第26話 俺と彼女が閉じ込められた③
貧民街を出てしばらく進んだ先に、小さな森がある。
俺は物心付いた時には、その森に頻繁に通うようになっていた。
母親は机に一日分の食料を置いて仕事に行っていたのだが、それは一日分には到底足りない量だったからだ。
パン一つがあればご馳走だと思えてしまうくらいに。
食料というより、野菜の切れ端と言った方が正しかった。
俺は空腹感を満たすため、森に自生している木の実やらを食べに行っていたのだ。
その時に何度か魔獣と出くわすこともあったが、そこらに転がっている木の棒で応戦していた。
子供のくせによく死ななかったなと我ながら思う。
俺の剣術は、ほとんどその森の魔獣を相手にして身に付けたものだ。
警備隊に入ってから何度か人間相手に訓練をしたのだが、そんな魔獣相手の我流な剣術でも通用したのが、少し嬉しかった。
ほぼ毎日森に出向いていた俺だったが、たまに一人の爺さんと出くわすことがあった。
白い顎髭の生えたその爺さんは会うと俺に果実を少し分けてくれていたので、会えると嬉しい人物として俺の中では認識されていた。
その爺さんは「話しかけるな」というオーラを全身から発していたので素性を聞くようなことはしなかったが、人と関わりを持つのが嫌になり、森の中で一人で暮らしていることだけは教えてくれた。
ある日、森で酷い雨に遭遇した時があった。
その日も今日みたいに肌寒い日だった。
しかし俺は全身がずぶ濡れになりながらも、いつも通りに大木の根元で一心不乱に木の実にかぶり付き、空腹を満たしていた。
しばらくすると爺さんがやって来て、いつものように俺に熟れかけの果実を分けてくれた後、無言のまま隣に座る。
突如、俺の背中に手が回された。
驚く俺を無視し、爺さんは無言で俺の背中を擦り始める。
雨に打たれ続ける爺さんの手も冷たいのに、この時俺は、その手をなぜか温かいと感じた。
あの時は漠然とした「なんか嬉しい」という感覚だけでよくわかっていなかった。
でも今ならわかる。
どんなに大勢の人間に
本当の意味で生涯孤独な人間なんて、案外少ないのかもしれない。
母親からは適当な扱いを受け、町の人間から疎まれていながらも、俺が人間不信にならなかったのはあの爺さんのおかげだろう、と思う。
「マティウス。寝ちゃったの? 大丈夫?」
そんな物思いに
「いや、起きている」
「そ、そう。良かった……」
安堵するティアラの声に、不謹慎かもしれないが俺は嬉しいと感じてしまった。
彼女が俺のことを心配してくれている。
それは彼女にとって、今の俺はどうでも良い存在ではないということだ。その事実が、単純に嬉しかった。
「マティウス。たぶんあと少しで時間だよ」
「あぁ。まぁ何とかなりそう」
時間が来て俺達が中にいなかったら、きっとアレクが探しに来るだろうし。
まったく根拠はないが、アレクならおそらく俺達を見つけてくれる。
彼女、野性の勘がありそうだもん。
もう何でもできそうだもん。
「姫様! いたら返事をしてください!」
とか考えていたら本当にアレクがきたーーーーッ!?
えっ!? お前本当に何者だよ!?
タイミング良すぎるだろ!? 完璧超人すぎるだろ!?
「アレク! ここだよ!」
ティアラが嬉しそうにアレクの声に応える。
程なくして岩壁の向こうから、ガサガサと草の擦れる音がした。
良かった。アレクはティアラの声に気付いたようだ。こちらに向かってきてくれている。
「姫様、少し後ろに下がっていてください。今からそこを
アレクの一言に素直に後ろに下がる俺達。
間違いなくアレクは、今から岩壁をぶち破ろうとしている……。
そして次の瞬間、予想通りにアレクの腕が岩壁を突き破ってこっちに飛び出してきた。
間を置かず音を立てて崩れ去る岩壁。
馬鹿力って便利ダナー。
ずっと暗い場所にいたせいか、久方ぶりに目にする日の光がやけに眩しい。
思わず眉間に皺を寄せて手で光を遮ったその時、アレクと目が合った。
彼女はティアラに声を掛けることも駆け寄ることもせず、ただ俺をじっと見据えて固まっている。
突然俺の後ろにいたティアラが「あぅ」と小さな声を上げ、顔を両手で覆ってその場にしゃがんでしまった。
俺は光の下に晒された自分の格好を、改めて分析する。
小さめサイズの可愛らしいふわふわケープを肩から羽織り、濡れた下着を履いた体格の良い男……。
「…………」
「…………」
「へ、変態だー」
「否定はしないがお前にだけは言われたくねえッ!」
俺に対して無表情プラス棒読みでリアクションを取るアレクに、俺はちょっと待ったと抗議する。
確かに俺の今の格好は変態以外の何者でもないが、以前ビキニマント姿を披露したアレクにだけは言われたくない!
「まぁ、村に戻るまでとりあえずこれを使え」
アレクは自分の紺のマントを脱ぐと俺に渡してきた。
俺はティアラにケープを返し、ありがたくそれを受け取る。そして上半身に巻き付けるようにしてキュッと結んだ。
さすがに下着一丁で村まで戻りたくはなかったし……。
ってアレクを俺を見る目がなんかスゲー変わってる!?
何だその生温かい目は!? やめろ!
「ついにやりやがったこいつ……」という心の声が如実に表現されたその目をするのはヤメロ!
俺は何もしていない!
「とりあえず中で何があったのかを説明する。いや、させろ」
「いや、わざわざ姫様の前で言わなくてもいいだろう。遠慮する」
「遠慮するな! 聞け。いいから聞け! お前の中の今の俺に対するイメージ像をぶち壊したいからとにかく聞け!」
「そんなに喋りたいのか。淫乱な奴だな。……ぽっ」
「棒読みで効果音を口にするな! 顔も全く照れていねーし! それに俺は淫乱じゃねえッ!」
「い、いんらん?」
「ティアラ! そこに反応しなくていいからッ!?」
俺が一方的に疲れるそんなやり取りをしながら、俺達三人は元の洞窟の入り口へと向かうのだった。
元いた洞窟へと戻りながら、俺達はアレクから村に帰ってからの一連の出来事を聞いていた。
村長を運んで自宅まで戻ったところ、奥さんが声を掛けたと同時に村長は突然目を開けたらしい。
そしてティアラ(と俺)の姿がないことを認識した瞬間、急いで洞窟まで戻りましょう、と顔を青くして引き返してきたそうだ。
どうやら村長は変な病気だったわけではなく、自分の失態に目を背けたくて気絶してしまったようだな……。
何という都合の良いおっさん。
「時間通りに入り口は開いたのだが、お前達の姿がなかったから少し焦ったぞ。まぁ洞窟の奥に居るのだろうと思って奥に進もうとしたのだがな。なぜか村長に止められたんだ。奥は私が見に行くから、オレ達は周辺を探してきてくれと。意味がわからなかったが、まさか本当にあんな所にいるとは……」
そうアレクが説明してくれていると、洞窟の入り口前にタニヤの姿を発見した。
あっちも俺達の姿に気付いたらしく、こちらに向かって手を振りかけて――。
そして石像のように固まってしまった。
……うん。間違いなく俺の格好を見てフリーズしているなアレは……。
しばらく固まっていたタニヤだったが、突然ハッとすると超スピードで俺に駆け寄り、そして俺の腕を引っ張って近くの木の下まで移動した。
「もうもうもう。本当に頑張っちゃったわけね? マティウス君やる時はやるじゃないー。で、で、どうだった? 姫様の様子はどうだった? もう凄く可愛らしかったのでしょうねー。声も可愛らしかったのでしょうねー。うんうん。でもいくら暑くなるほど頑張ったからって、服くらいは着なさいよ。さすがに風邪引いちゃうわよ。って下びしょびしょじゃない!? 汚れたから洗ったの? あ、できたらこの後姫様がどんな様子だったか詳しく――」
「ちがううううぅぅッ! とにかくまず黙れ! その口を閉じろ! 俺の話を聞け!」
おしゃべり好きの田舎のおばちゃんの如く、一気に
それまでの出来事より、タニヤの誤解を解く方が疲れた……。
「そういえば洞窟の奥に本棚があったんだけど。あそこに誰か住んでんの?」
村へと帰る道すがら。
俺が何気なく聞いたその質問に、村長の肩が異常なまでにピクリと震えた。
「あ、あの。その前に関係者以外立ち入り禁止の立て札があったはずなのですが……」
「んー? 暗くてそれは全然わからなかったな」
もしかしなくても、危険だから入ったらいけない場所だったのか。
普通に考えたらそうだよな。観光地に落とし穴をわざわざ作るはずがない。
……ん? でもそれと本棚に何の関係が?
「えーとですね、その……」
村長はそこで俺だけに手招きをして、女性陣から少し距離を取る。
そして軽く咳払いをしたあと、聞き取り難いほどの非常に小さな声で続けた。
「まず、すまなかったね。あの落とし穴を作ったのは他でもない、私なのだ……」
「へ?」
「近付いて欲しくないという、警告の意味を込めての物だったのだが、まさか本当に落ちる人間が居るとは思わず……。うん、確かに真っ暗だと看板も意味をなさないな。今度はロープでも張ることにしようかね……」
「えーと、独り納得しているところ悪いんだけど、結局あの本棚は何?」
俺の質問に視線を宙にうろうろと
「私の家内は非情に真面目な人間で、その、家に保管場所が無くてだな。やむを得ずここに……。まぁ、なんだ。君も男ならわかるだろ?」
「村長サン……。それってもしかして……」
「…………うむ」
村長はばつが悪そうに俯いた。
要するにあの本棚は村長の私物で、自宅で保管できない『大人用の本』をあそこに隔離していたというわけか……。
確かにその気持ちはわからんでもないが、いや、でもエロ本に近付けさせないためにあんな穴まで空けるとか、必死すぎんだろ!?
その割にサラッと奥まで入れちゃう構造だし。
っつーかそもそも観光地にしている洞窟にそんなモン隠すなっての!
――と色々と言いたかったのだが、もうツッコミをする気力がないほど疲れてしまっていた俺は、村長の肩を軽くぽむっ、と叩くだけにとどめたのだった。
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