第四章 雪解け
第四章 雪解け
体の回復後も、アミは三ヶ月の間、クリノをサヘリア家から外出させなかった。
アミとしては、マロウの死を静かに家族で受入れたいという思いと、亡き息子に託された少年を、人々の好奇の目を満足させるのではなく、落ち着いた状況でラピナになじませてやりたいという思いがあった。
クリノが一人で歩けるようになるとアミは、館の中であれば自由にどこでも出入りして良いと言った。
クリノは不思議な、取っ手のない扉の開け方にもすぐ慣れた。
外から見ると壁と扉はその色の青さが微妙に違っており、開けたいと思う者が決まった場所を順番通りに数カ所触れると扉が消えて、中に入れるようになる。触れる順番は部屋の持ち主が自由に変えることができる。人に開けて欲しくない時は順番を変えることで鍵のような役割も果たす。
ラピナの扉は全てこのような作りなのかアミに聞いてみると、そうではなく、その館の建築者や持ち主の好みによると言う。
サヘリアの館は、水色の四角い箱が、様々な形で不思議な造形をなしている。空へ向かって支えのない階段のように螺旋を描いていたり、飛び石のように、離れや庭に向かって行く先を示していた。
サヘリア家はラピナでも有数の良家貴族で、この館は建築物としても有名だった。
冬が深まっても館の中は暖炉もないのに、どこもかしこも常に暖かである。
しかしクリノは、館の中よりも広い庭園で過ごす時間が多かった。この館の広い庭園もまた、サヘリア家の自慢の一つであるが、クリノは、特にマロウの死を知ってからは余計に、しん、と喪に服している館の中よりも冷たい外の空気に当って過ごす方が気が休まった。
サウとサミは学校があり、夕食の時以外は滅多に顔を合せない。サミは目が合うと微笑みかけてきたが、どちらからも話しかけることはなかった。
庭園の中は、館と同じ青い四角い石で人工的に作られた小川が流れている。水は庭園の中で湧き出ているのでも、館の外へ流れ出ていくのでもなく、庭園の中をずっとぐるぐると回ってるようだった。所々に小さな池や、青い石ではなく土で造られた小さな島があり、島の一つにセルゲイの眠る墓がある。
クリノは何をするでもなく、リンゴの木の下のセルゲイの墓の側で、薄い寝間着のままぼんやりとしたり、墓に寄り添うようにして眠ってしまったりと、ただ、時間を無駄に過ごした。
時折、雪が静かに庭園に降り積もる。
この当時のクリノは、寒さや空腹などの体の感覚が薄れていたようだった。どうにもならない沢山のことを、心配したり考えたりするのに疲れていた。
そんなクリノを、アミは三ヶ月の間はそっとしておいた。もちろん、あられもない姿で雪の降る庭園の中、クリノが凍えてしまわぬように、クリノの寝間着にもリンゴの木にも、そっと炎のまじないをかけておいた。
そして年が明け、巷の噂も治ってきていたある日、アミはクリノを庭園の東屋に誘った。
炎のまじないをふんだんに使い、真冬の庭とは思えないほんわりとした暖かさが東屋に満ちている。
お茶の準備が整っており、色とりどりの美しいお菓子も用意されていた。お菓子にはラスケスタでは高価だった砂糖がたっぷり使われており、口の中へ入れるとナッツの香ばしさと一緒に甘さが広がりほろほろと溶けてゆく。数ヶ月後、クリノはこのラピナの「ツァツァ」と呼ばれる焼き菓子が大好きだと気づくのだが、この時は食べることに歓びを感じられなかった。
「この館の暮しには、慣れたようね」
「はい」
「無理にでしょうけれど、食事がとれるようになって、顔色も少しよくなったわ」
「ありがとうございます」
「さて……あなたの今後について、少しお話したいのだけれど、いいかしら?」
「……はい」
「トラピスタリアでは、皆、グラスタール聖教を信仰しているのね?」
「はい」
「魔術師は、悪しき者?」
「……そう、教えられて、そう思って生きてきました」
「今は?」
「正直、まだよくわかりません。でも牢でマロウ様に会った時も、今こうしてアミ様とお話していても、悪しき者とは思えません」
歓びは感じない暮らしでも、誰一人知り合いのいない国で路上に放り出されていないことに、感謝するべきだとわかっていた。
アミは少し考えてから言った。
「魔力というのは、特殊な人が持つ力ではないの。この世界の万物、生きるものだけでなく、生きていない物質にも宿る力です。
その力が強さは、生まれながらの場合と、鍛錬による場合と、長い時をかけて風や、水、火や、大地といったこの星そのものの力によって育まれる場合があります」
「魔術を禁じられたトラピスタリア人でも、他の国の人、誰であっても魔力を持っているということですか?」
「ええ、その通りよ。けれど、長い歴史の中でそれを否定し続けた人々にとっては、ないも同然となってしまっているのでしょう。ましてや信仰の中で否定してるのだから」
「……」
「クリノ。グラスタール聖教を信仰してきたあなたにとっては嬉しくないかもしれないけれど、あなたには確かに、魔力があります。マロウが言い遺した程強いかどうかはまだわからないけれど、否定し続けながら十七年生きた人にしては、強い力です。この館の、部屋の扉の開け方を、教えましたね?」
「はい」
「魔力の弱すぎる者が、同じやり方をしても、扉は開きません」
もうあまり、ショックには感じなかった。ただ、生まれ育った環境とあまりにも全てが違っていて、自分からはどうしたらいいのか、もうわからなかった。
「トラピスタリアに、帰りたい?」
帰りたいと言った所で、帰れば即処刑されるのだろう。アデルや、逃がしてくれたファルティノ司祭が無事でいるか心配で仕方がないが、知る術もない。
「……ごめんなさい、答えても辛いだけの質問をしてしまったわ」
二人はしばらく黙っていた。
柔らかい風の音と、庭園の小川のせせらぎが、息子を亡くしたアミと、祖国を追われたクリノをそっと包んでいるようだった。風に乗って時折、小さな子供の楽しげな歌や、はしゃぐ声が遠くから聞こえていた。子供たちの笑い声に促されるようにして、アミが口を開いた。
「いつか、あなたがトラピスタリアに帰れる日が来るかもしれません。でもその時まで、当面の間はこの国で生きていくことを考えましょう」
「……はい」
「ずっとこの家の客人でいても構わないけれど、若いあなたにとってそれは退屈でしょうから、外に出てあなたにできることがないか、私も、つてを当ってみます」
「……お願いします」
「でも私に少し、ヒントをくれないかしら?」
「ヒント、ですか?」
「息子から託されたあなたに、少しでも楽しい日々を送って欲しいの。どのようなことがあなたに向いているのか知りたいのです」
「……何をお話したら、いいのでしょう」
「あなたの話なら、何でもいいわよ」
少し考えてから、クリノは自分についてゆっくりと話し始めた。
教会でファルティノ司祭と修道士に育てられたこと、聖職者の勉強は努力したがからっきりだめだったこと、薬師としての勉強が楽しかったこと、山へ入り植物や動物たちと過ごす時間が好きだったこと。
アデルのこと。セルゲイのこと。街の人々のこと。光る薬と、魔道師狩り……。
アミは静かにうなずきながら、時折、わからない点についてはクリノに質問をした。
アミが真剣に聞いてくれているおかげでとても話しやすかったが、クリノは一つだけ、どうしてもアミに話せないことがあった。
牢の中で黒いマントの男が、自分を逃がそうとしたためにマロウに短剣を突き立てたことである。それについては最初からマロウが深い傷を負っていたとしか、言えなかった。
とりとめのないことから、突然変わってしまった日々について。全て聞き終えるとアミは、微笑んで言った。
「ありがとう、あなたを知ることができて嬉しいわ。今度はこのラピナについて、あなたも少しずつ知らなくては。明日は街へ出かけてみましょうね」
ラピナの首都カルヤラの春は、すぐそこだった。
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