第2話 青い秋桜
「すごい! すごいすごいすごい!!」
ミリアが単純な感嘆の言葉の反復しかできないのは、初めて見る景色にそれだけ感動しているからに過ぎない。
眼下には見渡す限りの花畑が広がっていた。その色彩の鮮やかさには、同行者であるルカも少なからず圧倒されていた。
「すごいわ! こんなキレーな場所があるなんて。今まで全然知らなかった」
魔法使いの卵である二人はホウキにまたがり空を飛行していた。
目的は、課題の写生に相応しい場所を探すこと。担任のイグリッド先生が、優等生であるルカにだけこっそり教えてくれた秘密の場所。しかし、ルカはミリアも誘った。誘ったというよりは、話の流れで一緒に来ることになったといった方が近い。
「ルカはどこで写生するの?」
「え? あ、その、私……」
「決まってないなら私が良い場所教えてあげましょうか?」
「え、い、良いわ。遠慮しとく」
「遠慮なんていらないわよ。私とあなたの仲じゃない」
にっこりと微笑まれては、ルカもなんだか気が引けてしまう。だが、せっかくイグリッド先生が教えてくれたのだ。先生の好意を無にするわけにはいかない。
「い、良いの、良いったら良いの」
「それとも他に決めた場所があるの?」
ルカは言葉に詰まってしまった。しかし、ルカにとっては唯一無二の親友ミリアに、秘密を持つのもなんだか悪い気がしてきた。それも大した秘密ではないのに、それをかたくなに守って仲を悪くするのも……。
「え、ええ、まあ、一応ね」
ルカの中では、場所は決めてある、その事実だけを伝えるだけのつもりだった。しかし、たった一人の親友は、そんな独りよがりの事情が通じる相手ではなかった。
「そうなの? じゃあ、そこ教えて?」
「え、え、ええええええ?」
そんなわけで、結局ミリアに押し切られたルカは、ミリアと共にイグリッド先生に教えてもらった場所を目指していた。
やがて見えてきたのは、大きな時計だった。花で描かれた文字盤の中心で、銀で作られた長針と短針が追いかけっこをしている可愛らしい時計。
その花時計のそばに二人は降り立った。地に足をつけるとすぐに、ミリアはホウキをしまった。対象物に手をかざすと、小さな爆発の中でそれが消える。それが彼女のしまい方だった。
ルカも続いてホウキをしまう。彼女の方は、水の球を発生させ、その中に対象物を吸い込ませて、水と共にそれが消えるというしまい方だ。
ミリアの黄金色の瞳が辺りを見渡す。何を描こうか、どんな構図で描こうか。小さく微笑むと、長い緋色の髪を馬の尻尾のように高い位置でまとめ、薄紅色の花で根元を飾りつけた幼顔の少女は、ホウキをしまったときと同じ小さな爆発を発生させた。
桃色の煙の中から現れたのは絵を描く道具一式。朝焼け色のマントをふわりとひるがえし、ミリアはその場に腰を下ろす。白いキャンバスを抱えて、画材である木炭を手にとり、描き始める。
ルカもそれを見て、水の球の中から同じような画材一式を召喚させた。
「早く描かないと、時間にも限りがあるしね」
ミリアが呟く。彼女のキャンバスの上には既に小さな芸術が開花していた。
二人を含めたイグリッド先生のクラスの生徒たちが出された課題は、身近な花と風景の写生。
美術の技術は、二人が所属するアドリンダイン魔法学校では割と重視されていた。
校長いわく、美術は魔法の原点。美しい魔法陣の描き方と、創造力を生み出す想像力に通じると。
ミリアは美術が得意だが、ルカはおくれをとっていた。
他の部分の成績では決して負けないのに……。美術科目はルカの弱点であり、自尊心を汚す厄介なものであった。
「ねぇ、あの花の種類わかる?」
キャンバスに美しい曲線や直線の組み合わせで見事な花時計の絵を作り上げていくミリアが、手も止めずにルカに問う。
問われたルカは手を止めて答える。ミリアのように器用なことはできない。
「花はいくつか種類があるみたいだけど、一番多くて一番存在感を示してるのは秋桜」
「ふーん。そっか。なるほど、あれが秋桜なのね」
ふんふんとうなずき、ミリアは作業を続ける。
「ねぇ、どうして花の色が青いの?」
絵筆と木炭を指の間に何本も挟みながら、色付けと下書きの描き直しを交互に行っているミリアに対して、ルカは訊いた。
目の前に咲き乱れている花たちは、赤や黄色などの暖色系の色なのに、ミリアの描いている花は青い。
「写生って言ったって、別に見たままをそのまま絵にしなきゃいけないって決まりはなかったと思うわ。素敵じゃない、青い花。綺麗だからこの色にしてみたのよ」
「でも……。青い花なんておかしいと思うわ。青は禁忌の色だもの」
「何それ? 禁忌の色って……」
「私たちが使う白、黒、赤、青の魔法の中で、青魔法だけ異質じゃない? そういうこと」
彼女たちの通う魔法学校で習う魔法は四種に分類されていた。白魔法は治癒や回復の魔法、黒魔法は呪いの魔法、赤魔法は肉体鍛錬の魔法、青魔法は科学の魔法で、それぞれの種類の中には戦いに関する魔法も含まれている。
青魔法は科学と魔法を組み合わせたものだから、確かに異質といえば異質だ。歴史としては比較的新しいものになる。
「だから青は禁忌? おかしいわ、そんなの。だったらどうしてあなたはいつも青い服を着ているのよ?」
ミリアの問いにルカは答えない。答えられなかったのだ。それは理由がないからとかそういうことではない。
黙り込んだルカに、ミリアは鼻で溜め息をついて、また作業に集中し始めた。
「できた!!」
やがて作品が完成すると、ミリアは両腕を伸ばして、キャンバスを少し目から離して眺めた。
「うん。いい出来。ルカ、あなたの方は?」
ルカの方を向いた彼女が見たのは、完成した絵に向かって渋い表情をしている親友の姿だった。
「一応できた……けど、全然納得いかない」
ルカの絵はミリアのように冒険はしていない。けれど、それほど魅力に満ちている……とはとても言えない。
ルカはミリアの方を向こうともせずに呟く。
「解せぬ……」
「……何?」
「解せぬ……。見るからに不器用そうなミリアが、この我輩よりも美術の方面では長けているとは……」
少し低めに作られた声。作られた口調。ミリアは吹き出さずにはいられなかった。
「ぷっ……。ネスィア先生のマネ? 確かに似ているけど……」
ネスィア先生は青魔法担当の新任教師だ。見た目年齢に似合わない古臭い言い回しをするので、陰で口真似をして馬鹿にする生徒は少なくない。
「解せぬ……」
ネスィア先生の真似をやめる気配のないルカに、ミリアは溜め息をつく。
「あのねぇ……。言うのもなんだけど、私は芸術一家に生まれているし、絵を描くこと自体が大好きなの。ほら、よく言うじゃない。好きなことは上手くなるとかなんとか」
「好きこそものの上手なれ?」
「そうそれ。バカなマネしてないで、早く帰りましょ。時間も遅いし」
ミリアはキャンバスや画材をしまい、ホウキを出してルカを促す。しかし、返ってきたのは意外な言葉だった。
「ねぇ、ミリア。あなたは私にどうして禁忌の青い服をまとうか訊いた。どうしてだと思う?」
ミリアは少し考えて答える。
「うーん、そうね。実は青い色が禁忌なんかじゃないから?」
それはルカを思いやったミリアなりの精一杯の答えだった。しかし、冷酷な親友はそんな気持ちも踏みにじる。
「不正解。それはね、私自身が禁忌の存在だからよ。私が生まれたこと、今生きていること、それ自体が許されないことだから」
そんな答えに、反射的に違うと否定しようとしたミリアだったが、ルカの眼差しに言葉を飲み込まざるを得なかった。
ルカのまとっている雰囲気は重く、表情も硬く、閉ざした心が壁を作っているようで、ミリアは黄金色の瞳から流れ出ようとする塩辛い水を、必死で堪えた。
ホウキに乗って魔法学校の寮を目指す二人。行きと比べて、帰りは静かなものだった。二人のどちらも口を開かなかったからだ。
やがて、寮の建物が視界に入ってくると、ミリアは意を決してルカに思いをぶつけた。
「それでも、それでも私はあなたの親友だからね。絶対、絶対あなたから離れないんだからね」
脈絡なく伝えられた言葉に、驚くルカ。しかし、心の内ではどこかほっとしていた。
「ありがとう」
心からの言葉だった。見捨てられることが怖かったルカは、胸の中に何か温かいものを感じながら、涙がこぼれないように空を見上げた。
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