第2話 過去の男が気になるタイプの俺①

 それは俺が王女様の護衛に就いて、一週間経った朝のことだった。


「姫様ー」


 パタパタと足音を立てながら、侍女のタニヤが寝室から慌しく出てくる。

 椅子に腰掛けて本を読んでいた王女様は、すぐさまその声に顔を上げた。


「どうしたの?」

「こんな物がクローゼットから出てきたのですけれど」


 そう言いつつタニヤは何かを上に軽く掲げた。

 彼女の手の中にあったのは、薄紫色の絹のハンカチだった。

 王女様の私物にしては、やけに渋い色合いだ。


「それ、もしかして、クリストファーさんの……?」

「やっぱりそうですよねー。洗濯の時に紛れてしまってそのままになっていたみたいです。どうされます? 手紙と共に送っておきましょうか?」


「今日は特に予定もないし、私が直接届けに行くよ。久しぶりにお会いしてみたいし」

「それなら姫様、すぐに馬車の手配をして参りますね」

「ありがとう」


 タニヤはまたパタパタと足音を立てつつ、部屋から出て行ってしまった。


 一人会話についていけなかった俺は、おずおずと挙手しながら王女様に尋ねる。


「えーと、クリストファーって、誰?」


 名前からして男というのは判るのだが。


「クリストファーさんは、マティウスが来る前に、私の護衛をやってもらっていた人なの」


 少しはにかみながら言う彼女に、俺の胸がギシリと軋んだ。


 彼女の口から他の男の名前が出るだけで、こんなに嫌な気分になってしまうとは。

 これが嫉妬ってやつなのか……。


 初めての感覚に戸惑ってしまった俺は、彼女の説明に「へぇ」という短い返事をすることしかできなかった。







 王女様と俺は、馬車の中で向かい合わせで座っていた。


 外出用の少し丈が長めの服に着替えた王女様は、初めて会った時のように高貴な雰囲気を醸し出している。

 人間、着る物が違うだけで印象って変わるものだよな。


 彼女は自室にいる時は、肩の出たワンピースを着ることが多いみたいだった。

 王族なのになぜそんな格好をするのかとさり気なく聞いてみたところ、動きやすく、着替えも簡単にできるから好き、という答えが返ってきた。


 俺は彼女のその考えは、とても良いものだと思う。

 庶民的感覚を味わえるという意味だけでなく、何より俺の視覚的に――。

 いや、何でもない。


 と、そこで彼女の視線が俺に注がれていることに気付く。


 え? もしかして俺のちょっとやましい考えが顔に出てしまっていたのか?

 や、やばい。どう言って誤魔化そう?


「その、ずっと気になっていたのだけど……。マティウスが身に着けているその赤いペンダント、綺麗だよね」


 何だ、これが気になっていただけか。

 でも俺が誉められたわけでもないのに、妙に嬉しいのはなぜだろう。


「これは護身用のペンダントなんだ。堅牢の女神の加護が得られるらしい。警備隊に入った時に貰った」

「へぇ。そうなんだ」


 ペンダントに嵌め込まれた赤い石の部分に指で触れつつ、俺は王女様に説明をする。

 正直自分の趣味ではなかったので何度か外そうとしていたのだが、こうやって王女様に誉められるのなら、もうしばらくは首からぶら下げていてもいいかもしれない。


 ちなみに警備隊というのは、俺が属している組織のことだ。

 他国では城周りの警護は騎士団が務めていることが多いらしいが、この国にはそもそも騎士団というものが存在していない。

 代わりに、警備隊が絶対的な力を持っている。


 昔、この国に千を越えるゴブリンの大集団が攻め入ってきたことがあるらしい。理由は知らん。

 しかしそいつらを町に一歩も入れることなく押さえたのが、有志で結成された警備隊だった。


 まぁこの国でまつっている三人の女神の一人、堅牢の女神の力も働いたというのもあるだろうが。


 それ以降、警備隊は正式なものとして国から認定され、国の重要な警備を任されるようになったのだとか。

 何百年も前の話なので俺も詳しくは知らないんだが。


 しかし俺が警備隊に入ったのは、そんな名誉ある経歴に惹かれたからではない。

 ただ単にラクそうだったからだ。


 警備隊に入るのには、特別な学も、地位もいらない。

 必要なのは腕っ節の強さだけ。

 しかもこの国はゴブリン大量襲撃以降、大規模な魔獣の襲撃もなく平和を維持している。


 隣国達とも上手くいっているらしく、国境はどこも緊張状態なんてものはない。

 だから国境の警備隊の仕事は、日々の鍛錬とたまにちょっかいを出してくる魔獣を片付けるだけなのだ。


 ここに来ていなかったら、今頃俺も暇を持て余しながら、時折襲ってくるだけの魔獣相手に、欠伸しながら剣を振っていたことだろう。


 だが俺は城に配属されてしまった。

 それもこれも適当な上司のせいなのだが、今となってはその上司に感謝している。


 え? その理由? 

 そんなの、目の前にいる彼女に会えたからに決まってんだろ。言わせんなよ恥ずかしい。

 って俺は誰と会話をしているんだ……。


 馬車はガタゴトと音を立て、不快にならない程度に揺れながら進み続ける。

 俺と王女様は会話することもなく、しばらくの間馬車内にはただ沈黙のみが渡り続ける。


 だがこの無言の時間さえも、俺は苦痛に感じることはなかった。

 むしろ居心地が良いとさえ思えるのは、彼女とフィーリングが合っているからだろう、と勝手に良いように解釈する。


 突然、王女様が俯いたまま小さな声で呟いた。


「私達、その……。お友達に、なったわけでしょ?」

「ん? あぁ、まぁ」


 一週間前、確かに彼女は俺と友達になってくれと言った。


 でもあれは、ダメダメな敬語を無理して使わなくてもいいよっていう、俺に対する気遣いというか、リップサービス的なものでは?

 もしかして王女様は、言ったからにはちゃんと実行しなきゃという義務感にとらわれているのだろうか?

 真面目そうだしきっとそうに違いない。


 しかし、これ以上彼女に気を遣ってもらうのは悪い気が――。


「だからね、あの……。で、できたら名前で呼んでもらいたいなぁ、なんて、思っているの、だけど……」


 王女様は真っ赤になったまま、そこでさらに俯いてしまった。


 くそ、やっぱ可愛いなおい。動きがいちいち可愛いくて俺の心の琴線に触れる。小動物みたい。

 この一週間彼女と共に過ごしてわかったのだが、王女様はかなりの恥ずかしがり屋らしい。ちょっとしたことですぐに顔が林檎のような赤色に染まるのだ。


 ――ん? ていうかちょっと待て。

 今彼女、とんでもないことを言わなかったか?


 お、王族を名前で呼ぶだって?


 彼女が今言ったことを認識した瞬間、俺の頭の中は真っ白になってしまった。


 小気味良い馬のひづめの音と、車輪の回る音だけがしばらくの間馬車内を支配する。

 自分の想像の範囲外の言葉に何も返すことができない俺を見て、王女様の眉が見る見るうちに下がっていってしまう。


 この雰囲気はやばい。泣きそうだぞ!?

 何か言わなきゃ。でも何を言えば――。


「ご、ごめんね。やっぱり嫌だよね。今言ったことはその、忘れて……」

「嫌じゃない」


 気付いたら俺の口は、勝手に否定の言葉を吐いていた。


 ……いや、何言ってんだよ俺。

 相手は王女様だぞ。将来この国の女王となる王女様だぞ。小柄で胸も小さいけれど、それでも王女様だぞ。って今は胸は関係ねー!


「ほ、本当?」


 途端に王女様の目に光が戻る。


 この状況で「やっぱり無理です」とは、とてもじゃないが言い出せない。

「無理だよーん」とおどけて見せるという手もあるが、それは俺のキャラじゃねーから却下。


「あ、あのね。みんな私のことを『姫様』って呼ぶから、名前で呼んでくれるのはお父様しかいないから……。その、少しだけ、寂しかったの……」


 しゅん、と俯いた彼女が可愛すぎてヤバイ。可愛さで世界が滅びそうな勢いでヤバイ。

 世界の皆さん、ここが『カワイイ』の爆心地です!


 ……うん、自分でも何を言っているのかわからん。


「俺で良かったらいくらでも呼んでやる」


 えっ!? ちょおおおおっ!? 何か今、俺の口が勝手に格好良いこと言いやがったんですけど!?

 何これ恥ずかしい! っつーか格好つけてんじゃねーよ俺の馬鹿!


「――――!」


 俺の言葉を受けて、期待の眼差しで俺を見つめ始める王女様。


 ……ほら、もう後戻りできねぇぞ俺。頑張るしかねぇぞ俺。

 自分を信じろ俺。俺はやればできる人間だっ!


 ティアラ――。


 試しに彼女の名前を口の中で転がしてみる。ほのかに甘い味が口の中に広がった。

 いや、気のせいだとはわかっているけれども。


 ティアラ。

 たった四文字じゃねぇか。俺の名前より短いんだ。簡単に呼べるだろ。

 さぁいけ。せーのっ。


「――――」


 だが俺の喉に石でもつかえているのではないかと思うほど、声が出てこない。

 しかも急激に口の中が乾燥してきやがった。


 え、何だこれ?

 いや、早く呼べよ俺。王女様が待っているんだぞ。


 意を決して再度彼女の名前を呼ぼうとした、その時――。


 馬がいななくと同時に馬車が止まってしまった。

 間を置かず「着きました」と御者のおっさんが扉を開ける。

 王女様はそのおっさんの手を取り、馬車から降りてしまった。


 何というタイミング。

 御者のおっさんに一連の会話が聞こえていたのか?

 俺に対する嫌がらせにしか思えねーんだが!?


 他人にはとてもじゃないが聞かせられない、おっさんに対する悪態を心の中でひとしきり並べたあと、俺は改めて彼女の名前を思い浮かべる。


 ティアラ、ティアラ、ティアラ――。


 頭の中では何度でも呼べるのに……。

 俺は一体どうしてしまったんだ。喉の病気になった覚えはねえぞ?

 ……もしかしてこれも、恋の副作用ってやつなのか?


 自分の身体の異変に、俺はただ戸惑うばかりだった。

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