第2部

第33話 彼女との距離に悩む俺①

 城の一階にある、兵士用の食堂。

 五十人程度が座れるその食堂で、俺とアレクは並んで昼食を食べていた。


 今日ティアラは陛下と二人で昼食を取るとかで、俺達は席を外しているのだ。

 陛下にも専用の護衛と毒見役がいるから問題ないよと、俺達の主君から束の間の自由時間が与えられたので、こうして飯を食っているというわけだ。


 いつもはアレクと交代で昼食の時間を取ってきたから、こうやって二人並んで飯を食うのは初めてなんだよな。

 ちょっと新鮮な気分。


「で、お前達、どこまで進んだんだ?」


 ぶぺ。


 何の脈絡もなくいきなり振ってきたアレクの言葉に驚き、俺は口に入れたばかりのポタージュを噴き出してしまった。


「食べ物を粗末にするのは良くないぞ。それに口に入れた物を出すのはマナー違反だ」


 整った顔を全く崩すことなくそう言い放つ同僚に、俺はすぐさま反論する。


「お前が原因だろうが!?」

「で、どうなんだ?」


 アレクは俺の抗議を無視し、有無を言わさぬ雰囲気で詰め寄ってくる。


 くそ、やっぱりこいつとの二人だけの会話は苦手だ。

 卑怯なり、無表情の破壊力と強制力。


「ま、まだ、何も……」

「何も、だと!?」


 俺の返答にアレクは無表情を崩し、紅色の目を見開きながら続ける。


「付き合い始めてそろそろ二ヶ月は経とうとしているのに、何も、だと!?」

「だ、だってお前らがいるし!?」


「大丈夫だ。オレもタニヤもじっくりと見ていてやるから、遠慮はするな」

「だからそれが嫌なんだっつーの!」


 そりゃ俺だって念願叶ってようやく結ばれた可愛い初恋の彼女と、あんなことやこんなことを存分にやりてーよ!? 年頃の男なんだし!?


 だが俺達を取り巻く環境がその機会を与えてはくれなかったのだ。


 俺がちょっと日和ひよっているってのも否定はしないけどさ……。

 それでもやっぱり見られるのは嫌じゃん……。


「よく考えろ。人の目を盗みこっそりと触れ合うことで、二人の愛がより燃え盛ると。美味しいシチュエーションだとは思わないかね?」


「かね? じゃねーよ! いつもと口調変わってんじゃねーか。ていうかそもそもお前がその『こっそり』の隙を与えてくれねーんだろうが!」


 こいつも王女の護衛に選ばれただけあって、佇まいどころか気配にも全く隙がない。

 少しでも俺が動こうものなら即座に俺を目で追ってくる、

 そういう奴なのだ、アレクは。


「気付いていたのか」

「そりゃ気付くわ。俺だって護衛なんだから見くびるなよ」


「ふむ。ところで姫様からは何も催促されてはいないのか?」

「あいつが自分からそういうことを言うと思うか?」


「それもそうだな……。でも手を握る程度なら、姫様でもできると思うのだが――」


 そう言われてしまうと、俺も何も言い返せない。


 無言でポタージュの残りを飲み干す俺を一べつしたあと、アレクは正面に向き直り、小さく呟いた。


「お前達の今の状況、付き合っているとは言わないんじゃないのか?」


 わざと見ないようにしていたものを容赦なく晒すアレクの言葉に、俺は凍り付く。


 確かに二ヶ月前のあの時、ティアラは俺の告白を「ありがとう」と受け入れてくれた。


 …………だが、よく考えたらそれだけだった。


 俺は今まで一度も彼女の口から「好き」という言葉を聞いていないし、恋人らしいことをしてみたいとお願いされたこともない。

 俺が何かを期待して彼女に熱い視線を送っても、ニコリと軽く笑顔を返してくれるだけ。


 ティアラは優しいから、俺の告白を断れなかっただけじゃないのか?


 ティアラの俺に対する気持ちは、アレクやタニヤに対する気持ちとほとんど変わらないものじゃないのか?

 そうでないと、この二ヶ月停滞したまま、なんて事態になってはいないはずだ。


 頭の隅にずっと存在していたその小さな疑問が、この時俺の中で確信に変わった。


 刹那、心臓を鷲掴みにされたような痛みが俺の胸を襲う。

 久々の感覚だが、当然嬉しくはない。


 結局俺は、告白を受け入れてもらえて一人で浮かれていただけってことか……。


 今の二人の距離感をはっきりと認識してしまった俺の心に、失恋したと勘違いしたいつかの痛みよりも、ずっと痛い棘が突き刺さる。


「まぁ、そういうことなら早速タニヤに言って、この後お前と姫様の時間を――っておい、どうした? 顔色が悪いぞ」

「アレク、俺――」

「マティウス君、アレク! すぐに来てちょうだい!」


 俺の言葉は突如食堂に現れたタニヤによって遮られた。


 いつもの能天気で緩い表情はそこにはない。どこか緊迫した彼女の様子に俺は思わず息を呑む。


 タニヤはここまで走ってきたらしく、息も絶え絶えでひたいには汗が滲んでいた。


「どうしたんだ?」

「姫様が倒れたのよ!」

「なっ――!?」


 タニヤの言葉に、俺もアレクも咄嗟に立ち上がっていた。


「アレクはすぐに城の専属医の所へ向かって知らせてちょうだい。私は水やタオルとか細々したものを用意しに行くから。マティウス君は執務室へ。今姫様は陛下が見てくださっているから、部屋まで運んで欲しいの」

「わかった」

「了解」


 返事と同時に俺達は食堂を飛び出した。






 俺は今、ティアラを抱きかかえたまま城の階段を上っている。

 思わぬ形で彼女の体に触れることになってしまったが、くだらない下心が吹っ飛ぶほどティアラの全身は熱く、医者でない俺でもヤバイ状態というのは容易に理解できた。


 俺の腕の中で、ティアラはさっきからうわ言のように小さな声で「ごめんね」と繰り返している。


「何で謝るんだ?」


 何に対する謝罪なのか俺にはよくわからなかったので聞いてみるが、返事の代わりにまた「ごめんね」という言葉が返ってくるだけだった。

 どうやら熱のせいで意識が朦朧としているらしい。


『あなたの気持ちに応えてあげられなくて、ごめんね』


 違うとわかっていても、もしかしたらそういう意味なのかもしれない、というネガティブな考えがぎり、俺は慌てて頭を振った。


 と、階段を上りきったところで、ティアラが弱々しく俺の胸元の服を握ってきた。


 こんな些細な仕草でも、俺の心臓はまだ大きく跳ねる。

 普通の恋人なら、この程度の触れ合いはとっくに慣れている頃合いなのだろうか。


「私……重いのに、ごめんね……」


 何だ、そんなことか……。

 想像と違う返事に、俺は心から安堵した。


「重くない。むしろ軽いから気にするなって」


 冗談ではなく、本気でティアラは軽い。

 以前巨大ネコの口の中から脱出した時も感じたんだが、おそらく彼女、俺の半分も体重ないんじゃなかろうか。

 いくら小柄とはいえ、軽すぎて心配になるほどだ。


 ティアラはそれっきり黙ってしまった。

 かわりに短い呼吸を口で繰り返し始めたので、俺は歩くペースを上げた。


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