第27話 俺の為に作られたシチューがヤバイ①

『今日の夜九時、食堂にて待つ』


 そう一行だけ書かれた小さな紙を見ながら、俺は少し冷える城の廊下を歩いていた。


 昼間、アレクからコレを無言で渡されたわけだが、一体何の用だろうか?

 もしや、日頃の俺に対する鬱憤を晴らそうとしているのでは……。


 無表情のまま俺に殴りかかってくるあいつの姿を想像してしまい、思わず身震いする。


 いや、でもあいつに殴られるようなことをした覚えはねぇしな……。

 それにわざわざ食堂に呼び出す理由がわからん。


 そう考えている内に、食堂の扉の前に着いてしまった。


 まぁ、考えてもわからんし行ってみるしかないか。

 俺は両開きのその扉をゆっくりと押し開けた。


「あっ、来た来た。そこに座って」


 入るなり俺に声を掛けてきたのは、なんとタニヤだった。その手には包丁が握られていた。


 ていうか包丁をこっちに向けながら出迎えんな! 思わずびくっとしてしまったじゃねーか!


 しかしてっきりアレクが迎えるものだとばかり思っていたんだが、まさかタニヤが出てくるとは。


「なぁ、俺よくわからんまま呼び出されたんだけど、何の用だ?」


 言われた通り長机の前の椅子に座った後、俺はタニヤに疑問を率直にぶつける。

 しかし俺の質問にタニヤが答える前に、奥の調理場からさらに二人の人物が姿を現した。ティアラとアレクだった。


「あっ、マティウスだ」

「時間通りか。上出来だ」


 二人の姿を見たその瞬間、俺は石像のように固まってしまった。

 二人とも白いフリフリした可愛らしいエプロンを身に着けていたからだ。


 美少年にしか見えない風貌のアレクは、女なのに何か女装っぽく見えてしまうが、ティアラのその姿は反則級だろ。

 露出の多い、しかも丈も短めのワンピースの上からエプロンを着ているので、はっきり言って裸エプロンに見え……。


 いやいやいや。静まれ、俺の煩悩。

 瞬時に熱を帯びた全身を冷ますため、俺は慌てて別のことを考える。


 そういえば今日はかなり暖かい方だから、薄着でも全然問題ないよな。

 だから裸エプロンでも――って違うっ! 別のことだっての! 別のこと! 


 そう、裾から覗く生足が非常にそそられるとかそういう……ことでもダメだ!

 頼む、誰か俺に救いの手を。このままではヤバイ。主に下半身が。


「マティウス君、何をするか聞いていないの?」


 俺の暴走しかけた思考を制したのはタニヤの一言だった。


「何も聞いてない。っつーかそんな格好してるってことは今から何か作るのか?」


 三人は一瞬顔を見合わせた後、ティアラが少しもじもじしながら呟いた。


「えっとね、私達今から、マティウスにシチューを作ってあげようと思って」

「……俺に?」


「うん」

「いや、それは非常に嬉しいんだけど、何でまた突然?」


「今日が何の日か知っているか?」


 アレクがそう聞いてきたので俺はしばらく考えるが、さっぱりわからない。

 誕生日でもないし、特別な祝日とかでもないはずだ。


 無言で首を横に振る俺に、タニヤが包丁を軽く振りながら笑顔で言う。

 あぶねーから包丁を振るな。


「今日はね、女の子が日頃お世話になっている人にシチューを作ってねぎらってあげような日、略して『世話シチュ』の日なのよ」

「そんな日があるなんて初めて知ったんだが」


「一昨年から城下町の露店組合が始めたんだ。ミルクと野菜の販促のためらしい。特にこの時期はミルクの売れ行きが思わしくないらしいからな。だが意外にもこの企画が大当たりで、既にこの時期になると町では『世話シチュ作ろう』という雰囲気になるそうだ」


 タニヤの説明をアレクが無表情のまま補足する。

 なるほど。商売人も色々大変なんだな……。


「いや、でもそれならシチューができてから呼んでくれれば良かったんじゃ……」

「あ……。確かにそうだね。ご、ごめんね。えっと、それじゃあ部屋で待ってる? できたら呼びに行くから」


 俺の言葉に若干涙目で答えるティアラ。


 次の瞬間、アレクとタニヤが凄い形相でキッと俺を睨んできた。

 二人の顔が「姫様のエプロン姿をてめーに見せてやるために早く呼んだのに何言ってんだよ馬鹿野郎が」と露骨に語っている。


 すんません。

 ていうかお前らわざわざ俺のために……。


「……やっぱりここで待つ」


 二人の心遣いに感動した俺は、ただその一言を口に出すのが精一杯だった。

 二人のあまりの迫力に圧倒された、ってのもあるけど。






 きゃっきゃっと楽しそうに調理をする女性三人に疎外感を感じながら、俺はただ椅子にぽけっと座っていた。


 別にあの中に混ざりたいわけではないのだが、話を振られるわけでもなく一人残された状況というのは、正直に言うと少し寂しい。


 いや、でも俺のために作ってくれているわけだし、贅沢言ったらダメだよな。

 よく考えたら王女のティアラが俺に手料理を作ってくれるなんて初めてのことなんだし。まさに夢のような状況ではないか。


『マティウス、美味しい?』

『ティアラが作った物は全部美味しいに決まってるだろ』

『ありがとう……嬉しい。あ、あの、良かったらこの後、私も食べて……?』

『もちろんいただきますッ!』


 こんな展開が待っているわけですね!


 おおぅ……。まるで新婚夫婦が繰り広げそうな会話! なんてオイシくて素晴らしい展開だろうか。


 ――そこでふと我に返った俺は、思わず両手で顔を被い隠す。


 本人が目の前にいるのに何を考えてんだよ俺。超恥ずかしい! でも勝手に顔が緩む!


 この時の阿呆な幸福感が後で木っ端微塵に砕かれるなんて、俺は思ってもいなかったんだ――。






 テーブルに置かれた鉄製の大きな鍋の中身を見て、俺は戦慄した。


「……なぁ、コレ、シチューだよな?」


 呆然と呟きながら言う俺に、三人は同時に頭を大きく縦に振る。


 鍋の中に広がるのは白ではなく、森林より深い淀んだ緑色。

 緑系は目に優しいと聞いたことがあるが、そういうレベルを通り越してるだろこれ。


 火が無いのになぜかぐつぐつと煮立ち続けるその表面には、小さな泡が浮かんでは消えていく。

 思わず魔界の沼地を想像してしまい、冷や汗が頬を伝う。

 いや、魔界なんて見た事ねーけど。 


 立ち昇る湯気は、髑髏を彷彿とさせる模様を描いては消えていくという工程を繰り返している。


 そんなおどろおどろしい見た目なのに、匂いは全くしない。

 恐ろしいまでの無臭だった。


 俺の知っているシチューと違う……。


 思わずそう言いかけてしまったが、かろうじてそれは堪えた。口に出してしまったら、別の意味で魔界を見ることになるだろう。主に馬鹿力のアレクから。


「け、健康志向なシチューみたいだな」


 凄い色だな、と正直に言えなかった俺は、精一杯妥協した褒め方でとりあえず感想を述べる。


「野菜たっぷりだからな」 


 アレクは俺の言葉に大きく頷いた。


 いや。これは残飯を丁寧に煮出しました! と言わんばかりの色だぞ。野菜だけでどうにかなる色じゃないだろ。どこの腐海だよ……。


 ティアラはこれが初料理なのは知っていたが、まさかアレクも、そしてタニヤも料理の腕が壊滅的だとは思ってもいなかった。

 それなのになぜ、俺にシチューを作って食べさせるという発想になったんだ。


 あれか? とりあえず世間の流行に乗らなくちゃという、複雑な乙女心からか?

 それとも本当は俺のことが大嫌いで、この機会に毒殺しようとしているのか?


 しかしこれを食べない、という選択肢は許されないだろう。

 何よりティアラが作った、という時点で、その選択肢は俺の中に存在していない。


 だがここでふとある提案が俺の頭に浮かぶ。


 ティアラには悪いが、俺も人の子だ……。

 やはり一人寂しく逝きたくはない。


「なぁ。さすがにこの量は俺一人では食べきれないから、皆も一緒に食べないか?」

「おお!? さっすがマティウス君。やっさしーい」


 俺の悪魔の提案を、何の疑いも無く受け入れるタニヤ。

 ってかお前実は食べたかったのか?


 ティアラとアレクは無言のままだ。どうやら特に異議は無いらしい。


「じゃあ、俺が皆の分も入れてやるよ。作ってもらったんだからそれくらいはやらせてくれ」


 俺はタニヤの前に置かれてあったレードルをサッと奪い取ると、その鍋の中身と対峙した。

 もちろん、今のセリフは本音ではない。


 ――中身の振り分け――。


 これが今後の俺の命運を左右すると言っても過言では無いだろう。

 とりあえず食べても問題なさそうな物を、俺とティアラの皿に真っ先に取り分けてやる!


 ごくりと喉をならし、レードルをいざその腐海――じゃない、シチューに静かに沈める。


 ぬちゃり。


 レードル越しに俺の手に伝わる、不快な感触。見た目以上に弾力があり、思わず全身に鳥肌が立つ。

 だが我慢して俺は重くなったレードルを、鍋の底からゆっくりと持ち上げる。


 レードルの中には真っ黒な丸い塊が乗っかっていた。


 …………何だこれ?


 まじまじとよく見たら、炭の塊みたいだった。

 どんな工程でこんな丸焦げの物ができるんだよ? シチューって煮る物だよな?


「あっ……」


 ティアラがその塊を見て声を上げたかと思うと、両手を頬に当てて赤らんだ。


 意味不明の反応だが、とりあえず可愛いかったので、俺の頭の中の陪審員達が全員速攻で無罪を言い渡した。

 可愛いは正義!


 いや、もしかしてこれを作ったのって……。


「それは姫様が――」


 タニヤがそう言った次の瞬間、その炭の塊はもう俺の皿の中にダイブしていた。


 うん、人間誰しも初めてのことは失敗するもんさ。気にすることはない!


「姫様がお作りになられた、ベーコンとポテトのパイよ」


 タニヤが若干呆れつつ俺を見る。

 言いたいことはわかるがほっとけ。


 しかし、ティアラはなぜそれをシチューの中に入れようと思ったのか。

 シチューの食べ合わせとしては悪くない、むしろ良いから、中に入れても問題ないと思ったのだろうか。

 っつーか初めての料理でいきなり難易度が高い物を作ったなおい。


 ゆっくりとティアラの方を振り返ると、恥じらっていたさっきとは一転、その目にじんわりと涙が溜まっていた。


「ご、ごめんね。それ、私が食べるから」

「いや。俺が食う。絶対食う」


 涙目のまま言うティアラを制し、俺は再びレードルをシチューの中へと沈めた。


 さて、次はまともな野菜でも掬い上げてティアラの皿に入れたいところだが――。


 ささやかな俺のその望みは、しかし叶えられることはなかった。


 レードルの中に鎮座していたのは、紫の笠に水色の斑点模様を持つキノコだったのだ。


 ……ちょっと待てい。

 っつーか絶対売り物じゃないだろ!? どこで採ってきたんだよこれ!?

 そもそもどう見ても『毒、あります』と主張している色だろうが! キノコの体を張った主張をもっと大切にしてやれ! 


 だがそんなツッコミを入れられる雰囲気ではなかったので、俺はそのまま黙ってアレクの皿の中にキノコを入れた。


 さらばアレク。安らかに眠れ。俺がお前の分までティアラの護衛を頑張る。


 気を取り直してまたまたレードルをシチューに沈める。

 異変は少し底をかき混ぜようとしたところで起きた。


「ん?」


 レードルが動かなくなったのだ。

 もしかして下の方が固まり始めているのか?


 少し焦りながらレードルを引き上げようとした、その時――。


 俺は、見てしまった。


 漆黒の手が鍋の底から伸び、レードルを掴んでいたのだ!


 待て待て待て待て待て!

 何だこれ! 何だこれ!?


 あまりの恐怖に、俺は咄嗟にレードルから手を離してしまった。

 次の瞬間、その黒い手はレードルを掴んだまま鍋の底へと沈んでいった。


 …………。


「どうした?」 


 アレクが尋ねてくるが、俺は顔を青くしてふるふると頭を横に振ることしかできなかった。


 っつーか何で誰も見てないんだよ!?

 気付け。頼むから気付いてくれ。お前らが作ったんだろうが!


「あれ? レードル落としちゃったの? じゃあもう一本持ってくるわね」


 タニヤはすぐさま立ち上がると調理場に向かう。


 さっきのは明らかに意思のあるモノだった。

 もしかして黒魔術的なものか? この腐海シチューがおぞましいものを召喚してしまったのか?

 本当に食べても大丈夫なのか、これ? 


 全身から嫌な汗が吹き出るが、俺の様子に誰も気付いてくれない。


「はいどうぞ」


 新たに渡されたレードルを片手に、俺はティアラを連れてこの食堂から今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られていたのだった。

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