第10話

「ほんまあの女うざいわ」アキ子は自宅の部屋に着くとすぐに自分のカバンを地べたに投げつけて言い放った。

そう相変わらずアキ子は猪瀬君の同期の高橋さんに対して怒りを感じていた。

「ほんまむかつくわ。『何がゴールデンウイーク予定ないなんて意外です~』やねん。『私は彼氏と旅行に行くんです~』とかお前の予定、聞いてないし」というアキ子の発言を聞いておじさんはケタケタ笑い上下に肩を揺らす。

「ちょっと、笑いごとじゃないで!」アキ子はおじさんに怒りを向けた。

「すまん、すまん、また高橋さんか?とおじさんはいつものように尋ねた。

「そうやで、あの高橋やで。ほんま今日もぶりっ子していたわ」アキ子は自分のベッドの上にどさっと腰を下ろし、吐き捨てるように応えた。

「ほんま最近、しまちゃんの男関係の話減ったと思ったら次は高橋やわ」

「まあ、異性の扱いが上手いというかなんというかやな。本質的には男にモテたくてしゃーないやろうな」おじさんは異様に笑顔だった。

「ほんま彼氏、彼氏うるさいねん。そんなん彼氏と上手く行ってなくてどうしたらいいかなんかうちに聞かれてもわからんやん。うち彼氏できたことないし」

この「うち彼氏できたことないし」というのを聞くと、おじさんはいつもケタケタと笑っている。これは完全におじさんの笑いのツボに入ってしまった。

「そうやな。わからんやつにそんなこと聞いてもしゃーないしな」おじさんは笑いながら応えた。

「ほんま、人生二回目やからより辛いわ。あんなただでさえ同じような話、二回も聞かされる身にもなってーや」アキ子はベッドの上でうつ伏せになり足をバタバタさせた。

「まあ、俺は全てがはじめてのことで、はじめての話やから結構楽しんでいるぞ。高橋さん可愛いし」

「ほんまあんた高橋好きやんな。何がいいんよ?」

「何が良いも何も、普通にルックスも可愛いし、別に俺に害はないしな」おじさんはどこから持ってきたのか、バニラアイスを食べながら応えた。

「ちょっと、それうちが食べようと思っていたやつやん」アキ子はおじさんに向かって指をさした。

「えっ、あかん?」おじさんはとぼけた表情で応える。

「ほんまいい加減にしてや。あんたのせいで我が家のアイスの消費量どんだけ増えていると思っているんよ。あんたの姿見えへんかもしれんけど、食べ物とかは物理的に減っていいっているやん」と、空腹のライオンの如くアキ子は怒りを露わにした。

「まあ、まあ、高橋さんの話しとったんとちゃうんか?」

「ちょっと、何話逸らそうとしてんのよ」アキ子は言ったそばから我に返り、「ちゃうわ。あの高橋の話をしてたんや」と呟いた。

「あんま怒りすぎると身体と脳によくないぞ。早くも怒りのあまり混乱してしまっているやんけ」

「そんなん。あんたがアイス食べ過ぎるせいやんか」アキ子のボルテージはさらに上昇した。確かに最近、ゴールデンウイーク間際ということもあり、ここ大阪の気温はぐんぐんと上昇していた。その結果、おじさんはアイスを食べる頻度が圧倒的に増加していたのだ。

「そんな怒るなよ。余計暑くなる」おじさんはバニラアイスを食べ終えてカップをゴミ箱へ投げ入れた。

「ちょっと、暑苦しい姿のあんたに言われたくないわ」アキ子の言葉はより熱を帯びた。

「わかった。わかった。で、高橋がどうしたんや?」

「そうや、それやん。なんかあいつ彼氏が優しすぎて申し訳ないとか訳のわからん悩みをうちに相談してきてん。そんなんうちにわかるはずないやん」

「だって、彼氏できたことないもんな?」おじさんはアキ子が言おうとしたセリフを奪った。またおじさんはケタケタと笑った。

「そうやで。うちに聞いてもしゃーないことわかっている癖にそんなこと聞いてくるってことは完全にうちに対する攻撃やん」

「いや、攻撃とまでは言わんが」おじさんは冷静に反論した。

「とにかく、うちは不快やねん。なんか彼氏の話ばっかりされるのが。このゴールデンウイークも男の子と遊ぶ予定すらないし。あっ、でも昆虫がまた図々しくもライン送ってきていたな。『遊びに行こう』って。ほんまうちも舐められたもんやわ」アキ子は地団駄を踏んだ。

「まあ、彼氏の話されて嫌やったらお前も彼氏作るか、少なくとも男友達ぐらい作れよ。昆虫から連絡来たんやろ?そいつでええやんけ?」

「ちょっと、昆虫なんかとデートしたらみんなの笑いものやん。ほんまやめてくれる?」アキ子はハエを払う仕草をした。

「そんな昆虫のことはどうでもいいねん。うち猪瀬君と付き合える感じは出てきたと思う?結構もう仲良いからいけそうやろ?」アキ子は矢継ぎ早におじさんに問いただした。

「いや、全然その感じないな」おじさんはストレートに応えた。

「ちょっと、どういうことよ」

「いや、どういうも何もわからんのか?てか、前回はどれくらいの時期から相思相愛やと感じてん?」

「今、うち相思相愛を感じてんねんけど」

「はい?」おじさんが耳を傾ける。

「いや、だから今うちと猪瀬君ってええ感じじゃない?」

「どこが?」と、さらにおじさんの傾きの角度が小さくなる。

「はあ、ほんま呆れたわ。あんたに頼ろうと思っていたうちがあほやったわ」アキ子はうなだれた。

「いや、だから全然いける感じないぞ」おじさんは真顔で応えた。

「あんた。前の猪瀬君との飲み会のこと覚えてないん?うちのこと『好きです』って言っていたやん。しかも褒めまくりやし」

一週間ほど前にアキ子と猪瀬君は会社の新人歓迎会で近くの席になり、二人で盛り上がったのだ。アキ子はその歓迎会での猪瀬君の言葉を完全に真に受けているのだ。


「えっ、アキ子先輩は今彼氏とかいないんですか?」猪瀬君が言った。

「えっ、ちょっと急になんなんよ」アキ子は動揺を隠せず応えた。しかも、このセリフを言われたのはアキ子は人生二回目であるため耐性があるはずなのにドギマギした。

「いや、アキ子先輩ぐらいの女性だとやっぱりもう良い人いるのかなぁと思って…」猪瀬君は顔色を変えることなく続けた。

「いや、いや、いや、そんなんうち全然モテへんし」アキ子は大きく手を横に振りながら応えた。

「猪瀬君はどうなん?彼女とかいいひんの?」アキ子は体制を立て直し聞いた。

「いや、ちょっと前までいたんですけど最近別れました」猪瀬君は悲しそうに応えた。

「ちょっと、もしかして東京から大阪に猪瀬君が行ってしまって遠距離になってしまうからとかやろ?」アキ子は前回の人生の知識を活用した。

「えっ?僕その話、アキ子先輩にしましたっけ?」猪瀬君は少し目を見開いた。

「ううん、言ってないで」

アキ子は猪瀬君の少し驚いた表情を見て、満足気な様子だった。

「凄いですね。アキ子先輩、噂では聞いていましたが、やっぱり洞察力とかなのかなぁ。とにかく凄いです」

アキ子はここのところ何でも未来のことをズバズバと予言し、当てるものだから会社の人間から洞察力が凄いやら、超能力だとか言われている。ただ、これもアキ子が特別凄い能力を持っている訳ではなく、単純に一度人生を経験し知っているからだ。

「まあ、うちぐらいの歳になると人生経験もそれなりやから、それぐらい分かるんやで」アキ子は少し照れたように鼻の下をかいた。

「えっ、歳なんてほぼ変わらないじゃないですか?僕一年目でアキ子先輩は二年目な訳ですから」

「あはは、そうやな」アキ子は笑った。

「あっ、そうや。猪瀬君はどういう感じの女子が好きなん?」アキ子は手元のジンジャエールに口に近づけながら聞いた。

「そうですね。なかなか口で説明するのは難しいんですけど、明るくて一緒にいて面白い人ですかね」

ちょっと、やっぱりうちのこと言っているやんとアキ子は心の中で呟いた。

二回目とはいえ、猪瀬君からこんな近い距離で自分のことを言われるのは恥ずかしい。

「へーそうなんや」

「アキ子先輩はどんな人がタイプなんですか?」

「うちは見た目がジャニーズ系でカッコ良くて、でも内面は大人な人が良いんかもな。よく周りの友達からは『絶対、あっちゃんは年上か大人な人が良い』って言われること多いし」

「年上かぁ、僕は残念ながら年下ですね」猪瀬は下を向いた。

「ちょっと、まだチャンスあるって。内面が大人やったら大丈夫やし。しかも大人の方がいいと言いうのも友達が勝手に言っているだけなんやから」アキ子は慌てて応えた。

危なかった。ただでさえ草食系男子の猪瀬が早くもこの段階で諦めてしまうではないかとアキ子は動揺した。

「じゃあ、僕にも少しはチャンスあるということですね」猪瀬君は無邪気な少年ぽい笑顔で応えた。

アキ子はまたしても猪瀬君の笑顔にやられてしまった。やっぱり、うちこの子のこと好きかもしれんとアキ子は感じた。

「そう言えば、猪瀬君、もう少しでゴールデンウイークやんな?うち結構暇なんやけど」

とアキ子はこの時期にありきたりな話題を振ることにした。大体、このシーズンはとりあえずゴールデンウイークの話題を出せば良いという風潮がある。

「暇なんですか?意外ですね。僕は一度東京に帰ろうと思っているんですよ。やっぱり友達の大半が東京就職ですからね」

「そうなんや。もうすぐに帰るん?」

「そうですね。もうゴールデンウイークに入って一日目に新幹線で帰ろうと考えています」

「へーええやん。東京とか帰れるのもこういう長期休みしかないもんな。楽しんできいや」アキ子は気丈に応えた。

やっぱり、そうか前回もそうだったがゴールデンウイークは東京に帰るんか。前回も同じような会話の流れになって、「じゃあ、うちとどっか出かけよう」とか言ったら断れたのだ。アキ子も断られるとわかっていながら誘うほどバカではない。

でも、猪瀬君とゴールデンウイークに遊びに行きたかったなとアキ子は想像を巡らした。

「アキ子先輩はゴールデンウイークどうする予定ですか?まだ特に考えてない感じですか?」

「そうやな。ほんまに考えてないな。ちょっと友達と梅田とかで会うくらいかな」

「良いですね。梅田とかで気軽に友達と会えるの羨ましいですよ。僕も梅田デートとかしてみたいです。まだ梅田とかも数えるほどしか行ってないですし」

「あはは、うちでもデートするわけやないで。友達って女の子やで」アキ子はジンジャエールを飲み干した。

「あっ、女の子なんですか?作戦成功です」と、猪瀬君は口にし、微笑を浮かべた。

「えっ、どういうこと?」アキ子はパニック気味に問い返した。

「アキ子先輩でもこういうの引っかかるんですね。先輩に男がいるか知りたかったので、あえてデートという言葉を使ってみたんですよ」とさらりと猪瀬君は説明した。

「ちょっと、からかわんといてよ」アキ子は慌てた。

このパターンは知らないぞとアキ子は思った。前回の人生ではこんな話の展開にはならなかったからだ。アキ子は、前回の人生と違う選択をしたから微妙に未来が変わってしまったのではないかと考えた。しかし、これは良い流れだとアキ子は感じ、ウキウキし始めた。

「いや、すみません。ただ気になったので」猪瀬君はさらにアキ子があからさまに喜びそうな言葉を続けた。

ちょっと、やばくない?と、アキ子は心の中で思わず叫んでしまった。

「ちょっと、そう言えば猪瀬君の好きな女の子のタイプって明るくて元気ってことはうちのことなんちゃうん?」アキ子はいかにも冗談を言っていますよという顔で聞いた。不器用な彼女はこのように冗談に乗せて相手の本音を探る癖があるのだ。

「あはは、確かにアキ子先輩当てはまっていますね。僕は好きですよ」猪瀬君は恥ずかしがることなく言った。

「ほんましゃーないな」と、アキ子はご満悦になり、猪瀬君の空になったコップにビールを注いだ。

「ありがとうございます」

「でも、そんな上手いこと言って本当はうちのこととか別に興味ないんやろ?」アキ子はあえて尋ねた。

「そんなことないですよ。だって実際にこの会社にアキ子先輩ほど明るくて元気な人っていますか?少なくとも僕は知らないですよ」

「ほんまよく言うわ。そんなこと全然思ってないくせに」と、何故かアキ子は僻んだような物言いをしてしまう。アキ子の僻んだ発言を聞いた猪瀬君の表情がやや曇った。

「思っていますよ。アキ子先輩は十分魅力的です」猪瀬君は苦笑しながらも強く言った。

「ほんまにそう思うん?」

「はい、アキ子先輩は明るくて元気で素敵な先輩です」

ここまでいくと猪瀬君もやり切るしかないと思い、自信満々で応える。

「でも、男はどうせしまちゃんみたいな美人で可愛い女の子の方がええんやろ?」アキ子は田辺に絡まれている島中を横目で見て言った。

「確かに、島中さんは美人で可愛らしいと思います。ただ、アキ子先輩だって十分魅力的です」

もうアキ子の僻みがここまでくると猪瀬君もやけになっているようだった。

「そうなん。なんかめっちゃ褒めてくれるやん」アキ子は思わず笑みがこぼれた。


「あの状況やったら猪瀬君はお前のことを褒めるしかないし、そら『好きです』ぐらいリップサービスするやろ」おじさんは飲み会の様子を思い出し反論した。

「なんなんよ。リップサービスって?別にキスとかされてないし。されたいけど」アキ子は拗ねたように言葉を尖られた。

「お世辞のことや。なんでそんなんも分からんねん。あんだけ『どうせうちは~』とか僻んだこと言われたら、猪瀬君も褒めたりしてお前をなだめるしかないやろ。あんなん言わせているの一緒やぞ」

「ちょっと、あんた。いい加減にしいや。うちが褒められまくっているのをいくら認めたくないからと言って、そんなこと言わんといてよ」とアキ子はベッドの上で仁王立ちになりおじさんを見下げた。

「お前、ほんまどんな神経しているねん」おじさんは呆れた。

「どんなって別にあんな風に言われたら誰だってうちに気があると思うやろ?」アキ子はベッドの上から飛び降りた。

「はぁ」とおじさんは大きく溜息をつき、「なんかお前が猪瀬君と相思相愛な感じやったとか違和感ありありなこと言うから、おかしいなとは思ってたけど、やっぱりそうか」おじさんは強く確信したようだった。

「ちょっと、なんなんよ。何かやっぱりなんよ」

「いや、お前ってやっぱりスーパー勘違い女やん」おじさんは情け容赦なく言い放った。

「ちょっと、スーパー勘違い女ってなんなんよ!じゃあ、猪瀬君がうちのこと好きって思っていたんもうちの勘違いって言うん?」

「そうや」

「じゃあ、うち前回の人生で付き合う直前とか思ってたけど、全然やったってこと?」

「残念ながらそういうことになるな」おじさんは痛くもないおでこに手をあてて応えた。

「そんなん。うちこれからどうすればいいんよ!」アキ子は猛獣の如く咆哮した。

おじさんが何も言えずに呆然としていると、アキ子はさらに続けて「こんなことやったらタイムトラベルしても意味なかったやん」とおじさんを責めた。

「いや、意味あるかないかなんか、お前次第やんけ。お前がここで諦めたら意味がなかったってことになるかもしれんし、諦めず猪瀬君を振り向かせることができたら意味があったとも考えられるしな」おじさんはアキ子を諭した。

「じゃあ、どうしたらうちが猪瀬君と付き合えるようになるんか教えてよ」

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