星明かりが煌々こうこうと地上を照らしている。その中を、烏有はふらりと歩んでいた。あたりは静まり返っている。藍色に沈んだ地上を見回した烏有は、横笛を取り出した。梅に小鳥の柄を描いた螺鈿が、星の光りを受けてぼんやりと輝いている。

 烏有はそっと唇をあてて、音を紡いだ。

 たなびく音が太く細く形を変えて旋律を編み、夜気に絡む。

 しばらくそうしていると、笛の音に砂利の動く音が混じった。唇を横笛から外した烏有は、薄明かりに浮かぶ大柄な男に気づく。

「蕪雑」

「邪魔して悪ぃな」

「いや」

 どうして、と目顔で烏有が問えば、蕪雑は軽く革の水筒を持ち上げ、積み上げられた木材へ顎をしゃくった。そちらに行く蕪雑の背に、烏有は続く。腰かければ、蕪雑が杯をふたつ取り出し、片方を烏有に差し出した。

「歩いていくのが見えたからよ」

 烏有は無言で酌を受けた。蕪雑は手酌で杯を満たし、なつかしそうな顔をする。

「こうやって、烏有と酒を酌み交わしていたら、国を造ろうって話になったんだよな」

 烏有は杯に目を落とした。淡い光りが滲み、揺れている。

「あれから、どんぐらい経ったんだっけ。とんとん拍子に進んじまって、時間の感覚がわかんなくなりそうだぜ。なぁんもなかった広い土地に工夫がわんさとやってきて、船着場ができて、宿ができて。そしたら、どっから聞きつけたのか、行商人が来るようになった。宿の食堂は大賑わいだ。甲柄からくる連中も加われば、食堂に入りきらねぇんじゃねぇか」

 酒をあおった蕪雑は、ふたたび杯を手酌で満たした。

「玄晶が明日、交渉にって、うまいこといきゃあ甲柄の奴等も、まるっとこっちに移り住める。国を造るって話は面白そうだと軽く乗ったが、ここまで本格的なモンになるたぁ、考えてもみなかったぜ。せいぜい、でっけぇ村ってぐれぇで、俺等がまっとうに暮らしていけて、できれば甲柄の奴等も呼びよせられりゃあ、いいなぁって程度だった。それがよぉ、本気で国ができちまいそうなんだもんなぁ」

「……後悔、しているのかい」

「後悔? ははっ。なんでぇ、そりゃあ。悔やむようなこたぁ、どっこにもねぇじゃねぇか。まっとうに暮らしていけるだけじゃねぇ。工夫ン中にゃあ、仕事が終わればここに住みてぇって、言っている奴がいる。行商人だって、商人の区画に住まいを持てるんなら、腰を落ち着けてぇって言っている奴もいたぜ。俺がここの豪族ってことになってっからよぉ、そういう声が集まるんだ。けど、なんでもかんでも、かまわねぇぜとは答えられねぇ。資金源の官僚様と相談しねぇとどうにもならねぇが、優遇はしてもらえるだろうとは答えてる。安請け合いをしすぎて、烏有が困っちゃいけねぇからな。なんせ明江は、烏有の国なんだからよぉ」

「僕の、国?」

「おうよ。烏有がずうっと旅の間、探して探して見つけらんなかった夢の国を、自分の手で出現させようってんだろう? 烏有の国じゃねぇか」

 歯をむきだして子どものように笑う蕪雑がまぶしくて、烏有は目を細めた。

「蕪雑のおかげだよ」

「あん?」

「蕪雑に会っていなければ、僕はこんなこと、思いつきもしなかったよ。蕪雑なら……と、思ったんだ。蕪雑が豪族で、僕が領主になれたらきっと、理想の国を造れるはずだって。民のための国を、この世に出現させられるだろうって、ね」

 烏有は杯に目を落としたまま、さみしげに、照れを交えた笑みを浮かべた。

「どうした? 元気ねぇな」

「そうかな」

「おう。昼間もなんか、様子がおかしかったしよぉ」

「それを気にして、出てきてくれたのかい」

「んー、まあ。それもあるっちゃあ、あるけどな。なんかいろいろ、詰め込みすぎに見えたしよ。ちかごろは烏有とこうして、ゆったり過ごしてなかったなとも思ってな」

 烏有はふわりと笑みを浮かべて、顔を上げた。

「ありがとう、蕪雑」

 照れくさそうに、蕪雑が頬を掻く。烏有は酒に口をつけ、空を見上げた。満天の星空に、ほうっと息をふきかける。

「怖いんだ」

「怖い?」

「夢が現実になっていくことが……。追い求めていたものを手にした僕は、どうなってしまうんだろう。それ以前に、明江は理想の国になってくれるんだろうか。申皇からの許可状は、まだ出ていない。村にもなれていないのだから、当然だろうけど。それに――」

 烏有は天を仰いだまま、目を閉じた。頬に蕪雑の視線を感じる。

「蕪雑にウソをついている」

 烏有の吐いたつぶやきは、空に向かって放り投げられ、夜気にひろがり顔を覆った。しばらく待っても、蕪雑の反応はない。烏有は首をかたむけて目を開けた。蕪雑は静かな笑みを湛えている。そんな彼を見たのは、はじめてだった。

「なんとなく、そんな気はしていたぜ」

「……」

「けど、悪さをするためのウソじゃねぇ。そうだろう?」

「……」

「飲もうぜ、烏有。そんで、言えるときがくりゃあ、教えてくれ。言いたくねぇってんなら、黙っておいたまんまでいい」

「……気に、ならないのかい」

「なるぜ。なるけどよぉ、なんつうか、こう、ここんとこの深い部分に、関わってんじゃねぇのか?」

 とん、と蕪雑が自分の胸を叩いた。

「それを見せろって、強引に迫るなんざぁ、できねぇよ」

「蕪雑」

「ほら、飲もうぜ。俺ぁ、烏有の夢に乗っかった。烏有は俺に夢を賭けた。そんでその夢は、俺等だけのモンじゃなく、ここに関わっている連中の夢にもなっちまってる。知らねぇうちに、他人の夢までしょいこんじまったんだ。怖くなったり、不安になったりすんのは、当然だろう。けどよ、根っこの部分さえしっかりしてりゃあ、なんとかなる。嵐がきたって、根っこがしっかりしている木は、どんだけ枝が揺らされても、堪えぬいて、どっしりと立ってんだぜ」

 烏有は吸い込まれるように、わずかな曇りも陰りも見えない、希望に満ち溢れた蕪雑の瞳を見つめた。

「長年、追い続けていた夢なんだろう。だったら烏有のここんとこに、どっしりと根を張っているはずだ」

 蕪雑は大きな拳を、烏有の胸に軽く当てた。

「ひとりじゃねぇ。俺も剛袁も袁燕も、玄晶だっている。ここで働いている奴等も、山の連中も、甲柄にいる奴等だって、自分の住処を作っているって気持ちで、やってんだ。そいつらが全部、理想の国ってやつを目指して、がんばってんだ。烏有の夢は、皆の夢になっちまってんだよ。そいつらを裏切るウソじゃあ、ねぇんだろ。夢を見せるために必要な、ウソなんだろ」

 烏有はためらいつつも、うなずいた。蕪雑の腕が、烏有の肩に回る。

「どんなウソかは知んねぇが、俺ぁ信じているからよ。根っこの部分でウソつかれてねぇんなら、なんとも思わねぇから。だから、心配すんな」

「……ありがとう、蕪雑」

 烏有の声は湿り気を帯びていた。それを吹き飛ばすように、蕪雑は明るく杯を持ち上げる。

「飲もうぜ。はじめて会った夜みてぇによ。聞かせてくれよ、もっかいさぁ。烏有の、国造りの夢をよぉ。そんでまた、あの夜みてぇに誓おうぜ。――なあ、相棒」

「ああ」

 蕪雑が差し出した杯に、軽く杯を合わせた烏有の目じりには、星がひとつぶ輝いていた。

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