夕暮れ前の森の広場で、大勢の人間がざわめいている。その前に立って、蕪雑は移住の説明をおこなっていた。

「このまま、ここで一生を終えるより、いっそのこと移住しちまったほうがいいだろう」

 聞いている全員が、蕪雑が移住先を見て来たことを知っている。その土地のことを、戻ってすぐに袁燕が、自慢げに身振り手振りを交えて語っていたので、どういう場所なのかは把握はあくしていた。

「たしかに兄ぃの言うとおり、このまま山の中に隠れ住むよりかは、いいかもしれねぇ。けどよぉ」

 発言者がうさんくさそうに、蕪雑の横に立っている烏有を見た。にごして終わった言葉の先に共感した視線が、烏有に集まる。それに気づいた蕪雑が、烏有の肩に腕をまわした。

「烏有がいなけりゃあ、俺ぁ移住なんて、ちっとも思いつかなかったんだぜ」

「それは、わかっているさ。けどな、兄ぃ。俺等が府を造るなんざぁ、お天道様てんとさまを掴むぐれぇに、とんでもねぇんじゃねぇのかい」

 いくつかうなずく顔があり、それらを蕪雑が情けなさそうに見回した。

「なんでぇ、なんでぇ。やる前から、あきらめちまってんのかよ」

「そのぐらい、現実味のない話ってことなんですよ。蕪雑の兄さん」

 妙齢の女性が、おずおずと発言する。すると蕪雑が「ふうむ」と腕を組んだ。

「現実味ってのが、そんなに大事なモンとは思えねぇけどな。……オメェらは見てねぇから、そう思うのかもしんねぇが、この山を下った先に、見たこともねぇような、でっけぇ川と、だだっぴろい土地があるんだぜ。しかもそこには、誰も住んじゃあいねぇんだ。そこに俺等が、まっさらな国を興すってんだから、奮えるじゃねぇかよ」

 歯をむき出して笑う蕪雑に、人々が顔を見合わせ、何事かをささやき交わす。

「そうだそうだ。奮えるじゃねぇか。なあ、俺っちは見たんだよ。こぉんな、でっけぇ川がさ、あったんだよ。魚もいてさ! 捕まえそこねたけど、釣竿がありゃあ、きっと大漁だったろうぜ。そんで朝、こっちに帰ろうとしたら、家よりデッケェ船が、流れてきたんだよ。手を振ったら、振り返してくれてさぁ……。あんなのを毎日、見られるなんて面白いだろうなぁ」

 煮え切らない態度の皆に発破をかけるためか、袁燕が立ち上がり、幾度も話した光景を、うっとりと語った。

「それはようっくわかったけどよ、袁燕。そんなにいい土地だってんなら、ほかにそう考えて、住みつく連中がいそうじゃねぇか。それがないってことは、なんか理由があるんじゃねぇのか」

「そうだ。恐ろしい獣が出るとか、川にはとんでもねぇバケモノが住んでいるとか。人が住まない原因が、あるに決まってらぁな」

 袁燕はフンッと鼻を鳴らした。

「そんなのがいたら俺っちたちは、無事に帰ってこられなかったぞ。ひと晩グッスリ眠っていたけど、なぁんの危険もなかったんだから、大丈夫さ」

「その、でっかい船ってのは、どこからどこへ行く船なんだ。あの土地を管理している豪族が、調査のために動かしていたらどうする」

「それは……」

 袁燕が目線で烏有に助けを求める。

「あの船は、上流の府から下流の府へと、人や荷物を運んでいるんだ。流通の便を考えれば、あの場所は未来の展望を描きやすくて、便利な土地だよ」

「だから、どうしてそんな場所に、誰も住んでいないんだ。そんな場所なら、とっくにどこかの豪族が、自分の土地にしていてもいいんじゃないか」

 そうだそうだと声が上がる。不安と不満にさざめく人々に、蕪雑があきれた。

「おいおいおいおい。なんだよ、オメェら。そんなら、死ぬまでここで、こっそり生きてくつもりかよ」

「それは……」

「いつか甲柄に戻れるとでも、考えてんのか? そっちのほうが、よっぽど夢物語だろうよ。――なあ、オメェら。おなじ現実味のねぇ話をするんなら、後戻りをしてぇと望むより、前に進む道を行こうじゃねぇか」

 満面の笑みを浮かべて、蕪雑は皆の顔をひとりずつ、確認するように見た。

亜月あがつよぉ。ここに来たとき家なんざなくってよぉ、デッケェ木の下で雨露をしのいでいたよな。そん時のことを、覚えているか。オメェが小枝を集めてきて、でっけぇ枝に乗せて屋根を作ったのにゃあ、感心したぜ」

「そんな、兄ぃ。あの程度のことは、誰だって思いつくぜ」

「思いついたって、しねぇ奴がたんといるもんだ。その上、オメェは草に詳しい。薬になるモンや食えるモンを見つけては、教えてくれたよな。――箕搗きとう。オメェが器用に、あれこれ道具を作ってくれたから、ずいぶんと暮らしやすくなった」

「だって俺ぁ、道具師だからよぉ。ほかにできるこたぁ、なんもねぇんだもんさ」

翌毘よくひ苔珂たいか。なんもねぇ山ん中に、家をこさえてくれたよな。笈燵きゅうたつは、獣を仕留める罠を作った。それから――」

 蕪雑は次々と名を挙げて、それぞれが得意とし、ここに住んでから成したことを端的に、思い出のように語った。それが進むごとに、疑心と不安に満ちていた空気が、ゆったりとしたやわらかなものに変わっていく。烏有は蕪雑がなぜ、彼等の中心にあるのかを悟った。

「なあ、オメェら。そんだけ、いろいろなことができる奴等が集まってるんだ。新しい国を造るなんざ、わけねぇだろう? そうなりゃあ、こっそり夜中に甲柄に戻って、残っている家族なんかとコソコソ会うなんてこたぁ、しなくてよくなる。そいつらを呼びよせちまえば、いいんだからな。どうでぇ、この話、乗ってみねぇか。なぁんもねぇ山ん中に、こうして住処すみかを造れたんだからよぉ。できるに決まってんじゃねぇか」

 楽観すぎると非難が起きそうなほど、明快な調子で移住の説得をする蕪雑に、剛袁がポツリと後押しの言葉を加えた。

「国を造るとなれば大げさですが、ここの集落のように、もっと住みよく畑も作れる土地に行くと考えてみれば、いいのではありませんか。そこで村を作って、甲柄にいる者たちと共に、堂々と暮らすと思えばどうでしょう」

「なるほど、村か。それなら、まあ、できそうな気がするな」

「ここだって、はじめは何もなかったんだっけ」

 否定的な雰囲気が肯定的なものとなり、あちらこちらで、かつてここにはなかったものを、誰がどのようにして作ったのかという話が起こる。

「なあ、オメェ等。ここで隠れ住むよりも、お天道様の下で、甲柄にいたころのように暮らそうじゃねぇか」

 明るい顔が満ちたところで、蕪雑が声をかけた。

「俺ぁ、乗ったぜ」

「俺も」

「私もだ」

「そういうことなら、賛成だ」

「オイラも」

 次々に賛同の声が上がり、どんな暮らしをしてみたいかの言い合いになる。その光景に、蕪雑が満足そうな顔をして、烏有を見た。

「どうでぇ。心配なかったろう?」

「正直、驚いているよ。もっと揉めるかと思っていたんだけれどね」

 フフンと得意げに鼻を鳴らした蕪雑が、これからどうするかは、後日に決めようと皆に声をかけると、未来への展望に顔を輝かせた人々が、三々五々と散っていく。

「さぁて。明日からなにをどうするか、飲みながら作戦会議といこうじゃねぇか」

 烏有の肩を上機嫌に叩いて、自分の小屋へと戻る蕪雑を袁燕が追う。烏有は振り向き、剛袁に笑いかけた。

「後押しをしてくれるとは、思ってもみなかったよ」

「俺は、貴方の後押しをしたわけではありません。蕪雑兄ぃがヤル気になっていますし、ここで集落を広げるよりも、あの場所で生活をするほうが、畑もできるし住み心地もよさそうだと、現実的に判断したまでです」

「現実的、か。なるほどね」

「なんです?」

 憮然とした剛袁に、なんでもないよと烏有は首を振る。

「たしかに、国を造ると言えば途方もないけど、この集落のような村を造るとなれば、現実味が増すね」

「からかっているんですか」

「感心しているんだよ。彼等に伝わりやすく、蕪雑が説得のしやすいように、さりげなく言葉を差し挟んだ手腕にね」

「すこしも、うれしくはありませんね」

「そうか。それは残念だ」

 剛袁がにらむと、烏有は怒りを制するように片手を挙げた。

「僕はどうやら、うかれているらしい」

「うかれている?」

「どだい無理だと思っていた夢が、かなうかもしれないからね」

「……そのために、蕪雑兄ぃを利用するんですね」

「人聞きが悪いな。まあ、見方によっては、そうなるんだろうけれど。利害が一致したと、言ってほしいな」

「どちらにせよ、遊びではすまされないんです。貴方の持てるもの、すべてを蕪雑兄ぃに捧げていただきますよ」

 念押しをするように、剛袁が目に力を込める。

「おおい、早く来いよぉ。話をすんなら、中でやろうぜ」

「兄さん、烏有。早く早く」

烏有は剛袁の視線を、軽い笑顔で受け止めた。

「呼んでいるよ」

「わかっています」

 剛袁が大股で歩きだす。その背に向かって、烏有はつぶやいた。

「もちろん、持てるすべてを差し出すさ。夢物語だと思っていた国を、この目で見るためなら、なんだってするつもりだよ。父さんや母さんの理想が、間違っていなかったと証明をするために」

 その声を聞いたのは、烏有の傍にある草木のみだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る