第25話 俺と彼女が閉じ込められた②
ゆっくり、そして慎重に、俺は壁に片手を這わせながら洞窟の奥へと歩いて行く。
結構進んできたと思うのだが、なかなか行き止まりにならない。
今のところ生物の気配は感じられないが、まだ油断は禁物だ。
それにしてもかなり深い構造の洞窟なんだな……と思っていると、今度は分岐まで現れやがった。
暗闇に多少慣れたこの目を信用するならば、道は二手に分かれている。
「結構広いね……」
「そうだな。もう戻るか?」
「ううん。マティウスが行きたいのなら、もう少しいいよ」
「わかった」
彼女の言葉に甘えて、もう少しだけ進むことにする。
数百年以上も前から存在するこの洞窟自体に、少し興味が湧いてきたというのもある。
俺はそのまま左手を這わせている壁伝いに、分岐を左へと進み続ける。
それからしばらく進んだところで、ようやく前方に壁らしき物が見えた。
「…………ん?」
暗闇の中でうっすらと浮かび上がってきたシルエットに、俺は思わず首を捻ってしまった。
それは、普通の洞窟には絶対に存在しない物だったからだ。
突き当たりの壁際にあったのは、大きな本棚――。
なぜこんな所に本棚が? もしかして誰か住んでいるのか?
しかし本棚以外の生活用品は見当たらない。
何なんだこれは。
好奇心に逆らうことなく、俺はその大きな本棚に向かってゆっくりと近付いて行き――。
そこで唐突に訪れる浮遊感。
「おおっ!?」
「きゃっ!?」
えっ!? 何だ!? 落とし穴!?
これはひょっとして罠だったのか!?
そう考えている間に背中に強い衝撃が走る。
同時に全身が一気に濡れた。
そしてごぶごぼぼっ!?
痛っ! 鼻痛っ!?
めっちゃツンとする何これ痛い!
そして冷てええええッ!?
いきなり鼻と口に進入してきた冷たい水にたまらず悶絶する。
上半身を勢い良く起こしたかったのだが、何かが腹の上にあって上手く起き上がれない。
だがこれ以上鼻に水が入るのは嫌なので、腹筋の途中のような格好でプルプルと震える俺。
そんな状態なのに、腹の上の重さは心地良かった。
この軽さと柔らかさは、間違いなくティアラだ……。
どうやら穴に落ちてしまった後、浅い水の上に背中から落ちた俺がティアラの下敷きになった、という状況らしい。
「だ、大丈夫?」
ティアラが心配そうに声をかけてくるが、結構無理な体勢をしているので声が上手く出てこない。
彼女が俺の胸に縋り付くような格好をしているのだと気付いた瞬間、俺の心臓の速度が上がってしまって、益々声は腹の底へと引っ込んでしまった。
それにしてもティアラのこの体勢。まるで騎じょ……のようだと思ってしまった俺の頭は、この時かなり錯乱していたのだと思います。ハイ。
「さみぃ……」
濡れてしまった服を固く絞りながら、俺は思わず呟いていた。
もうかなり寒い時季というのに全身ずぶ濡れとか……。
このままでは風邪を引いてしまう、というティアラの言葉で仕方なく上だけ脱いだのだが、正直に言うと下も脱ぎたい気分だった。
水分を含んだ服が脚に張り付いてきて非常に気持ち悪い、かつ鬱陶しい。
いや、ティアラに痴漢扱いされるだろうから、これ以上は脱ぎませんけど。
「これ、小さいけど使って。何も着ないよりは良いと思うの」
そう言ってティアラは、自身が羽織っていたふわふわの白のケープを俺の肩にかけてきた。
彼女の体温が残ったそれは、肩の部分だけとはいえ確かに温かい。
ついでにふわりと良い香りまでもが漂ってきて、落ち着きを取り戻していた俺の心拍数はたちまち上昇してしまった。
ちなみにティアラは俺の上に着地したのが幸いして、足が少し濡れる程度で済んだみたいだ。
彼女まで震える羽目にならなくて良かった。
水が溜まっていたのは俺達が落ちてきた周辺だけで、後は上と同じく岩盤に囲まれた洞窟のようだった。
相変わらず暗いからあまり周囲は見渡せないけど。
構造的には上と同じような感じだろうか。
となると入り口方面は右手の方向か?
「とりあえず移動しようか」
「大丈夫なの?」
「あぁ。歩く分には何も問題ない。その、ゴメンな。いらんことをせずおとなしく入り口前で待っておけば良かった……」
「ううん。マティウスは不安を取り除こうとしてくれたんだもの。謝らなくていいよ」
ティアラはそう言ってくれるが、やはり彼女を巻き込んでしまったことには変わりはない。
彼女の危険に対しては常に受け身でないとならないのに、自分からトラブルを起こしてどうする。護衛として失格だ……。
好奇心のままに動いてしまったことを深く反省しつつ、俺達はまたゆっくりと移動を開始した。
俺が上の服を脱いでしまったので、ティアラは俺の剣の鞘の部分を握って着いて来ていた。
そうやってしばらく進んだところで、視界にほんの僅かな光が入ってくる。
俺はその光に向かって後ろのティアラに気を遣いながらも、歩く速度を少しだけ上げる。
明るいということは、間違いなく外と繋がっている。
地下水脈とかに落とされなくて本当に良かった……。
少し高揚した気持ちを押さえつつ、なんとか光が洩れている行き止まりまで辿り着いた。
しかし上同様の厚い岩壁は俺の力ではどうすることもできず、すぐさま溜め息を吐く羽目になってしまった。
堅牢の女神の力は働いてはいなさそうだが……。
「ここから叫んだらあいつらも気付いてくれるか?」
「でも、今は村長さんを村まで運んでいるんだよね?」
「そうだった……」
「もう少ししたら呼んでみようよ。そろそろ戻ってくる頃だろうし。ここは私達が入った洞窟のちょうど真下くらいだと思うから、きっと二人とも気付いてくれるよ」
「だな」
かなり都合の良い、希望だらけなセリフではあるが、こんな時は楽観的にならないと気持ちが滅入るばかりだ。
俺達は冷たい土の上に再び腰を下ろして、時が過ぎるのを待つことにしたのだった。
寒い。
隙間から冷たい風が洞窟内に入り込んできて、俺の体温を少しずつ奪っていく。
上半身が裸のせいなのか、それとも精神的に弱っているせいなのかはわからないが、雪山で遭難した男女が温もりを求めて――なんて話をついつい思い出してしまう。
いや、さすがにそれを実行してしまうと最低だからやらないけど。
「マティウス……。凄く震えてるよ。大丈夫?」
「心配すんなって。俺、体力はある方だし」
とか言いつつ、白状するとかなり限界だったりする。
このまま体温が低下し続けたら、ちょっとどころかかなりヤバイ。
「あ、あの……」
「ん?」
「脱いだ方が、良いと思うの……」
「へ?」
「だって、こんなに身体が冷たくなってる……」
ティアラが「下も脱いだ方が良い」と言っていることに気付いた俺は、どうしたものかと天を仰ぐ。
ティアラの目を気にして避けていたのだが、本人が良いと言うのなら大丈夫だろうか。
彼女は俺の二の腕に触れながら続ける。
「このままじゃ本当に危ないよ。その、暗いし、私は後ろにいるから、気にしないで……」
「…………」
彼女の言葉に甘えて、俺は座ったままいそいそと下も脱ぎ捨てる。
でもさすがに下着だけは残した。この暗さプラス全裸だと、色々と制御できなくなりそうだし……。
そこですかさずティアラが俺の後ろから腕を伸ばし「はい」とハンカチを手渡してきた。
「小さいけれど、これで濡れた脚をちゃんと拭いてね」
「ありがとう……」
本当にティアラは優しいな……。
この状況に対して文句一つその口からは出てこない。
そして俺に対しても、責めるような言葉を一言も吐かない。
昔護衛の仕事で会った貴族の男なんか、俺が少し前を歩いただけで凄まじい罵詈雑言を浴びせてきたというのに。
そんなことを思い出していると、突然ティアラが俺の背中を擦って温め始めた。
否応なしにギシリと固まる俺の全身。
小さな手から伝わってくる、彼女の温もり。
身体だけでなく、じんわりと心も温かくなって、でも少しくすぐったくて――。
俺はこの感覚に覚えがあるような気がした。
彼女にこんなことをされるのは初めてなはずなのに。
……いや、そうだ。確か昔、似たようなことがあった――。
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