第43話 けしからん犯人を捜せ①

 ティアラの持つ羽ペンが軽快に紙の上を走る。

 現在広い部屋を支配しているのは、その羽ペンから紡ぎ出される硬い音。


 いつもと変わらない、穏やかで静かな午後。


 俺とアレクは熱心に勉強を続けるティアラを、いつも通りただ見守る。

 タニヤは寝室の窓を拭いているらしく、時々ガラスを擦るキュッと高い音がティアラのペンの音と交差する。


 ふと、ティアラが顔を上げた。そのタイミングを見計らったかのように、少し強めに扉がノックされた。


「姫様。少しよろしいでしょうか」


 声は女性。

 落ち着いた声だが、そこまで年齢が上な感じはしなかった。

 俺が聞いたことのない声だ。

 だがティアラはその声の主に覚えがあるらしく、すぐさま椅子から立ち上がると扉へと向かう。


「誰だ?」

「侍女のヘネロアさん」


 俺の疑問に短く答えたティアラは、部屋の扉を内に引く。


 扉の前の廊下には、城に仕える若い侍女達がズラリと並んでいた。

 その数、ざっと十人前後。

 どの侍女も俺の姿を見た瞬間、キッと鋭い眼光をこちらへと向けてきた。


「――!?」


 彼女達の気迫に押され、思わず一歩後ずさる俺。


 一体何なんだ。

 そんなに俺がアレクの隣にいるのが許せないのか!?


「どうしたの……?」

「姫様、突然申し訳ございません。でも少しばかりお時間を頂きたいのです。実は最近、私達侍女を付け狙う、覗き魔が出現しておりまして――」


 先頭にいた黒髪を一つにまとめた侍女が、険しい表情でティアラにそう告げる。

 おそらくこの黒髪の侍女がヘネロアなのだろう。

 年はタニヤより少し上っぽい。


「覗き魔とは穏やかじゃないな」


 アレクが若干眉根を寄せながら、不穏な言葉に小さな声で反応する。

 そしていつの間にこっちに来ていたのか、タニヤもアレクと似たような表情になっていた。


「私は、着替えをしようとした時に……」

「私はお風呂に入ろうと脱いだ時よ」


 後ろに控えていた侍女達が、口々に被害に遭った時の状況を喋りだす。

 しかしヘネロアは軽く片手を上げて、その侍女達の言葉を制した。


「そして、その覗き魔の特徴なのですが――」


 刹那、俺の背筋にぞくりと悪寒が走り抜ける。


 おい、何だかすっごく嫌な予感がするんですけど――。


「黄緑色の、刺々しい髪を持つ人物なのです」


 やっぱりいいぃぃ! 嫌な予感的中!


 そこで侍女達の視線が再度俺に集まる。

 正確に言うと、俺の頭に。その侍女達の鋭い視線は、まるで針の雨の如し。

 今この瞬間、俺の頭から何本か毛根が死滅したかもしれない。


「絶対に違うって! 俺はそんなことしてねえ!」


 俺は両手を振って慌てて否定する。


 ティアラ以外の女なんぞ、俺にとっては路傍の石も同然。それこそ、爪の垢ほども眼中にない。

 しかしそれを言ってしまうと、俺の護衛生活は間違いなく終了してしまうだろう。


 俺とティアラの関係は、アレクとタニヤしか知らないのだ。


 俺の抗議の声にも、「何言ってやがんだこいつ」という侍女達の冷ややかな視線が注がれるのみ。

 正直に言う。

 ちょっと……いや、かなり怖い。


「それでは、昨晩はどのように過ごしておりましたか?」


 いきなり尋問かよ!?

 だがここで拒否すると、確実に俺が犯人だと決め付けられてしまう。

 仕方なく、俺は昨晩の行動を思い出す。


「昨日の夜は、ティアラの部屋から出て、そのまま真っ直ぐ自分の部屋に戻って――」

「それから?」


「ジャケットを置いて、食堂に飯を食いに行ったな。その後風呂に入って、そんで寝た」

「それを証明してくれる人間はいますか?」


「食堂の従業員に聞けば良いだろ」

「食事の後、本当にすぐに入浴をしたのですか?」


「ま、待ってヘネロアさん。みんなも落ち着いて」


 ティアラが俺の真正面に立ち、強い口調で問い詰めてくるヘネロアの盾になってくれた。

 正直、助かった。

 実は飯を食ったあと一度部屋に戻って、その……ティアラのことを考えながらベッドの上でゴロゴロごにょごにょしていた、なんてとてもじゃないが言えないからな……。


「姫様。しかし、目撃者が多数いるのです」

「きっと良く似た別の人物だよ。確かにマティウスは、その、ちょっとえ……えっちなところもあるけれど、でも決してそんなことをする人じゃないもの」


 ティアラ……。俺をかばってくれるのは非常に嬉しい。

 ただ「えっちなところもある」だけは余計でス……。

 このタイミングでそんな情報を出すと、悪い方向に解釈されてしまう可能性がっ――!


 だがそれをティアラに言うことができぬまま、今度はティアラの隣に居たタニヤが、うんうんと頷きながら続けた。


「確かに姫様の言う通りね。マティウス君は『かなり』えっちぃけど、でも基本はヘタレだもの。ムッツリってやつね。そんな大胆な行動をするとは、とてもじゃないけど思えないわ」


 おい。お前それでフォローしているつもりなのか!?

 『かなり』のところを強調しやがったし!?


 今すぐにでもタニヤに文句を言いたい衝動を我慢していると、さらに俺の後ろからアレクも声を出した。


「こいつは自分より年下の、子供っぽい奴にしか欲情しない。よって覗き犯ではない」

「ちょっと待て。その言い方は別方向の誤解を生む。訂正してくれ」


 これではまるで、俺がロリコンのようではないか。


 確かにティアラの可愛さは、場合によっては子供っぽいとも言えなくもない。背も低いし。

 だからと言って、このタイミングで『欲情』とかいう怪しい単語を使うなや。


 しかし俺の抗議の声も、アレクの「お前は黙っとけ」という趣旨の視線に一蹴されただけで、あえなく消滅してしまう。

 さらに侍女達も「アレク様がそうおっしゃるのなら……」という雰囲気になってしまった。


 覗き魔の濡れ衣を着せられたうえ、なんで大勢の女性の前で俺の性癖を(しかもちょっぴり違う)暴露されなきゃならんのだ。泣きたい。


「ここはマティウスが犯人ではないということを証明するためにも、オレ達がその覗き魔を捕まえてやる。うら若き乙女の肌を視姦しかんする不届きなやから、許すわけにはいかん」

「さすがはアレク様だわ!」


 アレクのイケメン発言に、たちまち侍女達は色めき立つ。


 くそっ。普通そういうのって、濡れ衣を着せられた俺が言うセリフじゃねーの!?





「情報によると、犯行時刻は夜ね。まぁ、真昼間から覗きをする人の方が珍しいでしょうけど」


 窓際の丸テーブルの前で、俺達は早速作戦会議を開いていた。

 会議の進行役は、なぜかはりきっているタニヤ。

 彼女はよく通る声で続ける。


「今まで侍女達が被害に遭った場所を確認していくわよ。まずは、侍女の控え室。ここで着替えをするの。私物も皆ここに置いているわね」


 丸テーブルの上には、城の一階の見取り図が広げられている。

 タニヤは一度俺達の顔を見回した後、見取り図の上で指をすいっと滑らせた。


「次に、侍女専用の共同浴室。そして最後は、ここで寝泊りしている子の個室ね」

「侍女ばかりが集まった場所を狙い撃ち、て感じだな」


「念のために聞いておくけど、犯人はマティウス君じゃないわよね?」

「お前まで疑うのかよ!? だから違うっつーの! そんなことは絶対にしないし、そもそも俺はティアラの体にしか興味がない!」


「お約束のように大きな声で惚気のろけてもらったことだし、犯人を捕まえるための作戦を考えるわよ」


 おい、今のわざと言わせたのかよ!?


 だがここで言い返すと話が進まない。

 やり場のない怒りと羞恥を、グッと拳を握って発散させるしかない俺。


 そして案の定、ティアラは真っ赤になった頬に手を当てて恥ずかしがっている。

 ちょっとだけ瞳も潤んでいるところが、こちらの羞恥心をより肥大させる。


 タニヤはそんなティアラの様子を、満足げな顔をしながら見つめていた。


 タニヤの奴、ティアラのこの反応が見たかっただけだろ……。


「作戦を考える前に、一ついいか?」


 アレクが軽く手を上げ、淡々とした口調でタニヤに問う。


「タニヤは被害に遭ったり、犯人を見たりはしていないのか?」

「確かにそうだな。お前、この間のサーラのことも黙っていたし。隠していることがあるなら今の内に吐いとけ」


「残念だけど、私は何も見ていないし、覗かれてもいないわ。このナイスバディなタニヤちゃんを覗きにこないなんて、犯人もまだまだよね」


 自分でちゃんを付けるな。

 ていうか何がまだまだなんだ、とツッコミたかったのだが、先にアレクが口を開いてしまった。


「ふむ、そうか。しかし城の兵士も見回りをしているはずなのだが、その辺りがどうも解せぬな。兵士達の目をかいくぐって実行しているとなると、一筋縄ではいかない奴ということだろう」


「確かにそうだね……」


 アレクの言葉に、不安そうに眉を下げるティアラ。

 しかしその目には『間違ったことは許せない』という、正義の炎が燃えている。


 もしかしなくても今回の件、ティアラも犯人探しを手伝うつもりなのだろうか。

 そうなると色々と厄介な事態になりそうだ。

 彼女が口を開く前に、俺は先手を打つことにした。


「ティアラ。犯人を捕まえるまでは、今まで以上に戸締まりを確認して寝るんだぞ。カーテンも隙間ができないようにちゃんと締めてな」


 しかし、ティアラは即座に首を横に振った。


「私も、協力する」

「ダメだ。相手がどんな奴かもわからないんだ。危険な目に遭うかもしれない」


 俺の強い拒否の言葉にも、しかしティアラの瞳に湛えられた覚悟は、まったく消えそうにない。


「姫様。マティウスの言うとおりです。それに、こんなことでわざわざ姫様のお手をわずらわせるわけには――」

「だって……嫌だもの」


 ティアラは両手で服の裾をぎゅっと握り締め、うつむく。

 そして微かに声を震わせながら続けた。


「マティウスがそんなことをしているって疑われているのに、何もできないなんて、嫌だもの……」


「一言だけでも犯人に言ってやるんだから」と弱々しく呟いた後、二つの月が僅かに揺らめいた。

 それを見た俺は何も言えなくなってしまった。


 ティアラは恥ずかしがりやで、優しくて――そして、時々頑固だ。

 意志が強いとも言えるが。


 この様子だと、説得を続けても難しいだろう。

 俺のことを想って行動してくれるのは嬉しい。

 だが――。


 小さく息を吐きながら、肩をすくめることしかできない俺。

 そんな俺の心情を察したのか、そこでタニヤが腕を小突いてきた。


「まぁ、姫様はマティウス君がしっかり守ってあげるということで、いいんじゃない?」

「そうだな……」


 ティアラも、自分が無茶なことを言っているというのは理解しているらしい。

 申し訳なさそうに、俺のジャケット裾を握ってきた。

 うん。やっぱり可愛い。


「ということで、作戦会議の続きよ。覗き魔はここ連日現れているから、今日の夜も出現する確立は高いと思うわ。捕まえるなら警戒されていない、今日が絶好のチャンスかもね」


「四人でぞろぞろと見張っていたら目立つ。姫様とマティウス、オレとタニヤの二手に分かれよう」


「場所は?」

「オレ達は浴室の外、姫様達は控え室の外でお願いします」


 まぁ、それが妥当だよな。

 いくら興味がなくても、やはり女性が入浴しているそばで待機するとなると、俺も落ち着けないだろうし。


「それに個室だとたくさんあり過ぎて、アタリをつけ難いしね。それぞれの場所で現れそうになかったら、個室の外を見にいくことにしましょ」


 タニヤの提案に、無言で頷く俺達。


 勝負は今晩――。

 俺の疑いを晴らすためにも、絶対に覗き犯を見つけてとっちめてやる。


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