第3話 過去の男が気になるタイプの俺②


 着いたのは立派な白い門がそびえ立つ、大きな屋敷だった。

 庭も丁寧に手入れがされているらしく、様々な木や花がそこら中に植えられている。


 クリストファー。なかなか金持ちな奴のようだ。

 俺の前に彼女の護衛をしていたというが、一体どんな奴なんだ。


 王女様はクリストファーに会えるのをやけに楽しみにしているようだが、もしかして彼女は――。

 いや、実は過去に付き合っていた男という可能性も?


 そんなことばかりがさっきから頭の中を渦巻いて、離れない。


 できれば会ってほしくない。ハンカチなんぞ俺がちゃちゃっと渡してくるから、彼女には今すぐここで引き返してほしい。

 そんな子供みたいな我侭が俺の心を侵食していく。

 自分がこんなに嫌な考えを持つ奴だとは、知らなかった……。


 そんな俺の心情など知る由もない王女様は、少し緊張した面持ちで扉に取り付けられたノッカーを二回鳴らした。


「はい。すぐ参ります」


 屋敷の中から響いてきたのは、中年の女性の声。

 でかい屋敷だからお手伝いさんでも雇っているのだろう。


 言葉通りすぐに扉が開かれ、小麦色の髪を一つに束ねた中年女性が出てきた。お手伝いさんにしては、やけに小奇麗な服を着ているな。


「あら、姫様!? ど、どうされたのです?」


 中年女性は片手を口元に当て、目を丸くしながら王女様に問いかける。


「今日は、クリストファーさんに忘れ物を届けにやって来たんです」

「あらあらまあまあ。それでわざわざこんな所まで!? 本当にもう、何やってんだかあの人は」


 中年女性は家の奥に目をやりながら呆れたように呟くと、そこで声を張り上げた。


「あなたー! 姫様がいらっしゃいましたよー!」


 屋敷の奥の方から、ガチャリとドアノブの回る音が聞こえた。そしてすぐに車椅子に乗った、白髪混じりの初老の男が姿を現した。

 その爺さんは堀の深い顔に皺をたくさん浮かばせつつ、ニコニコと笑顔でこちらに近寄ってくる。


「これはこれは姫様! 一体どうされたのですかな?」

「あなたの忘れ物をわざわざ届けに来てくださったのよ」

「何と」


 爺さんは灰掛かった目を見開いた後、王女様に向かって頭を下げた。


「姫様自ら届けに来てくださるとは。本当に申し訳ございません」

「いえ。久しぶりにクリストファーさんにお会いできる口実ができて、嬉しかったです」


 柔らかな笑みでそう応えつつ、王女様は爺さんに手を伸ばし、握手を交わした。


 そこでようやく俺は、初日に彼女が言っていた言葉を思い出した。


『実は私、同年代の男の人と一緒に過ごすのは、初めてなのです』


 馬鹿みてぇ、俺……。

 もっと早くに思い出していたら、くだらない嫉妬などしなくて済んだのに。


 心の中で溜め息を吐くそんな俺に、爺さんが好奇の眼差しを向けていた。


「もしかして、君が私の後に就いた護衛かな?」

「あぁ、そうだ」

「君に引継ぎもしないまま城を後にして、すまなかったね。何せ急病だったもので」

「いや……」


 爺さんが護衛の仕事をやめたのは、急病で倒れたかららしい。

 その時に以前から痛めていた足の方も再び具合が悪くなってしまい、車椅子生活になってしまった――と説明してくれた。


 ……そうなんだよな。城に来た時に何の引継ぎもなかったから、俺もそこはちょっと不思議に思っていたんだ。

 どうやらかなりバタバタしていたみたいだな。


「あなた。いつまでこんな所で姫様を立たせたままにさせておく気ですか」

「おお。確かに。姫様失礼致しました。ささ、どうぞ中へ」

「お邪魔します」


 屋敷の奥へと丁寧に案内される王女様の後ろに、俺はただ黙って着いて行った。






 それから数刻の間、三人は和やかな雰囲気で談笑を続けていた。

 俺も最初「どうぞと椅子に」と案内されたのだが、彼らの会話についていけないと判断し、それをやんわりと断った。


 その後は壁際にもたれ掛かりながら三人の談笑をただ黙って見守っていたのだが、断って良かったと思う。

 俺の知らない、二人の思い出話が会話のほとんどを占めていたからだ。


 気心の知れた相手だからか、王女様は終始楽しそうだった。

 彼女が楽しそうにしている様子を見ることができて嬉しい反面、俺に対してもあんなふうに接してほしいという、変なモヤモヤが心の中に発生して――。


 俺はその気持ちを振り払うように、時おり頭を横に振っていた。







「そうそう。これだけは君に伝えておかなくては」


 帰り際、俺が馬車に乗る寸前に、クリストファーの爺さんが俺だけに聞こえる声で話し掛けてきた。

 小さな皺が刻まれた目元は少し緩んでおり、心なしか悪戯いたずらを考え付いた少年のようにも見えた。


「何だ?」

「姫様は恥ずかしがり屋だが、たまに大胆なことをしてこちらを惑わせてくる。くれぐれも気をつけたまえ」


 えーと……。気をつけるって何を?

 大胆なことって、まさか城の壁をぶち破って脱出するわけでもないだろうし。


 疑問符を頭の上に浮かべる俺に対し、クリストファーの爺さんは、今度は意地の悪さがはっきりとわかる笑みを浮かべながら続けた。


「要約すると惚れるなよ、てことだ」

「…………」


 その助言は、残念ながらもう手遅れだ爺さん……。

 俺は返事の代わりに小さな笑みを浮かべた後、彼女の待つ馬車の中へと入った。






 城へと帰る馬車の中。

 しばらくお互いに無言だった俺達だが、突然控え目に王女様が口を開いた。


「クリストファーさんと、何のお話をしていたの?」


 いや、あんなことを馬鹿正直に言えるわけがないだろ……。


「ティアラ」

「えっ?」

「――をよろしくって」


 ……呼んでしまった。


 誤魔化すついでに名前で呼んでしまった。


 何この体験したことのない恥ずかしさ!

 心臓が早く動きすぎて胸が痛い!

 今すぐここから逃げ出したい!

 むしろ夕日に向かって全力で走り出したい!


「あ、あの、その、えっと」


 いきなりの俺の『名前攻撃』に、彼女は真っ赤になりながら動揺している。


 ほれ、困っているじゃねーか。もう何やってんだよ俺!?


 後悔という名の波が、俺の心に絶え間なく押し寄せてくる。

 しかし彼女は顔を真っ赤にしながらも、上目遣いで信じられないことを俺に懇願してきた。


「も、もう一度、呼んで?」


 確かに爺さんの言う通りだよ……。

 こんなに恥ずかしそうにしているのに催促してくるなんて、ある意味大胆だよ彼女……。


 しかしその催促を無視するわけにもいかない。

 俺は先ほどよりも若干小さい声で、再度彼女の名を呼んだ。


「……ティアラ」

「はい」


 俺の二回目の呼びかけに可愛い声で返事をした王女様は、にっこりと笑いながら続けた。


「名前で呼んでくれてありがとう、マティウス」


 ……爺さん、手遅れどころじゃなかったわ。

 俺、もう彼女にめろめろです……。

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