第19話いいえ、それはゴブリンではありません
楼蘭から山西からがそうであったように、山西から東安までの航海も無事つつがなく終了した。楼蘭、そして山西からの乗客、積荷と共に羅刹王母はアイリーシャと、荷物運搬用家畜の八戒と共に神仙道を追求している至尤なる者が住む村に向かった。
「それで、どうしてお前達がついてくるのだ?」
羅刹王母は後方よりぴったりと離れぬよう歩きつく優曇華院と、さらにその背後を歩く逢とかいう娘に詰問した。
「お前はあの船の船長ではなかったのか?」
「羅刹王母様。何を勘違いなされておられるのですか?私はあの船に乗って、水害避け、各種厄除けの祈願をしていただけの只の尼僧です。船の持ち主ではありません」
そう言えばそうだった。余りにも船の上でやりたい放題だったのですっかり失念していた。
「私は、この人が来るっていうから・・・」
ミッドナイトアイは優曇華院からなるべく離れないように歩いていた。
「あの、もしかしてアイさんは男性よりも女性の方がお好きなのですが?」
アイリーシャは念のために聞いておく。
「ち、違うわっ!!!」
「ブフー。逢ちゃんはお化けが怖いんだブフー」
八戒は笑った。
「それは仕方ないでしょう?!私は暗殺に特化したスキルしか持っていないのよ?生きている連中ならともかく、骸骨の魔術師なんてナイフで殺せるわけがないじゃない!!」
「ほうほう。生きている連中が相手なら負けぬと申すか。なら丁度いい」
羅刹王母はそれを聞いて、微笑しながら前方の草原に腕を伸ばす。いや、伸ばした先にあるのは膝丈まで伸びた青々とした雑草だけではなかった。
「ゴフゴフ・・・」
「ゴフゴフ!」
それは赤いふんどしをのみをまとった貧相な子鬼であった。
アイリーシャとミッドナイトアイは共に産まれた国は違う。だが二人とも、その姿には見覚えがあった。
「あれは、」
「ゴブリンね」
「何を言っておるのだお前達?」
そう二人に言ったのは羅刹王母である。
「えっ?」
「あ、いやだってあれはゴブリンでしょう?」
「何をいっておられるのですか?貴女方は?あれはそんな変な名前の生き物ではありませんよ?」
優曇華院が続ける。
「あれは虚妄っていうんだブフー」
「キョ、キョモウ?」
「なんじゃ、お前達は?八戒ですら知っている妖怪の名前を知らぬと申すか。何たる世間知らずのお姫様なのだ」
羅刹王母はあきれつつも遠い異国よりこの西梁国来た二人に、虚妄という妖怪について説明してやることにした。
恐らくは天主教の国には虚妄がいないのだ。だから二人は知らないのだ。ならばそれは恥ずべきことではない。
「まず、連中の特徴としてはだな」
「特徴として?」
「咳をするような鳴き声をする」
「ゴブ、ゴブゴブ」
「ゴブゴブ・・・」
「やっぱりゴブリ・・・」
「次にだ。逢。お前腕に自信があるな?」
「まぁゴブリンくらいなら」
「虚妄なんだブフー」
「・・・名前なんてもうなんでもいいわ。全部やっつけてくればいいんでしょう?」
「いや。妾が準備体操をするから時間稼ぎでもしてくれればよいが?」
なんだが戦う前に嫌な事を言われた気がするのはなぜだろう?
ともかくミッドナイトアイは素早く短剣を抜くと、虚妄の群れに飛び込んでいった。
一閃。
「ゴブー!!」
また一閃。
「ゴゴブー!!」
まるで話にならない。右から迫る虚妄、いやゴブリンを左に避け、左から来るものを下から上に切り上げる。
そして右足を。
「ゴッブー!」
「な、?!」
右足を掴むのがいた。
先ほど首を切りつけた二匹のゴブリンのうちの一匹。いや、これは違う。わずかにそれ、右肩を切っていた。これでは出血をする事はあっても、到底即死するようなダメージではない。
「ゴブブー!!!」
続いて左腕に無傷のゴブリンが組み付く。
「ブゴブー!!」
さらに右腕にも。
「ブゴッブー!!」
もう一つおまけに左足にも。
四肢を完全に拘束され、ミッドナイトアイは戦うどころかその場から動くことすら
ままならぬなった。
そして。
「ゴブ♪ゴブ♪」
「ブゴッブー♪」
「うあっ!な、なんだこいつらっ!!??」
背後から張りつくゴブリンは尻に掴みかかり、正面から突っ込んだゴブリンは両胸の間に顔をうずめようとする。
「これがいくつかある虚妄の習性のひとつでな。女武芸者を見つけると集団で襲い掛かり、自分達の巣に引きずり込んで子供を産ませようとする。大概女の一人旅をするような女武芸者はかなりの強者なのでそうそう旨くいくわけないのだが、常日頃からそのような虚大な妄想を膨らませ、実行に移そうと考え、女武芸者に襲い掛かる。故に虚妄というのだ」
「大概そういう女性は虚妄の数十倍、あるいは数百倍は強いのだから所詮虚大な妄想なのですが」
「だが気をつけよ。普段から虚大な妄想にふけっておる。つまり妄想の中で女武芸者と子供を造る鍛錬に励んでおるからな。睾丸が発達しておるぞ」
「ちょっと!そんな解説はいいから早く助けなさい!!」
虚妄に全身を擦りつけられているミッドナイトアイは悲鳴をあげて助けを求めた。
「言ったであろう。虚妄は女武芸者を襲うと。妾は無理だ」
羅刹王母は断った。
「私の役目は御仏の教えを人々に広めることです」
優曇華院も断った。
「八戒さん何とかできる?」
アイリーシャは八戒に頼んだ。
「わかったブフー。オイラに任せるんだブフー」
八戒は馬鍬を力強く構えた。
ん?馬鍬が何かわからないって?
土の塊を砕く農具だよ。これが八戒の武器なんだ。
見た事がないのかい。
えっ?天主教国の魔法学科では戦闘実技の授業で剣の振り回し方しか教えないって?
へぇ。そいつは随分と見識の狭い、考え方の偏った人間になりそうだね。
ともかく八戒は武器である馬鍬を構え、ミッドナイトアイを救うべく一歩前に踏み出た。
が、羅刹王母がそれを制止する。
「ブフ?」
「逢よ。お前を今襲っているその化け物はなんだ?」
その問いにミッドナイトアイはこう答えた。
「ゴブリンに決まってるでしょっ!!」
それを聞いて羅刹王母は腕を組みしげしげと頷く。腕を組むと、普段の筋力鍛錬で鍛えた上腕筋と、三つに割れたおへそ周りの腹筋がよく見える。
「そうかそうか。妾はそのような名前の妖怪なんぞ見たことも聞いた事もないなぁ。見知らぬ妖怪なんぞ、恐ろしくて手も足も出せぬわ」
「私も虚妄なら存じておりますが、そのような魑魅魍魎など始めて見聞き致しました」
優曇華院も羅刹王母に同意した。
「というわけでお前を助ける事はできないようだな。ああ、虚妄だったらなんとかしてやれたのになぁ」
「逢様の尊い犠牲は決して無駄には致しません。私は虚妄の魔手が届かぬ場所まで今のうちに逃げ、これまでの人生同様平穏無事恙無く仏法の教えを世に広めたいと思います」
羅刹王母と優曇華院はミッドナイトアイを放っておいてそそくさと逃げようする。
「あーー!!きょ、虚妄で!!虚妄でいいです!!!だから助けてくださいっ!!!」
「仕方ないの。これ八戒。行ってやれ」
「わかったんだブフー」
革めて馬鍬を構え直すと、八戒はミッドナイトアイを救出すべく虚妄の群れに向かって歩いていく。
「お前達、ボクが相手になるんだブフー」
するとなんということであろうか。
「ゴブ?」
「ゴ、ゴブゴブーー!!」
「ゴブゴブー!!」
八戒が馬鍬を振りかぶるよりも早く、虚妄達は一斉にミッドナイトアイから飛び離れると、地面に両手と両膝をついて八戒に向け頭をぺこぺこ下げ始めた。
「ブフ?みんなどうしたんだブフー?」
「ゴッゴブー」
「ゴブッブー」
「これが虚妄のもう一つの習性だ。自分より強そうな相手には始めから戦う意思すら見せず、ひたすら媚び諂うのだ」
アイリーシャは虚妄達から解放されたミッドナイトアイに駆け寄ると、荷物から手拭いを出してやった。
彼女の全身に虚妄の涎、汗などの体液が付着していたからである。
ミッドナイトアイは自分の体に着いた虚妄の体液を拭きとると、手拭いを丸めて放り捨てた。
「どうしたんですか?ミッドナイトさん?」
「あんなもんもう二度と使えるかっ!!」
彼女の体には、涎や汗以外の体液も付着していたからである。
「八戒。殺すことはない。虚妄達を解放してやれ」
「わかったブフー。お前らもうあっちいいぞブフー」
虚妄達は何度か八戒に向けて頭を下げると、草原を一直線に逃げ始めた。
「ちょっと!あいつらやっつけないのっ?!!」
ミッドナイトアイは抗議した。
「あんな悍ましいモンスターを放置していたら間違いなく近隣の住人に被害が出るわ!それでもいいのっ!!」
「虚妄には人間の喜びを減らし、憂いを募らせるという習性もある。人間のように真面目に働こうとせず、普段は薄暗い洞窟や廃屋などで生活しておるのだ。だが、それでは生きていけぬので人の物を盗み、生活の糧にしているのだ」
「碌でもない魔物ですね。ゴブ、いや虚妄って」
アイリーシャはそう言った。
「なんか。あたしの故郷にそいつらとよく似たモンスターがいっぱいいるんだけど・・・」
ミッドナイトアイは梅干を造ろうと思ったらうっかり塩を入れ忘れて蓋を開けてみたら恐ろしい状況になっているのでどうしようかと思っているようなそんな顔になっていた。
「それならますますゴブ、いや虚妄を退治しとかないといけないんじゃないの?」
ミッドナイトアイは羅刹王母にそう言った。
「ここは楼蘭の大都から離れて位置にある」
「それで?」
「街道沿いに南に進むと楚国との国境に出る。推南国とも隣接しておるが厳密な国境というのが
確定しておらん」
「どういうことですか?」
アイリーシャは尋ねた。
「通常ならば砦や町。あるいは川か何かで国境線を引くであろう?ところがそこに三つの国が同時に
道を伸ばして行くとやれここまでが俺様の国だいやいやここは元々我らの土地であったと延々と揉めてしまうのだ。そこで虚妄の出番となる」
「どうしてあの怪物に出番があるんですか?」
「『強すぎず、弱すぎず、人間を見境なく襲い掛かる』妖怪だということだ。特に一番最後の、すべての人間を平等に扱い、襲い掛かる。というのが重要らしくてな。国境にこ奴らをほどほど増えすぎないようにのさばらせておくのだ。旅の商人が通れる程度、他国の軍隊が、他国に行こうとすると『何らかの支障』が発生する程度にな」
「そうそう都合よくいくもんなんですか?」
「虚妄に人間の国に戦争を売る兵士なのか。それとも自分達を討伐しに来た連中なのか区別はつくなかろう?虚妄には他にも利点がある。連中は薄暗い洞窟或いは廃村に住む物であろう?」
「それは世界中どこでもそうでしょう?」
「そういう場所は洞窟というのは普通山間部にあるものだ。例えばそういう場所にいる虚妄達を人里に出てこない程度に適度にのさばらせておく。するとどうなるのか?」
「他国との国境沿いにいる連中はともかく、自分達の国の領土内にいる連中は一匹残らずこの世から駆逐してしまってもいいんじゃないですか?」
「前にも言ったとおり、虚妄は働かないという習性がある。山に転がる木の実やキノコを拾い食いして腹を満たすことはあっても、人間のように木炭を売って金にする為に考えなしに木を切り倒して山を丸禿にする。ということはない。だから適度に虚妄を放置しておけば、山林の樹木は伐採されすぎずに成長し、半永久的に木材資源が確保できる。さらに木々の葉や、実を食べる草食動物、そしてそれらを食べる肉食動物も自然に増えるから狩りもずっと続けられるのだ」
羅刹王母がそのような説明をした後、優曇華院が一言質問した。
「羅刹王母様。それ。貴女が考えましたか?」
「いや。考えたのは全部鄭国だが。それがどうかしたのか?」
「だろうとおもいました」
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