思い出に変わるまで‥‥
夏の日差しがカーテン越しに部屋をじりじりと照らす。夏休みの気の緩みからか遼太郎はスマホのアラームを掛けずに自然と目が醒めるまで眠りこけている。すると突然スマホの着信音が鳴った。遼太郎はその音で目を覚まし、スマホの画面を確認する。ミヅキからの着信である。
「りょうちん。軽井沢に行こ」
あまりにも唐突で軽いノリが耳元から聞こえてきたので一瞬、間違い電話かと思った。そして脳が処理しきれてない状態にさらなる軽い言葉が続く。
「いいよね。どうせ暇だし」
冷静になって考えるとその声は菜実のものだった。菜実に云われた通り現状、暇であるとこには異論がないのだが、あまりにも唐突でどう切り出していいかわからずにいたところ再び菜実の明るく甲高い声が続いた。
「ミヅキにも連絡は取ってあるから、りょうちんが行くなら行くって」
「君が電話してきているスマホはミヅキのものだよね?」
「うん。そうだよ」
「彼女はどうしたの?」
「秘密」
「へ?」
「冗談よ。今、ミヅキの家で夏休みの宿題を手伝ってもらっているの」
「そうなんだ」
遼太郎はしばし考え込んだあと自分が行かないとは云えない状況にあるなと思考を咀嚼し、菜実に行くことを承諾した。
「お待たせー」
電話越しにミヅキの声が聞こえた。
「クッキーと紅茶、ありがとう」
菜実の弾むしょうな声が聞こえる。
「誰に電話してるの?」
「りょうちん。りょうちんも軽井沢へ行くってさ」
「もう、ちょっと、それ、私のスマホじゃないー。私の暗証番号を盗み見したでしょ」
「てへっ。勉強机の引き出しの中にあったよ。もっと見つからないところに隠さなきゃ」
「もう、てへっじゃないわよー。人の机の引き出しまで漁って。まったく!」
菜実とミヅキのゴタゴタしたやりとりがスピーカー越しから聞こえた。
「もしもし、遼太郎だけど」
「もしもし、遼太郎さん。いきなり菜実が話進めちゃってごめんなさい」
「いいよ、別に。なんとなく慣れたから」
「ほんとうにごめんなさい」
ミヅキが必死で謝っている様子が伺われる。
「誘ってくれて嬉しいよ」
遼太郎は申し訳なさそうに謝るミヅキに気を使い彼女を喜ばそうとした。
「ほんとですか? そう云ってもらえて、すごく嬉しいです」
遼太郎が電話越しに耳を傾けているとミヅキは事の顛末を話し始めた。
「実は菜実のお姉さんが軽井沢のペンションに嫁いでいて、そこへみんなで遊びに行こうという話になって。何ていうかあの子すごく強引なところがあるでしょ。私も断る理由もないから引き受けたの。ほんと強引に話を進めちゃってごめんなさい」
「君が謝ることなんてないさ。ぼくも君と行けるのを楽しみにしているよ」
「そう云ってもらえて、なんだかほっとしました」
電話口から安堵と喜びの声が伝わってきた。
「それじゃー、詳しい日程とかは菜実からは聞いてませんよね」
「うん」
「それじゃー。今から伝えますね。メモの準備はいいですか?」
「ちょっと待って」
そう云うと遼太郎はノートとペンを取り出しミヅキの話をメモした。
日程は八月の二、三、四日の二泊三日の予定で軽井沢へ旅行するという内容だった。
「夏の軽井沢って混んでいるイメージがあるけど、よく宿取れたね」
「キャンセルが出たということで、向こうのお姉さんから菜実に遊びにいらっしゃいと連絡がきたんです。それで急遽決まったことなの」
「そうなんだ」
「でもよかった遼太郎さんが一緒に行ってくれることになって」
ミヅキの声は弾んでいた。
「それじゃ。当日、いつものバス停に集合ですのでよろしくお願いします」
「うん。わかった」
そう云うと遼太郎は電話を切った。
軽井沢へ行く当日。バス停でミヅキたちを待っていると、ミヅキと菜実、そしてもう一人、男子が連れ立って現れた。
「りょうちん。おはよー」
友永菜実は鶯色のニットとグレーのガウチョパンツで着飾っている。夏の太陽にも負けないくらい明るい笑顔で挨拶をする。そして隣にいる見しらぬ少年を紹介した。
「こちら、山下悠斗くんっていうの、ゆうちゃんて、呼んでね。私の彼氏よ」
彼は細身で遼太郎より身長が十センチほど高かった。彼はグレーのパンツにプリントの入った白いティーシャツにグレーのサマージャケットという出で立ちで、顔の雰囲気は糸目が特徴的で誰にでも人なつっこく接しそうな笑顔をしていた。
「山下悠斗ですよろしく。可愛い菜実の彼氏やっています」
「やだー。悠斗ったら、私のことをそんなにも褒めなくてもいいのに」
「別に褒めてないさ。ほんとうのことじゃないか」
そんな二人のやり取りを黙って遼太郎は見ていた。
「相変わらず、クールね。りょうちんは。全然反応しないからつまんない」
そう云って菜実はいじける素振りをした。
「おはよう。遼太郎さん」
ミヅキは白のワンピースにベージュのカーディガンを羽織り、麦わら帽子を被っていた。その姿は可憐な夏の少女を演出していた。
遼太郎の方はジーンズにクルーネックの赤いシャツの着こなしで服装には特にこだわりはなかった。
「こちら遼太郎さん」
遼太郎は山下悠斗に軽く会釈をした。彼も軽く会釈をする。
「暑いけど、天気がよくてよかったねー」
そう云いて伸びをする悠斗。
「ごめんなさい。もう一人くることを云ってなくて、菜実に口止めされてて」
ミヅキは囁くように事情を説明した。
「結衣も行きたがってたんだけどねー。定員オーバーって云ったら私は彼氏とデートだからって強がり云っちゃってさー。うるさいのがいなくてほんとよかったよ」
「菜実は人のこと云えないよー」
「えっ? なんで?」
「自覚ないのもうー。でも結衣ちゃんがいないと寂しいんじゃないの?」
「べ、別に」
ミヅキに図星を突かれ、菜実は照れ臭そうにそっぽ向いた。
「早くバス来ないかなー」と菜実はバスの来る方向を眺めている。やがてバスが停留所に止まると「よっしゃー。軽井沢に向けて出発!」とテンションアゲアゲで先頭切って乗り込んだ。荷物を抱え、遼太郎たちもあとに続く。
バズが最寄りの駅に着き、そこから西武池袋線に乗り池袋駅まで行き、山手線に乗り継いだあと上野まで向う。そして一行は新幹線に乗りこんだ。その過程、菜実はテンションが上がりっ放しで、ミヅキもはしゃいだ雰囲気が伝わってくる。
道中、ミレイと巫女の少女が遼太郎の周りを彷徨っていたりしたが、彼女らの姿はやはり誰も気づかず、まるで空気のような存在だと改めて感じた。
軽井沢駅に降り立つと日差しは相変わらずきついが、高原の空気は明らかに東京のものとは違うものだった。
早速、四人はタクシーで目的地のペンションへ移動することにした。運転手が荷物をトランクに入れる作業を遼太郎と悠斗が手伝い、その悠斗は率先して前座席へと収まり、あとの三人は後部座席に乗り込んだ。そしてタクシーは菜実の姉が嫁いでいるペンションへと向かった。 深緑の木立を両窓に映しタクシーはひた走って行く。ふとミヅキの横顔を見ると彼女の瞳は深緑の景色に吸い込まれそうに輝いていた。そのとき遼太郎は来てよかったなと実感していた。
タクシーで三十分ほど走ったところで目的地に着いた。タクシーを降りた一行は窓の景色から見ていた深緑を間近に感じ、ミヅキたちは深く深呼吸をした。その脇で感情を表に表さない遼太郎を見て悠斗は「ほんとうクールなんですね」と呟いた。
目の前に広がる景色は英国のガーデニングを思わせるような庭先があり、ペンションは白壁の洋風の建物で、屋根はカシミア・グリーンの色であり、青い木々に囲まれていて周りの景色によく溶け込んだいた。庭の敷居には芝生が敷かれてあり、その一角は木で出来た囲いがあり、そこにゴールデンレトリバーがいた。まるで彼らを向かい入れるように大きく尻尾を振っている。
菜実がインターフォンを押すと中からバタバタと音がして扉が大きく開かれた。
「いやー、菜実。いらっしゃい。皆さんもようこそペンション・ヴェールへ」
出迎えた人は小柄な体躯で雰囲気も菜実に似ている。彼女はハツラツした笑顔を振りまき、一向を出迎えた。
「お姉ちゃん。久しぶりー」
二人は久々の再会に笑顔で答えた。
「澤井菜々子と云います。皆さんよろしくね」
「ところで、ヴェールってフランス語で緑って意味ですよね」
ミヅキが菜々子に聞いた。
「ええ。そうよ。よく知っているわね。菜実はほんと素敵な友達を持って幸せね」
菜々子は菜実に少し皮肉っぽさを込めて云った。
「お姉ちゃん。今、私とミヅキを比べたでしょ」
「そう思うなら、もっと勉強頑張りなさい」
その言葉に菜実は黙り込んでしまった。
「あっ。ゴールデンレトリバーだ」
ミヅキが柵の中で大きく尻尾を振っているゴールデンレトリバーを見つけ、目を輝かせながら云った。
「みなさん犬、大丈夫?」
遼太郎たち皆、頷いた。
「待ってて、今、連れてくるから」
菜々子は尻尾を振って自分をアピールするゴールデンレトリバーを柵から出して連れて来ると皆に引き合わせた。
「お姉ちゃん。犬飼ったなんて知らなかったよ。どうして教えてくれなかったの?」
「えっ? 教えてなかったけ。ごめん。ごめん」
菜実に云い寄られた菜々子は柔和な笑顔で謝った。
「そんでね。この子の名前はロッテンマイヤーというの。みんな、よろしくね」
「ロッテンマイヤーって、確かアルプスの少女に出てくるちょっと意地が悪い執事ですよね。なんでそんな名前つけたんですか?」
ミヅキが聞いた。
「よく知っているわね。アルプスの少女は知っていても本編を見ていなきゃ、なかなか知らない名前かもよ」
菜々子は腕組みをしながら菜実の親友であるミヅキを観察するように云った。
「親が懐かしく思いDVDで借りてきて一緒に観ていたからて知っているんです」
「ふーん。そうなんだ」
「その名前じゃ、ロッテンマイヤーが可哀想よ」
そう云うと菜実は口を尖らせた。
「実はね。最初、ロッテンって単語がなぜか頭に閃いて、主人に聞いたら別にいいんじゃないかとなって。そっかじゃー、まっいやーとなって、ロッテンマイヤーって付けたの。それにハイジに出てくるロッテンマイヤーは根は悪い人じゃないからね」
「ダジャレいかい」
そう云って菜実はロッテンマイヤーの顔を両手で挟みワシャワシャと撫ぜた。
「ゴールデンリトリバー可愛いですね」とミヅキもロッテンマイヤーの頭を軽く撫でた。一連のスキンシップが終えたあと、ロッテンマイヤーは誰もいないはずの方角に視線を向け大きく尻尾を振っている。
「どうしたの? ロッテンマイヤー」
菜々子が不思議がっていると菜実は「ロッテンマイヤーしか見えないモノがいたりして」と冗談めかしに云った。
遼太郎は空中に浮かび、ゴールデンレトリバーとにらめっこをしている巫女の少女の姿が見えた。
(彼女はいったい何がしたいんだ)と思いながらも菜実の一言にこの犬は幽霊を認識しているんだなと思った。
「さぁ、どうぞ」
菜々子が一行をペンションに招き入れるとロッテンマイヤーも一緒に入りたそうな仕草をする。よく見ると巫女の少女がロッテンマイヤーの背中に抱きかかえるように乗っていた。
「待て、ロッテン」
そう飼い主から合図されてロッテンマイヤーはその場にお座りをして待ての合図に従った。
「ロッテン。ハウス」との号令と共にロッテンマイヤーは囲いの扉を口で開け蔦が茂った日陰がある犬小屋へ戻って行った。
それを見た菜実が「格好いい」と云った。
「菜実。それダジャレ?」
菜々子が微笑みながら聞くと、菜実は「賢くてかっこいいねー。ロッテンは!」と気恥ずかしさを打ち消すように云った。
周りが笑に包まれるのを遼太郎は人ごとのように観察しているとミヅキの笑顔がこちらに向けられたので、合わせるように笑った。
遼太郎たちは部屋へ案内され、それぞれ男二人、女二人の部屋割りで部屋へ案内された。そしてロッテンマイヤーの上でじゃれ合っていた巫女の少女はミヅキたちの部屋へスーと入って行った。
洋風の部屋は白を基調としていて陽光と調和がとれた明るい部屋だった。そして遼太郎は部屋に入り荷物を置いて部屋を見回していた。と、そのとき山下悠斗が遼太郎に向かって一方的に喋った。
「なんかこう云うと失礼だが、君といると息が詰まりそうになる」
山下悠斗はその外見から似合わずストレートな物言いだった。
「やっぱ、菜実ちゃんと一緒がよかったなー。って云ってもお姉さんの実家じゃーしょうがないか」
遼太郎が黙って彼の言葉を聞き流していた。
そのときコンコンと部屋をノックする音が聞こえた。
「これからみんなでサイクリングに行こうよ」
菜実の闊達な声だった。
「うん。今すぐ行くー」と悠斗が返事をした。
悠斗が部屋を出て行ったあと、遼太郎は静かに椅子に腰掛けて窓の景色を眺めていた。
「なぁーミレイ僕は感情がないのかい?」と、答えるはずのないミレイに答えを求めていた。するとミヅキがドア越しに「遼太郎さんも行きましょうよ」と声をかけてきた。遼太郎はドアを開け満面の笑みで迎えるミヅキに嫌だとも云えずサイクリングに行くことにした。
ペンションの貸し出し用の自転車に乗り込み四人は軽井沢の町を探索する。その後ろにはやはり二人の幽霊少女が付いてきている。町ですれ違うのはほとんどが観光客であった。自転車を漕いで汗ばむ中、深緑と青空、そして高原の風が五感を刺激し、遼太郎の心にもいつしか沁み込んでいった。観光客でごった返す中、四人はソフトクリームを味わい、それを巫女の少女が羨ましそうに眺めたりしている。そしてその姿をミレイは興味深そうに眺めているのを見て遼太郎は顔が綻んだ。ランチにハンバーグ定食を平らげ、午後はいろんな土産屋を見て回ったりした。
ハイテンションに一日を過ごし一行は、ぐったりと疲れてペンションへと戻ってきた。
「はーあ〜。楽しかった」
菜実はめいっぱい伸びをした。つられてミヅキと悠斗も伸びをする。その様子を第三者的な視線で遼太郎は見ていた。
「お帰り。夕飯の準備ができているわよ」
ロッテンマイヤーにご飯を上げていた菜々子が皆に告げた。
夕食はスープパスタ、白身魚のムニエル、高原野菜のサラダが食卓を飾った。
和やかな雰囲気で食事をしていると巫女の少女がみんなの食べる姿を凝視している。それをまたもミレイが巫女の少女を観察しているようにじっと見ていた。
ミヅキと菜実が風呂から上がると悠斗は何も云わないで一人風呂場に向かった。一人残った遼太郎はミレイに向かって「ごめんな」と呟く。その言葉の意味は自分たちだけが楽しんでいて申し訳ないという思いなのか、ミレイに何もしてやれないという思いなのか。どっちにしても遼太郎はミレイに申し訳ないぐらい生きている実感を感じていた。
悠斗が風呂から上がり、遼太郎も昼間の汗を流す為、風呂に入った。するとミレイが一人取り残されるのが嫌なのか付いてきた。
「ミレイはここにいてくれ」と脱衣所を指さして遼太郎は風呂に浸かった。そのときの風呂はなんとも云えない幸福感を味わうことができた。
部屋へ戻ると悠斗はひたすらスマホのゲームをしていた。
遼太郎は構わずベッドに潜り込むと彼が一言こう云ってきた。
「ミヅキさんを助けたからって、なんでミヅキさんが君を好きになったのか俺にはわからないや」
遼太郎は無視をし、窓側に体を向けて寝ている風を装った。
その次の朝、遼太郎は目が覚め、辺りを見回すと一瞬、今自分がいる場所が自分の部屋でないことに混乱を覚えたのち、昨日の出来事が走馬灯のように流れ込んで来て今ある現状を把握した。
備え付けの掛け時計を確認すると時間は午前九時十五分だった。悠斗はまだ寝ている。すると隣の部屋ではにわかに騒がしくなったかと思うとノックする音がした。
「朝食が出来たわよ。そろそろ起きてください」
菜々子の声であった。
遼太郎は爆睡中の悠斗をどうするかしばらく思案したあと、身体を揺すって起こした。
彼は眠たそうなまなこを擦り、瞼を開くと「なんだ君か」と云ってまた眠りにつこうとした。
「朝食だ。置いて行くぞ」
そう云って遼太郎は着替え、部屋をあとにした。
朝食はご飯と味噌汁、焼き魚にクリームコロッケが並んでいた。
眠たい顔をした悠斗が席に着くと皆で朝食をいただいた。
「料理はお姉ちゃんの旦那さんが作っているんだよ。お姉ちゃんは胃袋をつかまれて結婚したようなもんなんだから」
「それって普通、逆じゃないの?」とミヅキが云うと。菜々子は苦笑いをしてごまかした。
「今日はどこか行かないの?」と菜々子が聞いてきた。
「昨日はしゃぎすぎちゃって、いろんな所を廻ったから筋肉痛で‥‥。今日は、まったり過ごすよ」と、菜実が伸びをして答えた。
「若いのにだらしないのね」と菜々子は腰に手を充てて笑った。
ミヅキがロッテンマイヤーと遊びたいと云ったので四人は犬がいる芝生の囲いへと向かった。
「ゴールデンレトリバーのこのなんとも云えない穏やかで優しい目がとても愛くるしいのよね」
ミヅキはいつもと違うテンションでロッテンマイヤーと触れ合っている。そのロッテンマイヤーにまた巫女の少女がだらんと背中に身を預けていた。よっぽどその場所が気に入ったらしい。そうとは知らずミヅキはロッテンマイヤーの全身を撫でている。そんな様子を遼太郎は心穏やかに見つめていたが、菜実と悠斗の二人がいつの間にか消えていることに気づいた。
「あれ、そう云えば菜実たちいないね」
「ああ」
「二人でデートかいいなぁ」
遼太郎はなんて云ったらいいか答えに困っていた。するとミヅキは突然、ペンションに走っていき、菜々子にロッテンマイヤーを散歩させてもいいですかと聞いた。彼女は快く承諾し、二人はロッテンマイヤーを連れて散歩に出かけることとなった。ミヅキは犬の散歩に行く前に 菜々子から渡された犬のフンを片づけるバックを渡されていた。遼太郎は黙ってそのバックを持ってあげた。
ロッテンマイヤーは二人のペースに合わせるように無理にリードを引っ張ることをしなかった。リードを引っ張るミヅキは感心して「ロッテン。いい子、いい子」と頭を撫ぜた。
夏の太陽は容赦なく降り注いでいたが、深緑の木立の中は日陰も相まって涼しく感じられた。
「この刻が永遠に続きばいいのにね」ミヅキは、ぽつりと呟いた。
深い緑と、蒼穹の空。この自然に囲まれているだけで心が洗われるようであった。
二人は深緑と青空のもと
途中、ロッテンマイヤーは大きなフンをして遼太郎は慌ててフンを片づける。その光景を見ていたミヅキは「ごめんね。私が散歩したいって云って連れ出してきたのに」と申し訳なさそうな顔をする。遼太郎は「ぼくも散歩を楽しんでいるんだから、こんなのなんてことないよ」と言葉を返した。
ひとまずペンションの周りを一回りしてきたあと、ロッテンマイヤーを囲いの内に戻し、二人は部屋へ戻った。
ミヅキが部屋に戻ると菜実と悠斗はスマホのゲームを楽しんでいた。
「こんないい天気なのに、ゲームしてるの? ゲームなんていつでもできるじゃん。私、散歩してきたけどとっても気持ちよかったわよ」
「私たちもさっき散歩して来た」
菜実がだらけながら云った。
「でも、すぐ戻って来てここでゲームしてるんですけどね」
悠斗はスマホの画面から目を離さずミヅキに説明した。
「みんなおやつよ」
菜々子が声を掛ける。
「はーい」
ミヅキが返事をし、二人のゲームをやめさせ食堂へと連れて行った。テーブルの上にはパンケーキと紅茶が用意してあった。
「わぁー。美味しそうー」
菜実はさっきまでのだれている感じと打って変わって目を輝かせた。
そして午後は再びみんなで自転車を駆り、小一時間、軽井沢を探索した。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。
夜になって菜々子が花火一式を持ってきてくれて庭先で花火をすることとなった。
手持ち花火や、噴出花火などを上げていると、その光がミレイや、巫女の少女を照らし、とても幻想的な風景を演出し、遼太郎は一人、その光景を楽しんだ。
「これが青春の一ページとして刻まれていくんだね。一生大切な思い出として‥‥」
菜々子が感慨深げに呟いた。
「私、まだ思い出に耽るほど歳食っていないから」
菜実が冗談めかし笑った。
一連の花火を終えたあと、最後に線香花火に火を点ける。その小さく華咲く火花をじっと見つめているとミヅキたちは言葉をなくし、ただ一点に光の軌跡を見つめていた。
遼太郎はミレイの視線が線香花火に注がれているのを見ていた。その光景はまるで魂が線香花火のようにやがて散華して散っていく命の輝きを見ているようでもあった。
「また来年も来ようね」
菜実が寂しそうにぽつり呟いた。
次の朝、帰宅する準備をする一行に菜々子と旦那が見送りに玄関先に立っていた。その横には尻尾を振って名残惜しそうな表情をしているロッテンマイヤーの姿があった。
「お世話になりました」
一行は頭を下げた。
「またいつでも遊びにおいで」と菜々子が手を振ると、髭を蓄えた旦那は「美味しい飯を作って待っているからまたいつでもおいで」と声を掛けた。
「また来年も来るからね」と菜実が少し寂しそうに云った。
ロッテンマイヤーはまた明後日の方向に視線をやって尻尾を振っている。その意味を知っているのは遼太郎と二人の幽霊だけであった。
一行は迎えにきたタクシーに乗り、そこから新幹線で東京に向かって、それぞれの家路に着いた。
遼太郎はマンションからいつもの夕方の景色を眺めていた。じめっとした湿気が肌に纏わりつく。アブラゼミの鳴き声がより暑さを蒸し返すように耳にざわめく。浮遊しているミレイの姿は確認できるが、巫女の少女の姿は見られなかった。
(自分には思い出がない。この一瞬、一瞬が、思い出として刻まれていくのだろうか)
遼太郎が感傷に浸っていると、ミレイがいつのまにか横に寄り添っていた。
「ミレイ。君は僕の思い出の幻影なのかい? なぜかふとそう思ったんだ」
言葉はなくてもこうして二人で空を眺めていることが、いつか思い出になることを遼太郎は切に願った。
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