王女と護衛×2と侍女の日常

福山陽士

第1部

第1話 そして俺は月に落ちる

 国境の警備隊に配属希望を出したはずなんだが……。


 先ほど宿舎に届けられた一枚の紙を見ながら、俺は眉間に皺を寄せる。

 俺に告げられた配属先――。


 それは俺が希望した場所ではなく、何と城だった。

 しかも、城門の警備とかではない。


 王女様の護衛だ……。


 どう考えても、書類に不備があったとしか思えない。

 城の上品な雰囲気が絶対に俺に合いそうにないから、むしろ避けたい場所であったのに。


 そういやあの警備隊長のおっさん、昼間なのにすげー酒臭かったな……。

 思い当たる節はそれしかない。


 だが今からおっさんに抗議しに行ったところで、国境警備に回してくれる可能性は極めて低いだろう。むしろ無いと断言できる。

 自分の身の振り方しか考えていないあのおっさんが、自身の非を認めて面倒な手続きをやり直してくれるわけがない。

 無能な上司の割を食うのは、いつだってその下の者なのだ。


 無理やり諦めの境地に立たされた俺の心に呼応して、重い息が勝手に口からもれた。








 王女の護衛ということで、城の中に俺専用の部屋が用意されていた。


 といっても、ベッドとクローゼットだけが置かれた、非常に狭い部屋ではあるが。元は城の兵士用の個室らしい。


 それでも、城から離れた場所にある警備隊の宿舎から毎日通い続けることを考えたら、充分ありがたかった。


「まさか今度の姫様の護衛が、こんなに若い男だとはなぁ。お前のところの隊長の考えることはわからんよ」


 俺を部屋に案内した中年の兵士が、俺を見ながらぼそりと呟いた。


 そんなことを俺に言われても困る。ていうか、元々俺もここに来る予定じゃなかったんだが。

 しかしそれをこの兵士に言ったところで何か変わるわけでもないので、俺は黙ったまま視線を横に流すだけに留めた。


「まぁ、長身な分威圧感があるから、護衛としてはいいのかもしれないがな」

「どうも」


 これまでの人生で誉められたのは、我流で身に付けた剣術のことを除けば俺の身長だけだ。

 背が高ければ高いなりの苦労や悩みはあるのだが、それでも誉められて悪い気分にはならない。


「荷物を置いたら、早速姫様の部屋まで案内するからな。城の間取り図は今日の夜までには届ける」

「あぁ」


 覇気のない返事をした後、俺はベッドの上に背負っていた荷物を落とした。

 ベッドの横の壁に掛けられた、四角い鏡が強制的に視界に入ってくる。


 左耳にピアスを空けた、ライトグリーン色の短く硬そうな髪を持つ男。

『そいつ』は面白くなさそうな顔をして、空色の瞳でこちらを見ていた。







 中年の兵士は俺を王女様の部屋の前まで案内した後、本来の警備場所に戻るから、と言い捨てて早々と去って行ってしまった。


 金色の塗装と装飾が施された重厚な木製の扉の前で、俺は軽く深呼吸をする。


 ここまで来たらもう腹をくくるしかない。

 羽織っている深緑のジャケットを申し訳程度に整えた俺は、決意と共に扉を二回ノックした。


「新しく配属された護衛だ――です」

「はっ、はい。どうぞ」


 すぐさま鈴のような澄んだ声が返ってきたが、緊張しているのが容易にわかるものだった。


 ……王族も緊張するんだな。

 少し親近感を抱きつつ、静かに扉を押し開ける。


 まず目に飛び込んできたのは、今まで俺が見たことがないほどの豪華な家具類だった。

 どれも節々に金や銀の装飾が施されているが、キラキラしていないので嫌みな感じはしない。

 足下にはベージュ色の柔らかな絨毯が、大きな部屋いっぱいに敷かれている。


 そんな家具達に彩られた部屋の真ん中で俺を待っていたのは、肩まで伸びた桃色の髪を持つ、小柄な少女だった。


 丈が短めの黄色いドレスから覗く細い足は少し内を向いていて、酷く頼りない印象を受ける。


 これが、このアウラヴィスタ国の王女様か……。小さくて可愛いな。


 陶磁器のように白い肌。

 ぷっくりとした血色の良い唇は、熟れた果実を連想させる。

 まるで人形のように精巧な顔立ち。


 初めて見る王族に少し感動を覚えつつ、自分が予想していたものとは違う姿に俺は安堵していた。

 ちなみに俺が想像していた王女様というのは――。


 くるくると巻いた金の髪を持ち、目元はきつく吊り上がり、頬に手を当てながら高飛車な笑いを出しそうな奴だった。

 予想が外れて本当に良かったと思う。


 そんなことを俺が考えていたなんて夢にも思っていないだろう王女様は、満月を彷彿とさせる神秘的な琥珀こはく色の目で、俺を見据えていた。


「あ、あの。私、ティアラ・F・アルゲドと申します。こ、これからよろしくお願い致します」


 緊張気味にそう自己紹介をした王女様は、俺に対してペコリと頭を下げた。

 俺もそれにつられてペコリと頭を下げる。


「マティウス・ラトヴァラです。ヨロシクオネガイシマス」


 うん。自分で思わず賞賛したくなるほどの、素晴らしい棒読み具合だ。

 だが俺がこんな喋り方になってしまったのには理由がある。


 貧民街に近い場所で育ってきた俺は、丁寧な言葉遣いや敬語なんぞとはずっと無縁のまま今日に至るわけで。

 そんな俺が普段と変わらぬテンションで自己紹介をしたのなら、


『よう。俺はマティウス・ラトヴァラってんだ。よろしくな』


 という感じになってしまうだろう。

 王女様相手にいくら何でもその話し方はねえよってことは、さすがに俺でもわかる。

 で、ボロを出さないためにあんな棒読みになってしまったのだ。


「あ、あと、あそこで窓を拭いているのは、私の侍女をやってもらっているタニヤです」


 王女様が後ろを振り返りながら説明をすると、大きな窓を拭いていた長い金髪の侍女が俺の方を向く。

 王女様に気を取られすぎて、今の今まで存在に気付かなかった……。


「よろしくねー」

「……ドウモ」


 そしてタニヤと呼ばれた侍女はニコニコと笑いながら俺に手を振った。

 やけに軽い感じの侍女だな……。


「あ、あの……。実は私、同年代の男の人と一緒に過ごすのは、初めてなのです」

「ソウデスカ」


「だから、その、失礼があるかもしれませんが、その時はごめんなさい……」

「ハイ」


 それにしてもこの王女様、やけにビクビクしているというか――何というか小動物的だな。

 年は俺より二つ下の十五らしいが、その割には背も低いし。


 しかし今まで接したことのある上流階級の奴らはどいつも高慢な態度だったので、何だか新鮮な気分だ。

 本当にくらいの高い奴は器も心も大きいから、偉ぶる必要もないんだろう。

 そんなことを考えつつ、俺の護衛生活はスタートした。







「あの、マティウス」

「あ? ――じゃなくて、ハイ」

「…………」




「――――というものなのだけれど、これでいいかな?」

「いいんじゃねーの? あっ。い、いいんじゃないデスカネ」

「…………」




「あっ、あのっ。い、今から着替えを――」

「いや、見ねーし。……あ……。外ニ出トキマス」

「……はい」




「今日はありがとう。また明日もよろしくお願いします。おやすみなさい」

「……オヤスミナサイ」


 就寝の挨拶を終え扉を閉めた後、ふらふらと廊下の壁にもたれ掛かり、俺は長い溜め息を吐いた。


 何とか今日一日は無事に終えた。

 途中怪しかった場面もあるが、たぶん誤魔化せたはずだ。


 でも、これから毎日この生活が続くわけなんだよな。

 俺、ストレスで禿げるかもしれん……。


 キリキリと痛み出した胃を押さえながら、俺は重い足取りで自室へと戻るのだった。







「あ、あの。いきなりで申し訳ないのですけど、実はマティウスにお願いがあるのです」

「ナンデショウカ?」


 次の日の朝、王女様は俺が部屋に入るなりそんなことを言ってきた。


 お願いか。面倒なことじゃなければいいんだが――。


 そんな不安に駆られる俺の右手を、王女様は柔らかく小さな両手で優しくそっと包み込む。

 そして満月のような大きな瞳で俺を見つめてきた。


 いぃっ!? いきなり何だ!?


 王女様の頬が赤く染まっている。

 そしてたぶん、今の俺の顔はそれ以上に赤い。

 でもこんなふうに女の子に手を握られたことなんてないんだし、仕方がないだろ。


 何かを決心したようにきゅっと結ばれていた彼女の薄い唇は、やがて静かに開かれた。


「わ、私と、お友達になってください」

「……………………は?」


 彼女の『お願い』に、俺は目を点にして思わず素の声で反応してしまった。


 えーっと、つまりあれか? 今まで周りに大人しかいなくて寂しかったからとか、そういう背景のやつか?

 いや、でも侍女のタニヤも俺と同い年くらいだし、それだと俺に頼む理由にはならんよな……。


 王女様の意図がわかりかねて悩んでいると、琥珀色の瞳がウルウルと揺らめきだした。


「ご、ごめんなさい。やっぱり嫌ですよね……」

「いっ、嫌じゃない! 嫌じゃないデス。むしろ光栄デス!」


 とりあえず泣かれるのはマズイので、俺は慌てて取り繕う。


「ほ、本当ですか?」

「あぁ。じゃなくて、ハイ」


 俺の返答に、泣きそうだった王女様の顔は一転して綻んだ。


 その嬉しそうな彼女の顔を見た瞬間、俺の胸の辺りに感じたことのない違和感が発生する。


 …………何だ? この変なモヤモヤ感は。


「よ、良かった。それじゃあ――」


 彼女は俺の右手から手を離すと、白くて細い指を一本立てた。

 そして俺の口元に、そっと指を押し当てる。

 少し色っぽいその仕草に、思わず俺の心臓が跳ねた。


「お友達になったから、今から敬語は禁止、ね?」


 彼女の二つの満月は、そこで可愛らしい三日月に変わる。

 刹那、俺の胸に発生していた違和感がパチンと音を立てて破裂した。


 くそっ。その笑顔は卑怯だろ……。


 無理して振舞っていたのを見透かされていた、という恥ずかしさは、新たに発生した恋という気恥ずかしさに上書きされた。



 部屋の隅で掃除をしながら様子を伺っていたタニヤが、ニヤリと笑った気がした。

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