第3話 雪と風邪

「くしゅん!」

「大丈夫?」

「だーいじょーぶぅ……あーあ。ついてないなぁ。この時期に風邪なんて」


 ベッドに寝かしつけられているのは、新米魔法使い……というより、まだ見習いの魔法使いだ。寮生活をしながら魔法学校に通う身。そんな未熟な学生には、何もしないでゆっくり休んでいるというのは無駄な時間にも思えるのだが、思ったよりも体調の悪さはひどいもので、ベッドから起き上がって行動するだけの体力がミリアにはなかった。


「早く休めば早く治る……。今はゆっくり休んで、ミリア」


 腐れ縁の幼馴染が気になって、寮の一人部屋にわざわざお見舞いの品を携えて訪ねてきていたルカは、砂糖と塩を適量まぜた水の入ったコップを、ベッド脇のテーブルにトンと置いた。


「ありがとう。弱っているときには優しいのね、ルカ」

「私がいつもは優しくないだなんて思っているミリアは失礼」

「ごめん、半分冗談だって」

「半分でも本気があるのはどういうこと?」

「あー……あの、うん、感謝してるのよ、これでも」

「そんな態度に見えない」

「あ、そんなそんな、そんなつもりじゃ……ゴホゴホッ」


 軽い言い合いも具合の悪いときには体に負担がかかるものだ。ミリアは段々強くなる喉の痛みに耐えかね、咳き込んだ。そんな姿を冷やかに眺めながらも、ルカは一応心配の言葉をかけた。


「大丈夫?」

「う、うん……大したことないわ」


 それを聞くとルカはため息をついて、自分の荷物を肩に背負った。


「そう。それじゃ、私帰るわ。お大事にね、ミリア」

「え? もう帰っちゃうの?」


 寂しげな表情を隠しもしないミリアに、ルカは憐みを覚えた。だが、ルカにも自分自身の生活がある。出された課題だってこなさないといけない。


「ええ、帰るわ。お大事に」

「そう……ありがとう。またね、ルカ」


 ベッドの上で弱々しく手を振るミリアを、ルカは振り返りもしなかった。


 ◇ ◇ ◇ 

 

 寮での自室に戻ったルカがまず真っ先に始めたのは、授業で出された課題をこなすことでもなく、自分の生活に必要なことでもなかった。彼女が開いたのは魔法学校で使う一般的な魔導書ではあったものの、開かれたページは彼女自身が直接必要とする箇所ではなかった。彼女が熱心に見ていたのは、簡単な医学的魔法に関するページだった。「風邪の初期症状に効く魔法」――要するに、風邪をひいて体調を崩したミリアのために、何か役に立つ魔法はないかと探しているのだ。


「うーん……。基本書じゃあんまり良い魔法は見つからないみたい……」


 独り言を言うのもルカにしては珍しいことだ。ミリアが体調を崩しているのは、それだけルカにとって調子の狂うことだった。


「図書館に行きましょうか……」


 ルカはほうきを取り出した。ルカの向かう先は魔法学校の付属図書館ではあるが、少々厄介なことに、ほうきで空を飛んでいかないと入れない場所に造られているのだ。魔法学校ならではの階級の差がそこでつけられている。ルカはほうきで空を飛ぶ魔法は既に何年も前に習得してはいるが、この冬の寒空の下、冷たい風になぶられながら空を飛んでいくのは気が滅入る。


 しかし、そうも言っていられない。ミリアに早く元気になってもらいたい。それがルカの内心の願いだった。ミリアの前では見せられないそんな気持ちは、一人になると心の奥からあふれ出るように流れてきた。


 ルカは部屋の窓を開けた。誰にも見つからないようにこっそり図書館に向かいたかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ 


 担任でもあるイグリッド先生の魔法で空調が整えられている室内とは違って、自然が自然のまま存在する野外は、凍えそうなほど寒かった。しかし、その寒さをものともせず、ルカは吹き付ける北風の中をほうきに乗って飛んでいた。時折、肌には痛みが走るが、ルカは気にしない。図書館に着けば良い。図書館に着けば暖かい部屋に入れる。目的の本も探せる。


 そんな希望を持って進むルカをあざわらうかのように、空からは白いものが舞い落ちてきていた。


「雪……?」


 寒いはずだ。粉のようなさらさらとした小さな結晶は、気温が相当低くないと落ちてこないものだ。少し暖かければ粉ではなく、ある程度カタマリになって落ちてくる。


 ルカは身をブルッと震わせたものの、ほうきのスピードは上げた。早いうちに図書館に着きたい。


 しかし、そんな彼女の髪に、服に、粉雪は吸いつくように貼りついた。


 ◇ ◇ ◇ 


 やっとのことで図書館にたどり着いたルカの目には、信じられない文字が飛び込んできた。


『本日休館』


 そう書かれた張り紙は、悪びれる様子もなく、図書館の入り口の扉に堂々と存在感を示していた。


「そんな……わざわざここまで来たのに……」


 がっくりとうなだれるルカの頭の上には、うっすらと雪が積もっていた。そんなルカに、背後から声をかける人物がいた。


「あらぁ、どうしたの、ルカ? 休館の図書館にわざわざ来るなんて」


 ルカが振り向くと、そこには教師にしては若作りをしている派手ないでたちの女性が歩いてきていた。


「イグリッド先生……」


 名前を呼ばれると、女性教師は微笑んだ。美貌の女性教師は微笑むと、花が咲くように更に美しさを増すようだった。


「どうしたの? 緊急で調べたいことでもあった?」

「はい。風邪に効く魔法はないかと思って……」

「どうして? 見たところあなたは風邪をひいたようには見えな……あ!」

「ちょ、ちょ、それ以上何も言わないでください!!」


 察しの良い担任教師の推理が正しいか正しくないかはこの際どうでもよかった。クールで通している自分のイメージを崩したくない……というのもあるが、単純に気恥ずかしかった。なぜかはわからないが、ともかく人に知られたくなかった。自分がミリアに対してどれほどの気持ちを持っているかというのを知られることは、ルカにとっては汚点とすら言えるほどのものだった。


「ふうん……。まあ良いけど。風邪ねぇ。だったら、『天上のアイスクリーム』を作ってあげたら? きっと喜ぶわ。早く治るし」

「天上のアイスクリーム?」

「これがレシピ」


 イグリッド先生はどこからともなく紙とペンを取り出すと、手を使わず空中でレシピを瞬時に書いてみせた。そして、そのレシピを書いた紙をルカに渡した。


「その頭の上の雪、使えるわよ。魔法魔法」


 片目をつぶってみせるイグリッド先生に時代遅れのようなものを感じながらも、ルカは感謝せずにはいられなかった。


「ありがとうございます。早速帰って作ってみます」

 

 ◇ ◇ ◇ 


 降りつける雪にうんざりしながらも、ほうきで空を飛んで部屋に帰りついたルカは、イグリッド先生からもらったレシピでアイスクリームを作り始めた。このアイスクリームは普通のアイスクリームとは少し材料が違った。卵や牛乳などももちろん使うのだが、絶対に欠かせないのが「新雪」だった。イグリッド先生に言われた通り、ルカは自分の頭の上に乗った雪を使うことにした。しかし、作っていてルカはあまり自分では食べたいとは思えなかった。なんだか美味しそうな気がしないのだ。


 それでも、食べるのは自分ではない。ミリアが喜べば良いのだ。そう自分を納得させながら、ルカはせっせとアイスクリームを作る作業に取り組んだ。

 

 ◇ ◇ ◇ 


「美味しい! ありがとう、ルカ。このアイスクリーム、どこで買ってきてくれたの?」


 ミリアが嬉しそうにアイスクリームを食べる姿を、ルカは複雑な思いで見つめていた。


「買ったんじゃないわ。私が作ったの。私が」


 作ったのが自分だとあえて強調したのは、作る過程が大変だったからではない。レシピを手に入れるというときの図書館までの往復が過酷だったからだ。とにかく、寒かったのだ。ルカだって寒すぎるのは得意ではない。


「そうなの。嬉しい。ありがとう、ルカ。こんな嬉しいお見舞いもらえるなんて思わなかった」


 ミリアの満面の笑みに、ルカは顔を背けた。なぜなら、自分も嬉しかったからだ。嬉しすぎて顔が真っ赤になったのを見られたくなかったからだ。


「別に。早く風邪治れば良いと思っただけだから」

「うん。ありがとう。早く治すね」


 その言葉通り、ミリアの風邪はその日一日で治った。

 しかし、同時に冷たいものの食べ過ぎでお腹を壊すことになった。

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