江戸川区:東葛西(および都内某所)




「ジマ……聞こえるか」末次警視は警察無線に向かい、言葉を切るように話した。「どうやらお前が言ってたことを、こっちも飲み込めてきた」

〈……どうした〉

「俺たちが首都高で見失ったタンクローリーは、湾岸線でNシステムが見つけた登録不詳のヤツと同じじゃない……それはありえねぇ。見失った時刻。見つけた時刻。これだけ短時間のうちに……この距離を移動することは不可能だ。そいつがNEXCOと話をしてるうちに、だんだん解ってきた」

〈相手がレーシングカーならいざ知らず、ってとこか〉

「おい、一体どうなってる」末次が柄になく声を荒げる。「複数台でナンバー付け替えたりとか、そういう遊びが流行ってるのか?」

 一方の飯島は落ち着き払っていた。〈こっからが問題だ。初志貫徹で、迷わず湾岸線を漁るか……あるいはNシステムの情報をガセと割り切って、方針を変えるか。お前の判断が鍵になる〉

「Nシステムが……ガセ!? どういうこった……おいジマ!」末次は顔が紅潮するのを実感していた。「お前ら何か隠してやがるな」

 右目の端に見えているのだ。無線機のLED表示が。

 交機一、交機七、交機八に加えて——公機捜の文字が点灯している。

「ジマ、はっきり言いやがれ。なんで公機捜が動いてるっ」



「三年前だ。愛媛県警でNシステムの画像データが流出した。愛媛県や香川県、徳島県の国道、高速道路を通過した車のナンバー、通過日時……十日分、十万台。覚えてるか」

 ハンズフリーフォンで会話を続けながら、飯島は足元のパーキングブレーキを踏んだ。目的地には着いた。しかし行動しない。ここで、車の中で待機。事態を静観する必要を感じている。

 ここから先は慎重さが必要だ。

〈県警のパソコンがウイルスに感染したってアレか?〉

 末次が切羽詰まった声を出す。

 段取りが整うまで電話の相手をしておこう、と飯島は思う。

「あのハナシには裏がある。新聞発表では捜査員がwinnyを使ったせいだということになってるが、本当は違う。……県警職員が、APT攻撃ってやつに晒されたんだ。それを警察は伏せた」

〈APT……攻撃?〉



 津田沼はワンルームマンションの片隅で怯えていた。ノートPCの画面を埋め尽くす車の写真に震えがくるのだ。

 都内のあらゆる場所で、あらゆる車が撮影された痕跡。その一切が、本来ネットに晒されるべきでない警察の内部資料——Nシステムのデータであろうことは容易に悟り得る。まず車を撮っている視点が高い。そして日時と場所を示すファイルの命名規則。明かにデータが流出した。それがわかる。わかるんだ。

 ということは、サーバー上にあるデータも怪しい。本物と偽物が混ざり合っている。あるいは場所や日時が付け替えられている。そんな情報を頼りにすれば警察は大混乱になる。

 祭りだ。

 祭りになった。

 警察独自のナンバープレート照合システム。それをあいつが——pack8back8が、一瞬で祭りにしやがった。

 しかも俺のアカウントを使って。

 俺の名を騙(かた)って。 

〈ツダヌマカズヤが入り浸りの、アキバのゲームセンター。面白かったよ。車ゲームに熱中しているとき、君は上着脱ぐよね。こないださ、コーヒーこぼした女いただろ。覚えてる? ハンカチで股ぐらをさ、必死で拭かれてさ……カズヤ君は優しそうに対応してたね。人格者だ。其の後、またゲームして、散々やって、気がついたら上着がなかったよね。慌ててゲーセンの店員に訴えたら、親切な人が届けてくれてますと言って、上着が帰ってきた。上着の中をまさぐると、大事な手帳はあった。ホッとしたよなぁ。でもさ、手帳の中身ってのは、写メ撮っちゃえばいいんだよなぁ。盗む必要ないんだぜ〉

「ああっ……ああっ」

 津田沼は抵抗を試みていた。必死にキーを叩いて。しかし警視庁のサーバーは見事なまでに弾いた。user ID: invalid。お前はアクセスできないという意味。

 だから机を叩いた。繰り返して。

「ちくしょっ、畜生っ」

〈面白かったよツダヌマカズヤ君……じゃ、これでサヨナラだ。あ、お金は払わないからね。タダ働きに感謝します。アハハ〉

 そこで電話は切れた。



 飯島警視は言った。

「APT攻撃ってのは、簡単にいえばハッカーがコンピューターじゃなくて人間を狙うってことだ。悪意の塊みたいなプログラムが勝手に繁殖するような、サイバーな、ハイテク的な話じゃねぇ。自宅、家族、趣味にいたるまで、あらゆる個人情報を調べ上げて懐へ潜り込む。いわゆるストーキングだよ」

〈……警察関係者、狙われやすいからな〉

 末次の口調は緊張に満ちている。

「ああ。警察官なんてザルもいいとこだ。家に帰ればただの民間人。探せば幾らでも穴は見つかる。上司の名前を騙って電子メールを出せばホイホイ信じる。ゴミ袋を漁って娘の同級生の名前を手に入れて、その親として電話をかければホイホイ出てくる。パソコンのセキュリティホールじゃなくて……人間のセキュリティホールを狙う。この手の攻撃は厄介で、しかも流行の最先端さ」

〈お前らはその線を追ってるのか〉

「スエ、腐れ縁だから一つだけ教えてやる。あれから三年、Nシステムは進歩した。技術的な防御策は練った。しかしだ。APT攻撃は技術的な策じゃ防ぐことができねぇ……意味、わかるよな」

〈警察官を……Nシステムを扱う人間自身を寝返らせるような攻撃だから、パソコンを守っても意味がない。そういう理解であってるか?〉

「もうちっと悪いハナシかもな」

〈おいおい……警官が警官を売るって意味か? 金で? ……そうなったらこの国は終わりだぞ。ロシアじゃねぇんだ〉

「警官とは限らねぇ。警察署内にはただの地方公務員が五万といる。そいつらにだって、APT攻撃に手を貸す……手を貸してしまうチャンスはゴロゴロ転がってる」

〈……やめてくれよ。リアルすぎて吐き気がすらぁ。ごたくはいいから、Nシステムが怪しいってにらんでる根拠を言え〉

「……公安総務課十二係の主な作業は、官公庁と関わりを持つハッカーの監視だ。最近はもっぱらアングラの犯罪コミュニティサイトをてる。連中は騒がしい。自己顕示欲もあるから、軽薄極まりない」

〈警察への悪口とか、そんなとこだろ?〉

「誹謗中傷は年がら年中だが……そればかりじゃない。昨日あたりから『Nシステムが祭りになる』って噂で持ちきりだ」

〈……マツリ? 祭りって何だ。どういう意味だ〉

「企んでいる連中は警察を無能と思わせたいらしい。なるべく騒ぎを大きくしておいて、それからドカンとやりたいって事だろう……いいか、スエ。Nシステムを鵜呑みにするな。教えてやれるのはそこまでだ」

〈馬鹿野郎! だから、どうしろってんだ!〉





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