第6話

今日は月曜日。アキ子は土曜日、日曜日、両日とも大好きなアイドルのライブDVDを見続けたため、かなりお疲れのようである。ただ、アキ子の場合は毎週、毎週そのような暮らしぶりであるため、他の人よりもより月曜が憂鬱というわけではない。憂鬱さで言えば、恐らく周りの人間ともあまり変わらないだろう。ただ、社内でも群を抜いて憂鬱そうな人物がいた。

「ちょっと、しまちゃん。なんでそんなしんどそうなん?」

「あっ、あっちゃん、おはよう。うん、ちょっと色々あってね」島中はうつむき加減に応えた。

はあ、どうせ男の話やろうとアキ子は心の中で毒づいた。島中は週末のたびにSNSなどで知り合った男とデートをし、その様子などをアキ子に話してくるのだ。そして、時には男に付きまとわれることもあり、本当は特に困っていない癖に、いや喜んでいる癖に困っていると訴える性質の悪い女である。

「ちょっと、どうしたん?」とアキ子は知りたくもないが一応尋ねる。

「うん、ごめんね。大丈夫だから」

またしてもアキ子は呆れ返った。この島中は話を聞いて欲しい癖にこのようにわざと焦らして、数回聞かれてからやっと話出すのだ。めんどくさい女である。もうかまって欲しすぎて頭がおかしくなっているのだろうとアキ子は思った。

「なんやねん。この女めんどくさっ」おじさんがボソッと言った。

そのおじさんの言葉を聞いて、いつもなら島中から気にもなっていない話を聞こうとするところだったがやめることにした。そうすると、何故かアキ子の気持ちは少し楽になった。

「大丈夫そうならよかったわ。そうや。朝礼行かな」アキ子は言いスタスタと歩き出した。島中も少し浮かない表情で、「うん」と、アキ子について行った。

その日の朝礼は今までで最も悲しかった。この報告は今のアキ子からすると二回目であるがやっぱり衝撃が大きかった。今回は結局、先輩の運命を変えることが出来なかったという無力感も加わり、違う意味でアキ子にショックを与えた。

「えーと、山本さんが昨日、自宅マンションの階段から落ちて大怪我を負いました。命に別状はなかったみたいですが、しばらくは会社にはこられないようです」上司が皆の前で淡々と報告した。

確かにアキ子はおじさんから山本先輩の運命を変えることは不可能だと聞いていたし、一応その覚悟もしていたつもりだった。しかし、心のどこかで期待を持っており、実際にあの日に事故に遭わなかったのだから大丈夫ではないかと高を括っていたのだ。

そして、気が付いたらお昼休みになっていた。仕事は無意識が勝手に上手くやってくれたと、そう言えるぐらいアキ子は意識せず朝の仕事をスムーズに順調に終えることができた。

アキ子はいつもなら同じ部署の女の子同士で食堂のランチを食べるのだが、今日はそんな気分になれなかったので、コンビニであんぱん一つとコーヒーを買い、会社の屋上で一人食べることにした。アキ子がこの屋上を選んだ理由はベンチの位置的に誰かが屋上に来たらすぐに気づけるからだ。アキ子は同僚たちとより、おじさんと話がしたかったのだ。アキ子はコーヒーにスティックシュガーを3本にミルクを加え一口飲んだ。

そのアキ子の気持ちを察したのかおじさんは「やっぱり、あかんかったな」と話かけてきた。

「うん、やっぱり先輩の運命は変えることできひんの?」アキ子が元気なく聞いた。

「ああ、前も説明した通り無理やな。わかってくれたか?」

「うちそんなん嫌や」アキ子は左手のこぶしを強く握り締め言った。

「だって、そんなん先輩かわいそうやん!」と語気を強めてアキ子は言い放った。

「ちょっと、もう一回過去に戻ってよ。先輩が事故に遭う前に!」

「だからそれはやめとけって」

「なんなんよ!もう一回やらせてよ」アキ子はおじさんを睨みつけて言った。

「お前の気持ちはわかるけど、それをやったらあまりにもお前が辛すぎる」

「はあ?何善人ぶっているんよ。この偽善者が!」

その発言を聞いておじさんは少しいらっとした様子で、「お前、頑張っても何度頑張っても何年やり直しても変えられないもの、どうにもできないこと程、人間を無気力にし、ダメにしてしまうことはないんやぞ。しかも無気力になったやつの末路は酷いものやぞ。気力がないから後悔すらできひん。二度と過去を変えることはできひん」

「ふん、わかってないな。うちが無気力になるはずないやん。うちは誰よりも強いって皆から言われているんやからな」

「俺には誰よりも弱くみえるけどな」おじさんはアキ子の迫力に一切負けず、さらっと言いのけた。

「あんたほんまわかってないわ。うちは誰よりも強い。そう誰よりも。だからやり直しても大丈夫なんや」

ほとほと呆れ返った様子でおじさんはアキ子のことを横目で見た。

さらに、アキ子は「だいたい先輩が可愛そうすぎるわ。こんな結末」と付け加えた。

その言葉がおじさんの癇に障った。

「お前、今また先輩のこと可愛そうって言ったな」おじさんが苛立ったように言った。

「可愛そうに決まっているやん。逆にあんたは可愛そうって思わへんねんや。ほんまあんた見た目は暑苦しいけど心は冷たいな」

「お前、何先輩のこと見下してるねん!」おじさんは声を荒げた。

「なんなんよ。見下すって。先輩のこと見下すはずないやん」

「いや、お前は先輩を見下している。事故にあって障害が残ってしまった先輩を不幸で可愛そうやと見下している」おじさんは力強く断言した。

「事故に遭って障害が残ってしまったら、それは不幸で可愛そうやん」

「お前はほんまに29年生きてきたんか?最近のやつはほんまに無駄に歳だけとって人間として何も成長してないな」

「ほんまあんたむかつくわ」アキ子は吐き捨てるように応えた。

「じゃあ、あほなお前に説明しやる。その先輩が事故を不幸な出来事と思うかどうかは先輩がどのような意味づけをするかどうかやろ?」

「そらそうかもしれんけど、障害まで残ってしまったら不便やし不幸やん」

「じゃあ、お前は障害がある人間、みんな不幸やというんか?障害がある人間は幸せを感じることはできひんのか?逆にこの障害があったからこそ、辛い出来事があったからこそ今の自分があるって胸を張って生きているやつもいっぱいおるぞ」

「でも…」アキ子はおじさんへ返す言葉が見つからなかった。

「まあ、ええわ。もう一回戻るかどうか決めるのはまだ早いと思うぞ。先輩が今回の出来事にどういう意味づけをするか。それを知ってからでも遅くはない」

「ふん、絶対先輩は事故が起こらなかった未来を望むはずやわ」とアキ子は言葉を吐き捨てた。

数カ月後、アキ子は山本先輩のお見舞いに行くことにした。山本先輩は外傷に関しては完全に治っており、一見どこも悪いように見えなかった。しかし、先輩は頭を強く打ちつけたせいで脳挫傷になり、記憶力や言語機能などに障害が残ってしまったみたいだった。

「山本先輩、大変でしたね。大丈夫ですか?」アキ子は声にしたあと、はっとしてしまった。障害が残ってしまっている人に大丈夫ですかなんて何で聞いてしまったのだろう。大丈夫なはずなんてないのだ。自分の無神経さにほとほと嫌気がさした。

「うん、大丈夫だよ。でも、少し記憶障害とかがあるから何かを新しく学んだりするのは難しいかもしれないって先生に言われたよ」

アキ子はそういう先輩を見て、言っている内容と表情がかみ合ってないと思った。なぜならば障害が残ると言われたにも関わらず、先輩の表情はどこか穏やかで暗いイメージを一切感じさせなかったからだ。はじめは強がっているのかと思ったが、そのようにも見えない。アキ子は先輩の精神的な強さに驚きを感じずにはいられなかった。自分だったら今の先輩のようになるまでどれだけ時間をかければよいのだろうと思った。恐らく、アキ子が同じような境遇になれば周りの人間に当たり散らし、なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないのだと苛立ちを感じ、こんなにも穏やかな雰囲気を出すことは不可能のように思えた。そして、アキ子が何も言葉にできないでいると先輩が話し始めた。

「はじめはね。何で自分だけがこんな目に合わないといけないんだって思った。事故の後しばらく意識がなかったみたいなんだけど目が覚めて、脳の機能障害は治らないって聞いてすごくショックでどうしたらいいかわからなかった。しかも、脳のことだから私が私じゃなくなってしまうんじゃないかという恐怖心もあった。でも、しばらくすると、もし私が私でなくなってしまうなら、そうなってしまう前に人生楽しまなくちゃってね」山本先輩は優しく話した。

山本先輩はその後、アキ子から最近会社であった出来事などをアキ子に質問したり、最近始めた絵の勉強のことなどを話したりした。先輩は昔から絵が好きでいつか勉強したりしたいと思っていたから、「いい機会だったね」と明るく言った。先輩の方が本当はつらい状況であるのに、アキ子の方が病人のように暗い表情を浮かべていた。それでも先輩はそんなアキ子の表情を気にする様子もなく、あえていつものように本当に普通の世間話を続けた。

「今日は本当にありがとうございました」

「うん、こちらこそありがとう。もう少ししたら退院できるから、その時はまたご飯でも行こう」

「そうですね。楽しみにしています。では、失礼します」とアキ子は先輩の病室から出た。

病院からモノレールの駅に着くと、おじさんがアキ子に話しかけた。その日は駅には誰もいなかった。

「どうや?先輩かわいそうやったか?」

「なんかうちわからんくなってきた。なんか強がっているわけでもないし、不思議な感じがした」アキ子は自信なく応えた。

「人間って不思議やな。あんな酷い目にあっても前向きになれる」

「しかも、先輩は先輩でなくなってしまうかもしれないのに怖くないんかな」アキ子は涙目に応えた。

「怖いと思うぞ。すごく怖い。でも、自分が自分でいられる間に人生楽しもうって気持ちになったんかな。人間なぜか終わりが見えたときの方が前向きやったりするから不思議や」

「やっとあんたの言っていた意味が分かったわ。先輩はこうなってしまったことを受け入れて後悔してないんやろうな」

「ああ、そうや。俺は人間の後悔の臭い嗅ぎ付ける能力があるからわかる。あの山本先輩からは後悔の臭いがしなかった。自分の今の状況を受け入れたということやな」

「うん」

「今の俺の力を持ってしても後悔してないようなら先輩を過去に連れて行くこともできひん。後悔こそ過去へ戻るエネルギーやからな」

「うん」

「じゃあ、途中で千中よってなんか飯食べへん?」

「うん」

「ってあんたどさくさに紛れてなんなんよ!」と、アキ子はいつもようにツッコミを入れた。

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