賢王記外伝 足音のない踝

 半月が夜を見下ろしている。

 カルヤラの繁華街の裏路地で、黒髪の女が人を待っていた。周囲を気にしながらやって来たのは、仕立屋のヨーギスである。

「こんな所に、こんな時間、女性が一人。呼び出された自分はこの状況をどう受け取ったらいいんです?」

「内密に、あなたに仕事をお願いしたい」

 ヨーギスは肩をすくめた。

「内密に仕立てなくてはならない服とは何でしょう。御偉い方がお忍びでお遊びでもされるのですか? だったら俺が仕立てないほうが目立ちませんよ」

「お願いするのは防寒服です」

 ヨーギスは首をかしげる。

「風を通さぬ、冷気が体温を奪わぬ服を」

「さて。北の国にでもご旅行ですか」

 女の黒い髪がわずかに揺れる。

「いいえ。何もかもが凍てつく世界で、どれだけ強い風を受け続けようと、凍えない服を」

「待ってください、そいつは服の役割を逸脱しています」

「この世界であなたが初めて作るのです。今までになかった、たった一枚の服を」

 その言葉に、ヨーギスの職人魂がうずいた。

「費用はいくらでも。ただし、まじないを使う場合は決して解けぬまじないを。ヨーギス・スーデミィ、魔術学校での成績はあなた自身が言うほど悪くない」

「期限は?」

「三日。工房の誰にも気づかれないように」

「寸法は」

「闇夜の賢者の弟子に合せて」

 ヨーギスがはっとする。

「……この話、他の職人には?」

「いいえ、あなたにだけ、内密に頼んでいます」

「わかった俺が作る。あいつ……生きていたか」

 ヨーギスはふっと笑った。そして金貨を渡す黒猫に言った。

「それにしても、あなたから秘密の連絡があった時、少し色気のある話を期待してしまったのですがね」

 何のことだかまるでわからないまま、黒猫は少しだけ首をかしげた。


 黒猫が女の姿のまま歩いてヴァレリアンに帰ってきた時、門前に料理長が立っていた。

「施設長代理、その、お願いがありまして」

「何です」

「……もし、その、俺の若い友達が、また、その、旅にでも出ることがあるなら、日取りを前日までに教えてもらいたいんだ」

「……」

「あいつが試合で撃った風のユニコ、あれが夜空に……俺は見たんだ、そう、そんな気が、していて……」

「……」

「弁当を作ってやらないと、若い者はすぐに腹を減らすから……」

「私が『わかった』と言ったような気がしていればよいと思います」

 それだけ言って、黒猫は立ち去った。その後ろ姿に料理長はぺこりと頭を下げた。

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