第1章 シャークラーケン襲来!

第1章 シャークラーケン襲来!

 翌日、三人は朝からハンブルクを発ちドイツ南西部のカールスルーエへと向かった。


 ヨハンナはナチス婦人会の幹部服である濃紺色の上衣とスカートに着替えていて、同じ色のソフト帽を被っていた。

 ユノはポプリン布製の白い長袖ブラウスに紺色のスカートというドイツ少女同盟の制服を着せられていたが、足下は底の厚い編上靴にレギンス穿きであった。

 宗護はというとヨハンナからドイツ国防軍のフィールドグレーの野戦服を渡されていて、それを着用した。襟章は下士官の物で、本来大尉である宗護には不釣り合いであったが、身分を隠す必要もあったので丁度良かった。


 カールスルーエまでは鉄道に乗り、そこから先は車で行くことになっていた。駅の近くにあるナチス所有の建物前で、車とその他装備を受領する。


「運転は任せるわ。って、免許は持ってるでしょうね。規律は守られなければならないわ」

「日本の免許なら持ってる」

「なら大丈夫ね」


 宗護はドイツの免許を持っていないのだが、ヨハンナの”軟鉄”の如き鉄の規律はそのあたり多めにみてくれるようだった。


「あんたはこれね」


 ヨハンナは地面に置かれた木箱を指し示した。

 ユノが木箱をあけて取り出したのは、ドイツ軍が正式採用するK98k小銃だった。

 一一〇センチある小銃は、身長一四〇センチ程しかないユノにとってはあまりに長大に見えた。


「ユノ、それは大丈夫なのか」


 宗護が声をかけるとユノは目を細め不快感を露わにした。


「悪かった。なんて呼んだら良い?」


 昨日の今日で突然名前を呼んだことに腹を立てたのだろうと宗護は誤ったが、ユノは直ぐに表情から感情を消し去って、無感情な半目で宗護を見つめて答える。


「別に、あなたに腹を立てた訳じゃないわ。呼び方は好きにして構わない」


 言葉を句切り一息つくと、付け加えた。


「銃は問題ない。元々狩りをしていたから小銃の扱いには慣れている。五〇〇メートル先のケワタガモの頭部を撃ち抜けるわ」

「そりゃ頼もしいことだ」


 ユノの話を宗護は信じ切ってはいなかったが、銃の扱いに習熟しているのは間違いないようだった。K98k小銃を迷いなく分解して可動部分の状態を確認すると、満足したのか組み直す。その所作はワルサーPPKの扱いにも苦戦していたヨハンナとは比べものにならない。


「スコープもあるわ。好きに使っちゃって」


 ヨハンナは二種類の小銃用スコープを示したがユノは首を横に振る。


「必要ない。重くてかさばるし光が反射する」

「そう。いらないなら良いのよ。これ、積み込んじゃって」


 回答に素っ気なく返したヨハンナは、宗護に小銃と小銃弾を車に積み込むよう言った。

 この面子であれば力仕事は当然宗護の担当であった。宗護は既に雑多に荷の積まれていた車の荷台に、小銃の収められた木箱を積み込む。


「さあ、それじゃラインラントへ向かいましょう。あたしの指示通りに運転するのよ」

「了解」


 宗護は短く答えると運転席に乗り込んだ。ヨハンナは助手席に乗り込み、地図を片手に進路の指示を行う。ユノは一人、後部座席で横になって寝息を立てていた。




 ラインラントにおけるナチスドイツの進駐地域の手前、簡素な検問所が見えてくるとヨハンナは車を止めるよう指示を出した。


「ここで止めてちょうだい」

「まだ距離がある」

「そういう決まりなの。ここで止めて」


 宗護は指示通り車を止める。検問所の五〇メートル以上手前だった。


「通して貰えるよう頼んでくるわ。ここで待ってなさい」

「分かったよ」


 ヨハンナは一人車を降りると、検問所の元へと歩いて行った。

 残された宗護は、後部座席のユノへと声をかけた。


「そろそろ着くぞ」

「……ん。ヨハンナは?」

「検問所」


 ゆっくり起き上がったユノに、宗護は車の前方を歩くヨハンナの姿を示した。


「車を寄せたら良いのに」

「そういう決まりだそうだ」

「そ」


 ユノは回答にさして興味を示さず、窓の外を見てうんざりしたようにため息をつく。


「太陽が眩しいわ」

「初夏だからな」

「ドイツの夏は涼しいと聞いていた」

「今年はそうじゃないんだろう」

「そ」


 短く答えたユノは首に巻いていたスカーフを外して、座席に置いていた紺色ベルベットの帽子を被り直した。

 それでも長袖ブラウスの袖はまくり上げず、むしろ外れていたボタンをしっかりと締め直す姿を見て、宗護は不思議に思って再び声をかけた。


「暑いなら半袖にしたらよかったのに」

「暑いのも嫌だけど、日に焼けるのはもっと嫌」

「そんなもんかね」


 言われて宗護は、白人が日焼けにかなり弱いという事実を思い出した。黄色人種のように黒く焼けるのではなく、火傷のように真っ赤に腫れ上がる。

 幼少の頃親しくしていた英国出身の白人女性は、海水浴の後日全身を真っ赤にして痛い痛いとわめいていた。


「それでヨハンナもこの暑いのにスーツ着込んでる訳か」

「ヨハンナは違うと思う」

「だったらあいつの言う、鉄の規律って奴か?」

「それともたぶん、違う」


 ユノは宗護の言葉を否定するだけで、明確な答えは与えない。口を閉じたユノに宗護は声をかけることもせず、運転席で体を伸ばし、ヨハンナが戻ってくるのを待った。




「新聞記事の報じた牛の惨殺体はデマだったみたいね」

「そうだったのか? まあ確かに無茶苦茶な話ではあったな。ただ惨殺して死体を放置するなんてのはどうにもおかしすぎる」

「そういうこと。イタズラだろうとは踏んでたけど、わざわざ牽引用のクレーン車まで持ち込んで現地で牛を吊し上げた根性には感服したわ」

「そりゃまた大した根性だ」

「ま、結果として別の意味で吊し上げられることになったみたいだけどね。馬鹿なことはするもんじゃないわ。このまま道なりに進んで。兵営で謎の生物を目撃した兵士と会いましょう」

「了解」


 車は森の中に整備された小道を進み、やがて兵営と思われる木造建築物が建ち並ぶ場所に出た。

 いくつかの装甲車やハーフトラック。木造の小さな監視塔には小銃を持った歩哨と備え付けの軽機関銃。

 よもや誰がみてもここがドイツフランス国境においての最前線地域だとは夢にも思わないであろう。木造の掘っ立て小屋と監視塔で、いかにしてフランス軍の進軍を食い止める気であろうか。コンクリート製のトーチカはおろか、渡河してくる敵を迎え撃つ重砲の一つもない。ナチスが国内外に過大に宣伝したラインラント進駐の実態は、進駐と言うにはあまりにも小規模で、吹けば飛ぶような代物だった。


「フランス軍が攻めてきたらどうするつもりだったんだ?」

「そりゃ逃げるに決まってるでしょー。ドイツがフランスに勝てるわけないんだもの」

「全くもってその通りだが、だったら何で進駐なんてしたんだ」

「しないといけなかったからよ。今ドイツとフランスが戦ったら当然フランスが勝つわ。全財産賭けたっていいくらい確実にね。でも三年、いえ、四年後だったら分からないでしょ。四年後の勝利のために、ドイツは今ここで立ち上がらないといけなかったの」


 ヨハンナの言い分はもっともで、ドイツは世界大戦の敗戦後に結ばされたヴェルサイユ条約で軍隊の保有と兵器開発に無茶苦茶な制限を課せられていた。その後に結ばれたロカルノ条約ではドイツ工業の中心地域であるラインラントへの進駐を認められず、いつでもフランス軍が占領できるようになっていた。


 再軍備するには二つの条約の破棄は不可欠で、そういった意味でドイツのラインラント進駐は世界的にもセンセーショナルな話題となったのだ。


「みてなさい。四年経ったら、フランスなんてあっという間に降伏させてやるわ。前の戦争のように四年もかけたりなんてしない。三ヶ月よ。三ヶ月でパリを陥落させてやるわ」

「そりゃまた大きく出たな。ま、ヨーロッパでのいざこざに口出す気はないが、出来ることなら人間同士で争う前にサメの方をなんとかして頂きたいね」


 一〇〇師団以上の軍と広大な領土を持つフランスを三ヶ月で陥落させるなどというのは戯言も良いところだろう。

 ドイツが四年間軍拡を進めるのであれば、当然フランスだって軍備を整える。この激動の時代に隣国が軍拡に走っていることを知りながら、のほほんと傍観するような間抜けな国は生き残れないのだ。


 それよりもまずドイツは元より全ての国が相手にするべきはサメである、というのが宗護の持論だ。

 既に北米大陸のほとんどを手中に収めた古代サメの勢力は、いつ太平洋や大西洋を越えてきてもおかしくない。

 現在の散発的な襲撃ではなく、本格的な古代サメによる侵攻が始まったとしてもおかしくないのだ。


「今回はサメじゃなくてタコだけどね。ちょっと待ってなさい」

「タコじゃない、サメだ」

「イカ」

「タコだって言ってるでしょ。いいから待ってなさいよ」


 兵営入り口付近に車を止めさせたヨハンナは一人、車を降りて兵営の中でも一番ましな作りをされている建物へと向かった。

 宗護は後部座席の北欧の少女と話す気にもなれず、窓を開けて風を入れながらヨハンナの戻りを待った。




 しばらくして戻ってきたヨハンナは四人の兵士と一緒であった。いずれも国防軍所属の兵士のようで、一番上の階級は軍曹であった。


「目撃者を連れてきたわ。さ、車から降りて、荷物を持つのよ」


 言われるがまま宗護は車から降り、荷台から下ろした荷物を持つ。

 武装は昨日渡された小型拳銃、ワルサーPPKのみ。ワルサーPPKをホルスターにいれ、予備弾倉一つと拳銃弾の入った小さな袋をポーチにしまった。後はパン袋や水筒、医薬品等を持たされた。


 ユノは与えられていたK98k小銃を担ぎ、スカートのベルトループに弾薬箱を取り付けていた。また腰にはやはり細身の剣を提げていて、どうにもこれにはこだわりがあるらしかった。


 ヨハンナは武装らしい武装は腰に提げた短剣のみで、自分の水筒と研究用の試料が入っているというカバンを担ぎ、肩には銃の代わりにカメラを提げていた。光学機器の名門、ツァイスイコン社が開発した最新式のレンジファインダーカメラ、コンタックスⅡである。


「カメラは使えるんだろうな」


 不安になって宗護が尋ねた。ヨハンナはいかにも機械類の取り扱いに弱そうだからである。


「もしかしてあたしのこと馬鹿だと思ってる?」

「違うの?」

「あんた、最近あたしのことなめてるでしょ」


 口を挟んだユノの頭をヨハンナは小突き、二人の目の前でコンタックスⅡの裏蓋をあけて見せた。


「ほら、こんなもんよ――あ、フイルム入ってた」

「なにやってんだ」

「どーせたいした写真撮ってないからいいのよ。とにかく、資料用の撮影はあたしが担当。二人はあたしの護衛と調査のサポートを。分隊の方には道案内と護衛を頼むわ」


 車を乗り換え、兵営から先はハーフトラックに乗ることになった。

 分隊員が運転と護衛を担当し、三人は牽引される貨車に乗り込んだ。


「これは?」

「……煙幕発射機」


 貨車に積まれていた六連装の短い砲身を持った物体について宗護が尋ねると、ヨハンナは渋りながらも答えた。


「下ろしても良かったんじゃないか?」

「こんなもの置いておいて、フランス軍の斥候にでも見つかったらどうするのよ。ドイツが国境付近に毒ガス兵器を設置してる、なんて流言流布されて攻め込まれたらドイツは終わるのよ」

「一理ある。しかしだったらラインラントに持ち込まなきゃ良かったんだ」

「いざ逃げるとなったら必要なのよ」


 ヨハンナの答えはそれなりに宗護を納得させた。

 いかに強大な陸軍を持つフランス軍といえど、ライン川を渡るのには時間がかかる。煙幕の散布は更に進軍を遅らせ、進駐したドイツ軍を撤退させるのには大いに役立つであろう。ただラインラントから逃げたところでフランス軍が更に奥まで追ってきたのならドイツ軍は崩壊するわけだから、いまいち存在価値の量りかねる物体であった。


「もうすぐ到着します」


 護衛を担当していたハーフトラック上の機銃手が、貨車の中を覗き込んで声をかける。


「近いのね」

「はい。兵営からおおよそ四キロ程度の距離です」


 ヨハンナは地図を確認して現在位置を尋ねると、示された場所に丸印をつけた。


「フランス国境より北側ね。ひとまず安心だわ」

「国境線上だったらどうするつもりだったんだ?」

「さあね。その時はその時で考えてたわ」


 なんとも場当たり的思考であったが、それはそれでヨハンナらしい。

 宗護はもう一度地図を確認した。近くに中規模の淡水湖があるライン川の流域地区。川幅は大体二〇〇から三〇〇メートル程。詳細な深さは不明だったが、この辺りは三〇〇〇トン級の大型船も往来可能なはずだ。巨大生物が潜んでいてもおかしくはない。


「到着しました」

「分かったわ。では調査に向かいましょうか。忘れないでね。あくまで調査だから。何が出てきてもあたしの許可があるまで攻撃したら駄目よ」

「分かってる」

「指示には従うわ」


 二人の了承を得られたヨハンナは満足して、貨車から降りて川辺を目指す。

 初夏の日差しは強く、緯度の高いドイツにしては珍しく夏らしい日和だった。

 それでもヨハンナは上着を着たまま、連れてきた分隊員に道案内されて川辺へと歩いて行った。

 宗護とユノもその後ろを追いかける。宗護は辺りに何らかの巨大生物の痕跡がないか捜したが、見つけるより早く、分隊員の一人が桟橋の近くを指し示した。


「あのあたりで見つけました。二週間前の夕刻でした。自分がみたのは触手だけです。タコのような、吸盤のついた触手が二本。桟橋の近くをうねりながら、近くにいた犬を川の中へ引きずり込んだのです」

「犬?」


 ヨハンナが尋ねた。


「はい、犬です。軍用犬として連れてきていたのですが、桟橋の元の柱に繋いでおいたのです。その――立ち小便をしようと思いまして」

「ふむ。その柱ってのは?」

「犬と一緒に、川の中に引きずられていきました」

「ああ。これね」


 ヨハンナは桟橋の元まで歩いて行くと、確かに強い力でへし折られた木材の跡を確認できた。念のためと口にして、ヨハンナは折られた柱を撮影する。


「ま、これでタコで決定かしらね」

「いやサメだろう」

「イカ」

「イカはまあ考えてやらないでもないけどサメはいくらなんでも無茶苦茶すぎるでしょドクトル。どこの世界のサメに触手があるのよ」

「テンジクザメの一種であるオオセは、口の周りにひげのような触手を持つ。これは海藻を装うためのものだが、手のように使用することも考えられる」

「何そのサメ、聞いたことないわよ――うぇえ、ちょ、な、何よこれ!」


 宗護と話していたヨハンナは突如素っ頓狂な声を上げて、足下の桟橋を指さす。

 何事かと宗護が近寄って確かめると、粘液のような物が桟橋に付着していた。ヨハンナはこれに足を滑らせたのだ。


「これはその生物の残した跡のようです。元々桟橋にはこのようなものはありませんでした。雨が降ったので今はだいぶ薄れていますが、当初は結構な臭いがしました」


 分隊員の説明を聞きつつヨハンナは靴の裏を地面にこすりつけ、桟橋に残る謎の生物の痕跡をよく確認した。


「あー、これはタコで決定ね。タコってのは表面にぬめりがあるものよ」

「イカも」

「サメもだ」

「いや、サメは無いでしょ」


 ヨハンナはすかさず反論した。されど宗護はシャークハンター。サメについての知識で右に出るものはいない。


「メジロザメの一種であるナヌカサメは柔らかい体を持つ軟体動物に近いサメだ。この種のサメの表面には独特のぬめりが存在する」

「むう。なかなかやるわね……。でもこれはタコよ。吸盤があったのよ」

「イカだって吸盤はある」

「イカは淡水にはすまないでしょ」

「タコだってすまない」

「サメはすむぞ」

「あー、もう! ひとまずタコって事で話を進めるわよ」

「イカ」

「サメ」

「こいつらホント人の話聞こうとしないわね……」


 呆れたヨハンナは連れてきた分隊員に命じて付近の警戒に当たらせて、先程踏みつけた謎の生物の粘液を金属棒でかきとってガラス瓶に採取すると蓋を閉めて、現場の検証については一通り済ませたと満足した。


「周辺に体の一部が転がっていたりとかはしなさそうね」


 折れた柱を確認するが、切断面に肉片がこびりついたりはしていなかった。これはその生物の触手がそこそこの強度を持っていたことを証明している。


「それで、どうするつもりだ? 相手がサメなら鉄則は情報収集だ。ここに痕跡がある以上、周囲にも同様の痕跡があるかも知れない」

「タコだって言ってるでしょ。そうそうタコは移動しないのよ。ちょっと待ってなさい」


 ヨハンナは持っていたカバンを下ろすと中から幅約三〇センチほどのカニの模型を取り出した。

 大きな針のついたそのカニの模型にロープを巻き付けて、どうよ、と自慢げな眼差しを二人へと向ける。


「どうと言われても、そのカニのおもちゃをどうするつもりだ?」

「決まってるでしょ。タコはカニを食べるのよ。だからこれで釣り上げるの」

「大きさも分からないのにそんな無謀な……」


 宗護が言い終わるより早く、ロープの一端を桟橋の柱に結びつけたヨハンナは、針のついたカニの模型を川へと投げ込んだ。


「これに食いついたらタコで確定だわ」

「イカもカニを食べる」

「サメもカニを食べるぞ。カニなんて、海洋生物にとってはおやつみたいなもんだ」

「釣り上がったら分かるでしょ。絶対タコだわ」


 ヨハンナはタコを譲らず、ユノもイカを、宗護もサメを譲るつもりはなかった。


「触手があってぬめりがある以上、タコなのよ」

「イカだってそう。それに、イカは触腕と呼ばれる二本の触手を手のように使って獲物を狩る。犬を襲ったのがそれ」

「サメにだって触手を使う奴はいる。一九一〇年代の記録になるが、ベルギーとオランダの国境付近で触手を使って船の底に張り付き海中へ引きずりこむ古代サメが存在した」

「それは特殊なサメでしょ。タコはみんな触手を使って狩りをするわ」

「ここにいるのは間違いなくイカ。クラーケンの遺伝子をウプサラ大学が復活させた。それが持ち出されてライン川に投棄された」

「だーかーらー! タコだって言ったらタコなの! 調査の指揮者はあたしよ!」

「指揮者だろうとイカをタコには出来ない」

「そうだ。タコのようなサメであって、決してタコではない」

「タコはタコなの! 絶対タコよ!」

「ひ、ひいいい! 出た、奴だ! やめろ、放せ! うわああああああ!」

「タコじゃない。イカ。何度も言ったはず」

「あたしだって何度も言ってるわ。タコで間違いないわ」

「は、発砲許可を! 奴が、化け物が! うわあああ!」

「イカだとかタコだとか。発想が愚直すぎる。いいか。こういう場合、出てくる化け物はサメと相場が決まってるんだ」

「それこそまるで短絡的な思考だわ! 大体ね、突拍子もない発想をすれば良いってもんじゃないのよ。タコっぽい生き物なんだからタコでいいのよ」

「ぐ、軍曹! いま救出を!」

「駄目だ、来るな! お前まで! ぐわあああああ!」

「タコっぽい生き物だからタコと決めつけるのは間違い。ドイツ人はいつもそう。タコもイカも一緒だと思ってる」

「ちょっと、そういう言い方はないんじゃない? 確かに一般的なドイツ人にはタコもイカも同じように扱われてるけど、あたしは海洋生物学者よ。タコとイカの区別くらいつくわ。だから今回のはタコ。あたしの長年の勘が言ってるわ」

「長年の勘? ヨハンナは海洋生物学を初めて九ヶ月しか経ってない」

「おい、なんだそれ初耳だぞ」

「内容が濃かったから実質三年分くらいだわ。そーいう細かいとこは良いのよ」

「この化け物めええ! うわあ、来るな、来るなああああ! ルデル様! 発砲許可を! ルデル様!」

「さっきから後ろでうるさいわね。小っ恥ずかしいから人の名前を大声で叫ぶんじゃないわよ――わーお」


 ヨハンナが振り返るとそこでは、残っていた最後の分隊員が巨大な触手に胴体を掴まれて水中に引きずり込まれるところであった。

 白くぬらりとした触手は多数の吸盤を持ち、太さ三〇センチはあった。そんな触手に掴まれた兵士は反撃することも出来ず、そのまま水中に没する。


「なんだわーおって。わーお」

「二人とも何を馬鹿なことを――わお」


 宗護とユノも振り返り、その巨大生物を目にした。

 三角形のひれのある頭部に体に対して巨大な目。

 胴体は長さおおよそ一五メートルと言ったところ。しかしそこから伸びる二本の触腕は三〇メートルを超えていて、残りの八本の足はそれに比べれば短いが一〇数メートルはあった。


「ほらみなさい。これはタコでしょ!」

「足が一〇本ある。イカ」

「どーしてこの子はそういう直ぐばれる嘘をつくのよ。どう数えたって八――いや九? 一〇あるけど、まあ良いでしょ。タコってのはね、切れた足を再生する際に、元より多く増やしてしまったりする生き物なのよ」

「いやあの黒い目を見ろ。あれは確実にサメの物だ。つまりこれはこういうサメなんだ。確かにイカのようにも見えるが、サメで間違いないだろう。シャーククラーケンって奴だ!」


 実物を前にして尚、三人は互いの主張を譲ろうとしなかった。いやむしろ、実物が目の前に存在するからこそ、三人の議論は白熱していた。


「ウプサラ大学が寄こした報告書と特徴は一致してる。大きさはだいぶ成長しているみたいだけど、間違いない」

「そんな紙切れの情報はどうだって良いのよ! 目の前の現実をみなさい! ほら、あの口、なんか墨とか吐きそうじゃない!」

「墨は吐く。イカだから当たり前」

「サメも墨を吐くことくらいある」


 巨大生物は目の前で口論を続ける謎の三人組に戸惑いながらも、今し方捉えた四人の分隊員を胃の中に収納し終わると、触腕を伸ばした。


「触腕の前方に吸盤が集中してる。これはイカの特徴」

「タコの吸盤だって偏ることくらいあるわ!」

「いや、これはサメだからこそこのような形になったわけであって――」


 宗護は一旦言葉を句切り、伸ばされた触腕が桟橋の端をメキメキと砕くのを確認すると、持論の展開をやめてヨハンナに一つ提案した。


「そろそろ逃げた方が良くないか?」

「そうね。そういう考え方も、あるかも知れないわね」


 一瞬顔を見合わせた三人は勢いよく走り出し、伸ばされた触腕の下をくぐり抜けると桟橋を一気に走り抜けた。


「撃ってもいい?」


 素早く伸縮する触腕が陸地に戻った三人を追いかける。既に装弾を済ませていたユノはヨハンナに発砲許可を求める。


「良いけど殺したら駄目よ! 撃って良いのは、ちぎれても直ぐ再生する触手だけよ!」

「分かった」


 ユノは片足で地面を踏みつけその場で振り返ると、小銃を構えて狙いもそこそこに発砲した。

 初弾が伸ばされた触腕の先端を捉え、続いて放たれた弾丸も、銃弾の命中に縮み上がった触腕に命中していった。


「硬い。この銃では貫通出来ない」

「それでいいのよ! 殺したら駄目だからね! さっさとこっち逃げてきなさい!」


 ユノは六発撃ちきると次の装弾を行い、伸ばされてきた二本目の触腕の先端を狙い撃って追い返すと、ヨハンナの後を追いかけて走った。

 再び伸びてくる触腕に対して宗護はワルサーPPKを発砲した。うねる触手は狙いがつけづらく、慣れない拳銃では全弾撃ちきっても命中は二発きり。しかも威力が低いせいで触腕は銃弾をものともせずユノへと向かって伸びた。

 ユノは足下に迫る触腕に小銃弾を叩き込み、跳躍した。

 既にヨハンナと宗護が隠れていた森の中に飛び込むと、触腕はそれきり追ってこなかった。


「どうも本体は陸上まで上がって来れないようね」

「それでも触腕だけで三〇メートルあるぞ」

「吸盤の付け根を狙えばダメージもありそう」


 追撃を諦めて川へと戻っていく触腕を撃っていたユノは、小銃弾が突き刺さって青い血を流した箇所を示した。


「本当に射撃がうまいんだな」

「わたしは嘘をつかない。ヨハンナとは違う」

「一言余計なのよ、この子はもう!」


 ヨハンナはユノの頭を抱え込んでわしわしと強くなでつけた。射撃中だから危ないとユノが警告しても止めず、やむなくユノは小銃の安全装置をかけた。


「で、どうするんだ。川から出られないことは分かった。仕留めるなら逃げられる前にした方が良い」

「仕留めるなんて駄目よ。あのタコは研究サンプルとして使うんだから!」

「タコじゃないイカ」

「サメだって」

「タコだって言ってるでしょ! まずは調査よ! あいつがタコであることを証明するために、体の一部を回収するわよ!」

「回収するのは良いが、今の武器じゃ歯が立たないぞ」


 宗護の言葉に一瞬頭を悩ませたヨハンナだったが、思いついたことがあるらしく手をぽんと叩いた。


「ハーフトラックに武器が積んであったはずよ。それを使いましょう」

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