「いつんなったら、甲柄の皆を呼び寄せられるんだ?」

 会議室となっている宿の一室で、袁燕がだしぬけに言い出した。

 袁燕の質問をたしなめるように、剛袁が目を細めた。袁燕が退屈そうに下唇を突き出す。

「だってさぁ。早くしないと、住む場所がなくなっちまいそうじゃないか」

「なくなるなんてことは、ありえません。そういう心配なら、無用ですよ」

 袁燕は不機嫌に剛袁をにらみ上げた。

「前から思っていたのだが。どうして剛袁は弟の袁燕にまで、そういうしゃべり方をしているのかな」

 玄晶の問いに、袁燕が目をしばたたかせた。

「あれ。言ってなかったっけ。家の跡継ぎが、俺っちだからだよ」

「跡継ぎ?」

「そう。俺っちが家業の細工師を継ぐから、兄さんは俺っちを立てなきゃなんねぇのさ」

「俺が役人になると決めたとき、父親とひと悶着ありましてね。そうすることに決まったんですよ」

「剛袁は、どうして役人になろうと思ったんだい。さしつかえなければ、教えてもらいたいな。なにか、不当な扱いでも受けたのかい」

 烏有の問いに、剛袁はかぶりを振った。

「豪族にしいたげられたわけでも、官僚に横暴をされたわけでもありません。ただ、不思議に思ったんです。おなじ人でありながら、生まれながらに格差ができている。豪族はもともと、俺たちと変わりなかった。蕪雑兄ぃのように、集団の中心になった方が力をつけて、支配階級になった結果です。中枢の方々の成り立ちは、かつての申皇の一族が枝分かれをしたものと聞いていますが」

 剛袁が玄晶に目を向けると、そのとおりだと玄晶はうなずきで答えた。

「官僚は主に中枢の方々の一族が占めておられるそうですが、勉学にひいで武術に長けている者ならば、どのような身分であっても役人にはなれると聞いています。しかし俺の知っている限りでは、そんな人物はひとりもいない。官僚か豪族の一族から、役人が出ています。かつて役人であったけれども、我等のような地位に落ちたと、言いふらしている方はいらっしゃいましたが」

「ああ、いたなぁ。たしか寧叡ねいえいとかいう名前だったな」

 蕪雑が顎をさすりながら、脳裏にその人物の姿形を思い描く。

「蕪雑は、甲柄の民のすべてを覚えていそうだね」

 冗談めかした烏有に、袁燕が胸をそらす。

「蕪雑兄ぃは、俺っちらの地区に住んでいる奴と、よく出入りする連中は全部、覚えているぜ」

「どうして、袁燕が得意そうにするんだい?」

「俺っちらの兄貴分が、すんげぇって言えるからだよ」

 烏有に向かって、背伸びをしながら胸をそらせた袁燕の頭を、蕪雑が乱暴になでた。

「そうかい、そうかい。そう言ってもらえるってぇのは、うれしいぜ」

「へへっ」

 ふたりの姿から、なごやかなものがあふれ出る。それに感化され、誰もが目元をやわらげた。

「もちろん、兄さんも自慢だけどなっ! 役人になるって決めて、がんばって豪族の家で働けるようになったのだけでも、すげぇって皆が言ってたんだぜ」

「下働きくらいなら、誰でもなれますよ」

「兄さんは、ただの下働きじゃなかったろ。屋敷の中で、いろんなことをしていたって、言ってたじゃないか」

「そういえば」

 玄晶が探るように剛袁を見る。

「君はどうやって、その職を手に入れたのかな。ツテでもなければ、難しいだろう」

「いえ。……あったと言えなくもないですが、誰かからの紹介、などという経緯ではありませんよ」

「それでは、どうして。屋敷に勤める者は、代々その家に仕えているか、どこかからの紹介、あるいは引き抜きが主流だよ。そこに細工師の息子が入り込……ああ、そうか」

 玄晶は思いあたった。

「その豪族の屋敷に、細工を届けに行っていた。そこで信用を勝ち得て、というところかな。だとしても、最低限の教養は必要不可欠のはずだが」

「読み書きや算術は、注文書を理解し、材料費や手間賃などを計算しなければならなかったので、習得をしました」

「俺っちも、兄さんほどじゃねけぇど、できるぜ」

 袁燕が得意そうにする。

「しかし、それだけで採用されるとは思えないな。――となると。剛袁……、罪な人だな、君は」

「どういうことですか、玄晶」

 剛袁は眉間にシワを寄せ、玄晶から目を逸らした。それを見た烏有が質問をする。

「わからないのか、烏有。剛袁の勤めていた豪族の家に、男児はいなかった。ということは、いずれ娘に婿を迎えて、家を存続させなければならない。しかしその婿取りというのは、誰でもいいわけではない。どこかの豪族の次男などを迎え入れ、気づいたら、そちらの家へ吸収されて、家名が消えていた、などというのは、よくある話だからな。土着の豪族ほど、自分がどこからの流れであるのかを、気にするものだ。……さあ。これだけ言えば、わかるだろう」

 教師のように玄晶が問う。烏有はわずかに黙考し、答えた。

「婿を迎えるのであれば、自分の思想や家の歴史などを深く教え込める、まっさらな状態の者が好ましい。けれど同時に、豪族にふさわしい資質を兼ね備えた者でなければならない。そこに、見目にも体躯にも恵まれ、かつ文字を読み算術もできる青年が、働かせてほしいと言ってきた。なんて都合のいい縁だろうと、その豪族は喜んだだろうね」

「しかも若者は役人になりたいと言っていた。娘も憎からず思っていたのだろう。でなければ、そうそう受け入れはしないはずだ。しょせんは、細工師の息子なのだから。……ああ、気を悪くしないでくれよ。豪族からすれば、君たちはそういう立場でしかない、という話なだけだから」

「わかっています。――なるほど。どうして、すんなりと受け入れられたのか、少々不思議に思っていましたが、そのような理由があったとすれば、納得ですね。たしかにあの家には娘しかおりませんでした。しかしそれなら、どうして俺を牢に送ったんです? 息子にするつもりであったのなら、娘の訴えをこれ幸いとして、俺に婚約を迫ってもよかったはずです」

「そこだよ。君を罪な人だと言ったのは」

 玄晶が楽しそうに、人差し指を剛袁の鼻先に向ける。

「いまのいままで君は、そのような思惑にも、お嬢さんの気持ちにも気がつかなかったのだろう。ただ役人になりたいという望みしか見ていなかった。前にも言ったが、それでは都合が悪いのだよ。君の理想は立派だが、豪族にとっては都合が悪い。君の雇い主は、歯がゆかっただろうね。いい婿がねだと思った青年が、役人になられると非常に都合の悪い思想を持っている、真面目すぎる男だったのだから」

 指を回しつつ、玄晶は謳うように語った。

「君が柔軟で臨機応変な考え方のできる男であれば、牢ではなく豪族らの仲間に、入れられていただろう。非常に教えがいのある、優秀な生徒だからな。君は」

 剛袁が渋面になる。すると玄晶は、ますます愉快そうに口の端を持ち上げた。

「そういう気質、嫌いではないよ。だが、うまく立ち回るすべも、きちんと覚えていかなくてはな」

 剛袁が顔をそらすと、玄晶は笑い声を立てた。

「ところで、何の話をしていたのだったか」

 笑いに声を震わせながら玄晶が問えば、誰も元の話を覚えていなかった。

「まあ、いいだろう。これから先の計画を、立てていくとしようか」

 笑みを引っ込めた玄晶は、卓の上にある明江の区画建設図に指を置いた。

「蕪雑から聞いた甲柄の人数をもとに区画設計をし、民の家を建設している。大半はもう、完成済みだよ」

「俺っちも確認したぜ。甲柄の家よりも、ずっと頑丈で立派な家なんだな。早く宿を引き払って、そっちに皆と住みてぇよ」

「袁燕は、僕たちと一緒に領主屋敷か豪族屋敷のどちらかに住むんだよ。なんたって、この計画の重要実行人のひとりなんだからね。袁燕がいなければ、ここと山の集落、山の集落と甲柄の人々への連絡は、もっとずっと時間のかかるものとなっていただろうから」

 烏有のさりげない褒め言葉に、袁燕は得意そうに鼻を掻きながらほほを赤くした。

「そろそろ、甲柄の人間をこちらに迎えてもいいだろう。農耕に着手をしてもらわなければ。いつまでも食料を輸入にたよるわけにもいくまいよ」

 玄晶は目顔で烏有に確認をした。烏有はそれにうなずきで答える。

「でも、どうやって移動するんだよ。山に道は造らないって、言っていたじゃねぇか。山道のとおりに進んで、別の府に行って、そっからここまで歩いてくるってのか? 準備だけでも相当な時間がかかるし、派手な移住はしねぇほうがいいって、前に言っていたろう」

 蕪雑に問われた玄晶は、人の悪い笑みを浮かべた。

「そこは、悪巧みと腹の探り合いが日常茶飯事の、中枢官僚たちの中で過ごしてきた、私に任せてくれればいい。すくなくとも蕪雑たちの仲間がここの生活に落ち着くころまでは、平和に過ごせるようにするさ」

「何をする気なんですか。剣呑な方法では、ありませんよね」

 剛袁が眉をひそめる。

「心配をする必要はない。堂々と甲柄の領主の許諾を得てから、こちらに連れてくる」

「どうやるんです。烏有は、その案を知っているんですか」

「いや。僕も聞かされてはいないけど、なんとなく想像はできるよ。――玄晶は、おそらく作業のための人数が足りないから、領民を貸してほしいとでも申し込む気でいるんじゃないかな。そして募集をかける。集まる人間は袁燕から連絡を受けた、蕪雑たちの縁者だ。集まった人間を馬車に乗せて街道を行き、上流か下流の府に移動する。そこから船で、こちらにやってこれば問題はないだろう。ただ、いつまでたっても領民が戻ってこなければ、文句を言ってくるはずだ。その時はその時で、なんとかする手を考えているんだろう?」

 烏有が横目で玄晶を見れば、彼は顎をわずかに持ち上げ、悪党のような笑みを浮かべた。

「しまったと思っても、文句をつけにこられない状態で、取引を完成させるよ。まあ、それでも難癖はつけられるだろうがな」

「そうなった場合の対策も準備しておく、というわけか」

「そういうことだ」

 薄暗い笑みを交わす烏有と玄晶を、不気味そうに見た蕪雑が、わずかに体を引いて剛袁の耳元にささやいた。

「官僚ってのは、ああいう感じで人と接さなきゃいけねぇのか」

「時と場合によるでしょうが、そういう必要もあるのではないでしょうか」

「なんか俺っち、烏有を見る目、変わるかも」

 袁燕も加わって、コソコソとする。それに目を向け、烏有はキョトンと、玄晶はニヤニヤとした。

「ああ、ええっと……だ」

 咳払いをして、蕪雑があらためて区画地図に目を落とす。

「移住は、なんだかよくわかんねぇけど、玄晶がうまいことやってくれるってことだよな。そんで、ここに建てている家は、半分ほど埋まるわけだ」

「職人の区画もだよ、蕪雑兄ぃ。俺っちたちの父さんと母さんも、やってくるんだからさ」

「そうだな」

 ぽんっと軽く、蕪雑が袁燕の頭に手を乗せる。

「酒造りも、いまんとこ好調だし、人数が増えりゃあ作り手も増えるから、よそに売りに出せるようにもなるだろう。烏有が、うんっとデッケェ酒造所を建ててくれたおかげで、まだまだ余裕があるからな」

「特産品にするものが、国造りよりも先に決まっていたからね。それを踏まえて計画をすれば、そういう結果になるものさ」

「なんだよ。もうちっと、うれしそうにしろよな。褒めてんだからよぉ」

「この程度で喜んでなんて、いられないよ。まだまだ村としても不十分なんだから」

「厳しいなぁ。そんなんじゃ、息が詰まって、ぶったおれちまうぞ」

「長年の夢を、現実のものにしようとしているんだ。気を緩めてなんて、いられないさ」

「まあ。烏有だけでなく、玄晶にも借金を作っちまってるしなぁ」

 蕪雑が苦々しい顔を玄晶に向ける。励ますように、袁燕が言った。

「酒が売れれば、返していけるんだろ? だから烏有は計画んときに、畑作りよりもソッチに先に力を入れるって、言ったんだよな」

 蕪雑と袁燕に、烏有は笑みだけを向けた。このふたりには正体を教えておらず、楽士である烏有の資金だけで工費を支払っているとすると不自然なので、玄晶からも借財をして、建設費などを捻出していると伝えていた。

「私の資金も、無尽蔵ではないからね。まだまだ建設しなければならないものもあるし、早めに交易で利益を得られるようにならなければな」

 玄晶がいかにも困ったふうに、眉を下げてみせる。

「わあってるよ。で、具体的な移動の時期なんかは、どうなるんだ」

「それは、これから私が甲柄の領主と、人手を借り受ける話をまとめてくるから、それ次第だな。遅くとも、ひと月のうちには話をつけるつもりでいるから、そう遠くはないよ。――そうそう。連絡係として、袁燕には今まで以上に、動いてもらう。かまわないな」

「まかせとけよ」

 力強く袁燕が胸を叩いた。

「ほかに決めることがねぇんなら、久々に皆で飲むか。最近、あっちやこっちやと忙しくて、話し合いでしか全員、そろってねぇもんなぁ」

「すまない。僕はちょっと、外の様子を見てきたいから、4人で楽しんでくれ」

「えっ」

「それじゃあ」

 引きとめる隙も与えず、烏有はきびすを返した。

「大丈夫かぁ、アイツ」

 蕪雑がつぶやく。

「民のための国というものを、烏有はずっと夢見ていたからな。それがいよいよ形になっていくものだから、緊張をしているのだろう」

 玄晶がやわらかく、蕪雑の心配を包んだ。

「そんなもんかねぇ」

「そんなもんだよ」

 剛袁は複雑な気持ちで見えなくなった烏有の背を追い、袁燕は自分の次の任務に気持ちを動かされていた。

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