第3章 シャークラーケン最終決戦!
着替え終わったヨハンナは、まとめていた髪を下ろした姿でハーフトラックの貨車から降りてくると、開口一番にさぞかし自慢げに語り始めた。
「淡水湖よ! 淡水湖にあのタコを閉じ込めるの!」
ヨハンナの言葉に呆れた宗護はうんざりしながらも返す。
「あのなあ。まだ生かして捕まえるつもりでいるのか? 悪いこと言わないから仕留められる内に仕留めた方が良い」
「貴重な研究サンプルを始末するだなんて、それ自体が悪いことだわ」
聞く耳持たぬとヨハンナは宗護の提案を一蹴する。
負けじと宗護も、順を追ってその行動があまりに無意味だと説明を試みる。
「第一に、どうやって淡水湖にあいつを連れて行くつもりだ。第二に、淡水湖にたどり着いたとしてどうやってその出入り口を封鎖するつもりか。第三に、淡水湖に閉じ込めたとしてどうやってあいつの研究をするつもりなんだ」
宗護の言葉にヨハンナは思案することもなく、五〇メートルほど離れた場所に陸揚げされていたボートを指さした。
「あれで淡水湖までタコを釣っていけば良いわ。タコが淡水湖に入ったら入り口を土砂か何かで埋めてしまうのよ。閉じ込めたら後はきっとうまいことやるわ」
「不安しかない」
宗護はあまりに実現可能性の低いヨハンナの提案に思わずうなだれた。
「水浴びてくる」
「ちょっとちょっと! 待ちなさいよ!」
あまりに馬鹿馬鹿しいとユノがヨハンナを無視して貨車へ入ろうとすると、ヨハンナはユノの袖を掴んでとめた。
「人の話きいてた? 今からボートに乗ってあのタコを淡水湖に追い込むのよ。ぐずぐずしない。さっさと乗る」
「さっき水浴びは後にしろと言われた」
「だから全部終わってからにしなさいって言ってるのよ。分かったら早く行きなさい」
ユノは顔をしかめたが、ヨハンナがふんぞり返ってばかりで人の話に耳を貸す気が全くないのを確認すると、仕方無くボートへと移動した。
宗護はユノが諦めたのを見て、これ以上の抗議は無駄だと渋々ながらボートへ移動した。
ボートは全長四メートル程の小型警備艇で、装甲と呼べる物は存在せず、また武装も積まれてはいなかった。
ユノと宗護がボートを川へ押し込むとヨハンナは早速搭乗して、エンジンの点検を済ませた。
「燃料もあるし動きそうね」
「良いのか勝手に警備隊の装備を使って」
「あたしは今回のタコ調査の全権を与えられているわ。当然、警察組織もその装備も、あたしの自由に使えるわ」
「そりゃあ良かった」
言葉とは裏腹に宗護は口元を引きつらせて、ヨハンナに大きすぎる権力を与えたどこぞのナチスのお偉いさんを恨んだ。
宗護はMG34機関銃を船上に運び入れると操縦席に移って、エンジンをかける。
確かに燃料は十分。エンジンもしっかり動作した。
「ユノ、あんたは目が良いみたいだから、あのタコが出てこないか周囲を見張ってなさい」
「イカ」
「タコよ。絶対タコだわ。あの触手に捕まったあたしがそう言うんだからもう間違いのないことだわ」
「捕まりかたが悪かった。もう一回捕まればイカだって分かるはず」
「二度と捕まるもんですか! 次はあたしがあいつを捕まえる番よ!」
ヨハンナは自慢げに胸を張って宣言した。
しかしそんなヨハンナを、ユノと宗護は引きつった表情で見つめていた。
「何よ二人して。そんな顔は美人に向ける顔じゃないわよ」
「いや、ヨハンナ。後ろ――」
「どうしたのよドクトル。一体何が――」
振り返ったヨハンナは、大きく黒い瞳を持つ巨大な軟体生物の姿と、その生物が放つ異様な臭いを間近にして、しばしの硬直の後に叫び声を上げた。
「ドクトル! 早く出発! 今すぐ全速前進! 前進前進前進!」
「了解」
宗護は暖めていたボートのエンジンを一気に全速にして、ボートを急発進させた。
水しぶきを上げて爆走し始めたボートは巨大生物の触腕をくぐり抜ける。
「タコが出たら言えって言ったでしょ!」
「あれはイカ。タコは出てない」
「タコだって言ってるでしょ! この分からず屋!」
「分からず屋はそっち」
ヨハンナとユノは互いをにらみ合い口論を続けた。しかしボートを走らせていた宗護はいかにもやばそうな触腕が振り上げられているのを確認して、思わず仲裁に入った。
「言い合いは後にしろ。攻撃が来るぞ!」
「ああもう! ユノの分からず屋のせいで!」
「分からず屋はそっち」
「良いからさっさと撃ちなさい! 機関銃使えるでしょうねあんた!」
「ヨハンナよりはずっとうまく扱える」
ユノは素早く身を伏せると弾薬箱から給弾ベルトを引っ張り出してMG34機銃に繋いで、セミオートで射撃を始めた。
一定の間隔で放たれる銃弾は襲いかかる触腕の先端や吸盤などの比較的柔らかい部分に全て命中し、その度に触腕は収縮した。
どうやらこの触腕は、弱点に対して攻撃を受けると反射的に収縮する仕組みのようだった。ユノの正確な射撃によって触腕は後退し、ボートとの距離が開いていく。
「逃げ切れそうね。このままUターンして、淡水湖まであいつを引っ張っていくわよ」
「待って! サーモンが!」
水面を飛び跳ねる魚の出現にユノが珍しく大きな声を発した。
操縦していた宗護が一瞬振り返ると、巨大生物に追い立てられたせいか、サーモンの大群が水面から飛び出して跳ねていた。高く跳ね上がったサーモンは射線を塞ぎ、ユノは躊躇して引き金を引けなくなってしまったいたのだ。
「サーモンを避けて、タコだけ撃つのよ!」
「タコじゃなくてイカ!」
反論しながらもユノは射撃を再開した。
迫り来る巨大生物の触腕目がけ、サーモンの群れの間を縫うように銃弾が放たれる。
放たれた銃弾は見事に触腕の弱点に命中するが、サーモンに当てないよう狙っているため射撃の頻度は目に見えて減り、触腕は銃撃を受ける度に収縮しながらも徐々に徐々にボートとの距離をつめてきた。
「あいつが近づいてくるわ! ユノ、もっと撃って!」
「これが限界」
ユノはサーモンの群れのせいで銃を撃てない悔しさを噛みしめながらも、正確無比な射撃を続ける。
それでも巨大生物の前進は止まらない。
触腕をくねらせて、標的と定めた三人の乗るボートへと一直線に向かってくる。
「二人とも、ちょっといいか?」
操縦していた宗護は後ろの二人に声をかけた。
「今取り込み中よ! あんたはボートを真っ直ぐ走らせることだけ考えてなさい!」
「いや、それでも一つだけ。聞いてくれ」
「仕方無いわね。簡潔にお願い」
重ねての宗護の提案に、ヨハンナは振り返った。ユノは黙々と射撃を続ける。
「別にサーモンを避けて撃つ必要はないんじゃないか?」
宗護の言葉に、ヨハンナは身を震わせた。
「ドクトル! あなたって天才ね! 聞いたでしょ、ユノ! サーモンごと打ち抜いちゃなさい!」
二人が気づくこともなかった画期的な提案に、ヨハンナは手を打って早速実行に移すようユノに告げた。
しかしユノは黙々と射撃を続けるばかりである。勿論、サーモンを避けて。
「ちょっと、ユノ! サーモンごと撃つのよ!」
「出来ない」
ヨハンナの言葉に、ユノは短く、小さく、しかし確かな意思を持って答えた。
「出来ないって、どういうことよ!」
「サーモンを撃つことは出来ない」
「どうしてよ!」
「サーモンは友達」
ユノの意思は強く、簡単には折れそうもない。
それでもヨハンナは、ユノの小さな肩を抱いて懸命に声をかける。
「それでも撃つのよ!」
「出来ない!」
「あんたがここで撃たなかったら、あの化け物がこの辺りのサーモンを全て平らげてしまうわ! サーモンを守るためには、撃たないといけないのよ!」
「でも……でも――」
「撃つのよユノ! あんたには出来る!」
「うぅ――」
「目を背けないの! さあ! 撃ちなさい、ユノ!」
「うわああぁぁあ! あああああああああ!!」
ユノは真白だった顔を涙で真っ赤に腫らしながら銃を乱射した。
銃弾はサーモンを撃ち抜いて、巨大生物の食腕に次々命中していく。
泣きじゃくりながらも射撃の狙いは正確無比で、一発として外したりしなかった。
「そう。それでいいのよユノ」
「うわああああん。サーモン――サーモンがあああああ」
涙を流すユノの体を優しくヨハンナは抱きしめる。
ユノの射撃によって巨大生物の前進は止まり、ボートとの距離が大きく開いた。
「お二人さん。お取り込み中の所悪いが」
「取り込み中よ。後にして」
宗護が声をかけるとユノの体を抱きしめるヨハンナは突っぱねた。しかし宗護は諦めず再び声をかける。
「それでも聞いてくれ」
「仕方無いわね。簡潔に述べなさい」
許可を得た宗護は現状を正しく伝えるべく、距離を再測定してからヨハンナに事実を告げた。
「このまま真っ直ぐ進むと約二〇秒で独仏国境線に突入する」
「あ、ちょっと待った! 直進ダメ! 左折左折!」
宗護に飛びかかったヨハンナは操縦桿を無理矢理左に倒して、ボートを左折させた。
突然の急旋回にボートは水しぶきを上げ、宙に浮いたかと思えばそのまま岸に突っ込み、反動で三人は川辺に投げ出された。
「曲がるなら言ってくれれば曲がったのに」
背中から地面に打ち付けられた宗護は立ち上がりながら、体についた泥を払う。
「言えば曲がるならそう言いなさいよ」
ヨハンナは悪態をつきながらも立ち上がり、うずくまって泣きじゃくるユノに手を差し出した。
「ほら、ユノ。あんたも何時までもしょげてないで、さっさと立ち上がりなさい。森まで逃げないとあいつが追ってくるわ」
ユノは差し出された手に微塵も反応を示さず、ゆらりと立ち上がると拳を握りしめた。
「――許さない。このわたしに、サーモンを撃たせるなんて」
今までずっと無感情だったユノの銀色の瞳は殺意に満ち、強く握った拳からは血が溢れた。
「あいつは殺す。この剣を抜いてでも、絶対に殺す」
全身から殺気を放つユノは腰に提げた剣の柄に手をかけて、今だ川で暴れ回る触腕を睨み付ける。
今にも斬りかかりそうだったユノを、ヨハンナは左手を掴んで制止した。
「ダメよ! あいつは七本足のタコの研究に使うんだから!」
「あれはイカ! タコの研究には使えない」
「どう見たってタコよ! タコの専門家のあたしが言うのよ!」
そこだけは譲らないヨハンナは食い下がった。
「いやサメだ」
宗護も一言添えたが、にらみ合う女二人には無視された。
「あれはイカ。ウプサラ大学がクラーケンの遺伝子を研究中に偶然生み出された化け物。それを何者かが持ち出し、ライン川に投棄された。ウプサラ大学の報告書もある」
「そういう与太話はいいのよ! あれはタコなの」
ヨハンナは声を荒げたが、ユノは有無を言わさずその眼前に報告書を突きつけた。
「与太話じゃない。本当の話」
ヨハンナはユノの剣幕に押される形で報告書を手に取り、その内容にざっと目を通す。
「なんでもっと早く言わないのよ!」
「言った」
「あたしは聞いてないわよ!」
ヨハンナの言葉に、ユノは血相を変えてまくし立てた。
「言った。電報で伝えて、手紙も書いて、電話でも話した。直接会って直ぐ話したし、今までだって何度も話してる」
対してヨハンナは、すました顔を崩さずに返す。
「そうだっけ? でもあたしには伝わってなかったのよ」
その回答にユノは体を震わせて歯を噛みしめ、そしていよいよブチ切れた。
「人の――人の話を、きけええええええええええ!!」
ユノはヨハンナに飛びかかり押し倒すと、馬乗りになって首を絞めた。
「ちょ、ちょっとユノ――落ちついてっ――落ちついっ、ちょっと待って、ホント悪かったって!」
倒れたヨハンナの手から舞い上がった報告書を宗護は空中でキャッチして、その文面に目を走らせる。
「研究サンプルの持ち出しについて。ウプサラ大学保管の研究種、クラーケンの幼生サンプルが持ち出された――。サンプルは飛行機に乗せられてスペインへ輸送されていたが、機内で成長し巨大化したためライン川上空で投棄――」
文面を読んだ宗護の手は震え、今まで自分がまんまと騙されたことに気がついた。
サメだと思っていた巨大生物は、なんとクラーケンだったのだ!
「嘘だ――そんな――。つまりお前は、最初からクラーケンだったんだな! この俺を騙していたんだな!」
「そんなことよりこっち助けなさいよ!」
「ユノ、気持ちは分かるが開放してやれ」
ユノは宗護に言われると素直にヨハンナの上から降りた。
ユノにタコ殴りにされてボロクズのようになったヨハンナはぶつくさ文句を口にしながらも立ち上がり、服についた泥を払う。
「で、ヨハンナ。どうするんだ? クラーケンだそうだが、まだ研究サンプルに使うつもりか?」
「えー? タコじゃないんでしょ。だったらいらないわ。殺しちゃいましょ」
タコでないと分かった途端にこの態度である。宗護もユノも、ヨハンナのあまりの豹変ぶりに呆れてしまい、大きくため息をついた。
「殺す方法は何か考えてあるのか?」
「まー、イカ相手なら何とでもなるでしょ。そうだわ、アレを使いましょう」
巨大生物がクラーケンだと判明し、殺処分すると決定してからは全てがすんなりといった。
新聞記者がラインラントに持ち込んだクレーン車を利用して、ユノが森の中で調達してきた鹿を川の上に吊し、餌に釣られて出てきたクラーケンに対して攻撃を仕掛ける。
攻撃に使ったのは、ハーフトラックの貨車に積んであった煙幕発射機【ネーベルヴェルファー】。煙幕発射機とは名ばかりで、その実態はロケットランチャーであった。
非常に強力な一五センチロケット砲の直撃を六発受けたクラーケンは爆発の威力でばらばらになり、ライン川を真っ青に染め上げた。
ヨハンナはようやっと海洋生物学者らしく、川に散ったクラーケンの死体を検分して死亡判定を出すと、ラインラントを騒がせた巨大生物事件はひっそりと幕を下ろしたのであった。
「上にはイカだったって伝えとくわ」
「それがいいだろうな。しかし酷い話だ。なーにが煙幕発射機だ」
「仕方無いのよ。ドイツは兵器の開発と保有に制限があったのよ。だからロケットランチャーだってばれないように偽装する必要があったの」
「それで
「嘘は言ってないわ。そういう用途にも使えるもの」
「物は言い様だな。鉄の規律は何処行ったんだか」
「鉄ってのは硬いだけが取り柄じゃないの。時には脆く崩れやすい性質を持つ物なのよ」
脆く崩れやすいヨハンナの鉄の規律とやらは条約違反なんぞ何処吹く風で、多連装ロケットランチャーとしか呼べない代物が存在しようがお構いなしである。
それでも無事にクラーケンを退治できたので、宗護は条約違反兵器については特に追求したりはしなかった。フランスやイギリスにこの兵器の存在が知れたら問題にはなるだろうが、すでにドイツはヴェルサイユ条約を破棄しているのだから最近作ったと言われたらそれまでである。
「そんなことより誰かさんのせいで服が泥だらけよ。兵営でシャワー浴びてくるわ。って、ユノは何処行ったの?」
「そういえばいなくなったな。まあ直ぐ戻ってくるだろう」
「それもそうね。じゃ、ドクトル。ユノが戻ってきたらどっか行かないように言いつけておいて」
「分かったよ」
宗護は二つ返事で了承して、兵営へと向かうヨハンナを見送った。
「あなたたちの敵はとったわ。今は安らかに――」
クラーケンとの戦闘があった川岸で、ユノは一人、小さな墓石の元にゼラニウムの花を手向け、散っていったサーモンたちに祈りを捧げた。
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