3
烏有は蕪雑に、地図を広げて見せた。
「これが、申皇の治められている陽の図だ」
物珍しそうに、地図の表面に視線を走らせながら、蕪雑が問う。
「陽ってなぁ、なんだ」
「異教徒が、この地を呼ぶときの呼称だ」
ピンとこなかったらしく、蕪雑は鼻の頭にシワを寄せた。烏有は薄い笑みを浮かべて、話を続ける。
「ここが僕たちのいる山で、ここが蕪雑たちの住んでいた甲柄だよ」
烏有が地図の上に指を滑らせれば、ふうんと蕪雑が首をかしげる。
「紙の上で見ると、ずいぶんとちっせぇな」
「甲柄は、それほど大きな府ではないからね」
「そうなのか」
「もっと大きな府は、たくさんあるよ」
「府ってのは、どんだけあるんだ」
「地図上のこの印が、すべて府を示している」
烏有の説明に、蕪雑が数えだす。
「それは後にして、先にどこに国を興すかを決めよう」
「勝手に決めてもいいのか?」
「府も国も村もない場所なら、問題はないよ。誰も住んでいないということだからね」
「そんなもんか」
「そんなもんだよ。誰のものでもない土地は、そのまま申皇の土地だから、誰も文句はつけられない」
「ふうん?」
唇をわずかに尖らせ、蕪雑が地図をながめる。
「蕪雑はどうして、この山に落ち着こうと決めたんだい」
「そりゃあ、誰も住んでねぇし、府からそう遠くねぇし、食い物も家を作る材料も、たっぷりとあるからな。足りないものは、山道を行く荷馬車から、ちょいと融通してもらえるっつうか、拝借できるっつうか。……まあ、山賊働きができるしよ」
「それとおなじだよ」
「ん?」
「誰も住んでいない、食べ物があって家を作る材料もある土地。その上、どこかの府からそう遠くない場所なら、行商人だって訪れやすい。そうなれば、土地でできたものと商人の品とを交換し、不足しているものを手に入れることができる。山賊働きのかわりにね。そうできそうな場所を、選べばいいんだ」
「おお、なるほどな。山賊働きをしねぇで、ここで作った酒やなんかを、行商人の品と交換すりゃあ、手荒いまねをしなくて済んだのか」
「蕪雑。そこを言っているんじゃないよ。山賊働きを悔やんで反省するのは、後にしてくれないか。そういう、蕪雑たちがここに落ち着いた理由とおなじ理屈で、国を造る土地を決めればいいと言っているんだ」
「そういうことか。なるほどなぁ」
深々と蕪雑が感心を示す。烏有は親しみのこもった苦笑を漏らして、話を元に戻した。
「蕪雑は、どんな場所がいいと考えているのか、教えてくれないか」
ううんと
「そう言われてもなぁ……。国を造るなんざ、考えてもみなかったからよぉ」
「君の仲間がどんな人間なのか、僕はなにも知らないんだ。彼等にとって、どんなところが住みやすいのかを、教えてくれないか」
「アイツらにとって、住みやすい場所かぁ……。そうさなぁ。あんまり甲柄と離れちまうと、家族なんかが府の中に残っているって奴がすくなくねぇから、遠くねぇのがいいな。でも、近すぎると面倒なことになりそうだしよぉ」
眉間にシワを寄せて、蕪雑が地図をながめる。
「ここが、甲柄なんだろ? そんで、ここが俺達のアジトのある山」
「ああ」
「ふうん……。なあ、烏有。この川は、どんぐれぇ遠いんだ」
蕪雑が指したのは、この山をはさんで甲柄と反対側になる土地だった。
「ここから甲柄に降りるのと、そう変わりないはずだよ。甲柄からとなると、3日ほどの距離だろうね」
「3日かぁ。となると、ここと山のふもとで2回、野宿をすりゃあ辿りつけるのか」
「単純に考えれば、そうなるだろうね」
「どういうことだ?」
「人によっては山道が辛くて、もっと時間がかかる場合もあるだろうと言っているんだよ」
「そうか、年寄りや子どもなんかだと、もっと時間がかかるかもしんねぇな。……荷馬車かロバかが手にはいりゃあ、いいんだけどなぁ。ちぃっとばかし、大変か」
どうしたもんかとつぶやく蕪雑に、烏有は首をかしげた。
「ここの仲間には、そういう人たちが大勢いるのかい。僕が会ったのは、襲われたときに見た、5人ほどだけだけど」
「ああ。あんときは、悪かったな。ひとりで山に入ってきたからよぉ、こりゃあいいやってんで、腕っ節の強いのを連れて出てったんだよ。ちょうど、狩りに出ていたついでだったしな」
眉を下げて、申し訳なさそうに笑う蕪雑に、烏有はあきれた。
「襲われたときも思ったけれど、蕪雑たちは本当に山賊をしてきたのかい」
「おう。俺が17んときに牢破りをしたから、かれこれ6年になるな」
「6年も山賊をしておいて、そんな行き当たりばったりな行動のまま、討伐もされずに捨ておかれていたのか」
驚く烏有に、蕪雑がキョトンとする。
「そういやあ、そうだな。なんで討伐隊が出てこなかったんだろうなぁ」
「誰かを襲うとき、どんなふうにして襲っていたのか、教えてくれないか」
「どんなって……、烏有にしたのと変わらねぇよ」
「取り囲んで脅して、薬があれば分けてくれと言われたね。そんなふうにして、山道をいく荷馬車や旅人を呼び止めていたのかい」
「おう」
「刃傷沙汰になったことは?」
「なりそうになったことは、あるけどよぉ。持ってねぇんなら、そう言ってくれりゃあ、別のモンを欲しがったりしねぇし、全部をよこせとは言わねぇよって言やぁ、ケンカにならずに話はつくぜ」
「武力行使をしたことは?」
「ねぇなぁ。護衛を雇ってる奴だと、ちょっと威嚇しあう程度にはなるけどよ。ガタイのいいのを選んで行くし、向こうも無駄な怪我をしたくねぇだろうから、それ以上にはならねぇぜ」
烏有は自分よりも高い位置にある蕪雑の顔を、真っ直ぐに見た。蕪雑が不思議そうに小首をかしげる。
「なんでぇ」
「相手が、金をすべて置いていくから助けて欲しいと、懇願した場合はどう対応をしていた?」
「そりゃあ、いるもんだけ分けてもらやぁいいからよ。いらねぇって断わったぜ」
聞き終わった烏有は、太く長い息を吐いた。
「どうしたんだよ」
「蕪雑……。自分では山賊のつもりだろうけど、そうは認識されていないんじゃないかな」
「へ?」
「必要なものを、必要なだけ分けてもらっていた程度なら、被害届も出されていないだろう。おそらく、山に小さな集落があって、そこの人間が欲しいものを求めているだけ、と認識されているんじゃないかな」
「それだって、立派な山賊行為だろう。人様のものを盗んでんだからよぉ」
不服そうにする蕪雑に、烏有は吹き出した。
「クッ……はは。蕪雑、君は面白いな」
「なんにも面白くねぇよ」
その答えに、烏有は笑い続ける。ひとしきり烏有が笑い終えるまで、蕪雑はムスッと地図に目を落としていた。
「蕪雑、ほんとうに君は面白いよ。……ああ。君ならきっと、すばらしい国を興せそうだ」
「その言い方だと、俺がひとりで国を造ろうとしているみてぇじゃねぇか。国は、俺と烏有と、ほかの奴等の全員で造るんだろう」
「そう……、そうだね、蕪雑。ああ、そうだ。国を造ろう。皆で、すばらしい国を」
そのためなら、僕は使える手は惜しみなく提供するよ。
烏有は胸中で蕪雑に告げつつ、そっと胸元に手を当てて、翡翠の印を確かめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます