまで無理そうだな……。

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