第2章 三須宗護、南洋諸島へ向かえ!

 新宿にある陸軍省前にたどり着く頃には昼過ぎになっていた。

 宗護は運転手に駄賃を渡して礼を言うと、正門から堂々と敷地内へと入っていく。

 帝都全体を大きく揺らした不祥事事件から半年ほど経ってはいたが、未だにぴりぴりとした緊張感が辺りに漂っていた。

 宗護は陸軍省の大きな建物の外れにある、物置のような建物の入り口で守衛に挨拶して中へ入ると、所持していた三八式歩兵銃を受付に預けてエレベーターで地下へと降りる。


 陸軍の中でも特定の人間のみしか立ち入りを許されない特務機関の一つ――通称【サメ機関】。

 最奥の部屋の扉をノックすると、「どうぞ」と中年男性の声で返答があったため宗護は扉を開けた。

 中に入って正面に大きな机。しかしその上には磨りガラスの仕切りが置かれていて、奥に座る人物を見ることは出来ない。その人物のことは長官と呼ぶ決まりとなっていた。

 磨りガラスの向こうから、長官の声のみが投げかけられる。


「休暇中にわざわざ呼び出して申し訳なかったね。三須宗護大尉」

「なら呼び出さなければ良かったんですよ」


 宗護の軽口に対して、長官も声を若干浮かせて答える。


「そういうわけにもいかんのだよ。君も、ここに呼ばれた以上、何が起こったのかは察しがついているだろう? シャークハンター」


 シャークハンター。

 それは宗護の祖父、三須宗太郎みすそうたろうが日露戦争時に出現した超巨大サメの退治を契機として、世界中の危険なサメについての調査を行ったことに端を発する称号であった。

 宗太郎の残した記録は三須手記、あるいはシャークノートと呼ばれ、世界各地に出没するサメと戦うのに欠かせない記録となった。

 三須手記の全内容と、サメに対する実践的な対処法は代々の三須家当主に引き継がれ、現在では宗護が世界で唯一その全知識を有している。結果として宗護は世界のどこかでサメ事件が起こる度に呼び寄せられ、対処を命じられる。

 世界中にサメが溢れ北米大陸がサメの海に沈んだ今、宗護は国家の安全保障にとって必要不可欠な存在となっていた。


「やはりサメですか」

「そうサメだよ」


 長官はこともなげに答える。

 サメと言っても、宗護が呼ばれる以上ただのサメではない。

 一般に公開されている三須手記の内容で対応できるサメだったら、はなから宗護にお呼びがかかったりしない。つまりこれは、三須手記の機密部分に記述されたサメ、もしくは未知のサメだ。人はそれを古代サメと呼んでいた。


「わざわざ陸軍省に呼ぶと言うことは国内ですか?」

「ああ、国内だ。だが外地になる。南洋諸島だ」


「南洋諸島」繰り返すように口にして宗護は顔をしかめる。


「そう南洋諸島だ。夏の南洋諸島はサメにとって天国のような場所だ。我々人類にとっては地獄だろうがね」


 長官の言うとおり、夏期の南洋諸島はサメの巣窟と化す。

 しかし南洋諸島は日本にとって重要な海洋拠点。サメが怖いからと手放すわけにも行かないし、長らくその場所に住む人間もいる。見て見ぬふりは出来なかった。


「それで、どんなサメですか?」

「詳しい話は現地でききたまえ」


 長官は宗護の問いかけを一蹴する。そして咳払いを一つすると、宗護に指令を言い渡した。


「三須宗護大尉。君はこれより横須賀を経由して、海軍の船でコロールへ向かう。現地の指示に従いサメの調査を進めこれを解決せよ。私からの指示は以上だ。何か質問はあるかね?」

「待て。船だと?」間髪入れずに聞き返した。

「ああ、船だ」長官も即座に応答する。

「コロールだろう。あそこなら自分の飛行機で行ける。台湾と――フィリピンで補給すれば可能だ」

「それは許可できない」やはり長官は宗護の意見を一蹴した。

「何故だ」宗護も負けじと食い下がる。

「フィリピンは米国領だし、既に海軍に船の手配をさせている。計画の変更は無しだ」

「米国には貸しがある。海軍にもだ」

「既に決定したことだ」


 長官の答えは変わらなかった。ここまで一点張りとなると易々と意見は変えてもらえないと宗護も分かっていた。


「君が船旅を恐れていることは理解しているつもりだよ。だが君のためにも、船で行くべきだ」


 宗護は磨りガラスを睨み付け、しかしそれが意味のないことだと理解していたため直ぐに表情を崩して答える。


「分かりました、命令には従います。ですが、偵察機を輸送して頂いても構わないでしょうか?」

「ああ。君の九四式だろう。手配はしてある。君はその身一つでこのまま横須賀へ向かうだけで良い」


 全てを見透かしているといった風な長官の物言いに、宗護は頷いて返すしかなかった。


「ではこれにて失礼します」


 磨りガラスへ向かって一礼して、宗護は指令室を後にしようとした。

 その背中に長官の声がかかる。


「一つ言い忘れていた。君に部下をつける。横須賀で合流したまえ」

「待て」


 今度こそ宗護は慌てて口を挟んだ。


「素人連れて行ったところでサメの餌にしかならない。あんたはよく分かってるはずだ」


 宗護の説得にも、長官は淡々と答えた。


「君に後継者がいない状況というのはよろしくない。皆不安がっている。きけば金子嬢との婚姻も来年以降だと言うじゃないか」

「俺がサメに食われるとでも?」凄んで返す宗護。

「そうは言っていない。だがね、相手はサメだ。何が起こってもおかしくはない」


 長官の言い分も最もだった。

 事実宗護の祖父も父も、最後はサメに命を奪われている。


「それにだ、君にとってもいい話だろう。サメが出る度、休暇中に呼び出されなくて済むのだから」


 長官の言葉に、宗護は一つため息ついて、渋々ながらも受け入れた。


「休暇の邪魔をされないなら願ったり叶ったりだ。だが、その部下とやらがサメの餌になったとしても、責任は負いませんよ」

「ああ。それで良い。何、きっと君も気に入るだろう。とびきり優秀な若手を選抜したつもりだよ。身元も確かだ。十分、信頼に値する相手だよ」

「そりゃ楽しみだ。では、今度こそ失礼」

「良い報告を期待しているよ」


 長官の別れの言葉を背中で受けて、宗護は指令室を後にした。

 南洋諸島でのサメ事件。一筋縄ではいかなそうだ。

 宗護はサメ機関内の倉庫に立ち寄ると急ごしらえの荷造を済まして、預けていた三八式歩兵銃を受け取ると用意されていた自動車で横須賀へと向かった。




 横須賀で宗護は海軍の出迎えを受けた。

 大日本帝国においては陸軍と海軍は相容れないものであったが、宗護のシャークハンターとしての身分と、祖父・父共に海軍大将まで出世した人物であったが為に、例外的に陸軍士官でありながら海軍からも歓迎される存在であった。


「偵察機は既に積み込んであります。確認しますか?」


 出迎えの海軍士官が尋ねたが、宗護は首を横に振った。


「いやいい。それよりまさか、あれでいくのか?」


 宗護の指さした先で出航準備を整えていた大型艦を見て、海軍士官はにんまりと笑う。


「その通りです。シャークハンター三須宗護大尉をお送りするのですから、それ相応の船でなければいけないとの仰せで」

「それにしてもアレはやりすぎだな」


 宗護の訝しげな視線の向こうに浮かぶのは、巡洋戦艦天城型一番艦天城である。赤城あかぎ加賀かが土佐とさと並び、四一センチ砲を一〇門搭載した最強の戦艦として世界にその名を轟かせている。


「もちろん護衛艦もつけます。コロールまでは海軍の威信にかけて無事に送り届けてみせましょう」

「大げさな話だな」


 それ程までの未知のサメを警戒しているのか。しかしその割には出迎えに出てきた海軍士官には怯えた様子は見えない。

 どうにも海軍内でもサメについての詳細は伏せられているようだ。なんだか雲行きが怪しくなってきたと宗護はため息をつく。


「お荷物、お持ちしましょう」

「いや結構。それより部下をつけられるという話があったが、もう来ているのか?」

「はい。あちらでお待ちです」


 海軍士官は申し出を断られたにも関わらず笑顔を崩さず天城の方を示した。

 なるほど、よく見れば戦艦天城の巨体の影に埋もれていたが、陸軍の軍服を着た人物が確かにそこに存在した。


「なら雑務はあいつに頼むとするよ。ご苦労さん」

「もったいなきお言葉です。三須大尉殿」


 海軍士官はぴっと敬礼をする。

 その少年のような瞳を見て、宗護はどうやらこいつも”三須信者”の一人だと理解した。未だに海軍内に多数存在する三須家の信望者だ。こういった輩とはつかず離れずの距離で接するのが一番。宗護は一方的に海軍士官に別れを告げると、天城の元へと赴く。



 天城の元で待っていた部下とやらを遠目に見て宗護は頭を痛めた。

 とびきり優秀な若手、だとか長官は抜かしていたが、確かに若手は若手である。

 ぶかぶかの軍服を着た少年としか言いようのない幼い兵士は、宗護の姿を認めると駆け寄ってきて敬礼する。


 年は十幾ばくか。多めに見ても中学校卒業程度の年にしか見えない。

 チヨほどではないが色は白く、手足も細い。身分は確かだと言っていたが、確かにそうかも知れない。どこかの華族の御曹司様だろうか。伸ばした指は女学生のように綺麗で、過重な労働を人生で一度も経験していないことは明らかだった。

 それに丸めた頭のせいで兵士と言うよりは寺の小坊主に見えた。どうして長官はこんなガキを寄こしたのかと宗護は再び頭を痛める。

 そんな宗護の心情を知ってか知らずか、少年は声を張り上げた。


「三須宗護大尉殿。本日付で――」

「いつだ」少年の名乗りを遮って宗護が尋ねる。

「はい?」

「本日の何時だ」

「本日の正午であります」


 答えた少年の頬を、宗護は容赦なく打った。


「ならば何故出迎えに来なかった。正午に任命されていたのならお前の仕事だったはずだ」


 少年は倒れ込んだが直ぐに立ち上がり、瞳に涙をためながらも声を張り上げた。


「申し訳ございませんでした!」


 口答えも言い訳もしない。まあ及第点。連れて歩くには邪魔だが、適当に雑務を押しつける程度なら役にも立つだろう。

 宗護はそこまで少年を値踏みしてから、敬礼を続ける少年に命じた。


「今後は俺の命令に従って貰う。口答えは許さん。ただし自分の行動の責任は自分で負え。いいな?」

「はい」


 間髪入れず答えた少年に、宗護は三八式歩兵銃以外の背負っていた荷物を下ろして命じた。


「船室までお前が運べ」

「はい」


 少年は返事をしてぎっしり詰まったザックを背負って持ち上げる。少年の小さい体にザックは大きく、押しつぶされそうであったが宗護は無視して先を歩いた。


「三須宗護大尉殿」その背中に少年が声をかける。

「大尉も殿もいらない、好きに呼べ。それで何だ。簡潔に述べろ」


 宗護の問いかけに、重い荷物に押しつぶされそうになりながらも少年は手を伸ばして答えた。


「そちらの銃もお持ちします」


 見た目によらず根性はあるようだ。宗護は少年の評価をほんの少し見直したが、きびすを返して歩き始め、背後の少年を叱咤する。


「陛下から賜った銃をお前のような軟弱ものに任せられるか。馬鹿言ってないでさっさとそれを持ってこい」

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