第6章 ペリリュー沖海戦
医務室で休息をとっていた宗護は、体を揺り動かされて目を覚ました。
疲れは全く抜けていない。それもそのはずだった。横になってから一時間程しか経っていない。
「宗護さん。サメが出ました」
「あの巨大ノコギリサメか?」
宗護は体を起こして少年に尋ねた。だが宗護の感覚は既に答えを出している。現れたのは巨大ノコギリサメではないと。
「いえ、普通のアオザメのようです」
「だったら海軍が何とかするだろう」
宗護はそれで話は終わりだと思った。確かに医務室まで対空機銃の音が響いてきていたが、だからどうと言うことも無い。宗護は陸軍大尉で客として乗艦しているに過ぎない。古代サメが現れたのならばともかく、普通のサメを相手にするのは海軍の仕事だ。
されどベッドから立とうとしない宗護に少年は重ねて告げる。
「それが、艦長が宗護さんを呼んでいるようです」
「それを最初に言え」
宗護は立ち上がり少年の頭を軽く小突くと、脱いでいた上着を羽織って艦橋へと向かった。
二等巡洋艦狩野は既に戦闘状態へ移行していた。水上機は空中待避させられ、機銃が火を噴き、時折四〇口径八九式高角砲の発射音が艦橋を揺らした。
艦橋は戦闘中特有の張り詰めた雰囲気に満たされ、充満した硝煙の香りが緊張を更に高めている。
「五時の方角よりアオザメ接近。高度五〇。数不明。一〇〇は超えると思われる」
「
「
どうにも雲行きが怪しいようだと宗護は眉をひそめた。
「艦長、三須宗護到着しました」
「おお、三須大尉。来てくれたか」
初老の艦長が宗護を迎え入れる。艦長は宗護に手招きし、簡潔に現状を伝えた。
「艦隊がアオザメの襲撃を受けている。良くあることだと構えていたが、数が多くて苦戦しておる。狩野は防空巡洋艦だが、駆逐艦の方はろくな対空装備を持っていない」
宗護は艦隊の配置を確認する。
狩野と輸送艦を中心とする輪形陣。アオザメの襲撃は艦隊後方、五時方向から。狩野の後ろについていた駆逐艦疾風が集中攻撃を受けて艦上構造物が破壊されている。
「正確な数は?」
「数え切れない。少なくとも一〇〇はいるだろう」
「これでは対空サメ電探も役に立ちませんね」
あまりに数が多くて全容を把握できないほどの攻撃。
アオザメは獰猛で敵を見つけたら飛びかかる習性を持っているとはいえ、全長一〇〇メートルを超えるような艦船に対して飛びかかることは珍しい。それもここまで組織的に、集中攻撃をかけるというのは前代未聞である。
「アオザメの知能は高くないはずです。どうにも様子がおかしい」
「そう感じたため大尉を呼ばせて頂きました。何か気づくことはありませんか?」
ふむ。宗護は小さく俯いて思考を巡らせる。
夏場は繁殖期だ。気性が荒くなっている可能性はある。だがそれでもこの攻撃は説明がつかない。
「偵察機から周囲の海域に大型の魚影が確認できますか?」
「電信員、確認を」
艦長の指示で電信員が空中待避している偵察機へと無線を飛ばした。
若干間を置いて電信員から報告が上がる。
「魚影はアオザメのみ。周囲に大型魚影確認できず」
「古代サメに操られている訳ではない。しかしこれは明らかに敵意を持って行動しています」
「ああ、それは間違いないだろう。救援を要請しているが、このまま攻撃を受け続けると疾風が沈みかねない。早急に問題を解決できないか」
宗護が艦橋から後方を見やると、流線型の小型のサメが空中を飛び、一直線に船団へ向かって突撃してきていた。
速度の速いアオザメが集団となって襲いかかってくると、航空機に比べて格段に機動の劣る船舶はどうしても不利である。狩野の高角砲はよくやっているが、周りの駆逐艦の対空装備は機銃二挺が良いところ。とても一〇〇を超えるアオザメに一斉に飛びかかられたら太刀打ちできない。
「照明弾を打ち上げましょう。光を恐れて進路を変えるかも知れない」
「四番砲、方位そのまま、上空へ照明弾発射」
艦長が指示を飛ばすとすぐさま後部高角砲から照明弾が打ち上げられた。
照明弾は攻撃の集中する疾風直上で炸裂し、瞬間的に大光量を発生させた。昼の空でも眩しい光源が突然現れたにも関わらずアオザメは突撃を止めない。
いよいよ疾風艦上で残っていた機銃がアオザメの直撃を受けて沈黙した。このままではアオザメの良い的だ。小型・高速のアオザメに対して主砲の十二センチ砲を命中させるのは至難の技である。
「機関減速。疾風に対して全力援護。朝凪、夕凪は疾風との距離を詰めろ」
駆逐艦二隻と狩野の高角砲の援護を受けて疾風に襲いかかるアオザメは次々と撃ち落とされていく。
「陣形が崩れた――」
疾風を守る代償として、輪形陣が崩れた。
狩野の側面がさらされてしまっていたのだ。
「偵察機より、狩野三時方向よりアオザメ飛来。数二〇!」
「対空機銃三時方向応戦! 取り舵回避行動!」
艦長の命令は的確であったが、速度の速いアオザメは狩野の回避行動を待ってはくれなかった。対空機銃の銃撃を抜けたアオザメが狩野艦上に突き刺さった。
「狩野被弾! 甲板上にアオザメ四!」
艦が大きく揺れ、艦橋内で立っていた士官は姿勢を崩した。
宗護も艦長席に掴まって振動にあらがう。
「陸戦隊出動! 直ちに甲板からサメを突き落とせ!」
艦長だけは威勢良く声を上げ、電信員は艦内にすぐさま指示を伝達する。
艦の後方甲板に乗艦したアオザメ達は出動した陸戦隊と機銃の射撃によって海へと帰された。だが攻撃が終わったわけではない。新たに海面から流線型のサメが飛び上がり、超低空飛行のまま狩野を目指して突っ込んできた。
「四時方向よりアオザメ一〇!」
「回避行動継続!」
「疾風艦上で火災発生!」
「疾風集中攻撃を浴びています! サメ総数不明!」
狩野の艦橋に飛び込んでくる報告は悪いものばかりだ。
そしてそのいずれも真実であると、宗護は認めざるを得なかった。
疾風はサメの油に着火したのかはたまた弾薬に火がついたのか、黒煙を上げて炎上している。直ちに消火活動に入らなければ沈みかねない。
疾風を目指して飛来するアオザメの数は一〇〇以上。既に攻撃を終えて海中へ戻ったものと合わせて三〇〇は超えているだろう。いくら何でもおかしすぎる。
「艦長、前方十一時方向より発光信号! 哨戒にあたっていた第三〇駆逐隊が救援に来ました!」
「狩野、回避行動を続けつつ進路を十一時方向へ。このまま海上で合流せよ」
ようやく届いた嬉しい知らせに艦橋要員は沸いた。艦長の命令に一同大きく返答すると、飛来するアオザメを回避しつつ救援の駆逐隊を目指した。
「
こちらへ向かってくる駆逐隊を見やって宗護は艦長に尋ねた。白波を立てて洋上を走る四隻の駆逐艦は、狩野を護衛する神風型駆逐艦よりやや大きな船体をしていた。
「機銃二挺と言ったところでしょうな」
「いないよりまし、といった所でしょうか。無事に戻れたのなら対空装備を増やすことを進言しますね」
「それは常々言っているのだが、どうにも上層部にききいれてもらえなくてね。三須大尉の方から一言添えてもらえると大いに助かる」
「生憎陸軍所属なもんで、一言添えたところで変わりはしないでしょう」
危険な古代サメを倒す知識を有していると言うことで海軍の下っ端や艦長クラスには非常に喜ばれる宗護の存在であったが、艦艇の兵装を決定するような上層部連中には嫌われていた。海軍大将の家系にありながら陸軍に入ったことを妬まれているのだ。こればっかりは宗護にはどうしようもない。今更海軍に転属したところで、今度は陸軍から不平を買うだけだ。
「二時方向の海面よりアオザメ飛翔を確認! 数二〇――三〇、三〇以上。第三〇駆逐隊へ向かっています!」
「合流を阻止するつもりか」
新たに空中に飛び上がったアオザメは、低空を飛行しながら矢の如く第三〇駆逐隊を襲った。
単縦陣で進んでいた駆逐隊は機銃を撃ちつつ回避行動をとる。小さな船体を傾けて旋回し乙字運動をとるが、空中で滑空しながら進行方向を変えたアオザメが二隻目の艦を直撃した。
「
「海面からアオザメ多数飛翔確認! 如月へ攻撃を集中しています」
「如月主砲大破! 甲板炎上中!」
「最大戦速、如月の救援に――」
命令を下す直前に艦長は迷った。背後にいる疾風も見捨てるわけにはいかない。しかしどちらも守ろうとした場合、両方を失う可能性もあった。
「機関そのまま。狩野は疾風の援護を継続せよ」
仕方のない判断だろう。向こうは向こうで何とかして貰うほかない。運悪く不意の一撃を回避し損ねたが、向こうは駆逐艦四隻。無傷の三隻で守り切る他ない。
それにしても――。
宗護だけではない。誰もがアオザメの行動をおかしいと感じていた。
アオザメが獰猛なことは広く知れ渡っている。また、縄張りに入り込んだ敵に対して飛びかかることも。真偽の程は定かではなかったが、大西洋で高度四〇〇〇メートルを飛行中の偵察機がアオザメに噛まれたなんて話もある。
だからこそこのアオザメの行動は不自然きわまりない。
輪形陣を組んだ船団に対し、しんがりをつとめていた疾風を集中攻撃。疾風を守るため陣形を崩したところで今度は狩野への奇襲。更に救援に現れた駆逐隊を攻撃し、運悪く被弾した一隻に対して攻撃を集中。他の三隻には目もくれない。
明らかに生物の本能ではなく、知性を元に攻撃している。
しかしアオザメにそんな脳みそはないはずだ。知能と呼べるものをもつのは、古代サメと呼ばれる特殊なサメのみだ。
「偵察機より入電! ペリリュー航空隊の戦闘機部隊が到着しました!」
「急ぎ如月の救援に向かわせろ!」
薄い雲のかかった空にぽつりぽつりと現れた黒い点。点は次第に大きくなりその姿を現す。カウリングの大きく頭でっかちに見える複葉の戦闘機は、海軍の所有する九五式艦戦だ。数は三〇から四〇程。格闘性能に優れたこの機体ならば、空中での運動性能に劣るアオザメ相手に苦戦することはないだろう。だが――
「数がまずいな」
「君もそう思うか」
宗護の呟きに艦長は答える。
「アオザメの数が多すぎる。撃ち落としても一向に減る気配がない。いくら九五式艦戦が強くても、弾が切れたら何の意味もなさない」
「数は三〇〇――いや、四〇〇はいるか。このまま攻撃を受け続けたら――。コロールの泊地にも増援要請を出しているが間に合うかどうか」
天城か防空巡洋艦、もしくはアオザメに劣らない数の戦闘機。どれかが早急に救援に来なければ、疾風や如月だけではなくこの船団全てが海の藻屑に変わりかねない。
到着した戦闘機隊は空中で小隊規模に分散して、旋回しアオザメの突撃をいなしながら正確に機銃弾を叩き込んでいく。
撃たれたアオザメは鮮血を吹き出し、あるいは機銃の衝撃によって空中でばらばらになって海へと落ちていく。だがその死体に群がるサメは居ない。
「もう一度偵察機に大型の魚影が無いか確認をとってくれ」
「電信員」
艦長が命ずると電信員は偵察機へと無線で連絡をとった。返ってきた答えはやはり「否」であった。
「宗護さん。大型の魚影というのはなんのことでしょう?」
それまでじっと立って戦況を見守っていた少年がふと尋ねた。戦闘中に投げかけられた質問に、宗護は不機嫌を露わにしながらも答える。
「古代サメだ。詳しく言えばあの巨大ノコギリサメだ」
「古代サメが普通のサメに知恵を与えていると言うことでしょうか?」
「良くあることだ。古代サメってのはサメの中でも特別な存在だ。そこいらのサメは古代サメに命じられればその通りに動く。だが巨大ノコギリサメの魚影はないみたいだ。質問はこれまでで良いか?」
重ねられた質問に答えて宗護は戦況へ集中しようとしたが、少年は口を挟む。
「もう一つだけ」
「これで最後だぞ。言ってみろ」
少年は若干間を置いて尋ねる。
「古代サメは水中でどのようにサメたちと連絡をとるのですか?」
最後の質問には、宗護は呆れながらも答えた。
「それはお前、電波に決まってるだろう。サメってのは鼻の先に特殊な機関があって微弱な電波を――」
宗護は言葉を句切る。はっとして宗護は声を上げた。
「艦長、無線機の使用許可を!」
「許可する。ここにある何でも使い給え」
宗護は短く礼を述べて無線機に取りついた。
ヘッドホンを左耳に押し当てて、ゆっくりと周波数を変更していく。
「宗護さん、何か手伝えることは?」
「今は静かにしてろ――――。ここだ。周波数を記録しろ」
指示を受けた少年が周波数を紙にメモした。宗護は更に耳を澄ませる。
電信員が少年の記した周波数に合わせてスピーカーを耳に当てたが、雑音しか入ってこなかった。だが宗護の耳には、確かにあの巨大ノコギリサメの【声】が聞こえていた。
「古代サメと言ってもサメを従わせるには十分近づかなくてはならない。何故ならあくまで他のサメにとって電波の感知は餌を捜すためのものであって、自分が直ぐに駆けつけられない遠くの電波を感知する能力を持つサメはいないからだ。だが、相手が強力な電波を発信する能力を持っていたとしたら話は別だ」
「あの巨大ノコギリサメは、普通よりも強力な電波を出せると言うことですか?」
「ああそうだ。恐らくだがあの細長い吻のせいだ。武器として使うだけではなく、あれは電波をより遠くまで届かせるアンテナの役目を果たしているのだろう」
普通のサメでは考えられない巨体と四メートルを超える吻。二つが合わさることで巨大ノコギリサメは、遙か遠くへと電波を飛ばしサメを操る能力を身につけたと宗護は仮定した。
そしてもしそうだとしたら、対策も簡単だ。
「この周波数で無線を発信するんだ」
「何処へ、何とです?」
電信員は訳も分からず聞き返した。
「何処へでも! 何とでも! とにかく最大出力で無線を飛ばすんだ! 艦長、全ての駆逐艦にも同周波数で無線を発するように指示を!」
「合い分かった。直ちに周辺海域の全艦に通達。指定の周波数で電波を発信せよ!」
命令は即座に伝達され実行された。
原始的な無線妨害電波。単純が故に強力だ。
「サメは生物が故に簡単に周波数を変えることは出来ない。古代サメはどうだか知らないが、少なくともアオザメには効果があるだろう」
宗護の言うとおり、妨害電波は直ぐに効力を発揮した。
「アオザメ、海中で共食いを開始した模様。疾風付近で狂乱状態に陥っています」
「攻撃散発的になりました。
「一番砲正面、四番砲五時方向。照明弾発射」
狩野より照明弾が打ち上げられると、まばゆい閃光の発生に空中にいたアオザメ達は怯えて海中へと帰っていった。
後は通常の船団護衛。時折飛びかかってくる無謀なアオザメに機銃弾を撃ち込むだけ。慌ただしかった海は平穏を取り戻し、いつしかむせかえるような硝煙の香りも潮風に流されていった。
「何とかなりましたか」
ようやっと全身の緊張を解いた宗護が艦長へ語りかける。
「そのようだ。しかし、対策は必須であろう」
「電信員の負担は増えますが、ある種のノイズが無線に入ってこないか常に確認しておけば、奇襲を受けることもないでしょう」
「ふむ。そのように全電信員に通達しよう」
艦長は控えていた電信員を全て艦橋に呼び寄せると、宗護の確認したノイズのパターンについて説明させた。先ほど実際にきいていた電信員はしばらくそのまま当直を任されて、副電信員が隣で待機する。
「疾風と如月、消火完了しました。航行は可能です」
「陣形を組み直し進路をペリリューへ。補給の後コロール泊地へ向かう。三須大尉ご苦労。休息中に呼び出して悪かった」
「いえ、これが役目ですから」
やるべき事が終わった宗護は艦長に頭を下げて艦橋を後にした。
階段を下る途中、後ろをついてきた少年に振り返り声をかけてやる。
「さっきは良くやった。お前の手柄だ」
褒められた少年は頭を下げる。
「いえ、自分は何も」
「かもな」
謙遜したのを即座に肯定されて少年は一瞬不満げな表情を浮かべてしまったが、直ぐに元に戻した。
宗護はそれに気づいていたが特に咎めることも無く少年に先を行くように促す。
「乗艦して直ぐ医務室に運ばれたせいで士官室の場所が分からん。案内しろ」
「はい」
少年は先導して宗護をあてがわれた士官室まで連れて行った。
船団は一度ペリリューへ立ち寄り、アオザメとの戦闘で使い切った物資の補給を済ませると一路コロールへと向かった。
防衛体制を整えたことでコロールまでは無事にたどり着けそうだ。だが、あの巨大ノコギリサメが再び仕掛けてくることは明白だ。
敵は標的を定めた。
それは狩野でもコロールでもない。紛れもなく宗護を狙っている。
――来るなら受けて立つまでだ。
今一度決意を固めた宗護であったが、一度ベッドに身を投げると、蓄積していた疲労によってコロールに到着するまで眠り続けた
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