6
明江と、土地の名が決まった翌日、烏有は汗と泥にまみれながら、顔を輝かせて働く人々をながめ歩いていた。
半裸の男たちが、モッコを担ぎ、用水路のために掘り出した土を、建物の土台にするため運んでいる。心地よい木槌の音や、木を削る音、威勢のいいかけ声が耳を打つ。それは烏有の鼓動をここちよく高揚させた。
一歩一歩、踏みしめる土のたしかな強さが、烏有の体を這い上る。それが、どうしようもなく楽しく、うれしかった。
「ごきげんだね」
声に顔を向ければ、玄晶が立っていた。
「とりつくろうように澄ました顔にならなくても、いいだろう」
クスクスと玄晶は烏有に歩み寄る。
「とりつくろってなんて、いないさ」
「うかれている姿を見られて、気恥ずかしいとでも思ったのではないか。もっと、全身で喜びを表してもいいと思うけれどね。蕪雑や袁燕のように」
「玄晶は、どうしてこんなところにいるんだ。工夫頭と進行状況の確認をしていたんじゃないのかい」
「していたさ。いまはその続きの視察だ。現場を見るのと見ないのとでは、工夫たちの士気に関わるし、この目で確認をしたほうが、より深く話を詰められるだろう。……でも、いいのかな」
「……?」
「私が表向き、主導していることが、だよ。自分で工夫と相談をしたいのではないか。いくら皆で談合してから、私が代表として指示をしているとはいえ」
ふ、と烏有の口元にほのかな笑みがただよう。
「僕が前に出るよりも、中枢の官僚という肩書きのある玄晶が指揮を取っていれば、それだけ信用も増すというものだよ。どうしたって、人は権力というものに弱い生き物なんだ。……長い歴史のなかで、そういうふうになっていった、という表現もできるかな」
玄晶の目が愉快そうにきらめく。それを、烏有は苦々しい笑みで流した。
「僕や蕪雑が賃金を出すと言っても、説得力に欠けるしね」
烏有は働く人々に目を向けた。船着場と大きな宿、それに併設している食堂は完成しているが、そこから先は村の形にすらなっていない。
「烏有、烏有っ」
軽やかな声を上げて、袁燕が走り寄ってきた。どういうわけか、泥だらけになっている。
「どうしたんだい。その格好」
「ちょっとケンカをしてきただけだよ」
「ケンカ?」
烏有は玄晶と顔を見合わせた。ケンカをしてきたにしては、袁燕はほがらかで、負けた悔しさも勝ったほこらしさも、まとってはいない。
「明江は入り口だけが立派な空っぽって言われたんだ」
「いったい、誰に」
「工夫の世話をしている、俺っちくらいの奴にだよ」
いざというときに使えるという理由で、工夫の世話は下働きの少年がするのが通例となっていた。ふだん彼等は炊事洗濯掃除などに従事しているが、いざ土木の工程で急な人手が必要となれば駆けつける。なので、気も力も強い者がそろっていた。
「ケガは、大丈夫なのかい」
「たいしたケガは、してねぇよ」
「しかし……」
「俺っちの体が、アイツ等よりもちっせぇとか思ってんのか」
袁燕がムッとする。そのとおりだったので、烏有はぎこちない顔になった。フンッと袁燕は鼻を鳴らして、腕を組む。
「ケンカは腕っぷしや体つきで、するもんじゃねぇんだぜ。烏有はケンカをわかってねぇな」
「私たちのケンカといえば、口論だからね。武力行使は、めったにないよ。武官がそんなことをすれば、決闘扱いになるしね」
玄晶が言い訳めいたことを言うと、うへぇ、と袁燕が顔をしかめた。
「めんどくせぇんだな。つうか、玄晶はそうだろうけど、烏有は違うだろ? 楽士も、そういう感じなのか」
「楽士がケガをした顔で演奏をするなんて、さまにならないだろう? それに、ケガをすれば楽器によっては演奏ができなくなってしまうからね」
「ああ、そうか。そうすりゃあ、ケガが治るまでは仕事ができなくて、飯を食えなくなっちまうな。……そんじゃあ、軽く暴れて言い分を通しあったりは、できねぇか」
「軽く暴れて、言い分を通しあう?」
「おう。どっちが上か下かってのもあるけどさ、勝った負けたってだけじゃなくって、そんだけ強い意見があるんだって、お互いに伝えあうんだよ」
烏有には、よくわからなかった。
「まあ、やってみればわかるさ」
「遠慮しておくよ」
「ふうん。面白いのになぁ」
烏有はあいまいな笑みでごまかした。
「それよりも、どうしてケンカなんてしたんだい」
「さっき言ったろ。明江は、名前と外面は立派だけど、中身はてんで空っぽだって言われたんだよ」
「ああ。ちょうど烏有と、その話をしようとしていたところだ」
玄晶が烏有に目顔で同意を求める。袁燕はポカンとした。
「なんだよ。玄晶まで、そんな考えをしてんのかよ」
「事実は、事実だろう? 言いたい者には、言わせておけばいいさ。明江はこれから、その名にふさわしい国となる。船着場も宿も、そのために必要だから、立派なものを造ったのだと、袁燕もわかっているだろう。入り口が貧相なところより、立派な入り口を持っているほうが、私はいいと思うよ」
袁燕は「だよなぁ」と腰に手を当てる。
「俺っちも、そう言ったんだ。で、しばらくケンカしたら、それにふさわしい中身を造ってやるから、覚悟しとけって言われた」
「言われたって……、袁燕が言ったのではなく、相手に言われたのかい」
烏有が目を丸くする。
「うん」
玄晶は軽く声をたてて笑った。
「そうか、袁燕。それは、たのもしいな」
「おう。だからさ、これから仲直りのしるしをするんだ。酒は叱られるだろうから、格好つかねぇけど、果物の絞り汁で乾杯すんだよ。――なあ、烏有。村ができたらさ、あいつらが住みたいって言ったら、住まわせてやっても、いいよな」
「もちろんだよ。これだけ広い土地があるんだ。人がいなければ、国どころか、村にすらなれないからね。袁燕たちが甲柄に残してきた仲間は、農夫が多いんだろう? 工夫が移り住んでくれるのは、ありがたいよ」
「そっか」
袁燕が頬を持ち上げる。
「そんなら、そう言っておくよ。アイツ等、今の府じゃあ家がなくって、納屋とかで暮らしてるって、言っていたからさ」
じゃあなと手を振って宿へと向かう袁燕に、烏有はちいさく手を振り返す。
「下働きの者は、家を持つことすらもかなわない、か。なあ、鶴楽。君の夢は、そういう住処を持たない人々の希望にも、なっていくだろう。いずれは移住者が数多く、訪れるようになるはずだ。そうなった場合の対策も、考えておかなければならないな」
そっと耳打ちをされた烏有は、期待に満ちた目で周囲を見回した。
「玄晶。宿で仮住まいをするのは、そろそろ終わりにしたほうが、よさそうだね。工夫の家や、僕等の……蕪雑の住む豪族屋敷や、領主屋敷の建設の計画を詰めるとしようか」
「それならば、前に決めた候補地のあたりを歩いてみるとしよう」
ふたりは連れ立って、区割りを書き込んだ地図をもとに、視察をはじめた。
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