第7章 大空のサムライ
宗護たちを乗せた船団がコロール泊地に到着する頃には夕刻になっていた。空には低い雲がかかり薄暗く、夜のようだった。
古代サメの出現が判明した以上休む暇などあるわけなく、船団が到着すると即座に南洋方面司令長官は緊急会議を召集した。
宗護にも参加して欲しいと提案があったが、宗護は古代サメの行動分析のため資料室に籠もり、代わりに少年に会議に参加するよう命じた。
少年は宗護の命を受けて緊急会議に臨む。されど、直立不動のまま会議の行く末を見守ってしばらく経つと、この会議が一体何の意味を持つのか分からなくなっていた。
「
意見を述べたのは南洋方面司令長官。コロール泊地のトップに当たる責任者であった。にも関わらず、参謀副長が意見を述べる。
「提督、私はそうは思いませぬ。
「しかし君、その天叢雲剣をもつ八岐大蛇を倒したのは天羽々斬だ」
「お二方お待ちを。二つは確かに由緒ある剣ですが、切れ味と刀身の美しさであれば、本庄正宗の方が上でしょう」
口を挟んだのは第六水雷戦隊の司令官。彼は日本刀の素晴らしさを語ろうとしたが横槍が入った。
「古代サメの名前に和名を付けるというのは賛同できませんな。広く世界で通用する名前を付けるべきです。ティゾーナというのはどうでしょうか。中世に実在したエルシドの使った剣であり――」
解説を始めるとすぐさままた別の意見が沸き、更にそれを別の意見が遮る。
会議と言うにはあまりに幼稚だった。未だに天羽々斬を推そうとする司令長官が日本書紀の該当部分を語り始めたり、そこから八岐大蛇を倒して現れた天叢雲剣の話へと映ったかと思うと、大日本帝国の成り立ちや天皇家のあり方についての話へ及んだ。出席者は口々に神器や実在する名刀を口にして、あるいは海外の神話に登場する架空の剣や、伝承上の武器の名前を出したりした。
会議の参加者は海軍兵学校や大学校を卒業したエリート達である。最も階級の低いものでも巡洋艦艦長の大佐であった。歳を重ね貫禄も出てきた彼らが、緊急会議と銘打ってあれだこれだと名剣名刀の名前を挙げる様は滑稽ですらあった。終いには故郷の剣術道場で秘剣とされていた必殺剣の技名まで飛び出してくる。
加速していく狂った会合の中で、司令長官は何時まで経っても天羽々斬を諦めず、そんな上官を尻目に響きがかっこいいだのなんだか強そうだの子供じみた理由をこじつけてはかっこいい名前を披露していく少将や大佐。
当初から人の意見などまるで聞く耳を持たなかった会議は加熱の一途をたどり、やがては個人批判や悪口などが繰り返されるようになった。
既に会議の開始から三時間。既に外は夜の闇に包まれていた。この大事に『古代サメの名前を考える』ために三時間もの時間を消費してしまった。それもコロール泊地はもとより、大日本帝国の持つ南洋諸島全域。それどころか太平洋の命運すら握る人物達がだ。
南洋方面に属する兵達は、彼らの命令を待って何時でも出撃出来る準備を整えている。だというのにまさか、彼らがこんな事で時間を浪費し、肝心なことについては決定どころか触れられてもいないとは夢にも思わないことであろう。
少年が退室を考えると、伝令が扉の前で入室許可を求めた。一同は会議を中断し、司令長官が入室の許可を出すと伝令が扉を開けて一歩中へ入った。
「軍令部より南洋方面司令長官へ」
伝令は司令長官だけではなく南洋方面の首脳部が一同に介していることを気にかけたが、司令長官は続けるように促した。
「軍令部は南洋方面に出現した古代サメについて、現在命名を検討中。南洋方面艦隊は明朝まで決定を下さぬように」
伝令の報告に一同は怒りの声を上げた。
「軍令部は何も分かっておらぬ!」
「戦うのは我々だ! 何故内地にいる軍令部が命名を決定するのか!」
「現地の意見をあまりに軽視しすぎである!」
「南洋方面軍としては命令に同意出来ない!」
今まで譫言のように『天羽々斬』を繰り返していた司令長官も怒りを露わにして、伝令に対して軍令部に抗議の申し入れを命じた。
あまりにも馬鹿げた会議は南方だけではない。内地でも行われていたのであった。
少年はいよいよ嫌になって、再び開始される会議から抜け出すことを決定した。
音を立てぬように扉に手をかけたが、あろう事か司令長官に声をかけられた。
「君、何処へ行こうというのかね」
「は、宗護さん――三須大尉の元であります!」
少年は振り返って敬礼すると答えた。その答えに一同が少年へ視線を集中する。
「そうか。では南洋方面艦隊としては今回出現した巨大ノコギリサメについて『天羽々斬』と命名することに決定したと伝えてくれ。頼んだぞ」
司令長官の一言に、他の面々は未だ決定はしていないと抗議して、口々に対案を述べた。
少年はそれから逃げるように失礼しますと頭を下げて、会議室から脱出した。
資料室で宗護は海図を睨み、巨大ノコギリサメの潜伏する海域を特定せんと格闘していた。
巨大ノコギリサメは手負いだ。あの状態で遠くへ移動することは考えられない。
しかしただ潜伏して大人しくしているという事も無いだろう。奴は自分を傷つけた敵に対して復讐を考えている。そして南洋諸島の暖かな海にいくらでも生息しているサメを操って、そいつをあぶり出そうとしている。
さてどうするべきか。どのように潜伏地点を割り出し、そしてどのように倒すべきか。
奴は攻撃力こそ高いが、防御に関してはそこまででもない。海軍が正式採用を決定した二五粍機銃であれば一撃で致命傷を与えることが出来るだろう。幸いなことに、太平洋の広範囲をその行動範囲としている南洋方面艦隊には優先的にこの機銃が配備されている。
南洋方面艦隊に所属する二等巡洋艦
これらの戦力を使って、いかに奴をおびきだし、仕留めるか。
艦隊に指揮を出すのは提督だ。だが、指揮を出すためには古代サメについての知識が必要不可欠であり、これに置いて宗護に勝るものは存在しない。
宗護は今一度海図を睨む。南洋の海は広い。闇雲に探し回るのはあまりに非効率だ。
それでも宗護は一つの結論を出していた。
鍵は無線機だ。巨大ノコギリサメは電波を使ってサメを操っている。手負いのため、艦隊に対して自力で対抗することは出来ないからだ。
ともすれば、大きな艦隊が動けば奴はサメをけしかけてくるに違いない。その時出す電波を無線機で掴んでやれば、奴がどこにいるのか探知できるという寸法だ。
うまくいく保証はないが、南洋の海を端から端まで虱潰しに捜索するよりかなりましだ。
後は資料をまとめて提督の判断を仰ぐだけ。
宗護は一息ついて、食堂から頂いてきたいなり寿司を一つ口に運ぶ。
ちょうどその時資料室の扉が開いて少年が入ってきた。
宗護はいなり寿司を飲み込むと時計を見やった。古代サメが出現する度に繰り返される恒例行事が始まってから三時間程が経過していた。
「会議開始から大体三時間ってところか。早いほうだ。それで、名前は何に決まった?」
尋ねられた少年は、何と答えて良いのか若干思案した後、険しい面持ちで答えた。
「申し上げにくいのですが、古代サメの名前については未だに決定していません」
「何だ、途中で抜け出してきたのか」
「申し訳ありません」
宗護の言葉に少年は頭を下げたが、宗護は気にした風も無かった。宗護は誰よりも、あの会議が意味を持たないことを知っていたからだ。
「正直なところ、あれに関しては仕方無い。むしろ良くもまあ三時間もつきあってやる気になったもんだ」
「宗護さん。古代サメの名前を決定する、というのは、古代サメと戦うのに際して重要な意味を持つのでしょうか?」
「いや全く」
宗護はきっぱりと言い切った。あまりの即答ぶりに少年もぽかんと口を開けた。
「あんなものは、他と区別がついて古代サメの特徴が出ていれば何でも良い」
「ではどうして、南洋方面艦隊も海軍軍令部も、そのような会議に時間を費やすのでしょう?」
次の質問には宗護は一呼吸置いてから答えた。
「名誉って奴か。威信付けとも言える。一九世紀以降、古代サメが次々と出現して人類を脅かしていることは知っての通りだ。だからこそ、古代サメを倒したものは称賛され誰からも尊敬される」
古代サメは四億年前には地球に姿を現し、化石によってのみその存在を知られていた。しかし一九世紀以降突如として姿を現し、人類に対して攻撃を始めた。
マスコミは文明に対する警告だの、工業化によって住処を追われたサメの反撃だの好き勝手騒ぎ立てたが、真相は誰にも分からない。
確かなことは地球の歴史から姿を消していた古代サメが再びその姿を現し、地球の支配者というかつての地位を取り戻そうとしていることだ。
古代サメは二〇世紀の地球で急速に進化を遂げ、遂には北米大陸をその支配下に置いた。
一九二〇年以降、先進各国は古代サメに対応するため国際連盟を発足。イギリス、日本、フランス、イタリアを主要国として、現在ではソビエトやドイツも加盟する一大組織となった。
国際連盟の発足は人類と古代サメの戦いが始まっていることを世に知らしめた。
それ以来、古代サメを倒したものは人類の英雄として、世界中から称賛を集めることとなった。国際連盟の規定した古代サメを倒した国に対する報償制度も相まって、世界各国で古代サメ狩りが始まった。古代サメを倒せばそれに見合う報酬が得られる。最大の古代サメ撃破数を誇る日本は、その見返りとして国際組織から鉄や原油など、十分な量の戦略資源を与えられていた。
ただ古代サメといってもその中で天と地の差がある。中には漁師の釣り上げた魚を奪うことに特化した古代サメもいれば、全長二〇〇メートルを超え小国を壊滅させるほどの脅威を持った古代サメもいる。
古代サメを倒した、と一言で言っても、どのような古代サメを倒したかによっては称賛の度合いも変わってしまう。
「つまりだ。自分は古代サメを倒した。それもこれこれこういう名の、恐ろしいサメだった。――と、自慢したいわけだ。当然名前が強そうになればなるほど良い。個人としても、国家としてもな。だから誰しも、古代サメに出会うと壮大な名前を付けたがる。更に言うなら、その名前を自分が付けたと当事者になりたがる」
「その結果があの会議ですか」
「そういうことだ。今回の巨大ノコギリサメについては被害が被害だから尊大な名前を付けたがる気持ちも分かるがな。
余談になるが、二年ほど前オーストラリアの川で古代サメが出現したことがあった。体長は四メートルと言うとこ。川を遡上して、水を飲もうと川辺に近寄った家畜を食べていた。ある日こいつが川で水遊びをしていた子供を襲っちまって、軍隊が出動して退治することになった。丁度南洋にいた俺も呼び出されたが、元々家畜を専門に襲っていた大人しい古代サメで、知能もそこまで高くない。家畜を囮にして爆薬を仕込む単純な罠で仕留めた。だがその後が馬鹿げたことになった。
オーストラリア軍がその間抜けな古代サメに付けた名前が『アースブレイカー』。地球を破壊する者、だそうだ。全くオーストラリア人のセンスは分からん。あまりに馬鹿馬鹿しくてそのまま認可しちまったら、奴ら我々が地球を救ったのだとか言い出す始末で、それ以来間の抜けた名前は認可しないことにした。それでも古代サメが出る度に、身の丈に合わない尊大な名前を付けたがる輩が絶えやしない」
宗護が言葉を句切ると、少年は先ほどの南洋方面艦隊上層部の馬鹿げた会議を思い起こし頭が痛くなった。
「それで、名前は何になりそうだった?」
「結論は出そうにありませんでしたが、長官は『天羽々斬』を推薦なされていました」
「天羽々斬か。日本神話に出てくるヤマタノオロチを倒したとか言う剣だな。和名だがまああの巨大ノコギリサメには丁度良いかも知れん。――いや待て。今何て言った?」
「天羽々斬です」
「そうじゃない。その前だ。誰がその名を推薦したって!」
「南洋方面艦隊司令長官です」
あまりに予想外の発言に流石の宗護も頭を抱えた。
この大事に、南洋に現れた古代サメの正体が明らかになりやることが山ほどあると言うのに、提督がまさか古代サメの名前を付ける会議に参加しているとは!
宗護はこんな事なら参加してさっさと名前を決めておくべきだったと後悔したが時間を巻き戻すことは出来やしない。出来ることは馬鹿げた会議をさっさと終わらせることだけだった。
「この忙しいときに何を考えてんだ……。これ以上続いたら時間の無駄で済ませられなくなるぞ。かといって天羽々斬をそのまま付けたら提督が調子に乗りかねない。お前、なんか良い案は無いか? さっきも言ったが、他と区別がついて古代サメの特徴が分かればそれでいい」
宗護の問いかけに少年は俯いて思案した。
相手は巨大ノコギリサメ。特徴は何と言っても鼻の先についた、全長四メートルの白銀色の吻。それは剣のようで、なるほど司令長官が日本神話に登場する剣の名前を付けようとしたのも頷けた。
だったらいっそのこと剣そのものを名前にしてしまえと少年は口を開いた。
「ブレードシャークというのはどうでしょう」
「それでいい。俺がそう言っていたと伝えてこい」
考えるそぶりも見せず即答した宗護。少年は本当にそれでいいのかと戸惑って尋ねた。
「本当にそれでいいのでしょうか?」
「聞こえなかったか。いいと言った。さっさと伝えてこい。誰がごねようと押し通せ。会議出席者の意見は一切きかなくていい」
「はい」
今度こそ頷いて少年は会議室へと向かった。
「古代サメの命名についてですが、三須大尉はブレードシャークがいいとおっしゃっていました」
少年の発言に会議室は静まりかえり、未だ諦めきれない面々はこぶしを握りしめた。
その中でも一際目立っていたのは南洋方面艦隊司令長官で、訝しげなまなざしで少年を見やると一つゴホンと咳払いして口を開いた。
「しかしね、君。私は天羽々斬で決定したと――」
「決定はしておりません閣下」すかさず参謀副長が口を挟んだ。
「ふむ。決定はしていない。されど天羽々斬がいいのではないかと進言したはず。その旨三須大尉にはきちんと伝えたのであろうな?」
歴戦の提督のぎらりと光る視線を受けながらも少年は臆せず答えた。
「はい。そのように確かに伝えました。されど三須大尉は、ブレードシャークがいいと」
繰り返された報告にやはり納得いかないのか司令長官は声にならぬ声を上げていたが、参謀副長が小声ながら会議室にいる全ての参加者にきこえるように告げた。
「古代サメの命名については、シャークハンターである三須大尉の意見が最優先されます。更に言えば今回の巨大ノコギリサメについては三須大尉自らが刃を交えており、これを覆すことは不可能に近いかと」
全くの正論を打ち付けられた長官はようやく握りしめた拳の力を抜いた。
そして勢いよく立ち上がってもう一度少年をみやる。
「君の発言に間違いは無いか」
「ありません」即座に少年が返す。
「あい分かった。この度南洋方面に出現した古代サメについては、今後ブレードシャークと呼称することに決定する。一同、異論は無いな」
参加者は姿勢を正し長官へ体を向けると着席したまま頭を下げる。一通り見渡してから長官は声を張り上げた。
「これにて古代サメの命名にかかる緊急会議は終了とする。伝令は直ちに軍令部に名称決定を通達せよ。軍令部の了承を確認できるまで通達を続けるように。聞いていないなどと言い逃れされてはたまったものではない」
参加者達も口々に、軍を動かす頭脳がサメの名前など考えるのは時間の無駄だ、などとこれまで自分たちが三時間ほど行ってきた行動を棚に上げた発言を繰り返した。
「各員持ち場に戻り次の司令に備えよ。参謀長、副長は私と共に。君。君は三須大尉を参謀室へ連れてきてもらえるか」
「かしこまりました」
指示を受けた少年は会議室を後にし、宗護のいる資料室へと向かった。
古代サメの名称決定を軍令部は三度目の通信でようやく了承し、これより南洋諸島に出現した巨大ノコギリサメはブレードシャークと呼称されることとなった。
名称決定と同時に軍令部は大海令を発令する。内容は至って簡潔。『南洋方面艦隊は南洋諸島に出現した古代サメ、ブレードシャークを撃滅せよ』。
細部事項として、本作戦の現地指揮官は南洋方面艦隊司令長官とする。作戦立案は南洋方面艦隊参謀長及び副長。今回は対古代サメ作戦となるため、作戦立案に古代サメの専門家である陸軍大尉三須宗護の協力を受ける旨が記されていた。
「こちらがブレードシャークが潜伏していると予想される海域です」
「ふむ。広いな」
コロールの南西に記された歪な円は、おおよそ半径が二〇〇キロほどあった。その範囲に一体どれだけの島があるのかすら把握し切れてはいない。
「はい。あまりに広大な上、相手は古代サメ。手負いのため長距離を移動することは難しいでしょうが、探索の手から逃れるため短距離の移動を行うことは十分に考えられます」
「ではどうするというのかね」
「無線を使用します」
宗護は尋ねた長官にノイズの波形を記した紙を提示した。
「先の輸送船団襲撃の際、ブレードシャークが出したと予想される電波です。ブレードシャークはこちらの様子を確かめるため、周辺海域にいる他のサメを操って索敵を行うでしょう。とすれば、これと似た電波が発信される可能性が高い」
「古代サメの電波を探知して居場所を突き止めるというわけですな」
「その通りです、参謀長官殿」
宗護は頷いて、海図の上に船舶を表す小さな船の模型を並べていく。
「哨戒船をこの海域に向けて出撃させます。ただし単独行動は厳禁。二隻以上の行動が基本です。この哨戒船団を使って電波の発信される場所を捜索。もしどこかで電波を探知した場合、付近の哨戒船がそちらの方角へと哨戒半径を狭める。やがてブレードシャークの居場所が明らかになるでしょう」
船の模型が海図に示された円の中へと侵入していき、やがて模型が一つの円を作った。
「場所を突き止めてしまえばこちらの主力を投入して天羽々――いや、ブレードシャークでしたな。を撃滅できると」
「はい。海中に隠れ続けるのならば爆雷投下で。空に上がってくるのならば対空機銃で。二五粍機銃なら確実に、十三粍機銃でも十分な効果が見込めるでしょう」
「二等巡洋艦で十分対処出来るでしょうな。一部の駆逐艦でも」
司令長官は納得して頷く。
「問題は防衛でしょうな。先の例もある。当然、相手もこちらが船団を海域に突入させたのならサメをけしかけてくるでしょう」
「その通りです副長。ですから二隻以上での行動。そして一定間隔で対空迎撃に特化した艦を配備します。アオザメ相手の場合は機銃の口径より門数が重要になるでしょう」
「いくつかの駆逐艦では心許ない。臨時に機銃をかき集めて配備させましょう」
疾風や如月の被害もあるので対空防衛の重要性については海軍の側でも理解していた。七粍七機銃でもアオザメに対しては十分。当たり所が良ければブレードシャークに対しても通用する。
「作戦はこの方針で良かろう。ブレードシャークの出す電波の傍受には電信員に訓練が必要であろうな」
「はい提督。しかし南洋方面艦隊の電信員には造作も無いことでしょう。皆優秀であると伺っています」
「そうに違いないと信じたい。では機銃の配備と電信員の訓練を参謀副長。哨戒船団と討伐船団の編成を参謀長に任せる」
「はっ! 直ちに実行します」
参謀長官と副官は司令長官に敬礼し、参謀室から退室した。
司令長官は海図の上に一際大きな船の模型を置いて、残された宗護と少年に語りかける。
「私は本作戦の総司令官として、天城で指揮を執るつもりだ。三須大尉、君にも副司令官として天城に乗艦して欲しい」
「いえ」申し出を宗護は断った。「自分に副司令官という立場は見合わないでしょう。サメについては詳しいつもりではありますが、艦隊指揮の経験などありません。前線のどこかの船に配置して頂きたい。出来ることなら対空装備の充実した、練度の高くサメとの戦闘に慣れた船に」
宗護の言葉に司令長官は滅多に見せない笑みを見せた。
「父親に似たな。何時だって、自分が最前線で無いと気が済まない。あいつもそういう男だった」
「父とは違います。自分は父ほど勇敢ではありません」
宗護は控えめに笑って応じた。されど司令長官は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「君の父親もそう言っていたさ。三須家の男は相変わらずだな。あい分かった。貴官は駆逐艦
「ご配慮感謝します」
宗護は恭しく頭を下げて、少年もそれにしたがった。
「ただし、軍令部の指示にあるように貴官は本作戦の参謀としての役割を与えられている。何かあったら直ぐ天城に伝えたまえ。私の頭を飛び越して他の艦に指示を飛ばして貰っても構わない」
「前者は了解しました。後者は賛同できかねます。指揮系統が混乱するでしょう」
「ならば春風の指揮権だけにしておこう。何、春風の艦長はその辺り良く理解してくれる」
「かしこまりました。ですが緊急時以外は天城の指示を仰ぐつもりです」
「それでいい。此度の戦いは貴官の腕にかかっている。よろしく頼むぞ」
「恐れ多いお言葉です」
宗護はもう一度恭しく頭を下げた。
出撃は明朝早くになるだろうとの言葉を受けて、宗護と少年は参謀室を後にして宿舎へと向かった。
次の出撃は以前のように客として乗るわけではない。戦うために乗艦するのだ。その為には出撃まで駆逐艦春風に乗り込み、艦の詳細について知っておく必要があった。
艦内の構造はどうなっているのか。どのような装備を持っているのか。乗組員の練度はどれほどなのか。実際の指揮は艦長が執るにしても、宗護もある程度は頭に入れておかねばならない。
宿舎で決戦に備え持ち物の準備をしながら迎えの士官がやってくるのを待つ。
宗護は少年に三八式歩兵銃を預け、自身は軍刀を腰に下げた。柄に鮫皮の巻かれた、日本刀ごしらえで刃渡りの長い太刀である。
「宗護さん、もしかして春風でブレードシャークと戦うおつもりですか?」
どこか不安そうな表情を浮かべて尋ねた少年に、宗護は真っ直ぐ向き合って端的に答えた。
「戦いたくはないが、戦うとなったとき装備はあった方がいい。刀一本でも、飛びかかってきたサメを切り倒すくらいには役に立つ」
駆逐艦に乗って出撃する以上、戦いの舞台は海と決まっている。陸上の戦いとは立場が逆だ。海は古代よりサメの住処で、人間の世界ではない。
「どうして天城に乗艦されなかったのですか? 作戦がうまくいけば、海軍がブレードシャークを仕留めたでしょう」
「うまくいけばな。大抵、うまくいかないものだ。それに言っただろう。古代サメには俺の位置が分かる。そして、ブレードシャークは俺を狙っている」
「宗護さんを、ですか?」
首をかしげ尋ねる少年。
「そうだ。狩野の襲撃を見れば明らかだ。奴はアオザメをけしかけて駆逐艦を攻撃してきたが、狩野が隙を見せた瞬間にこちらを攻撃してきた。奴は艦隊戦においての集中攻撃の有用性を理解していたにも関わらず、最も防御の硬い狩野に対して攻撃を仕掛けてきたんだ。その理由は何か? 奴は一体何を狙っていたのか。答えは明白だ」
「宗護さんが、古代サメの毒を受けているからですか?」
少年の問いかけに宗護はかぶりを振った。
「最初はそうだったかも知れん。だが途中から目的は変わったようだ」
「と言いますと?」少年が相づちを打って先を促す。
「忘れるな。ブレードシャークは化け物だ。だが無知で無策なただ暴れるだけの化け物じゃない。奴は知能を持っている。あいつが人を襲うのは空腹を満たすためじゃない。これは分かるな?」
「はい」
ブレードシャークにとって人間は食料ではないことは明白だ。古代サメの中では小型の部類に入るブレードシャークは人間を食料にする理由が無い。海中にはいくらでも食料が溢れていて、その白銀の吻を一振りするだけでどんな巨大な獲物でも食べることが出来る。わざわざ人間を襲って食べるというのは、非効率に過ぎる。
「古代サメが人を襲う理由は正直まだ解明されていない。大抵は人類への恨みや生活圏を犯されたことに対する復讐。だが、奴はそうじゃない」
宗護は一度話を区切ってコップにつがれていた水を一口飲んだ。
「二度目の戦い。あの無人島での戦いの時だ。奴は俺に傷を負わされていたのに、あの闇のような瞳には怒りがまるで見えなかった」
「怒っていなかった?」
「そうだ。信じられるか? 奴は鼻先を深々切り裂かれておいて、笑っていやがったんだ」
「サメが笑ったのですか?」
「そうだ。言っただろう。古代サメはただの化け物とは違う。知能がある以上、感情もある。怒り、苦しみ、恨み、憎悪――大抵は負の感情だ。だが、奴は笑っていた。楽しんでいたのさ、俺との戦いを」
「そんな。それではまるで、人のようです」
少年の吐き出した言葉に宗護は頷いた。
「そうかも知れない。古代サメは最も人類に近い生き物だ、なんて言い出したのは誰だったか覚えちゃいないが、今思えばあながち間違っちゃいなかった」
言葉を区切ると宗護はポケットに入れていた煙草を取り出して火を付ける。一本少年へ差し出したが、少年は首を横に振った。
「お前、狩りはしたことあるか?」
「昔、鹿を撃ったことがあります」
「鹿か。肉や毛皮目的の狩りだな。狩りにはそれとは別に、狩りのための狩りがある」
「満州での虎狩りのようなものですか?」
「そうだ。より強い獲物を求めて狩るために狩る。狩人にとって、獲物の死骸はトロフィーであり、何よりその獲物を倒した経験こそが最高の宝だ。狙う獲物は次第に大きく、知能も高くなる。そんな凶悪な獲物と相手の縄張りに入り込んで競い合う。生きるか死ぬか、命を賭けた知恵比べさ。当然、そんなのをけしかけられたら相手は大迷惑だろうがな」
「ブレードシャークも狩りを楽しんでいるとお考えですか」
「ああ。恐らくは東から流れてきたブレードシャークは、南洋諸島の暖かですごしやすい海にたどり着いた。食べる物には苦労しない。海の中にはいくらでも魚がいるし、奴に狩れない獲物がいるとしたら同じ古代サメくらいのもんだ。そしてどんな生き物でも、食料が十分にある状態に陥ると娯楽を求める。人間で言う暇つぶしだな。そこで知能を持つブレードシャークは何を考えたか。
最初は水中で、アオザメでもホホジロサメでも狩っていただろう。食べるためではなく楽しむために。結果は楽勝だろうな。いくらホホジロサメといえど、四メートルを超えるあの吻で斬りかかられたら無事では済まない」
宗護は煙草を吸って煙をふうっと吐き出すと、灰皿に押しつけて火を消した。少年はそんな宗護を真直ぐに見つめて次の言葉を待つ。
「やがて水中での狩りに飽きた奴は、時折水上を行く船や、空を飛ぶ飛行機を見つけた。特に飛行機を気に入ったようだな。海の中にいた奴にとって、轟音を立てながら空を飛ぶ金属の塊は目新しい存在だっただろう。だから襲った。狩人ってのは新しい獲物を見つけると手を出さずにいられない生き物だ。
結果は上々。民間機を手始めに、遂に大型の水上偵察機も落とした。空中での狩りに奴はすっかりのめり込んだ。それからしばらくは飛行機の姿を確認できなかったが、ある日一機の飛行機が現れた。そいつは今までの飛行機とは違った。空中で複雑な軌道で運動し襲ってきたアオザメを返り討ちにする、知能を持った飛行機だ。奴の興奮具合は最高潮といった所だろう。そんな獲物を見ておきながら逃す狩人はいない。後は分かるな?」
「それで自分たちの乗った九四式偵察機を襲ったと」
「奴は根っからの狩人だったようだ。空戦の最中に一度、仕切り直しただろう?」
尋ねた宗護に少年は頷いて返す。
「奴は知能があった。だから後ろの席に座った新兵が馬鹿やらかして旋回機銃の弾を切らしていたことは勿論理解していた。なのに奴は正面から襲いかかった。狂っているようにしか思えなかったが、奴が狩りを楽しんでいるとしたら? 結果だけではなく、狩りの過程すら楽しんでいるとしたら?」
「正面から戦って勝ちたかったということですか」
「ああ。奴の行動原理はそこにある。あの無人島での一騎打ちもそうだ。奴は逃げるお前達を追わなかった。強い獲物を求める正真正銘の狩人だからだ。偵察機との空中戦。無人島での陸上戦。どちらも決着は付けられなかった。だが奴は決着を付けたがっている。わざわざアオザメをけしかけて船団を襲わせたのは、狩野に引きこもった俺を引きずり出すためだ」
「宗護さんが古代サメから逃げられないことは知っています。ですが、それならそれを利用して、天城の前に相手をおびき出すことも可能ではないでしょうか」
「出来るかも知れない。だがあいつにも知能がある。相手が戦艦になると分かれば、前回のアオザメの比では無いほどの攻撃を加えてくるだろう。逆に駆逐艦程度にしておいた方が、あっさり顔を出してくれるもんさ。
それに狩人ってのはより強い獲物を求めるもんだ。俺も狩人。しかもシャークハンター。サメ専門でね」
宗護が腰に差した軍刀を鞘から少し引き出して白銀の刃を見せ笑みを浮かべると、少年もそれにつられて微笑んだ。
「刀を武器に、危険を顧みず好敵手に一騎打ちを挑む。狩人というより、武士のようですね。大空を飛び白銀の刃を振るうサムライです」
「武士か。確かにそうかもな。この刀は父さんが使ってたものだ。あの人は正真正銘の武士だった。命を落とした最後の戦いでも、この刀を手にしていた」
「
「その話は事実だ」
三須の言葉に、少年は驚いて目を丸くした。
「作り話ではないのですか? いくら何でもそのような古代サメと一騎打ちとは」
少年の信じられないといった風な言い方に、宗護は刀を抜いて見せた。
白銀色の、あまりに美しい刀身が露わになる。空気すらも切り裂いてしまいそうな狂気すら感じるその刀身に少年は瞳を奪われるが、宗護の咳払いで意識を現実に引き戻した。
「古代サメの血の伝説を知っているか?」
「それは聞いたことがありません」
「まあそうだろうな。海軍の一部の人間の間で噂される話だ。古代サメにとどめを刺し、その血を吸った武器は、倒した古代サメの力を授かる。迷信めいた話だが、どうにもただの与太話でもないらしい。
父さんは最後の戦いで、船体を折られ沈みゆく戦艦
宗護の示す刀の刀身は、錆は勿論曇り一つない。それどころか、淡く光り輝いているようにさえ見えた。
宗護は目を見張る少年の前でその刀を軽く振るって、置いてあったラムネの空き瓶をすっぱりと切り落として見せた。切断面はガラスの組織を引きずった跡もなく、良く研磨された宝石のようにキラキラと輝いていた。
「父さんが最後に倒した古代サメがどんなサメだったのかは定かじゃないが、少なくともこの刀がとんでもない力を授かったってのは確かだ。こいつならあのブレードシャークの吻にも対抗できるかも知れん。
――とは言え、こんなものを使わないで済むならそれに越したことはない。九四式偵察機での戦いも認めてくれたんだ。駆逐艦での戦いも一対一として認めてもらえると信じたいもんだ」
「そればかりは、相手次第ですね」
「残念ながらな」
宗護は刀を鞘に収めた。そして目を細め少年の顔を覗う。
「怖いなら、着いてこなくてもいい。天城に乗艦したって構わない。駆逐艦よりはずっと安全だ」
少年は宗護の提案に首を横に振る。
「怖くないわけではありません。いえ、怖いからこそ、この戦いから逃げ出したくありません。今逃げ出してしまったら、これからもずっと、怖い物に立ち向かえなくなってしまいそうで、自分は何よりそれが怖いのです。
それに自分は宗護さんの部下です。最後まで、宗護さんの近くで戦いを見届けたいと思います」
少年は決意を秘めた瞳で宗護を見つめた。
そんな少年に対して宗護は一つ鼻で笑って答えた。
「好きにしろ。だが間違っても死に急ぐな。勇敢なのと無鉄砲なのは全くの別物だ。常に最悪の事態を想定しろ。どんなことがあっても考えることを止めるな。いいな?」
「はい」
少年はしっかりと頷いた。
丁度その時扉が叩かれた。宗護が応答すると海軍の士官が扉を開け敬礼する。駆逐艦春風への案内役だ。
「荷物を持て。行くぞ」
「はい」
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