第3話

「すみません、お待たせしました」とアキ子は駆け足で山本先輩のもとへ向かった。

「全然、待ってないよ。食堂へ向かう途中で田辺さんに話しかけられていたから、あたしも今着いたところ」山本先輩はやや困り顔で応えた。そう田辺さんは山本先輩をはじめとする可愛い女性社員の悩みの種なのだ。この田辺という男は可愛い女の子には目が無い。確か現在、2013年12月ごろは私たちの部署の女性社員にひっきりなしに飲み会へ誘ってきていた。しかも、アキ子の記憶ではこの年のクリスマスイブに彼女に振られてからより酷くなった覚えがある。ただ、アキ子は一切誘われることはなかった。それがまた田辺がアキ子を苛立たせる要因の一つだった。

「また、田辺さんですか?また飲みに行こうとか言われたんですか?」アキ子は豚カツにソースをどばどばかけながら尋ねた。

「そうなんだよね。でも、今日は彼氏と会う予定があって無理って断ってきちゃった」山本先輩はうつむきながら応えた。アキ子は山本先輩がいい人だからどうしても田辺のようなろくでもない男の誘いすら断ってしまうことに罪悪感を持ってしまうのだと思った。

「ちょっと先輩、その彼氏との約束の時間って何時でしたっけ?」アキ子は前のめりになり訊いた。

「9時だよ。彼結構バタバタしているみたいで、定時は難しいみたい」山本先輩は少し残念そうに応えた。

「そうなんですか。じゃあ、先輩はどっかで時間つぶしてから待ち合わせ場所に行くんですか?待ち合わせ場所って大阪駅でしたよね?」アキ子はもはや尋問のように問い詰める。

「そうだね。大阪駅。会社の近くに大きめの本屋さんができたからそこで本でも買って、隣のカフェで時間つぶそうと考えているよ」山本先輩はアキ子の威圧感に少し引き気味で応えた。

「先輩、そのカフェ行くんやめた方がいいと思いますよ。絶対悪いこと起こりますよ」アキ子は強い口調で言い放った。

「えっ?どうして?」

山本先輩はあまりにもアキ子がシリアスな雰囲気を漂わせて言うものだから少し心配そうな表情になった。

そこで、アキ子は未来のことを知っているのは自分だけだということを思い出し、はっとした。

「とにかく、良くないです。わたし占い好きじゃないですか?それで、会社の近くの有名な占いの館に行ったんですよ。そこで、わたしの先輩にあのカフェの近くで良くないことが起こるって言われたんです」アキ子は動揺を取り繕うために適当な嘘をついた。

「あはは、あっちゃん本当に占い好きだね。たぶん大丈夫だと思うけどなあ」山本先輩は安堵の表情を見せた。

アキ子は思った。このままでは確実に先輩はあのカフェに行ってしまう。先輩はあのカフェを出て直ぐに交通事故にあったのだ。まずは、先輩をあのカフェに近づけないことが先決だ。よし作戦変更。アキ子は山本先輩を違うカフェに誘導する作戦を思いついた。

「じゃあ先輩、本屋さんに行ったあと、わたしと京橋のパンケーキ屋さんに行きませんか?わたしたまに行くんですけど、すごくおいしいですよ。久しぶりに先輩とお茶したいですし」

「そうだね。確かに久しぶりかもしれない。あっ、でも晩御飯前にパンケーキはダメかも」

「そんなことないですよ。ショートサイズ、とかハーフサイズとかあのお店あったはずなんで、それなら全然いけますよ」アキ子は持ち前の押しの強さを出した。アキ子は山本先輩の弱点を知っていた。山本先輩は押しの強さに弱いのだ。だからこそ、田辺みたいな男に狙われる要因ともなっているのだが。

「そうだね。小さいサイズなら大丈夫そうだね。久しぶりに行こう」山本先輩は考えを改め、パンケーキ屋さんに行くことに同意した。

「じゃあ、残りの仕事定時までに終われるようにさっさとやっちゃいましょう」アキ子は元気よく言い、食べ終えた豚カツ定食の食器を洗い場の方へ持って行った。

「そうね」と、先輩も小さなお弁当箱を片付け、事務所へ戻る準備を始めた。

アキ子は事務所に着くと早速残りの仕事に取り掛かった。しかも、その仕事が尋常なく正確で早いのだ。それは事務所の他の社員を驚かせるのに十分だった。タイムトラベルしたアキ子の仕事の経験値は山本先輩すらはるかに凌駕している。なんといっても、本当は29歳だから。しかし、ここまで一年目が早く仕事ができてしまうと目立って仕方がない。それを見かねたおじさんがアキ子にこそっと話しかけた。

「おい、もうちょっと社会人一年目らしくたどたどしく仕事したらどうや?」

「ちょっと、こんなところで話しかけんといてよ」と小声でアキ子は応えた。

すると、山本先輩が「どうしたん?あっちゃん何かあった?」と訊いた。

「何でもないです。ただの独り言です」と、とっさにアキ子は取り繕った。

アキ子はトイレに向かって歩き始め、おじさんに視線で合図した。

「ちょっと、仕事に集中しているんやから邪魔しんといてよ。あと、まわりに他人がいるときはうちに話しかけてくるの禁止やし」アキ子はトイレの個室でおじさんに言った。そうアキ子は今おじさんと女子トイレの中で二人きりである。

「だいたい、ここ女子トイレやで!変態おやじ」とさらに矢継ぎ早に捲し立てた。

「おい、しゃーないやろ!俺はお前に憑りついているんやから」

「だから、それが嫌なんよ。ほんまいい加減にしてや。とりあえず、あんたと話すのはうちがトイレ終わってから、うちがいいって言うまで女子トイレに入ってこんといて」

「わかった」とおじさんは言い女子トイレから出て行った。おじさんは女子トイレの前でイライラしながら待った。もしこの姿が周りに見えるなら立派な変質者である。

「ええよ」とアキ子の声がトイレの奥からから聞こえてくる。

「はいはい、おじゃまします」おじさんは無愛想な顔で女子トイレに入る。

「で、なんなんよ」

「いや、お前仕事出来過ぎやんけ」

「じゃあ逆に、今日山本先輩とパンケーキ食べに行くために、早く仕事終わらせて何が悪いん?」アキ子はイライラしながらおじさんに尋ねた。

「はあ、お前あの山本先輩より仕事できとるぞ。だいたい二回目の人生でミスするパターンにはまりつつあるから注意してやっているんや」

「ミスするパターン?なんなんよ。スムーズに仕事終わらせて何が悪いんよ」

「しゃあない説明してやろう。やり直したやつがよくはまるんやけど、前回の人生より全てが慣れているから何でもできてまうんや。その結果どうなるかわかるか?」

「それで早く出世したりして幸せになったりするんやろ?そのためのやり直しやん」

「まあ、確かにお前の言うとおり人生の幸せを出世とか一部のことだけの人間はそのやり方でええと俺も思う。ただ、実は大半の人間は出世とかより周りの人との関係とかの方が実は重要やったりする。これは今まで色々な人の人生のやり直しを見てきた俺の個人的な感想やけどな。まあ、あんまり目立たないようにした方が前回の人生と大きく変わらへんから、自分の変えたいポイントだけを変えられると思うぞ。変えまくるとよくわからんことになって前回の人生経験がまるで役に立たないこともあるからな」

「なるほど…」アキ子は遠くを見つめ顎を触りながら呟いた。

「お前はこのままバリバリ仕事をやってしまうと確実に29歳までキャリアウーマンになって、もう結婚はできひんと思うぞ。もうこの短時間でわかったわ。まあ、その人生でお前がええなら別にかまわへんけどな」おじさんは呆れ返ったように言った。

「そうやな。とりあえず、仕事定時までに終わらせることで頭がいっぱいでその辺のこと考えてなかったわ。ありがとう」

「おう、なんか今回は素直やな」

「うん、とりあえず、先輩が事故に会うのを防ぐ。それに集中するわ」

「はあ、結局そこはわかってないんやな。なんかパンケーキに誘ったりして何かしようとしているとは思ったけど、やっぱり諦めてないんやな」おじさんは肩を落とした。

「当たり前やん。そんなんやってみいひんとわからんやん。他人の時間に干渉できひんとかそんなん知らんわ。理解できひんし」

「まあ、結構難しい話やからな。お前みたいな単細胞に理解できひんのは無理ないな」おじさんは自分のおでこに手を当てながら応えた。

「ちょっと、いちいちうちのことバカにするのやめてもらえる?ほんま腹立つわ」

「まあ、一回やってみればわかるわ」

「はい、言われなくてもそうさせて頂きます」アキ子はあえて丁寧に応えた。

その後、アキ子はおじさんと話してからスピードを抑え気味にして業務を進めた。その甲斐もあってちょうど定時ごろに仕事を終えることができた。恐らく、初めのスピードで仕事を進めていたら3時ごろには全て終わっていたはずだ。

「山本先輩、どうですか?終わりそうですか?」

「うん、もうちょっとで終わるよ」山本先輩は可愛らしい笑顔を見せた。

そして、山本先輩も定時には全ての業務を終えることができた。二人はデスク周りを軽く掃除をし、会社を出た。

そして、二人は一緒に会社での愚痴などを言いながら京橋駅に向かった。会社の愚痴と言っても仕事に関することももちろんあるのだが、あの田辺の話が今日は多かった。

「ほんま田辺って最悪ですね。先輩にいい彼氏がいるのを知っているくせにそんな馴れ馴れしいですね」アキ子はいつも通り、先輩だろうが気にせず田辺と呼び捨てにしていた。

「そうやね。腰に手をまわしてきたときは、あたしも流石に引いてしまったわ。気持ち悪って」

流石の山本先輩も鳥肌ものだったのだろうとアキ子は同情した。そうこうしているうちにアキ子たちは京橋に到着した。

「あっ、先輩そういえば本屋さんに行きたいって言っていませんでした?つい話に夢中で会社近くの本屋に行くのを忘れていました」

「大丈夫だよ。本はいつでも買えるしね」と笑顔で応えた。

「ダメですよ。京橋にも本屋さんあるのでそこで買いましょう。確か京阪モールの中にあるはずです」

「そう?じゃあ行こうか」

アキ子たちは京阪モールに向かった。京阪モールは金曜日の夕方ということもあり、人が多い。さらに言えばクリスマス前でもあるので普通の金曜日よりも多いように感じられた。二階に向かうエスカレーターに乗ったとき、急に先輩が話し出した。

「あっちゃんはクリスマス一緒に過ごすいい人いないの?」

アキ子ははっと驚き、エスカレーターでつまずきそうになった。

「大丈夫?」山本先輩が心配そうにアキ子を覗き込む。

「大丈夫です。てか、急にやめてくださいよ。そんな人いませんよ」

「俺がいるぞ」とおじさんがすかさず、アキ子に囁いた。

アキ子はすかさず、おじさんを睨み付け、まるでハエを払うようにしてどこかへ行くようなしぐさで合図した。

「そっか、でも同期の一宮くんのこと好きって言ってなかったけ?」

「だから、あれは付き合いたいとかじゃなくてファンというか、あこがれているだけです」アキ子は自分自身にいつも言い聞かせているセリフを先輩に言った。

「あっ、先輩本屋さんに着きましたよ。どんな本を買うんですか?」

「中年タイムトラベラーっていう本だよ。SFかな」

「どんな内容なんですか?」

「私もまだ買ってないからちゃんとはわかってないんだけど、ある中年男が坂道から転げ落ちたことをきっかけに過去や未来に行ってしまってその時間で色々な問題を解決する話」

「先輩って意外とコミカルなやつ読むんですね」アキ子は率直な感想を述べた。

「そうだね。昔は暗い本とかも読んだな。でも、最近は現実の方が暗かったり、辛かったりすることに気づいて、フィクションぐらいは明るいものを読もうかなって」

アキ子は、先輩のときたま見せる暗い姿を懐かしく思い出した。先輩は普段から明るく、人生も上手く行っているように見えていても、色々あるのだなと思った。

「そうですよね。明るい話読んだ方が良いですよ。そう言えばわたしは最近、『本日、半休頂きます』っていう本読みましたよ」

「あれ、面白いよね。前ドラマ化されていたし」

「そうなんですよ。29まで恋人できないOLが主人公でとても他人事には思えなかったです」と口にするのと同時に、アキ子は、そういえば自分もあの主人公と同じだということにふと今気が付いた。

そうこうしているうちに、二人は本を見つけ出し、山本先輩は本を買うことが出来た。そして、二人は目的のパンケーキ屋さんに向かうことにした。

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