明江と、土地の名が決まった翌日、烏有は汗と泥にまみれながら、顔を輝かせて働く人々をながめ歩いていた。

 半裸の男たちが、モッコを担ぎ、用水路のために掘り出した土を、建物の土台にするため運んでいる。心地よい木槌の音や、木を削る音、威勢のいいかけ声が耳を打つ。それは烏有の鼓動をここちよく高揚させた。

 一歩一歩、踏みしめる土のたしかな強さが、烏有の体を這い上る。それが、どうしようもなく楽しく、うれしかった。

「ごきげんだね」

 声に顔を向ければ、玄晶が立っていた。

「とりつくろうように澄ました顔にならなくても、いいだろう」

 クスクスと玄晶は烏有に歩み寄る。

「とりつくろってなんて、いないさ」

「うかれている姿を見られて、気恥ずかしいとでも思ったのではないか。もっと、全身で喜びを表してもいいと思うけれどね。蕪雑や袁燕のように」

「玄晶は、どうしてこんなところにいるんだ。工夫頭と進行状況の確認をしていたんじゃないのかい」

「していたさ。いまはその続きの視察だ。現場を見るのと見ないのとでは、工夫たちの士気に関わるし、この目で確認をしたほうが、より深く話を詰められるだろう。……でも、いいのかな」

「……?」

「私が表向き、主導していることが、だよ。自分で工夫と相談をしたいのではないか。いくら皆で談合してから、私が代表として指示をしているとはいえ」

 ふ、と烏有の口元にほのかな笑みがただよう。

「僕が前に出るよりも、中枢の官僚という肩書きのある玄晶が指揮を取っていれば、それだけ信用も増すというものだよ。どうしたって、人は権力というものに弱い生き物なんだ。……長い歴史のなかで、そういうふうになっていった、という表現もできるかな」

 玄晶の目が愉快そうにきらめく。それを、烏有は苦々しい笑みで流した。

「僕や蕪雑が賃金を出すと言っても、説得力に欠けるしね」

 烏有は働く人々に目を向けた。船着場と大きな宿、それに併設している食堂は完成しているが、そこから先は村の形にすらなっていない。

「烏有、烏有っ」

 軽やかな声を上げて、袁燕が走り寄ってきた。どういうわけか、泥だらけになっている。

「どうしたんだい。その格好」

「ちょっとケンカをしてきただけだよ」

「ケンカ?」

 烏有は玄晶と顔を見合わせた。ケンカをしてきたにしては、袁燕はほがらかで、負けた悔しさも勝ったほこらしさも、まとってはいない。

「明江は入り口だけが立派な空っぽって言われたんだ」

「いったい、誰に」

「工夫の世話をしている、俺っちくらいの奴にだよ」

 いざというときに使えるという理由で、工夫の世話は下働きの少年がするのが通例となっていた。ふだん彼等は炊事洗濯掃除などに従事しているが、いざ土木の工程で急な人手が必要となれば駆けつける。なので、気も力も強い者がそろっていた。

「ケガは、大丈夫なのかい」

「たいしたケガは、してねぇよ」

「しかし……」

「俺っちの体が、アイツ等よりもちっせぇとか思ってんのか」

 袁燕がムッとする。そのとおりだったので、烏有はぎこちない顔になった。フンッと袁燕は鼻を鳴らして、腕を組む。

「ケンカは腕っぷしや体つきで、するもんじゃねぇんだぜ。烏有はケンカをわかってねぇな」

「私たちのケンカといえば、口論だからね。武力行使は、めったにないよ。武官がそんなことをすれば、決闘扱いになるしね」

 玄晶が言い訳めいたことを言うと、うへぇ、と袁燕が顔をしかめた。

「めんどくせぇんだな。つうか、玄晶はそうだろうけど、烏有は違うだろ? 楽士も、そういう感じなのか」

「楽士がケガをした顔で演奏をするなんて、さまにならないだろう? それに、ケガをすれば楽器によっては演奏ができなくなってしまうからね」

「ああ、そうか。そうすりゃあ、ケガが治るまでは仕事ができなくて、飯を食えなくなっちまうな。……そんじゃあ、軽く暴れて言い分を通しあったりは、できねぇか」

「軽く暴れて、言い分を通しあう?」

「おう。どっちが上か下かってのもあるけどさ、勝った負けたってだけじゃなくって、そんだけ強い意見があるんだって、お互いに伝えあうんだよ」

 烏有には、よくわからなかった。

「まあ、やってみればわかるさ」

「遠慮しておくよ」

「ふうん。面白いのになぁ」

 烏有はあいまいな笑みでごまかした。

「それよりも、どうしてケンカなんてしたんだい」

「さっき言ったろ。明江は、名前と外面は立派だけど、中身はてんで空っぽだって言われたんだよ」

「ああ。ちょうど烏有と、その話をしようとしていたところだ」

 玄晶が烏有に目顔で同意を求める。袁燕はポカンとした。

「なんだよ。玄晶まで、そんな考えをしてんのかよ」

「事実は、事実だろう? 言いたい者には、言わせておけばいいさ。明江はこれから、その名にふさわしい国となる。船着場も宿も、そのために必要だから、立派なものを造ったのだと、袁燕もわかっているだろう。入り口が貧相なところより、立派な入り口を持っているほうが、私はいいと思うよ」

 袁燕は「だよなぁ」と腰に手を当てる。

「俺っちも、そう言ったんだ。で、しばらくケンカしたら、それにふさわしい中身を造ってやるから、覚悟しとけって言われた」

「言われたって……、袁燕が言ったのではなく、相手に言われたのかい」

 烏有が目を丸くする。

「うん」

 玄晶は軽く声をたてて笑った。

「そうか、袁燕。それは、たのもしいな」

「おう。だからさ、これから仲直りのしるしをするんだ。酒は叱られるだろうから、格好つかねぇけど、果物の絞り汁で乾杯すんだよ。――なあ、烏有。村ができたらさ、あいつらが住みたいって言ったら、住まわせてやっても、いいよな」

「もちろんだよ。これだけ広い土地があるんだ。人がいなければ、国どころか、村にすらなれないからね。袁燕たちが甲柄に残してきた仲間は、農夫が多いんだろう? 工夫が移り住んでくれるのは、ありがたいよ」

「そっか」

 袁燕が頬を持ち上げる。

「そんなら、そう言っておくよ。アイツ等、今の府じゃあ家がなくって、納屋とかで暮らしてるって、言っていたからさ」

 じゃあなと手を振って宿へと向かう袁燕に、烏有はちいさく手を振り返す。

「下働きの者は、家を持つことすらもかなわない、か。なあ、鶴楽。君の夢は、そういう住処を持たない人々の希望にも、なっていくだろう。いずれは移住者が数多く、訪れるようになるはずだ。そうなった場合の対策も、考えておかなければならないな」

 そっと耳打ちをされた烏有は、期待に満ちた目で周囲を見回した。

「玄晶。宿で仮住まいをするのは、そろそろ終わりにしたほうが、よさそうだね。工夫の家や、僕等の……蕪雑の住む豪族屋敷や、領主屋敷の建設の計画を詰めるとしようか」

「それならば、前に決めた候補地のあたりを歩いてみるとしよう」

 ふたりは連れ立って、区割りを書き込んだ地図をもとに、視察をはじめた。

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