昼なお暗き、というにふさわしい山の中。うっそうと繁った草をかきわけて、よっつの影が現れた。

「おお。こうして見ると、さらにデケェな」

 空に声を放つように、晴れ晴れと蕪雑が言う。

「まったく。我等の住まいから、2日ほどで出られると聞いていましたが、道のないことで、3日もかかってしまいましたよ」

 ぼやきつつ蕪雑の隣に立ったのは、健康的な肌色の、蕪雑ほどではないにしろ、たくましい体躯をした青年だった。その横に、彼によく似た、のびやかな四肢の小柄な少年が、木の上から飛び降りて並ぶ。

「兄さんも蕪雑兄ぃも、体がおおきいからな。道がなくっちゃ進めないけど、俺っちみたいのだと、ヒョイヒョイッと木の上を行けるから、もっと早くつけてたぜ」

 フフンと得意げに胸を反らした少年の後ろに、疲れた顔の烏有が立った。

「旅の楽士っていうから、もっと動けるもんだと思っていたけど、だらしねぇな」

 くるりと振り向いた少年が言う。

「そう言ってやるな、袁燕えんえん。楽士は音楽で生計たつきを得るもんだ。俺らみてぇに、山で獣を狩ったり、草を摘んだりするもんじゃねぇからな。慣れてねぇのも仕方ねぇさ。剛袁ごうえんも、ご苦労だったな」

 蕪雑が少年に向かってとりなし、青年を労う。袁燕と呼ばれた少年は軽く肩をすくめて、好意的な目を烏有に向け、剛袁と呼ばれた青年は、軽く蕪雑に頭を下げた。

「烏有、大丈夫か」

「ああ……。すまない、蕪雑。まさか、これほど道がないとは思わなかった」

「ははっ。山の道ってのは、人や獣が通ってこそ、できるもんだ。獣の道があったって、ちいせぇモンだと俺等にとっちゃ、ないのと変わらねぇからな」

「まったく。あの兄弟が共にきてくれていなかったらと思うと、恐ろしいよ。野宿の荷物や枝払いを、彼等が引き受けてくれていなければ、もっと時間がかかっていただろうね」

「袁燕は身軽だから、木の上を行って先を見つけてくるし、剛袁は体力があるからな。あの兄弟はいつも、ふたりで獣を追ってんだよ」

「なるほど。弟が獲物を探し、兄がそれを仕留める、というやり方なんだね。それで同行者を彼等に決めたというわけか。――僕の監視も兼ねて」

 それを聞き、蕪雑が申し分けなさそうに眉を下げた。

「すまねぇな」

「なにがだい?」

「俺ぁ、烏有を信用してんだぜ。酒と愚痴ぐちの相手をしてくれた上に、今後の提案もしてくれたんだからよぉ」

「本当に、蕪雑は心配になるほど、まっさらだな」

「ん?」

「いや……。剛袁や、ほかの者たちの反応は、正しいんだ。山賊と名乗る、屈強な相手に連れていかれた僕が、自分の身を守るために大それたウソをついたと考えて、当然なんだよ」

「ウソなのか?」

「ウソじゃないさ。……蕪雑はどうして、手放しで僕を受け入れ、信用してくれたんだい?」

 質問がよほど意外だったらしく、蕪雑は腕組みをして、思案のために視線を泳がせた。

「うーん。…………誰かを信じるのに、なんか理由でもいんのか?」

「えっ」

「俺は烏有を信じたいと思ったし、アンタの提案をすげぇって思った。それ以外に、なんか必要なのかよ」

 烏有が目を丸くして、それを見た袁燕が軽やかな笑い声を立てる。剛袁が苦々しげに、ため息をついた。

「まあ、そういうわけだ」

 腰に手を当てた蕪雑が、これで話は終わりとばかりに景色に目を向ける。

「しっかし、デッケェ川だなぁ! 俺ぁ、こんな川、はじめて見たぜ」

 彼等が立っているのは、甲柄とは反対方向に山を下った、広大な土地だった。背後には、人の手がすこしも加えられていない、自然のままの山がそびえており、目の前には平坦な草原が広がっている。その先には、陽光を受けて輝く広大な川が横たわっていた。

「この土地に、そっくりそのまま、俺等が住んでいた集落の建物や畑を移しても、たっぷりとあまりが出るだろうな」

 両腕を広げて感激する蕪雑の背中を、不思議な気持ちで烏有がながめていると、傍に剛袁が立った。

「我等は蕪雑兄ぃのように、貴方を全面的に信頼しているわけでは、ありませんから」

 冷淡な小声に、烏有はそっと唇に笑みを乗せる。

「それが当然だろう。蕪雑がアレでは、さぞ気をむことが多いんじゃないかな」

「そこが、兄ぃの美徳ですから」

「なるほど」

 ふたりの視線を背に受けて、蕪雑が川へと歩きだす。そこに袁燕も並んで、烏有と剛袁が後に続いた。

「こんなに広い土地なら、でっかい家に住めるよな」

 袁燕は飛びはねたり、クルクルと回ったりしながら、山裾から川までの道を行く。

「あんまりデッケェ家を作ったって、持て余しちまうぞ。だいたい、ここに造るのは、俺等だけの集落じゃねぇ。国なんだ。甲柄ぐれぇ、でっけぇのを造るんだからな」

 蕪雑が声を弾ませると、袁燕は変わらず全身ではしゃぎつつ、剛袁にまとわりついた。

「兄さん、兄さん。ここを好きにしていいってんなら、うんと畑を作ろうな。食っても食っても、なくならないくらい、いっぱいの麦を育てるんだ。そうすりゃあ、誰も腹をすかせなくてすむし、俺っちも食べ物の心配なんかしねぇで、細工師の修行に打ち込める」

「そうですね」

「兄さんは、どんなふうにしたい?」

「俺は……」

 言いかけた剛袁は、目に見えぬものを見ようとするかのように、目を細めた。

「まだ、ここに我等の住まいを造るかどうかも決まってはいないんです。考えてもいませんよ」

「えー」

 つまらなさそうに、袁燕が唇を尖らせる。剛袁の横顔に、なにかが垣間見えた気がして、烏有は「おや」と彼を見た。

「心配性だなぁ、剛袁は。はじめようってときには、うんっと想像しときゃあ、いいんだよ。あんなふうにしてぇ、こんなふうにしてぇってのが、目標になって、がんばろうって気分になれるんじゃねぇか」

「蕪雑兄ぃ。俺は現実的で、物事に慎重なだけです。烏有の言葉を鵜呑うのみには、できかねますよ。彼は我等に豪族となり、国を造り、そのまま “府”にしろと言っているのですからね」

「そのまんま、受け止めてるじゃねぇか」

「ただ言葉を聞いて理解することと、納得をするのとでは、雲泥うんでいの差があります」

「剛袁は、ときどき難しいことを言うな」

「なにも難しくなど、ありませんよ。夢物語だと言っているんです」

「いいじゃねぇか、夢物語。夢は、デッケェほうが楽しいだろう? なあ。袁燕も、そう思うよな」

「うん! 男はでっかい夢を目指すもんだ」

「そうだ、そうだ。デッケェ夢を、目指すもんだ」

 快活な笑いを弾けさせるふたりに、剛袁は愁眉しゅうびとなって額に手を当てた。

「苦労をするね」

「誰のせいですか。とんでもない話を持ち込んできた、張本人にねぎらわれたくなど、ありません」

 たしかにそうだと、烏有は剛袁の恨めしそうな視線を受け止めた。

「貴方は、何者なんですか」

「ただの旅の楽士だよ」

「それがどうして、府を造る許可状を、中枢に求められるのです」

「腕のいい楽士は、身分を問われず宴に招かれる。そこで気に入られ、格別の待遇を得ることもある。それだけだよ」

 剛袁が疑わしげに、烏有の目の奥をのぞきこむ。

「たったそれだけで、大それた文を送れるとは思えませんね。……お偉方のどなたかと、格別な関係にでもあるのですか」

 烏有は肯定とも否定ともつかない笑みを浮かべた。

「貴方は――」

「なにを、ふたりでコソコソ話してんだよ。さっさと、こっち来いって。川までは、まだまだ距離があるぞ! 今夜は、川のそばで野宿だな」

「俺っち、川で泳いでみたい」

「おう。そいつぁ、いいな。食料も確保してぇし、でっけぇ魚を捕まえて、土産にすんのもありだよな」

 袁燕が歓声を上げて、剛袁と烏有に駆け寄り、ふたりの腕を引っ張った。

「早くしないと、日が暮れて川に入れなくなっちまうぞ」

 剛袁は物言いたげに、烏有は静かな微笑をたたえて、袁燕に引かれるままに足を急がせ、川を目指した。

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