第8話 あのコとの距離をもっと縮めたい俺②
朝から読書という名の勉強を熱心に続けるティアラを、俺はいつも通り壁にもたれ掛かりながら静かに見守る。
文字を追う彼女の琥珀色の瞳をぼんやりと見つめながら、俺は心の中で渦巻く少し苦い想いと対峙していた。
薬で手に入れた心がまがい物だなんて、そんなことは俺だってわかりきっている。
でも、少しだけ。少しだけでいいんだ。
これをきっかけにティアラが俺のことを少しだけでも気にしてくれるようになってくれたら、俺は――。
そんなことを考えていると、タニヤがティアラの前まで静々と歩み寄り、軽く一礼した。
「姫様。お茶をお淹れしますね」
「あ、うん。ありがとうタニヤ」
小さく微笑むティアラを一瞥した後、俺は目線をタニヤに移す。
タニヤも俺の目線に気付いたらしく、俺だけにわかるように小さく口の端を上げた。
いよいよ実行するわけだな。
じわりと掌に汗が広がっていくのを実感し、俺はそれを誤魔化すように組んでいた腕を組み直した。
「アレク、お茶菓子の用意もするから手伝ってくれる?」
「別に構わんが」
反対側の壁際で俺と向かい合うように佇んでいた、もう一人の護衛アレクにタニヤが声をかける。
よし、アレク引き剥がし作戦は成功したようだな。今のは事前に打ち合わせしていた通りの流れだ。
惚れ薬を飲んだティアラが最初に目にした相手がアレクだった場合、洒落にならんからな。
アレクは女だが、見た目は申し分ないほどの美少年だ。
そんなアレクにティアラが熱を上げてしまう事態だけは、絶対に避けたかったのだ。
俺の目が光るうちは、百合の花が舞う世界にティアラを連れて行かせはしないっ。
手際良く茶器の準備をするタニヤの手元を、俺は横目で見やる。
タニヤはアレクから死角になる位置でカップの中に一滴薬を垂らした後、すぐさま中にお茶を注いだ。
そしてトレイの上にカップを乗せて、読書を続けていたティアラのテーブルの前まで移動する。
いよいよか……。
「姫様、お茶をどうぞ」
「ありがとう」
柔らかな笑みでタニヤに対して礼を言うティアラを見て、少しだけ俺の心が軋む。
俺達はこの純粋な笑顔を騙していることになるわけだが、許してくれ……。
優雅かつ無駄のない動作で、ティアラはカップを口元へ運ぶ。そして彼女の喉が動くのをばっちりと確認することができた。
……飲んだ。
「はれ? 何だか……」
き、きたか!? もう薬の効果が!?
っつーか早いなおい! なんという即効性!
途端に早くなる俺の鼓動。
俺はティアラの視界に入るように、さりげなくテーブルの前に移動する。
さぁ、ティアラ、俺を見てくれ。お前とのらぶらぶ空間を形成する心の準備はできている!
両腕を広げてティアラが胸に飛び込んでくるのを待とうか、はたまた腰に手を当てて少しでも格好良く見せるポーズをした方がいいのか、俺が割とどうでもいい事で悩んでいると――。
突然ぴょこん! とティアラの頭から、三角の物体が二つ飛び出してきた。
…………はい?
「え? え? 何これ? え?」
ティアラは両手を頭に当て、ただひたすら混乱している。
俺は彼女のその様子を、しばらく目を点にして眺めることしかできなかった。
…………………。
…………………。
えーと……。うん。とりあえず冷静になれ、俺。
今、俺の目の前で起こったことを整理するんだ。
そう、ありのままに、
惚れ薬入りのお茶を飲んだティアラの頭から、ネコ耳が生えてきた。
…………………。
意味わっかんねええええぇぇッ!?
おかしい。どこで何をどう間違えたらこんな事態になるというんだ!?
俺は目だけをタニヤに動かして、これはどういうことなのだと視線で問い掛ける。
が、タニヤはさっきの俺みたいに目を点にした状態で放心していた。
どうやらあいつにとっても、この事態は予想外のものらしい。
「あの……。マティウス……」
「な、何だ?」
気付いたら、ティアラは俺のすぐ横にいた。
小柄な彼女は俺を見上げながら、頭を少し右に傾けつつ口を開く。
「私の頭に、その、何か生えてにゃい?」
「――――!」
何だこのくっっっっそ可愛い生き物!
今語尾が超ネコってた! 「にゃい?」だって! 小首を傾げながら「にゃい?」って言った!
ふおおぉぉっっ! かわいいいいぃぃッッッッ!
まさに地上に舞い降りた妖精のネコ! いや、ネコの妖精か!?
どっちでもええわ! 結論、超可愛い俺の天使が今ここに、爆・誕!
「うん。生えてる。茶色の可愛いお耳が二つ生えてるよー」
「えっ!? あ、あの、マティウス……? にゃんだかいつもと口調が――」
「でもそれが本物かどうかよくわかんないから、俺が確かめてやるからねー。そうだな、まずはその耳を触ってあげよう。いっぱいなでなでしてあげるからねー?」
「えっ!? えっ!? ちょっ――。ほ、本当にどうしたの!? 何だか突然、あぶにゃい人に――」
「よーしよしよしよしよし。あぁ、いい子だねー。おとなしいねー。べっぴんさんだねー。うん。このビロードのような手触り、間違いなくネコの耳だな。要するにネコだな! 可愛いネコちゃん以外の何者でもないな!」
俺は存分にこの極上の手触りを堪能する。
あぁ、地上の楽園はこんなに身近にあったのだ。何というユートピア。俺はこのネコ耳の中で人生の最後を迎えたいッ!
彼女の頭を撫でていた俺の手は、首元へ移動する。
やはりネコちゃんなのだから、ごろごろと喉を鳴らしてもらいたい。
「ここはどう? 喉。気持ちいい? 首周りどこか痒いところない?」
「あんっ――。えっと、く、くすぐったいにゃ……」
「そう? それじゃあ背中は?」
「わひゃ!? あぅ……。そ、そこはにゃんだか気持ちいいかも……」
「よしよし。そうかそうか。本当におとなしくていいコだねー。でもこんなに大きくて可愛い喋るネコちゃん、他の奴らに見つかったら大変だ。今日から俺の部屋で一緒に暮ら――」
「落ち着かんかアホ!」
突然、後頭部を襲う激しい衝撃。
痛さを実感する間も無く俺は部屋の壁まで吹っ飛び、顔面を強打する。そしてそのまま、ズルズルとうつぶせ状態で床に倒れ込んだ。
………………。
………………。
――――ハッ!
いかん、好きな子と好きな動物という究極の掛け合わせに、思わず理性がぶっ飛んでしまった。
何か俺、ティアラにすげーことを言ってしまったような……。
とりあえず、今のデタラメな威力の攻撃は間違いなくアレクだ。脳みそ飛び出るかと思った。
俺はどつかれた後頭部と強打した鼻を押さえながらゆっくりと立ち上がり、振り返る。
そこには予想通り、アレクが拳を振りぬいたポーズのまま俺を睨んでいたのだが――。
「姫様ににゃれにゃれしく触れるにゃ!」
クールな声で紡がれたお茶目なセリフに、思わず俺は脱力しながらずっこけてしまった。
お前、どう見てもティアラと同じネコ耳が生えてんじゃん!
勝手にお茶を飲みやがったな!? っつーか王族用に作ったお茶をこっそり飲むとか、大胆なことをするなこいつ!?
「あっ、アレクも生えてきたの? にゃんだろうね、コレ? それにしてもアレク、いつものカッコイイ雰囲気と違って、にゃんだか可愛いにゃ」
「いえ、姫様も凄く可愛らしいですにゃ。不覚にも少しときめいてしまいましたですにゃ」
「そ、そうかにゃ……?」
「どうやら尻尾も生えてきたみたいですにゃ」
「あ、本当だ。ちょ……ちょっと服が押し上げられてるにゃ。下着が見えそうで恥ずかしいにゃ……」
ええっ!? 何だよこの二人の間に流れる空気!? 割り込みたいのに割り込めねぇ!
……いや、これってもしかして俺もお茶を飲んだ方がいいパターンなんじゃね!? 俺もネコ耳生やして三人でにゃんにゃんじゃれ合うのが正しい選択なんじゃね!? うん、それでいこう!
俺がそう決心してお茶を飲もうとカップを手にした瞬間、しかしそれは横から伸びたタニヤの手によって阻止された。
いつもより、その顔が青く見えるのは気のせいだろうか。
「……止めるなタニヤ。俺は今からティアラとのにゃんにゃん生活を満喫する。そして彼女の尻尾の付け根がどうなっているのか、じっくりと観察しないといけない気がするんだ。それにネコ耳が生えたら、今までと違う自分になれると思うんだ、俺!」
「うん、まず落ち着こうかマティウス君。確かに見た目と喋り方は変わるわね。でもやめて。君がいないとツッコミ役が不在になるの。私には荷が重すぎるの」
「そんなこと知るか。っつーか誰がツッコミ役だコラ」
俺の職業は、王女の護衛という清く正しく凛々しいものだ。勝手に芸人にすんな。
「よく考えてマティウス君。身長百八十超えの体格の良いネコ耳男とか、一部のお姉さま方を除いて需要なんてないから。しかも語尾が『にゃ』なのよ? お願いだからやめて。むしろ見目秀麗な二人がじゃれ合っている所に、君が混じるのが何か許せない」
「お前、さらりと酷いこと言うよな!?」
今ので俺の心はかなり抉られたぞおい!
まぁ、おかげで冷静さも取り戻せたけどさ……。
でも確かにタニヤの言う通り、俺もネコ耳の生えた自分の姿を鏡では見たくない。
っつーかよくよく考えたらこの状況、ティアラに惚れ薬を飲ませて気を引く、という当初の計画から大幅に逸脱しているじゃねーか。
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