賢王記外伝 女王の気鬱
娘が一人、草原に横たわっていた。
手のひらをそっと地面に当てると、幾万もの命が共に呼吸するような可愛らしい震えが伝わってくる。
少し前までは、自分もその可愛らしい震えの一つだった。
朽ちた母の懐はあたたかく、枯れてもなお心地よいその腕に抱かれて眠り、ほんのたまにうっすらと目を開けてやさしい闇を確かめるのは、本当に気持ちよかった。
だがある夜、ふと、思ったのだ。
――ひかりが、みたい。月の、光が見たい。
何かに突き動かされるように何の迷いもなく未練もなく、朽ちた母の懐から這い出て、地上にそっと顔を出した。
皓々と輝く満月が森を照らしている。
夜の甘い香りにほぅっと息をつくと、世界の全てがやさしく微笑みかけてくれた。
この世界をやがては自分が抱くのだと思うと、自然と笑みがこぼれる。
――もっと、もっと光を浴びたい。
まだ柔らかく不確かな体を土の中から引っ張り上げた時、突然、世界が閉ざされた。
光はない。闇もない。風もぬくもりも冷たさもない。音も匂いもない。
恐れて、逃げた。
固まらない羽を必死に動かしどこに向かっているのかもわからないままとにかくその場を離れなくてはと、閉ざされたまま必死で逃げた。
そしていつしか、いつ、自分がこの世に姿を現し、いつ、自分が自分になったのも、わからなくなった。
ただ、人間の魔術に閉ざされたことに対する憤怒だけが募り、人間の世界を呪う方法ばかり思案した。
人間の住まう地面には穴を開け、すぐに絶壁の山を築き、振り落とされない人間がいたら大きく揺らして巌で押しつぶしてやろう。
滾るような憎しみだけを抱き、閉ざされ続けた。
それも、もう、過ぎた時のこと。
娘は体を起こすと、太陽に向かって大きなあくびをし、ゆっくりと伸びをした。長い黒髪は日の光に艶やかに輝き、漆黒と赤に変化しながらきらめく。
解き放たれたあの時、自分を閉じ込めている何かごと包み込んだ手を思い出す。
大地から生まれた命を慈しみ、新しいものへと変化させてきた手だった。
その手が、自分を閉ざしていた何かを壊してくれたのだ。
急いで隠れた土の中でゆっくりと眠ると、少しずつ満たされていくように感じ、眠りから覚めると、またあの手の持ち主に会いたいと思い始めた。
――会いたい。
満ちてきている今なら、側に行ける気がする。
――どこに、いるの?
それを知るために、娘はもう一度地に横たわって頬を地面に当てる。
だが、会いたくないものの気配を感じて娘は起き上がった。
「よう、少しは力を取り戻したか」
娘の黒髪が揺れて、光の中に風が起き、白い子馬が突然姿を現した。
「何用」
娘は面白くなさそうに返事をする。
「クレイユノの場所が変わる。俺は南の風の季節へ向かわなくてならない。お前、クレイユノが向かう『滞りの地』へ行けるか」
「無論」
「クレイユノの殻は壊れたがまだ人間に気をつけなくてはならないからな。あいつ以外の人間を全て殺してしまえたら早いのだが」
「……風の」
「何だ」
「クレイユノは、それを望まない。人間を含めて星そのものであると、きっと、考える」
「なんだ、お前ずいぶんと言葉を話すじゃないか。ギンビよりも話が早い。それじゃあ頼んだぜ」
まるでクレイユノを最も知るのは自分だといわんばかりの子馬が、娘は気に食わなかった。
「そういやお前、何で人間の姿なんかでいるんだ」
クレイユノのことを思うと自然と人間の姿をかたどってしまうのだとはこの子馬に伝えたくなくて、娘はそっぽを向いて「滞りの地へ」と歩き始めた。
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