第2章 シャークラーケン再来!
第2章 シャークラーケン再来!
武器を回収するため、小銃を構えたユノが川を見張る中、宗護とヨハンナは音を立てぬよう川辺に停めたハーフトラックへと侵入した。
「拳銃弾は持って行っても仕方がないだろう。――これは使えるな。手榴弾だ」
柄のついた形状のM24手榴弾の箱を見つけた宗護は、二つほどベルトに通して回収する。
「短機関銃もあったけど」
「九ミリ弾が通用するとは思えない」
「ま、そうよね。あとは機関銃くらいのもんね」
ハーフトラック上部に備え付けられた機関銃は、MG34機関銃であった。ドラムマガジンが備え付けられていたが、ヨハンナは車内から弾薬箱を取り出す。ばつの悪そうな表情をして差し出された弾薬箱を宗護は受け取って中身をあらためと、ベルト給弾式の弾薬であった。ドイツはヴェルサイユ条約でベルト給弾式の機関銃を作ってはいけないと決められていたのだから、この弾薬箱は明らかな条約違反である。
宗護はそんなお国の事情は追求しようとせず、何も言わずに弾薬箱を受け取る。
「そんなに重くないから外しちゃいましょ」
MG34機関銃は簡単にハーフトラックから取り外せた。車内にあった二脚を取り付ければ、軽機関銃として運用できる。機関銃自体は一三キロ程しかないので、個人でも持ち運びは一応可能であった。
「お待たせ。タコは出てきてないわね」
「イカ」
ヨハンナの言葉に歩哨に立たされていたユノはすかさず反論する。
「直ぐ明らかになるわ。とりあえずもう一回出てきて貰いましょ」
「策はあるんだろうな? カニの模型以外で頼む」
前回使用したカニの模型は桟橋ごと川に流されてしまっていたが、ヨハンナが予備を所有している可能性を考えて宗護は釘を刺しておいた。
「あたしだって馬鹿じゃないのよ。ちゃーんと学習したわ。あいつは腹が減ってる。本来あいつは海の生き物なの。海に比べて川では補給できる栄養源が限られるからね。だからあいつは人を食べている、と考えたの」
「そこまでは俺も同じ考えだ」
「わたしも。あいつは大きくなりすぎたと思う」
栄養資源という面で見れば、川は海に遠く及ばない。
サケなどの淡水魚がわざわざ海に出て生育し、産卵期だけ川へと戻るのは、海にある豊富な栄養を求めてのことだ。海にでた種に比べ、川に残ることを選んだ種はあまりに小さく細い。それ程に川と海には差があった。
「つまりあいつは食べ物を求めてるって訳。模型じゃなくて本物の肉をね。そういうわけだから、川辺に生肉でも吊しておいたら勝手に出てくると思うのよ」
ヨハンナの言い分はまあ確かにその通りであった。
しかし大事なことを忘れているようなので、宗護は挙手し意見を述べた。
「簡単に言うが、何処に生肉があるって言うんだ? 塩漬けにした缶詰の肉くらいしか持ってないぞ」
「言われて見れば、そうね。どこかに牛とか転がってないかしら」
「新聞記者が吊した牛は?」
「もう片付けたわよ。残ってるのはクレーンだけね」
当たり前と言えば当たり前だ。この日差しの中、切断した牛の惨殺体を放置していたらとんでもないことになることは明らかである。衛生状態が悪くなりがちな前線基地では、腐敗した肉の放置など死活問題である。
「ウサギでも良いなら直ぐ準備出来る」
「あら、そうなの。じゃ、それで行きましょ」
ユノの提案をヨハンナは二つ返事で承認する。
ユノはK98kの安全装置を外すと構えて、森の中へと向けて発砲した。
銃声が森に響き、小鳥が一斉に飛び立った。
「びっくりした! 何で急に撃つのよ!」
「ウサギ。仕留めた」
驚いて声を上げたヨハンナに、ユノは無感情な表情のまま答える。
「は、はあ!? 仕留めたって、生きてるウサギを?」
「もう死んでる。とってくる」
ユノは小銃を肩にかけて、駆け足で森の中へ入っていった。
宗護は目をこらして、先程発砲された方向を見やった。鬱蒼と生い茂る木々と藪の先には、とてもウサギの姿を確認できたものではない。
「ウサギ、見えるか?」
「ドクトルに見えないならあたしにも見えないわよ」
「狩人だったってのは本当か」
「あの子は嘘ついたりしないわよ」
「ヨハンナと違ってな」
「ええ、全く、その通りだわ。下らない話してないで、ウサギ吊り下げる仕掛けでも作りましょ」
「了解」
見事に頭部を打ち抜かれたウサギの死体を、二本の木の枝で作った柱の先にロープで結びつけ、桟橋の残骸に固定して川面ギリギリに吊した。
ヨハンナは持ち手に厚く皮の巻かれていた短剣を抜くとウサギの動脈を切りつけて出血を促す。ウサギの血液がぽたぽたと川面にしたたり落ち始めたのを確認して、満足したのか桟橋から離れた。
「これで出てきた所を、うまいことやって足一本だけ切断する」
「重要な場所があやふやなんだが」
「うまいことやるのよ。絶対に殺したら駄目だから」
ヨハンナはウサギの血がついた短剣を拭うと鞘にしまい、宗護の横に俯せになった。
宗護は伏せたままMG34機関銃を構え、照準を吊り下げられたウサギに合わせている。ユノはその横で膝立ちになって、小銃を構えていた。
「しかしこんな見え見えの罠にかかるか? サメってのは知能が高い生き物だ」
「サメじゃなくてタコよ。タコもまあ知能は高い方だけど、所詮は軟体動物よ。目の前に餌をちらつかされたら構わず食べに来るに決まってるわ」
「タコじゃなくてイカ。知能は高くない。ただ敵を襲うだけ」
軟体動物派二人に対して、サメ派は一人。
それに調査の指揮者がこれでいいと言うのだから宗護は従うほかなかった。
しかししばらく待つまでもなく、川面に多数の気泡が現れたかと思えば、大きな波を立てながら強大な軟体生物が姿を現した。
「出たわ! 十分引きつけるのよ」
ぬらりとした巨体を川面から出して、二本の触腕をウサギ目がけて伸ばす巨大生物。
触腕がウサギのかすめ取ろうとした瞬間に、宗護は手榴弾の紐を引いて投擲を――
「何してんのっ!?」
振りかぶった手を、隣に伏せていたヨハンナが掴んだ。
投擲されようとしていた手榴弾が地面に転がり、この時ばかりは宗護も血相を変えた。
「馬鹿野郎! 何しやがる!」
「させるか!」
とにかく投げようと手榴弾の柄を掴んだ宗護の手をヨハンナが叩き、またもや手榴弾が地面に転がる。
「こんなの投げて死んだらどうするのよ!」
「投げないとこっちが死ぬぞ!」
手榴弾をとにかく投げようとする宗護に対して、意地でも投げさせまいとヨハンナは体を張って阻止した。
そんな二人の頭上を飛び越えて手榴弾を拾い上げたユノが、それを川へ向かって投げ捨てた。
手榴弾は水中に入った瞬間に爆発し、大きな水柱を立てる。
ヨハンナは耳をつんざく爆音で争うのを止め、今度は手榴弾を投げたユノに対して怒鳴る。
「あんたねえ! タコに当たったらどうするつもりよ!」
「イカ。当てないように投げた」
ユノは言葉少なく返す。ヨハンナの怒りの標的は直ぐ宗護に移り変わった。
「ドクトル! なにしてくれてんのよ!」
「こっちの台詞だよ! なんてことしやがる! 危うく爆死するところだった!」
「それこそこっちの台詞よ! 絶対殺さないでって言ってたでしょ! あれは研究サンプルとして生きたまま連れ帰るわ! 特異な変化をしたタコだもの。確実に七本足のタコを作るのに役立つはずだわ!」
ヨハンナは立ち上がると胸を張ってそう主張した。
「足を切り落とせって言ったのはヨハンナだ」
「傷つけていいのは足だけよ! 本体に傷がつくような行為は認めないわ――って、何よユノ。何のつもりよ」
突然自分の体に絡みつく手に、ヨハンナは顔をしかめる。
「臭っ。あんた昨日お風呂入った?」
「入った」
ユノはヨハンナの問いかけに答えた。自身の正面に立つユノの答えにヨハンナは頷きかけたが、何かおかしいところに気がついて、今度は宗護の方を見た。
宗護もユノも目の前にいる。
では今後ろから自分の体に手を回しているのは一体何なのか。
ヨハンナは絡みついていた手を触って確かめた。
ヨハンナの手に、臭みのある粘液がこびりつく。
「うっそ!? あ、ちょっと待って!」
ヨハンナの体に触腕が絡みついて、そのまま宙高く持ち上げられた。
「助けて! 早く!」
「でも殺すなって」
肩をすくめて返した宗護に、ヨハンナは声を張り上げて怒鳴った。
「いいから助けなさい! こんな奴殺しちゃって構わないから っていうか早く殺して! うおおおおお、なんか締まってる! ちょっとちょっと、あたしが死ぬ前に助けて!」
「仕方無い、行くぞユノ」
「分かった」
指揮者の許可を得た二人は発砲を開始した。
宗護がMG34機銃を短く切りながら、ヨハンナに絡みつく触腕を打ち抜く。銃弾の命中に驚いた触腕はヨハンナの体を締め上げる力を緩めた。
同時にユノは駆け出して、川面から現れたもう一本の触腕の先端をK98k小銃で打ち抜くと、跳躍してヨハンナに飛びつく。
「早く下ろして! この足何とかして!」
「ちょっと黙ってて。これ借りていく」
ユノは小銃を肩にかけるとヨハンナが腰から提げていた短剣を引き抜いて、触腕の銃弾によって傷ついた部分に突き立てた。
鋭利な先端に傷口を抉られ、触腕が暴れる。
「締まってる締まってる! 中身出るう!」
「手榴弾」
ユノは騒ぐヨハンナを無視して宗護に指示を出した。宗護は手榴弾の紐を引き抜いてユノに向かって投擲。触腕に突き立てた短剣に掴まりながらユノは片手で手榴弾を受け取って、そのまま本体がいると思われる水面へ向かって投げた。
手榴弾は着水から一秒後に爆発し、水柱が巻き上がる。
「おうっ」
触腕から解放されたヨハンナは間抜けな悲鳴を上げつつ背中から地面に落下する。
ユノは短剣を引き抜いて川岸に着地すると、暴れ回る触腕を斬りつけて追い返し、逃げる触腕に対して小銃弾を全弾撃ち込んだ。
宗護のMG34機関銃の援護も重なり、触腕はゴムのように勢いよく縮んで水中に潜っていった。
再び巨大生物が現れないか二人はしばらく臨戦態勢のまま待機したが、安全を確認して銃口を下げた。
「大丈夫かヨハンナ?」
「大丈夫じゃないわよ!」
倒れていたヨハンナは宗護が声をかけると勢いよく立ち上がった。
紺色のスーツは粘液にまみれ、帽子は紛失し、金髪は粘液のせいでべったりとしていた。カメラと片方の靴も行方不明であったが、宗護を前にヨハンナは気丈に振る舞う。
「貴重な実験サンプルが傷ついたらどうするつもりよ!」
「殺して良いって言っただろ」
「それとこれとは話が別よ!」
「殺せと言ったり殺すなと言ったり、どっちかにしてくれ」
「あたしを守りつつ殺さないようにサンプルを回収するの!」
ヨハンナの無茶苦茶な要求に宗護は肩をすくめた。元はと言えば油断していて触腕に掴まったヨハンナが悪いのだ。
「あ! あんた、勝手に人の剣を持ってくんじゃないわよ! 自分の使いなさいよ!」
戻ってきたユノの頭を叩いて、ヨハンナは短剣を取り上げる。表面についた粘液を拭いもせずに鞘にしまいこんだ。
「さっさと拭かないと錆びるぞ」
「後で良いのよ! それより臭くてたまんないわ。着替えるからちょっと待ってなさい。ユノ、水汲んできて」
ヨハンナは肩を怒らせてハーフトラックの貨車へ向かって歩いて行った。
ユノはハーフトラックに備え付けてあったタンクを運んできて川の水を汲もうとしたが、ユノの体にはタンクは大きく、水汲みに苦慮していたので手が空いていた宗護は水汲みを手伝った。
「お前は着替えなくて良いのか?」
触腕に掴まっていたユノも、ヨハンナほどではないが巨大生物の粘液が付着していた。
「予備を持ってきてない」
「それもそうか」
言われてみれば、着替えを持ってきているヨハンナの方が特殊なのだ。ユノも宗護もヨハンナから着る物を押しつけられていたので、当然予備などない。
「ヨハンナ、水持ってきたぞ」
「ユノに持ってこさせて。ドクトルは絶対覗かないで」
貨車に引きこもったヨハンナは強い口調でそう命じた。
「何を今更――」
昨晩のことを思い起こして宗護はため息ついたが、ヨハンナが覗くなと言うのに覗いたら何をされるか分からない。ゲシュタポにでも突き出されたら個人的にも国際的にも非常にまずいことになるので従うほかなかった。
「ユノ、大丈夫か?」
「少しなら平気」
ユノはタンクを両手で持ち上げて、ハーフトラックへと運び込む。
「そこ置いといて。さっさと出てって」
「わたしも水を浴びたい」
「後にしなさい」
ヨハンナに追い返されたユノはハーフトラックから出てきて、ワルサーPPKの弾倉に銃弾を装填していた宗護の隣に腰を下ろした。
「ドイツ人はよく分からない」
「そりゃ違う。ヨハンナがよく分からないんだ」
「そうかも」
ユノは頷くと、無表情のまま装弾子を取り出してK98kに給弾し、空になった装弾子に実包を詰め始めた。
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