第34話 彼女との距離に悩む俺②
城の専属医が言うには、高熱が出てはいるがただの風邪らしい。
だが今日一日は絶対安静の措置を取るようにと、俺達に告げて部屋を出て行った。
ティアラは部屋に到着したばかりの頃は苦しそうな呼吸を繰り返していたが、薬を飲んだことで落ち着いたのか、今は穏やかな寝息を立てている。
俺は彼女のベッドの端に静かに腰を下ろすと、小さく息を吐き出して下を向く。
こんな時何もできない自分がもどかしい。
ちなみに今アレクは陛下に報告をしに、タニヤはティアラに食べさせる滋養食を食堂に取りに行っている。
と、僅かにシーツの擦れる音が鼓膜を通り抜ける。
もぞもぞと動く気配に顔を上げると、ティアラの目が僅かに開いていた。
「そこに座っているの……マティウス……?」
いつもの鈴音のような澄んだ声とはほど遠い、弱々しく
まだ本調子でないことは火を見るより明らかだ。
「まだ寝とけ」
俺は彼女の枕元まで移動し、床に膝を付く。
そして極力感情を廃した声で告げながら、ティアラの柔らかい髪をそっと撫でた。
「どう……したの? 元気……ないの……?」
言葉を途切れさせながらも、ティアラは半分閉じた瞼で俺を心配そうに見つめてくる。
やっぱり誤魔化せないか……。
彼女は他人の恋愛感情に関してこそ鈍いものの、こういう人の心の
こんな状態なのに、ティアラは自分のことより俺を心配してくれる。
だがその優しさが、今の俺には痛かった。
「元気がないのは、お前の方だろ……」
「私は、お薬飲んだから……もう、だいじょ――」
彼女の言葉が途切れた理由。それは俺が塞いだから。
……口を、口で。
ムードもへったくれもないが、これが俺達の初めてのキスだった。
熱で赤かったティアラの顔はさらに赤みを増し、半分閉じていた瞳は大きく見開かれる。
俺は彼女のその表情をあえて見ないために、瞼を閉じて彼女の柔らかな唇に神経を集中させた。
俺、最低かもしれない。
でも我慢できなかった。色々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、気が狂いそうだったんだ。
いや、もう狂っているか?
彼女の少し乾燥していた唇を湿らせながら、柔らかくて温かい感触を堪能する。
時間にしてはおそらく短く、でも感覚としては長い――そんな一定の時間が過ぎた頃、俺は彼女から顔を離した。
「かっ、風邪、う、うつっちゃう、よ……」
ティアラは真っ赤になりながら、今にも消え入りそうな声で俺に言う。
彼女の目の端に光る液体が見えるのは、嫌だったからじゃなくて羞恥から溢れたものだと思いたい。
「大丈夫。俺、馬鹿だから。ほら、馬鹿は風邪ひかないって言うじゃん」
冗談ぽく言ったはずの俺のセリフは、しかし自嘲混じりのものになってしまっていた。
どうも俺、さっきから誤魔化すのが上手くいっていないな。
ティアラが俺のその様子に気付かないわけがない。
案の定、彼女は即座に真剣な表情になる。
「マティウスは、馬鹿じゃないよ……」
「馬鹿だよ。俺はティアラみたいに頭が良くないから、本を読んだりとか無理だ。政治のこともてんでわからないし、教養もない。アレクやタニヤの方がよっぽど物事を知っている。だから俺は――」
――お前と、吊り合っていない――。
喉まで出かかったその言葉だけは、ギリギリのところで呑みこんだ。
言ってしまったら、俺とティアラを繋ぎとめていた細い糸が、プツリと切れてしまう気がしたから。
俯いた俺の耳元で、ティアラは弱々しい声でゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「頭の良い人っていうのはね、知識がたくさんある人のことだけを、いうわけじゃないと思うの……」
「…………」
俺は何をするでもなく、俯いたままただ彼女の言葉に耳を傾ける。
「何をしたら他人が傷付くのか、そして喜ぶのか……。そういうことを、ちゃんと考えることができる人が、本当に頭の良い人だと思うの」
そこでティアラの小さく白い手が、俺の無骨な手にそっと触れた。
「マティウスみたいに」
「――――っ!?」
「だからね、私、マティウスのそういう頭の良いところが、その……えっと……。す……好き、だよ?」
耳まで真っ赤になりながら、ティアラは俺がずっと聞きたかった一言をつかえながらも言ってくれた。
その瞬間、俺は全身が痺れるような感覚に陥る。
俺の気持ちは、一方通行じゃなかった。
俺だけが、彼女を想っていたわけじゃなかった。
ちゃんと彼女も俺を見てくれていた……。
二ヶ月経ってようやくわかった彼女の気持ちに、俺は嬉しさのあまり泣きそうになっていた。
鼻の奥がツンとするのを必死で我慢しながら、俺は無意味にシーツを強く握る。
そうだよ。ティアラはすげー恥ずかしがり屋じゃねえか。
何で俺、今までそのことを忘れてたんだよ……。
その恥ずかしがり屋の彼女に、こんなことを言われて我慢できるわけがない。気付いたら俺の口は、再びティアラの口を塞いでいた。ただし、先ほどよりも深めに。
しばらく手をパタパタとさせて抵抗していたティアラだったが、突然その動きがぱたりとやんだ。
同時に、口の方も反応が返ってこなくなる。
やがて俺の耳に届いてきたのは、スースーという穏やかな寝息だった――。
って、ええええええっ!?
ちょっ、ちょっと待て! このタイミングで寝るか普通!?
マイペースもそこまでいくとさすがに犯罪級だぞ!?
彼女から顔を離した俺は、すぐに揺すってティアラを起こそうと肩を掴み――。
そこで俺はふと、あることを思い出す。
そういえば彼女、病人だった……。
ありえないタイミングで寝たのも、おそらく薬のせいだろう。
ていうか、病人相手に何やってんだよ俺!?
ティアラ、ごめん。俺やっぱり馬鹿だわ……。
がっくりと両手を床に付いて打ちひしがれる俺だったが、当然慰めてくれる人などいない。この際、アレクでもタニヤでもいいから早く戻ってきてくれ。
などと一人芝居を続けても虚しいだけなのでこの辺にしておこう……。
俺は再び彼女を起こさないように静かに腰を上げる。
穏やかに寝続けるティアラの顔色はもう赤くなく、病人らしい白っぽさに戻っていた。
と、彼女の寝顔を見て俺の中にある欲求が生まれる。
まぁこれくらいなら、病人相手でも問題ないだろ――。
心の中で勝手にそう結論付けた俺は、ティアラの首元にかかっていた髪をそっと掻き分けた。
「み、みんな。どうしよう!?」
翌朝、いつものようにティアラの部屋の扉を開けた途端、朝の挨拶も無しに彼女が青い顔で俺達に駆け寄ってきた。
どうやら薬が効いて元気になったみたいだが、この様子は一体?
「姫様、どうされたのですか?」
彼女の只ならぬ様子に、俺の後ろに控えていたアレクとタニヤが不安げにティアラに歩み寄る。
ティアラは髪をかき上げ、首元を俺達に見せながら続けた。
おい。まさか……。
「こ、これ。ここ見て。朝起きて鏡を見たら、こんな赤い痣が浮き出ていたの。身体の他の場所にはないみたいなんだけど……。どうしよう。私やっぱり変な病気なのかな……」
俺は引き
アレクとタニヤの視線がもの凄く痛い。
「えーと。マティウス君?」
「…………はい」
「私達は寝室に避難してあげるから、とりあえずマティウス君がちゃんと説明をしなさいね?」
「…………はい」
ニヤニヤしながら俺に言うタニヤ。
アレクは無表情のまま、親指をグッと立てて俺に見せてきた。
普段ならその彼女らの態度にすぐさま文句を言うところだが、今回ばかりは俺に原因があるので素直に返事をする。
ちなみに俺が
たぶん、隠しきれてはいないだろうけど。
さて、この純粋で無知な彼女に、どう言って説明しようか――。
きょとんとしながら俺達のやり取りを見ていたティアラを前に、俺は痒くもない首を掻きながらしばらく悩むのだった。
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