第7話 あのコとの距離をもっと縮めたい俺①
窓から射す日の光が眩しい。実に清々しい朝だ。
さぁ、今日も一日ティアラの護衛を頑張るか、と朝日を背負い自分の部屋のドアを開けた瞬間、俺は声にならない悲鳴を上げて後ろに大きく飛びのいてしまった。
ティアラの侍女タニヤが、爽やかな朝の雰囲気に似つかわしくない、不気味な笑みを浮かべて佇んでいたからだ。
「ふっふっふ。おはようマティウス君」
「……断る」
「ええっ!? 私、まだ何も言っていないわよ!?」
「言わなくてもわかる。どうせロクでもねーことだろ? 第一、その笑い方からして怪しい」
この前こいつは、俺と同僚のアレク(女)とティアラを、性別の垣根を越えた三角関係にしようとしたのだ。
それ以来、俺の中でタニヤはすっかり要注意人物となっていた。
「酷いわねぇ。せっかく良い物を持ってきてあげたのに」
「お前にとっての良い物は、俺にとって良くない物だという認識に落ち着いた」
ぶー、と口を尖らせる侍女を無視して、俺はさっさとティアラの元へ行こうと廊下へと向かいかけ――。
「良いものだと思うんだけどなぁ。この惚れ薬……」
タニヤの口から出た単語に、俺は思わずピクッ! と肩を振るわせて足を止めてしまった。
「ほ、惚れ薬?」
惚れ薬といえば、飲ませた相手が最初に見た相手を好きになってしまうという、アレか? そして飲まされた相手は頬を赤らめながら桃色な展開をおねだりするという、あの……。
いや……。
そんな都合の良い薬が存在しているはずがない。
もしかしたらこの世のどこかに存在はしているのかもしれないが、それをこの金髪侍女が持っているということ自体が既におかしい。
『俺×惚れ薬+ティアラ』だけなら全裸で城の廊下を疾走してやってもいいほどバッチコイ! なのだが、そこに『タニヤ』の名前が入り込むだけで一気に不吉度が増す。
というか、どう考えても面白おかしい展開にしかなりそうにない。
「馬鹿も休み休みに言え」
「あら、じゃあこの薬は処分してしまっていいのね?」
そう言いながら、タニヤはポケットから小瓶を取り出して軽く俺に振って見せる。中に詰められた朱色の液体が小刻みに揺れた。
確かにちょっと恋に効きそうな色はしているが……。
「好きにしろ。仮にそれが本物でも、薬であいつの気持ちを操るなんてしたくねーし」
「あら。口は悪いのにそういうところは割と真面目なのね?」
「口は悪いは余計だっての」
こればかりは俺の育ちが育ちだから仕方がない。
っつーか自覚してることを人に指摘されると腹が立つからやめてくれ。
「そりゃ、私も人の気持ちを薬で安易に
うっ。人の心を突く微妙に上手い言い回ししやがって。
「……でも、やっぱりこういうのは自力で何とかするべきだと思うし。そもそも出所不明の薬とか使う気にもならんわ」
「出所はちゃんとしているわよ? 何せうちの実家で作ったんだから!」
「怪しすぎるだろお前の実家!?」
「仕方ないじゃない。今日
「お前んち、薬屋だったのか……」
確かにこの国は平和な方だしな。魔獣もそこまで強い奴は生息していないし。
だからといって、怪しい薬を作るのもどうかと思うのだが。
「まぁそれはひとまず横に置いといて。で、結局どうなの。使うの? 使わないの?」
「勝手に横に置くなよ!? ってか強引な二択攻めできやがったか。でも無駄だ。そうやって誘導しても俺の心は変わらない」
そんな本物か偽物か判断できない怪しい薬なんて使えるか。
それに、俺はこれが初恋なんだ。
だからこの初恋をもっと大切に――。
「ならちょっと想像してみて? 姫様のぷるっとした可愛らしい唇で、君の名前を恥ずかしげに呼ぶさまを」
大切……に……。
………………。
いや、想像するだけならタダだし、な。想像だけなら別にいいかもしれないな。うん。
『あ……あの……。マ、マティウス……』
後ろで手を組み、もじもじと恥じらいながら上目遣いで俺の名を呼ぶティアラ、か。
うん……。文句なしに可愛いな。思わず胸も頭も熱くなる。
「そして少し視線を逸らしながら、君にお願いをするの」
『お、お願いが、あるの……』
お願いか。いいぜ。ティアラのお願いなら何でも聞くぜ!
あ、でも侍女と恋人になって、という系統のお願いだけは簡便してください。
『私を……食べて?』
はい喜んで! 美味しそうです優しく激しくいただきます!
「――とまぁ、私は何も言っていないけど、この薬をきっかけに今マティウス君が想像したそういう展開も、将来的に可能になるのではないかと」
「ちっ。仕方ねーな……。非常に怪しいが、今回だけはお前の話にのってやる」
「相変わらずわっかりやすいわねー君。ちょうど私雑巾持ってたところだし、これでその鼻血を拭きなさい」
「うっせ。てかもっと綺麗な雑巾にしてくれ……」
文句を言いつつも俺はそれで鼻をふき取る。
俺だって年頃の男なんだ。そういう妄想もするわ。それに東の方の国では、恋という字は下に心がある、これ即ち下心とか言うらしいしな!
……うわ。何考えてんだろ俺。今のはさすがに恥ずかしかった。
心の中で勝手に悶絶しているそんな俺に、タニヤがにこにこしながら手を差し出してきた。
何だ?
まるで犬に対してお手を促しているようなこの仕草は……。
ちょっとイラッときたんだが。
「というわけで、二万まいどありー」
「げっ!? 金取るのかよ!? しかも高っ!」
「当然でしょ。材料費もタダじゃないんだし。それに私がお茶に惚れ薬を混ぜて姫様に渡すっていう、サービス料込みでこのお値段なのよ。まさか姫様に、惚れ薬をそのまま渡して飲ませるわけにもいかないでしょ?」
「いや、そりゃ確かにそうだけど、それくらい自分で――」
「あらマティウス君、姫様に出せるようなお茶を淹れられるの?」
「ぐっ――!?」
腰に手を当てて詰め寄ってくるタニヤに、思わず俺はたじろいでしまった。
確かに、お茶の淹れ方など俺は知らん。
葉っぱに湯を注ぐだけな気もするが、その葉っぱの見分けがつかないし、量もわからない。
自分で飲む分には問題なさそうだが、王族のティアラに出す茶なら、それなりにちゃんとしたやつの方がいいだろうし……。
くそ、仕方がない……。
「ならせめて一万だ。ここに配属されて日が浅いから、割と薄給なんだよ俺……」
「えー。仕方ないわね。一万八千にまけてあげるわ」
「まだ高い。一万二千」
「いえ一万五千。これ以下なら自分で姫様に飲ませなさいよねー?」
「ちっ――。わかったよ……」
交渉は俺がタニヤに譲る形となってしまった。
くそぅ。ただでさえ軽い財布がさらに軽くなってしまった……。
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