第23話
「あっちゃん、おはよう」島中がいつも通りだるそうに挨拶をしてきた。この光景を見るとアキ子たちは月曜日がまた来たのだなと思い、アキ子は一週間のリズムを感じ取るのだ。
「しまちゃん、おはよう」アキ子もいつも通り挨拶を返した。
「そういえば、あっちゃん、啓太君とはどう?上手くいきそう?」島中は微笑を浮かべ尋ねた。
アキ子は瞬時にはっとした表情を見せてしまったことを後悔したが落ち着き払った様子で、「特に何もないよ。ただ、ラインはきたけど」と、アキ子は島中の疑問に冷静に応えた。
島中は何食わぬ顔で「私もライン来てたなあ」と呟いた。
アキ子は島中の呟きは聞こえていたが、あえて聞こえてないふりをして、その場を後にしようとした。しかし、島中はさらに続けて「あっ、あっちゃん、啓太君またご飯行きたいって言っていたよね?」と訊いた。
「せやな。しまちゃん、うち今日ミーティングあるからちょっと先行くな」アキ子はさっと会話を終わらせ、その場を去った。島中はその様子を見ると、ほくそ笑みアキ子を見送った。
島中は恐らく自分の方が啓太と上手くいっていることをアピールしてくるだろうと、アキ子は思った。アキ子は島中のそういう部分がやっぱり気に食わない。そんなことを考えていると、アキ子は重大なことに気が付いた。啓太にラインの返事をしていないということを。アキ子はデスクの上にスマホを置き、慌てて画面をスクロールした。
「やばい。無視してしまっている」アキ子は小さな声で呟いた。
すると、隣の席にいる猪瀬君が「どうしたんですか?」と心配して良い声で尋ねた。
アキ子はやっぱり猪瀬君は気の利く男だなと感じつつも、彼にこのことを言えるわけもないと思い、慌てて「いや、なんもないで。気にせんといて」とだけ応えた。
「そうですか」と猪瀬君は少し違和感を覚えながらも、一応納得したようだった。
午前中の業務は全く集中できなかったなとアキ子は自分の未熟さを責めた。あれからなんだかんだとラインの返信を考えてしまい、あまり集中して仕事に取り組めなかったのだ。そうこう考えているうちに、お昼休みを告げるチャイムが鳴った。
「あっちゃん、今日はどこかにランチ食べに行こうよ」島中は微笑みながらアキ子を食事に誘ってきた。
「いや、今日ちょっと忙しくなりそうやから、無理そうやわ」アキ子は島中の企んでいることはわかっているので誘いを断ることにした。
アキ子は島中を見送ると昼食を買いにコンビニへ向かった。ドーナツを二つとカフェラテをさっと買い、いつもの屋上で食べることにした。
アキ子は屋上のベンチに腰を下ろすとすぐに、カフェラテをゴクゴクと飲みだした。
「ほんましまちゃん、鬱陶しいわ」アキ子はベンチにカフェラテを力強く置いた。
ちょうど屋上は二人だけであったので、割と大きな声でアキ子はぼやいていた。
「そうやな。たぶん、啓太とのことを自慢してくるんやろうな」おじさんは応えた。
「そうやで。流石にうちもこんだけ繰り返したら、しまちゃんの行動パターンわかってきたわ」アキ子はコンビニで買ったオールドファッションを頬張った。
「あはは、まあ散々島中にはやられているからな」おじさんは苦笑した。
アキ子は勢いよく食べたオールドファッションが喉に詰まったのか、カフェラテを慌てて口にし、なんとかおじさんの言葉に肯いた。
「ほんまやで。なんでうちが自慢とか聞かなあかんのよ」と言うと、アキ子はスマホを取出し、「そうや、啓太君に返事しな」と呟いた。
「おい、お前まだ返信してなかったんか」おじさんは驚いた。
「うっかり忘れていたわ」アキ子は生クリームの沢山入ったホイップドーナツを口にしながら言った。
「お前さあ、それはあかんやろ」おじさんは半ばあきれ気味でおでこに手をあてた。
「大丈夫、大丈夫、今から返信するから」アキ子は口元についた生クリームをふき取り、スマホの画面を睨み付けた。
「うーん、やっぱりええ言葉が思い浮かばん」
「なんやねん、お前。結局そんな感じになってるやんけ」
「そんなん言ったってもう仕方ないやん。返信するのは忘れているし、今更どんな風に返したらええんよ。なんか返信するのめんどくさくなってきたわ」
「お前、ほんまあかんな」おじさんは完全に呆れかえったようだった。
「じゃあ、どうしたらええんよ。もう結構時間も空いてしまっているし」
「とりあえず、返事遅くなってごめんって謝まろう」おじさんはアキ子の肩を叩いた。
「ちょっと、気安くボディタッチせんといてよ」アキ子はおじさんの手を振り払った。
「いちいち過剰なやつやな」とおじさんは言い、溜め息を吐いた。
アキ子はおじさんの言葉を無視し、啓太に対する返事を真剣に考え始めた。
数分間、アキ子は真剣な眼差しでスマホを睨み続けた。
「うーん、あかん、うちやっぱり思いつかへん」アキ子は肩を落とした。
「なんやねん、お前」おじさんはいつもの軽快なツッコミを入れた。
アキ子がうんうんと唸っていると、おじさんはアドバイスをせずにはいられなかった。
「とりあえず、はじめは返信遅くなってごめんとかやろ?」
「せやな。で、それから?」アキ子は目を輝かせた。
「はあ、ちょっとは自分で考えろよ」おじさんは呆れながらも、もうアキ子がどうしようもないことを悟ったのかアドバイスを続けた。
「まあ、無難な感じがええやろうな」と言いながらおじさんは返信のメッセージを考え始めた。アキ子は自然と自分のスマホをおじさんへ手渡し、おじさんもメッセージを考えることに夢中になっていたため、なんの違和感もなくそれを受け取った。
おつかれさまです☆
返事遅くなってしまってすみません(>_<)
そうですね!ごはん行けたら良いですね♪
あたしは最近やっと仕事も落ち着いてきたので、いつでも大丈夫ですよ(^^)/
おじさんは「ふう」と深くため息をつき、返信のメッセージをアキ子に見せた。
「ちょっと、完璧やん。どうなってるんよ」アキ子はスマホに表示されたメッセージを見て震えた。
「おい、今気づいたけど、『完璧やん』やないやろ!なんで俺が全部文章書いてんねん」おじさんは語気を強めた。
「だって、仕方ないやん」アキ子はぎこちなく甘えた。
おじさんは気持ち悪さに見舞われながらも、「まあ、ええわ。こんな返信で驚かれてもなあ。とりあえず、それで返してとけ」と言った。
「ほんま助かったわ」アキ子は気分よく送信ボタンを押した。
「いや~、あんた凄いな。なんか『仕事落ち着いてきたので、いつでも大丈夫ですよ(^^)/』のくだりなんて完璧やん。自然と会う約束している感じにもっていっているし」
「そうかなあ。普通の文章やと思うけどな」おじさんは腕を組んだ。
「いやいや、なかなか書けへんで。シンプルで普通そうに見えてこういうの難しいんやから」アキ子はさらに褒めた。
「そうか?でも、あれやなあたしよりうちっていう風にした方がお前らしかったかもな」
「ちょっと、何言っているんよ。そんなんうちよりあたしの方がステキ女子ぽくて良いやん。しかも、わたしじゃなくてあたしってところがまたええよなあ」
「そっか、お前が良いと納得しているんやったら良かった」おじさんは違和感を覚えつつも首肯した。
そうこう二人が話していると、アキ子のスマホが鳴った。
アキ子はハイテンションで「もう返信きたやん」とスマホを確認した。
しかし、何故かスマホを見るアキ子の表情は徐々に険しくなっていった。
「おい、どうかしたんか?」おじさんは少し不安そうに問いかけた。
「昆虫からやわ」アキ子はスマホを強く握りしめながら応えた。
「そっ、そうか。タイミング的にあれやけど、まあ、そんなこともあるかもな」おじさんは少し小さな声で言った。
「ちょっと、ほんまなんなんよ。こんなタイミングでうちにラインしてくるとか絶対嫌がらせやん」アキ子は怒りをあらわにした。啓太からの返信を変に期待していた分、アキ子はより腹が立っているようであった。
「いや、いや、流石にそれはないやろ」
「こんなん絶対おかしいわ。昆虫のやつどっかでうちのこと監視しているんちゃうん?」アキ子はさっと周りを見渡した。
「ちょっと、監視カメラとかあるかもしれんから一緒に探してよ」
「おいおい、マジで勘弁してくれよ」おじさんはうなだれた。
二人は会社の屋上を隅々まで探したがそれらしいものは見つけることは出来なかった。
「ほら、見ろよ。監視カメラなんかなかったやんけ」おじさんは疲労感を漂わせて言った。
「そんなん、結果としてなかったから良いけど、もしあったらどうするんよ」
「別にどうもせんやろ」おじさんは呆れ気味に応えた。
「とにかくあのタイミングでラインくるんはおかしいって」アキ子はいつも通り無駄に騒ぎ立てた。
「はい、はい、そうやな」おじさんは仕方なく同意してみせた。
「ちょっと、もう少し真剣に考えてよ」アキ子は語気を強めた。
「うーん、でもなぁ」おじさんは腕組みをして考え込んでいるポーズをとった。
アキ子はおじさんの唸っている様子を見つめ続けたが、一向に何も出てこなかった。
「そうや。うちわかったかもしれん。昆虫のやつ、たぶん未来を知っているからこのタイミングでラインしてこれたんちゃう?」
「確かに、それやったら辻褄は合うな」おじさんは首肯した。
「やっぱり、あの昆虫、タイムトラベルしているんやわ」アキ子は自分自身の考えに大きく納得したようであった。
「じゃあ、もしその昆虫がタイムトラベルしていると仮定して、今後どうするよ」おじさんは疑問を投げかけた。
アキ子は「そんなん決まっているやん」と即返答したが、自分が何も考えてないことに気がつきはっとした。
「お前、何も考えなしやろ?」おじさんはアキ子の顔を笑いながら覗き込んだ。
「ちょっと、仕方ないやん。あんまりにも急なことやから今から対策考えるわ。あんたも協力してよ」アキ子は開き直った。
「ほんまお前はいつもそうやなあ。見切り発射過ぎるねん」
「そんなん言ったってしゃーないやん」アキ子は目に力を込めておじさんを睨んだ。
「はいはい、で、昆虫からどんなラインがきたんや?見せてみ」
わかっているやんとアキ子は言いながら、おじさんにスマホを手渡した。
そうなんや!
彼氏できてないようで安心しました(^^)
今度、あべのハルカス一緒に行ってみない?
「なんやねんこれ」おじさんは笑いながらスマホをアキ子に返した。
「そうやろ?やばくない?」アキ子はおじさんの顔を覗き込んだ。
「やばい、やばい」おじさんはお腹を抱えて笑っている。
「昆虫のやつ、お前のこと好きなんちゃうか?」
「ちょっと、縁起でもないこと言わんといよ。そんなん嫌やし」
「いや、でも昆虫、あれやで。普通にデート誘ってきてるやん」おじさんはまだ笑っている。
「ほんまやめて」アキ子は仁王像クラスの凄い形相でおじさんを睨み付けた。
おじさんはアキ子のオーラの変化に瞬時に察知し「あっ、ごめん、ごめん」と直ぐに謝った。こういうときおじさんは案外空気を読むのが早いのだ。
「でも、昆虫がタイムトラベルしているか確かめる為にもこの誘いに乗ってデートしてみるのもありかもな」おじさんは腕を組んだ。
「ちょっと、ほんまデートとか無理やって!まして昆虫やろ?」アキ子はきつい口調で応えていた。
「そうかあ。ま、じゃあ手がかり掴めずやな」おじさんはあっさり引き下がった。
アキ子はすんなりと諦めるおじさんに違和感を覚え、疑問を投げかけた。
「ちょっと、どうしたんよ。いつもやったらデート一回行ってみろとか言うやん」
「お前、俺にどうして欲しいねん」おじさんは呆れた様子でおでこに手を当てた。
「あんたもしかして何か凄いことに気付いているんちゃう?」
「なんやねん。凄いことって」
「いや、わからんけど、なんかそんな気がした」アキ子は堂々と応えた。
「お前、わからんことをようそんなに自信満々で言えるな」おじさんは頭を掻きながら応えた。
「そんなん、しゃーないやん。で、何で今回はすぐ引き下がったん?」アキ子はさらに力強く応えた。
「いや、もしお前の言う通り昆虫も過去を変えようとしているなら、もうちょっとええ誘い方するような気がしてな。あんな誘い方の時点でどう考えても一回目の人生のように思えるんや。だから、あんまり昆虫に近づいたところで収穫はなくて寧ろマイナスになるかも知れん」
「どういうことよ?」
「もし、昆虫がタイムトラベルしていたとして、こんなあからさまに疑いをかけられるような行動すると思うか?昆虫が誰かに上手いこと利用されているとしたら、タイムトラベルしているやつの思う壺かも知れん」
「ちょっと、もしかしたら真犯人に嵌められるところやったってこと?」
「まあ、そういうことになるな。お前も昆虫の行動が未来を知っている人間のように思えへんやろ?」
「確かにそういわれてみれば、未来を知っていたらもっと上手に誘ってくるやろうな。絶対今までろくに女子とデートしたことないと思うもん」アキ子は深く肯いた。
「あっ、でも」とおじさんが口にするとすかさずアキ子は「ちょっと、どうしたんよ。なんか気が付いたん?」と遮った。
「お前、そう慌てんなや」おじさんは腕組みをして考えを巡らしているようだった。
「でも、あれやな。真犯人の尻尾を捕まえるためにもあえて真犯人の目論み通り、昆虫に接近してみるのもええかもな。さっきと逆のこと言っているけど」
「それって、危険やないの?」アキ子は心配そうに尋ねた。
「もちろん危険は隣り合わせやぞ。ただ、真犯人がいるかもって思って昆虫に接近するのと、昆虫が犯人やと思って接近するのとでは全然違うやろ?」おじさんは真面目に応えた。
「えっ、じゃあ結局うち昆虫とデートせなあかんの?」アキ子の表情が一瞬で曇った。
「まあ、そういうことになるな」おじさんは何故か嬉しそうに半笑気味で肯いた。
「ちょっと、最悪やん。さっき少し安心して損したわ。もしなんかあったらどうしてくれんのよ。真犯人にうちが変なことされたり、連れていかれたりしたら」
「大丈夫や。お前がその状況を後悔している限りタイムトラベルできるわけやから、また過去に戻ったらええ話や」おじさんは然も当然のように応えた。
「ほんまや」とアキ子はそう言うと、同時に自然に笑顔になっていた。
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