賢王記外伝 天空を蹴る
風が風を呼び、いくつものつむじ風が遊び狂うように山々を駆け、やがて一つになった。
いつ、自分がこの世に姿を現し、いつ、自分が自分になったのか覚えてはいない。
ただただ、命と命の間をすり抜けて世界を少しずつ知るのが嬉しかった。
夜を馳せる。冷たい闇に蹄を叩き、大きくなりたい、もっと遊びたい、もっと知りたい、今を知りたい過去を知りたい未来を知りたいと馳せ続ける。
子馬が一つ知ると、世界の一つが輝く。
森を駆ければ木々の幹はぬくもり葉が艶めいて花が咲き零れた。町を駆ければ人々が笑い、幸を迎えてまた笑う。畑の種は次々と芽を出して子馬に挨拶をし、豊かな稔をもたらした。
きらめく沼地のほとりで、やさしく花が子馬を招く。甘い香りに誘われて地に降りた。
沼地には、夜明けの空色の花がたくさん咲いていたが、他と違った色の大きく立派な一輪が子馬に花弁を見せて
嫌な風が吹いた。
子馬がはっとした時は遅く、風を切り裂いた一本の矢が子馬の白い脚に突き刺さった。嫌な風は続けざまに押し寄せて子馬を覆い尽くそうとする。
鋭く子馬がいななくと、一陣の風が刃を向けて矢を射た者に襲いかかった。
矢を射たのは、老いた人間であった。術で風の刃を何とかかわすが、向き直った時にはもう、子馬の姿は遥か彼方の空の向こう。
だが、走り去った子馬よりも少し体の大きな同じ子馬が、闇の影からこの様子をそっと見ていた。
「全く俺もしくじったものだ。生まれたばかりとはいえ、あんなつまらない偽物の花に惑わされるなんて」
闇の隙間に蹄を引っ掛けては掻く。やや大きくなって、時をさかのぼり自分の失態をこっそり見に来た子馬は鼻息を荒げた。
「まだ世界を知らなかったせいだ。まだまだ足りなかったのだ」
沼地に向かってふっふっと憤った息を吐くと、たちまちのうちにまやかしの白い花だけが枯れる。枯れた花は白い霧となって、矢を射た老人がわからぬうちにその皮膚に浸み込み、子馬に敵する者であるとの印をつけた。(この印により、ラピナの風の司は二度と新たな精霊を得られなくなった。)
「霊は皆、魔術を使う人間が嫌いだ。クレイユノを除いて」
その名を思い出しただけで、子馬の心はぽんと躍る。膝を上げて夜に舞い上がり、今のクレイユノを見に行こうと走り出す。
「何をしているだろうか、何を知っただろうか。何を覚えただろうか、殻の呪いは解けただろうか。クレイユノの今が知りたい。クレイユノの未来が知りたい」
子馬はまだ、未来まで馳せることはできない。未来に馳せるのは難しい。たくさんの未来からたった一つを選ぶには、まだまだたくさん知らねばならない。
蹄は天を砕き大気を起こす。たてがみの一本一本は星の全ての風を生む。知りたがりの子馬のは、クレイユノの時へ、場所へと飛んでいった。
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