第4章 古代サメ夜話

 海軍兵の案内で森林へと進んだ宗護と少年は、南国の植物を組み合わせて作られた簡易的な小屋にたどり着いた。


「あの化け物がいるせいで煙を出して合図することも出来なくて困ってたんですよ。いやあ助かりました。これでコロールに帰れるってもんでさ」


 偵察機パイロットの海軍上等兵曹は陸軍大尉の宗護に対しても軽い口調で話しかける。宗護はむしろそれを好意的に受け取っていた。


「この島に湧き水は?」

「それが無いんですよ。ただ果物がなってて、味は無いに等しいですが水分の摂取と、空腹を誤魔化す位には使えてます」

「まあ、運が良い方か……」


 無人島に不時着した際、水源の有無は生死を分けると言って過言では無い。一日二日で救助が来れば問題ないが、それ以上になると人間は水無しに生きてはいけない。


「ああ自己紹介が遅れました。海軍航空隊所属の村木むらきです」

「陸軍諜報部の三須だ」


 握手を交わそうと宗護が手を差し出すと、村木は驚いた表情を浮かべる。


「もしかしてシャークハンターの三須大尉ですか? 南洋でも大尉の噂は良くききますよ」

「そりゃどうも」


 今度こそ握手を交わす。村木は宗護のことを知ってはいたが、特段信望しているわけでもなさそうだった。宗護は安心して質問を続ける。


「他の乗組員は?」

「一人はサメの攻撃で真っ二つに。もう一人の航法士は北側の偵察に行ってます。日が落ちる前には戻ってきますよ」

「機体は残っていないのか?」

「ほとんど残ってません。回収しようとはしたのですが、海はサメが出ますし、海岸まで泳ぐのに使った機体の残骸くらいのものですね」

「となると、無線はあれを使うほか無いか」


 小屋から海岸方向へ視線を向けると木々の間に小さく九四式偵察機の姿が確認できた。エンジンは駄目になっているが、手回し発電機で無線を使えるようにはなるだろう。無線機が無事ならの話だが。


「無線機の様子を確かめてくる。おい、こっちに来い」


 宗護は少年を呼び寄せると、背負っていた荷物を漁り、中から缶詰を取り出して村木へと手渡した。


「これは助かります。いやあ、しばらくましな物を食べてなくて」

「無線機さえ無事なら直ぐにコロールへ帰れるさ」


 だが九四式偵察機の無線機を確認した結果、直ぐには帰れないだろうとの結論に至った。

 強行着陸の衝撃のせいか無線機は故障していた。回路を基板に集約していない日本の無線機は、簡単な衝撃で直ぐに故障する。軽い断線であったが修理が必要だ。生憎偵察機が一機丸ごとがらくたと化していたので、修理の部品には事欠かないだろう。


「お前、電気回路の知識はあるか」

「ありません」

「仕方ない。俺がやるほか無いか」


 無線機の修理は以前にも一応やったことはあった。その時は結局修理が終わった直後にサメに襲われて無線機を放棄したので、本当に直っていたかは神のみぞ知る。


「とにかくこいつを向こうに運ぶほかあるまい。これ以上故障箇所を増やさないように慎重に運ぶぞ」

「はい」


 備え付けの工具で固定されていた無線機を外し、それと手回し発電機を村木のいる小屋まで運んだ。二人が無線機を持って小屋に着くと、もう一人の偵察機乗組員が戻ってきていた。


「大尉殿、紹介しますよ。こっちは航法士の稲野辺いなのべです」

「稲野辺一等兵層です。どうぞよろしくお願いします」


 村木に紹介された稲野辺は宗護に頭を下げる。村木と違い、堅苦しい印象を受ける生真面目そうな男だった。


「陸軍諜報部の三須宗護だ。早速だが一等兵層、無線機の修理は出来るか?」

「自分に出来るのは軽微な調整程度です」

「そうか。まあそうだよな」


 分かってはいたが無線機の専門家では無かった。宗護は肩を落としたが、自分でやらねばならないと分かった以上、頭を切り換えてどう修理するか考えなければならなかった。


「お力になれず申し訳ありません」

「いや良いんだ。どうせ自分でやるつもりだった。それより――」


 言葉を句切った宗護は少年に手招きで荷物を持ってくるように指示する。運ばれてきた荷物の中から航空地図をとりだして、簡易的に作られた机の上に広げる。


「現在地がどこか分かるか? 救援を呼ぶのに必要だ」

「大まかな位置ですが恐らくこの辺りでしょう」


 航法士だけあってこちらに関しては調査済みであったようだ。即座に航空地図の一部を指し示す。


「ふむ。ここまで絞れたなら十分だろう。落ちるとき見渡したが、周囲に島は少ない。捜索は容易なはずだ。その為にも、こいつを直す必要があるが」


 無線機を軽く叩いて示す。既に日は傾き、青々と澄み渡っていた空は幻想的な夕焼け色に染まり始めていた。


「朝までには終わると良いが」

「頼りにしてますよ大尉殿。心配はいりません。一週間程度ならなんとか生きながらえるでしょう」


 そうだといいがな、なんて小さく呟くと、宗護はランプを用意して早速無線機の修理を開始した。


「何か手伝えることはありますか?」

「何だ暇なのか」


 放置され手持ちぶさただった少年が声をかける。少年は宗護の問いに首を縦に振った。


「だったら荷物の整理でもしておけ」

「かしこまりました」


 少年は頷いて九四式偵察機から持ち出した荷物の整理を始める。小さな革袋に収められていたそれは、とりあえず積んであった荷物のため、宗護も詳細を覚えてはいなかった。

 日がすっかり沈む頃に食料の調達に出かけた村木と稲野辺が帰ってきて、果物や木の実を机の上に広げる。宗護は少年に作業の中断を指示して、自身も途中であった無線機の修理をひとまず切り上げようと作業台を整え始めた。


「今日は缶詰もある。久々のごちそうですよ」

「念のため、全部開けたりするなよ」

「了解であります、大尉殿」


 村木はふざけて陸軍風に返して、早速缶切りで肉の缶詰を開け始めた。見れば小さな枝を小刀で削った箸を手にしている。


「ところで大尉殿、そちらの方は?」

「こいつか? こいつは俺の部下だ。内地を出る際に無理矢理付けられた」


 少年を指し示した村木に対して、宗護はうんざりした様子で答える。少年は立ったままじっとその受け答えを見るばかりであった。


「新兵でいきなり大尉殿の直属になるってことは、将来有望だったのでしょう」

「どうだかな」


 宗護は興味なさそうに返して村木から缶切りを受け取って缶詰を開けた。


「ほら、お前も食え」

「ありがとうございます。頂きます」


 少年は差し出された缶詰を受け取って、村木がこしらえた木の枝の箸で食べ始める。

 宗護は自分用の缶詰を開け終えると半分に切られた果物を口にしたが、水っぽく味も薄いためお世辞にも美味しいとは言えない代物であった。喉の渇きが癒やせるだけでもありがたいと思うほかない。


「大尉殿、質問良いでしょうか」

「言ってみろ」


 今度は稲野辺が宗護に尋ねた。


「一等兵層はサメにやられたと言っていましたが、本当に今回の件はサメの仕業なのですか?」

「ああ。サメに間違いない」


 宗護は答えたが、稲野辺は納得いかないようで重ねて尋ねる。


「刃物のような角を生やしていたとききましたが、そんなサメが本当に存在しますか? それも飛行機を一振りで切断するような大きさだとか」

「角ではなく正確には吻だ。ノコギリサメという種類のサメは吻が細長く発達し、刀のように使って獲物を狩る。だが今回の奴の大きさは異常だ。体長一〇数メートル。吻だけで少なくとも三メートル、いや四メートルはあった。実際にこの目で見たから間違いは無い」

「にわかには信じがたい話ですが、大尉殿がそういうのだから本当なのでしょう。大尉殿は世界各地でサメと戦ってきたと伺っていますが、あのようなサメと戦ったことは御座いますか?」

「巨大ノコギリサメという点で言えば会ったのは初めてだ。ただ単純にでかいだけのサメなら何度か相まみえたことはある。この間イギリス海峡で発生したサメは二五〇メートルを超えるサイズだった」

「二五〇!? 戦艦より大きいじゃないですか!? どうやって倒したんです!?」


 会話の外にいた村木が宗護の発言に食いつく。村木の言うとおり、比較的大きな船体を持つ戦艦天城でも全長二五二メートル程。二五〇メートルという巨体は並の戦艦を凌駕していた。

 村木の問いに宗護はもったいつけないで直ぐに答えた。


「魚雷だ。奴は知能はそこまで高くなく、音に敏感に反応する習性を持っていた。縄張りを荒らすものに噛みつくという習性も。戦艦の主砲でおびき寄せて魚雷を撃ち込めば、勝手に魚雷に食いついて内側からドカン、という具合だ。信管の調整には手こずったがな」

「ほう! それは考えましたね!」


 村木は手放しで賞賛したが、宗護はいい顔をしなかった。


「苦肉の策だった。生息域を特定できていたのだから機雷封鎖して爆雷投下を続ければ確実に始末できた。イギリスが海峡の封鎖と戦闘の長期化を嫌がって短期決戦に持ち込もうなんて言い出さなければ、被害も出さずに済んだんだ。結局、退治するまでに巡洋艦と駆逐艦が合わせて四隻沈んで、戦艦フッドも大破してしばらくドッグ入りだ」


 軽くない被害に一同は表情を硬くした。

 そして誰もが気にしていただろう質問を、ついに稲野辺が問うた。


「それで大尉殿。今回のサメはどのように倒すおつもりです?」


 宗護は目を細めて稲野辺を見つめて、考えをまとめながらゆっくりと言葉を紡いだ。


「防御力に関してはあまり高くないという印象だった。九四式偵察機の七粍七機銃で十分に傷を負わせることが出来る。より大口径の機銃や機関砲を命中させたなら致命傷になるだろう。ただ、問題はあいつが海中と空中を自由に行き来できる点と、空中での運動性能が九四式偵察機を上回るレベルにあるということだ。恐らく九五艦戦でも単独では相手にならないだろう」


 海軍の二人は九四式偵察機の運動性能を詳細には把握していなかったが、それでも一葉半の機体だということは知っていたため、表情を曇らせた。


「詳細はコロールに帰ってから協議することだろう。何、そこまで心配するものでもない。コロールには天城とその護衛船団が既に入っている。防衛については多少の余裕もある」

「おお、天城が。それは心強い!」


 帝国海軍の誇る新鋭戦艦の名に村木は手放しで喜ぶ。

 ただ今回の相手に対して天城はそこまで有効とは言えないだろう。巨大ノコギリサメは全長一四メートル。二五〇メートルを超える天城に対して突撃をしかけてくるとは考えにくい。もし突撃されたとしても不意の一撃以外は用をなさないであろう。天城の対空兵装は強力無比だ。

 食事を終えると辺りはすっかり暗くなっていて、木々の合間から漏れる星の明かりと、小さなランプの明かり以外、輝く物は何も無くなった。

 宗護は村木と稲野辺へと声をかけた。


「無線機は何としても明朝までに直す。あんたたちは今日の所は休んでくれ」

「お言葉に甘えさせて頂きます。ここのところ、夜中も交代で見張りをしていて体を休める暇が無かった」

「何かありましたら叩き起こしてください」


 二人は小屋へと入っていって、大きな葉っぱをまとめて作った覆いを掛けた。

 宗護はランプを移動させて、修理途中の無線機を照らす。


「お前も寝て良いぞ」


 声をかけられた少年は預かっていた荷物の中からカーキ色の袋を取り出してランプの元に持ってきた。


「申し訳ありません宗護さん。荷物の中にこれが入っていたのですが、これはどうしましょうか」

「ん? ああ、そういえば積んでたな」


 袋の中身を改めて、宗護は顔をしかめた。

 中に入っていた装弾子を一つつまみ上げて少年へと見せる。


「こいつはお前が撃ちきったあの旋回機銃の弾だ。予備を積んでいたのをすっかり忘れてた」


 こいつがあったら巨大ノコギリサメとの空戦も幾分か楽になっていたことだろう。宗護は自分の間抜けぶりに呆れもしたが、半分は準備期間を設けずに南洋諸島に送り出した長官の責任でもあるとも思っていた。


「あいつは小銃のように給弾可能だ。三八式歩兵銃の使い方が分かるならそんなに難しくもないだろう。とはいえしばらくはアレを使うことにはならないだろうがな」


 闇の向こうでお釈迦になっている九四式偵察機を示して、宗護は自傷気味に笑って見せた。

 とりあえずしまっておくように言って弾を返して無線機へと向き直る。

 しかし少年は受け取った弾をしまい込んでも寝ようとはしなかった。


「何だ、眠れないのか」

「はい」


 正直に答えた少年。宗護は修理の手を止めずに、作業を続けながら話した。


「サメが怖くなったか?」

「はい。とても」

「だろうな。誰だってサメは怖い。恐れることは恥ずかしいことじゃない」


 宗護の言葉に小さく頷く少年。宗護はそれを知ってか知らずか、そのまま話を続けた。


「だかな、恐怖に支配されるな。戦意を失って戦うことを止めたら、真っ先にサメの餌食になる。奴らは人間の恐怖を何よりも強く感じ取る」


 少年は小さな手を自身の胸に当てる。先の戦いでは巨大ノコギリサメを目の前にして、戦う意思を失ってしまった。サメと戦うために宗護の部下となったはずなのに。


「宗護さんはサメが怖いとおっしゃいました。でしたらどうして、サメと戦うのですか?」


 質問にやはり作業の手を止めずに答えた。


「サメは怖いが、サメに食われて死ぬのはもっと怖い。それに、サメの恐怖を知っているからこそ、その恐怖から誰かを守ってやりたいと思うのさ」

「金子様のことですか?」

「何だ、どこできいた。いや、そこそこ有名な話か」


 軽井沢に残してきたお嬢様の顔を思い起こして宗護は表情を硬くする。されどやはり作業の手は止めず、断線していた真空管を薄いアルミを使って繋ぎ直しながら続ける。


「あのお嬢様もそうだが、内地にも外地にも、外国にも守りたい奴ってのはいるもんさ。お前にだって、一人くらいはいるだろう」

「……はい。そうですね」


 少しの間を置いてから少年はこくりと頷いて答えた。

 宗護はそれから修理に集中し手を動かしていた。少年はしばらく立ち尽くしていて、それから声をかけた。


「宗護さん。もう一つ良いですか?」

「きいたら寝ると言うならきいてやろう」

「はい、これきりです」

「なら言ってみろ」


 宗護の了承を得たので少年が尋ねる。


「宗護さんの左目のことです。あのサメと対峙したとき様子がおかしいと感じました」

「そのことか」


 宗護はため息ついて一瞬修理の手を止めた。しかし直ぐに修理を再開して、ゆったりとした口調で話を始めた。


「昔の話だ。俺がまだ小さい頃、内地の海岸へ親しい知り合いと共に遊びに行った。当時はまだ、日本の近海は凶暴なサメが出ないとされていた」


 話しながら、立ったまま話を聞いていた少年を気遣って宗護は椅子を勧める。少年が椅子に腰を下ろすと話を再開する。


「海で遊んでいたときのことだ、誰かが海面から姿を現したサメの背びれを見つけた。海岸は大混乱に陥って、誰もが我先にと砂浜へ待避した。だが、一人だけ逃げ遅れた奴がいた。一緒に遊びに来ていた、幼なじみの鈍くさい間抜けな女だ。俺は三須家の長男で、サメについて知った気になってた。だからその辺の棒きれ片手に海へ戻ってサメと馬鹿女の間に割って入ったわけだ」


 後は分かるだろう? と尋ねられた少年は頷いた。宗護は続ける。


「サメの左目に棒きれを突き立てて追い払うことに成功した。馬鹿女も無事だった。だが、俺は間抜けなことにサメに左腕を噛まれた」


 宗護が上着を半分脱いで左腕を見せる。

 ランプに照らされて、左腕に残る生々しい傷跡が浮かび上がった。

 目の当たりにしたサメの歯形に少年が思わず息をのむと、宗護は上着を着直して話を再開させる。


「悪いことに俺を噛んだサメは古代サメの幼生で、毒を持っていた。俺はしばらく意識を失って、目が覚めてからも三日三晩熱にうなされた。それでも治療のおかげで何とか生きながらえたが、サメの毒は完全には消えやしなかった。今でも海をみる度に古傷がうずく。殺意を持った古代サメが近くにいると左半身が焼けるように熱くなる。アンテナみたいなもんだ。同じ波長を持つものが近づくと共鳴する。だから俺はサメから逃げることが出来ない。俺がサメの接近を知ることが出来るように、サメも俺の接近を把握している。もう戦うしか無いのさ。逃げられない以上、向かってきたサメを倒さないと生き残れない」


 宗護の話が終わると、聞き入っていた少年は何か言おうと言葉を見繕って口を開く。だが声を発する前に、宗護はポケットから取り出したキャラメルの箱を少年へと投げつけた。


「話は終わりだ。明日も早い。休むべき時に十分な休養をとることも立派な仕事の内だ。俺の部下には、しっかり休めない人間はいらん。分かったか?」

「はい」

「だったらさっさと寝ろ。そいつはくれてやる」


 宗護は返事を聞くつもりはないと背を向けたままだった。

 少年はキャラメルの箱をポケットにしまうと、村木と稲野辺の寝る小屋の前にこさえてあった簡易ベッドに横になり、腕を枕にして目を瞑った。

 辺りには波の音と、低い声で鳴く鳥の声、そしてカチャカチャと無線機を修理する音だけが、遠く東の海の端が明るくなるまで木霊していた。

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