アドリンダインの夜明け

桜水城

第1話 秋の気配

 ミリアは魔導書を閉じた。赤、白、黒、青……どの魔導書にも、彼女が探す魔法はどこにも載っていなかった。

 

 軽くため息をつく。そして、仰々しく飾られた窓を開けると、外の空気を部屋の中に入れた。

 途端に熱気が侵入してくる。ミリアは顔をしかめて汗をぬぐった。

 

 彼女の着ているものは魔術師の特徴をよく表す長いローブとマントであるが、麻でできた真紅の生地は薄く、よく風を通し、袖は短くされていた。

 

 しかし、それでも暑いものは暑い。

 

「まったく……。イヤになっちゃうわ。もう暦の上じゃ夏も終わりだっていうのに」

 

 更に二、三の文句を付け足しながら、星見の塔の二階にいる彼女は、眼下にある中庭を見渡した。

 

 色とりどりのヒマワリが咲く庭園の中央に、ツタの絡みついた柱に囲まれたあずまやがある。

 そこに置かれた大理石の長椅子に、青で包まれた親友を見出すと、ミリアは彼女に声をかけた。

 

「ルーカッ! 何してるのよ、そこで?」

 

 長く真っ直ぐな水色の髪、雪花石膏の肌、紅玉の瞳の美少女は、けだるそうにゆっくりと顔を上げた。

 

 十年来の魔女仲間である悪友の好奇に満ちた視線は、今のルカにとっては少しばかりわずらわしく感じられた。

 

 しかし、何も答えなければ、逆にもっと面倒なことになる。経験上、それをよくわかっているルカは、いかにもつまらなそうに(ミリアが興味を持たないように)、そっけなく答えた。

 

「別に。読書していただけだけど」

 

 ルカの期待に反して、ミリアは嬉しそうに飛びついてきた。

 

「私も!! 私も読書していたところよ!! 偶然ね、私たち気が合うのね! ねえ、そっちに行っても良い!?」

 

 ルカが拒否の意思を伝える間もなく、ミリアは何もないところから使い慣れたほうきを召喚して、窓から滑り下りるようにあずまやに移動した。そして、地に足をつけるなり、まくしたてた。

 

「暑っ!! よくこんな暑さの中で優雅に読書なんてしてたわね。ねっちゅーしょーになっちゃうわよ。もう中に入りましょうよ。建物の中なら、イグリッド先生の魔法が効いてて涼しいから」

 

 最近よく耳にする『熱中症』という単語を持ち出されては、ルカも拒絶する気が薄れてしまう。本当は一人で落ち着ける場所が欲しくてここに来たルカだったが、ミリアの提案にしぶしぶうなずいた。

 

 ミリアは満面の笑みでルカの手をとろうとした。しかし……。

 

「ごめん。暑いから触らないで」

 

 手を払いのけられたミリアは、一瞬驚きの表情を見せる。

 

 けれど、ルカの言い訳に一応は納得して、ぷりぷり怒り出すということはなかった。

 

「そうよね。ごめんなさい、こちらこそ」

 

 しょげるミリアにフォローの言葉をかけることもなく、ルカは長椅子に置いていた書物を手に取った。目ざといミリアは、その書物の中身を知りたがる。

 

「その本は何? あまり厚くはなさそうね? 豪華な装丁でもないし……」

 

 ルカは無表情で呟くように答えた。

 

「別に。ただの日記。イグリッド先生の」

 

 その返答はミリアの好奇心を揺さぶるには、十分すぎるほど十分だった。ミリアは目をキラキラさせながら、ルカにおねだりする。

 

「先生の日記? 見せて! お願い! 見・せ・てっ!」

 

 ルカはため息と共に日記をミリアに手渡した。ミリアは嬉々として日記の頁をめくる。

 

「へーぇ。先生って結構まめなのね。いちいち晩御飯のおかずとか記録してるなんて」

 

 今度はルカがミリアを急かす番だった。いくら見たいと言っても、炎天下で立ったまま日記を読むことはないではないか。

 

「ねぇ、中に入らないの?」

 

 不機嫌なルカの声にもミリアは動じない。

 

「いいじゃない。ちょっとだけ……あっ!!」

 

 何ページかめくったところで、ミリアは思いがけず、お目当ての魔法に関する記述を見つけた。

 

「『秋がすぐにやってくる魔法』……これだわ!!」

 

 ルカはきょとんとしてミリアを見つめる。そんな魔法を探していたとは……。いったいなぜ? ルカが訊ねるとミリアは答えた。

 

「この暑さにはもう耐えられないの。早く秋になって欲しいのよ。私は」

 

 そして、ミリアは日記をルカに預けると、両手を天に掲げて、日記に書いてあった通りの呪文を詠唱し始めた。

 

「『秋の風よ……疾く来たりて我に従え! 汝のしるしをここにあかせ!!』」

 

 ほのかな紅い光が、点の姿でミリアの周りに集まってくるのを、ルカは呆然と見つめていた。

 

「『リリ=パラセリ=リト』!!」

 

 そして、掲げたミリアの両手に眩しいほどの光が集まったかと思うと、最後の呪文の決まり文句がミリアの口から出るのと共に周囲に飛び散った。

 

 その後しばらく二人は無言のまま立ち尽くしていたが、先に口を開いたのはミリアだった。

 

「……暑いっ!!」

 

 ルカも目を丸くして同意する。

 

「確かに暑いわね」

 

「もう、これのどこが『秋がすぐにやってくる魔法』なのよっ!! 暑いままじゃないの! イグリッド先生のばかっ!!」

 

 悪態をつくミリアのマントを、ルカが引っ張った。ルカの指差す先の一角には……。

 

 キノコへと姿を変えたヒマワリたちが群れていた。

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