第22話なんでも力で解決すればいいのかよ

 蚩尤の邸宅は村の離れにある森にほど近い場所にあった。家のすぐ前には水を汲むための井戸があり、荒縄で結ばれた木桶が転がっている。


「失礼する。蚩尤殿は御在宅であるか?」


「勝手にどーぞー」


 女性の、正確にはアイリーシャとさほど変わらない年頃の若い娘の声がした。

この者が蚩尤なのであろうか。

 一同は蚩尤の家に入った。屋内は雑然としており、いつ掃除したのかわからない。至る所に書籍が転がり、積み上げられている。


「随分沢山の本があるのですね。一体全部でいくらくらいになるのでしょうか?」


 アイリーシャは埃のうっすらついた本を一冊取ってパラパラとめくる。タイトルは『山海経』。様々な怪物の挿絵が乗っている。先ほど遭遇した虚妄の絵も墨で絵が描かれている。

 本で埋め尽くされた部屋の奥にもぞもぞと蠢く白い物体があった。くすんだ雑巾のような布を纏ったその生物は頭部に触角が存在し、ボサボサの長い毛を持ち、歪んだ目をしていた。

 ミッドナイトアイは短剣を抜くと素早く戦闘体制に入る。


「なんだこの化け物は?」


「化け物とは失礼しちゃうわねぇ?むぷぷぷ?」


 ゆらぁ~り。その物体は立ち上がる。よくよく、見れればそれは得体の知れない怪物などではなく、立派な人間の女性であった。

 雑巾と思ったのは薄汚れた白衣であり、歪んだ瞳は分厚い眼鏡であり、ボサボサの長い毛はただ単に手入れが行き届いていないせいであり、触角は触角であった。


「この方が蚩尤さんですか?」


「あぁ~?ちゃうちゃうよん。わたしは孫の魃(バツ)ね。蚩尤はじいちゃん」


 アイリーシャの問いに、雑巾のような白衣を着た眼鏡娘はそう答えた。


「蚩尤殿にお会いしたいのだが」


「なんで?」


「三年前三回会いに来たら妾の臣下になってくれるという約束だったのでな」


「あーそれ多分無理だわ」


 羅刹王母の要件に魃はそっけなく答える。


「まぁじいちゃんならそこの裏口から出た先にいるから会うだけ会っててちょーだい」


「なんだおるのか。ならば改めて説得するまでだ」


 羅刹王母は裏口から家の外に出ていく。少しして、部屋の中に戻ってきた。


「なるほど。確かに妾の臣下になるのは無理そうだな」


 羅刹王母だいぶ落胆した様子であった。


「どうなされたのですか?」


「お前も蚩尤に会ってみればわかるぞ逢璃紗」


 言われるがまま、アイリーシャも家の外にいるという蚩尤に会ってみることにした。戻ってきたアイリーシャは。


「これは、確かに無理ですね」


 と言った。


「だいたい予想がつくけど、ちょっと私もその蚩尤さんとやらに会ってきていい?」


「どうぞ~」


 ミッドナイトアイは裏口から蚩尤宅から出てみた。

 すぐそばの森の近くには、子供の背丈ほどの石が置かれている。

 石の前には細長い棒状の物体が地面に突き刺さり、先端から燃え、微かな芳香と煙を出していた。間違いなく線香である。

 ミッドナイトアイが屋内に戻ると、羅刹王母達は既に帰り支度を始めていた。


「お前も線香をたむけたか?なら帰るぞ」


「ちょっと、あんたわざわざこんなところまで墓参りに来ただけなの?」


 ミッドナイトアイの問いに。


「まさか死体を楼蘭の都に持って帰れと言うのかお前は?」


 と羅刹王母は答えた。


「生きてるじいちゃんを連れて行きたかったら賢人石でも持ってきてねぇ~。あたしも本で読んだだけで実物なんて見た事ないんだけどねぇ~うひひひ~~~」


 魃は手が隠れる程長い袖を振りながら羅刹王母達を見送る。


「わざわざ一週間もかけてこんな遠くまで来たのに手ぶらで帰っちゃっていいんですか?」


「おいおい逢璃紗。魃とやらが申したであろう。墓を掘り返して骨でも持って帰るというのか。

妾はそういう性癖はないぞ」


 村の中央に戻ってくると。と言っても人口百人足らずの小さな村だったので十分もかからなかった。優曇華院たちがいた。


「羅刹王母さん。ここの村人は良い方ばかりですね。先ほども村の若者からニワトリと、牛と、家を差し上げるから、ずっとこの村にいて欲しいと」


 赤ん坊のようにニワトリを抱きかかえながら優曇華院は普段通りの笑みを浮かべている。


「お前それこの村に嫁に来てくれって誘われているのだぞ?」


「まぁそうでしたか?ですが私にはこの世に御仏の教えを広め、人々の心に平穏をもたらすという

使命があるのです」


「だからとっとと返してこい」


「ですがこの村の信心深い人々を無下にはできません。子供を産むのに適した年頃の信徒の若い娘を何人かこの村に派遣しましょう」


「お前自分が犠牲にならなければそれでいいんかい」


「ブフー。お家がなくても安心していいんだブフー。寝床に丁度いいフカフカの干し草でいっぱいの家畜小屋が見つかったんだブフー。今夜はみんなでそこにお泊りするんだブフー」


「あー八戒。その必要はなくなったぞ。今すぐ帰るぞ」


「なんでだブフー?」


「んー。まぁその件については帰りの船の上でゆるりと話そうかのう」


 そう羅刹王母は言い、村を後にすべく山を下ろうとした。彼らが目指す麓の方から青い煙が立ち上っていた。どう考えても火事であるとか、野焼きの炎などではない。


「なんですかあれ?」


 アイリーシャが誰に聞くとでも尋ねる。


「狼煙だな」


「ノロシ、ってなんですか?」


「む。天主教の国には狼煙がないのか?では教えてしんぜよう。例えばどこかの町に異国の軍勢なり、突如大発生した魑魅魍魎の類が襲ってきた時、狼煙を上げて他の町や村に危険を知らせるのだ。狼煙は遠くの方まで見えるゆえ、また家計の事情で普段の日常生活に役に立たない事を学ぶだけの

仙術学校などに通った事の無い者、そもそも才覚がなくて仙術が使えぬ者、読み書きができぬ二歳の領主の息子ですら空を見上げるだけで気づくことができるのだ」


「それで、あの青い狼煙はどのような意味なのですか?」


「『この一線に我が軍命運託されり』。妾の領内で大きな戰が起きたようだな」


「で、それはどこなんですか?」


 羅刹王母はちょっと考えて。


「わからん」


 と答えた。


「それじゃ意味ないじゃないですか」


「いや狼煙とはそういうものだからな」


「ローランとかいう街で派手にやりあったみたいね。なんか旗色悪いから援軍欲しいって」


 ミッドナイトアイは前方三十センチくらいの何もない空間を突きながらそんなことを呟いた。


「ふむ。大都が襲われたのか。それならば急いで戻らればならんな」


「でも船で一週間かかっちゃいますよ?」


「そうだのう。せめて空を飛べればあっという間に大都まで帰れそうな気がするのだが」


「空を自由に飛びたいの~~?」


 羅刹王母のお願いに、アンアン悩まし気な声がかけられる。

 魃であった。彼女は得体の知れない奇怪な物体を運んできた。

 それは竹でできた車輪と蝋で固めた鳥の羽を組みあわた奇怪な荷車のような乗り物で、

車輪は二つ。ただし通常の荷車と違い、左右対称ではなく前後一対についていた。


「これはじいちゃんの遺作、『飛翔車』よぉ~~。これに乗って車輪と連動した足場を踏みつけると

空を飛ぶことができちゃうのよぉ~~。ぬふふふ~~~」


「おお!それはよいな!では早速」


 早いが言うが羅刹王母は飛翔車とやらに飛び乗ると勢いよく足場を踏みつけ、車輪を回転させ始める。そして、その場に派手な発進の土煙を残すと高位の仙道の雷撃術のように天高く飛び去ってしまった。


「ブフー、ボク置いてかれてしまったんだブフー・・・」


 八戒はとても悲しいそうな声で鳴いていた。


「遠くに移動するならこういうものがあるのに」


 ミッドナイトアイは自分の小さな革製の荷物袋から小さな白い石ころを取り出した。


「なんですかそれ?」


「転移石。消耗品で行った事のある場所に瞬時に移動できる魔法が封印されている」


「ブフー。ならそれを使って羅刹王母様をおいかけるんだブフー」


「あーちょっといいですか~~?」


 手が隠れる大きな袖のついた、薄汚れた白衣を着た魃が呼び止める。


「なんかようかブフ?」


「あれじいちゃんの形見なんで。お金払って欲しいですよ。ぶっちゃけ生活費とか必要なんで」


「お金?」


「いやね。じいちゃんが今度どっかの国王が来るから神仙道で造った凄い発明品売りつけるって言ってたんですけどね。ぶっちゃけあたし反対したんですよ~。普通に肥料を作って売り歩いた方がいいって~。でもじいちゃんが火器があれば大金出して欲しがるだろうねって」


「火器?あんたのおじいさん鉄砲とか造ってたの?」


「そんなもんよりもっと凄いもんですよ~~~。でも日常生活には何の役にもたたねぇっつ」


 ミッドナイトアイの質問に不真面目な口調で魃は返す。


「とりあえずそれを見せてくれる?」


「ひょいひょい~~」


 手の見えない袖の長い薄汚れた白衣を揺らしながら魃は自宅の方に向かう。八戒とミッドナイトアイはその後に続いた。

 だが。


「あれ。優曇華院さん。来ないんですか?」


 そう。優曇華院がついて来ないのだ。


「私の役目は御仏の教えをこの世に広めに事です。そもそも羅刹王母に手を貸す理由が私にはありません」


「そうなんですか」


「それと逢璃紗さん。貴女は私と共にこの村に残りなさい」


「どうして?」


「貴女は今まで武芸の鍛錬をしたことがありますか?」


 アイリーシャは、自分の十三年間の人生を振り返ってみた。


「ないです」


「では私と共に残りなさい。戦場に出向いても、足手まといになるだけでしょう」

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