第17話汝に仏法の光があらんことを

 山西の港にて荷物を積み下ろしを終えた貨客船は、その日の昼過ぎにはもはや最終目的地である東安に向け出航した。貨客船なので当然山西の港で降りた乗客もいれば新たに乗り込んだ客もいる。

 優曇華院は彼らに対し早速仏法の真理を説くべく有り難い説法を始めた。


「皆さん。人は死ぬとどうなると思いますか?私は知っています。人は死ぬと鬼になるのです」


 いきなり物騒なことを言う。このプリーステスは。


「鬼の姿は様々です。白骨化したもの、首をくくったもの、水死体ならば水分を含み全身が膨らんだ姿。また生きている者を惑わすために一時的に美しい姿に化けることもあるのです」


 そして優曇華院は、


「まぁどんなに頑張っても私ほど美しくは化けられませんが」


 と言った。ここで一同は引きつった笑いをする。


「鬼は自分が死んだ場所から半径七十二里(二百四十四キロ)の範囲を自由自在に歩き回る事ができます。その体には触ってみると、体温が一切なく、氷のように冷たいことがわかります。

なぜならば彼らは陽に生きる存在ではなく、陰に潜む死者だからです」


「どうして七十二里も歩き回るんだい?」


 甲板で優曇華院の説法を聴く旅人の一人が尋ねた。


「それは生きている人間の精気を喰らうためです」


「死んでしまえば何も食べねばよいとおられる方もいるかもしれませんがそれは大きな間違いです。鬼にも食欲があり食べねばやせ細っていきます。最も一度死んでいるので『餓死することはない』のですが、『飢えるという苦痛の感覚のみが残っている』のです。そこでこれです」


 優曇華院は、皿の上に乗せられた炊いたモチ米に砂糖と小豆を混ぜてよく練ったものを塗りつけた団子を皆に見せた。


「これは私の故郷で毎年七月十五日。御盆の時期になると先祖の墓に備える御萩(オハギ)というものです。別に御萩でなくとも構いません。大事なのは年に一回、皆さんの家族、友人、恋人の仏前に食べ物を供える事なのです。そうすれば彼らは空腹にならず、鬼にならないのです」


 続いて優曇華院は大きなカボチャを出してきた。大きな空洞が開けられ、あたかも人の顔に見える。


「天主教の国々ではこのように飾り野菜を創り、御盆に先祖に備えるそうです」


「それ、御盆じゃなくてハロウィンだから」


 そう指摘したのアイリーシャではなかった。山西の港から乗り込んできた旅人の一人である。

 闇色の外套を頭からすっぽりと被っている。背は低い。ただ、声音からして若い女性であるのは間違いない。


「貴女は、御仏を信じる者ですか?」


 優曇華院はそう尋ねる。


「そうねぇ。私はこういうもんだけど?」


 言って彼女は外套をとった。

 その姿を見て、周囲の旅人、主に男性陣から感嘆の声が上がる。

 黒い外套の下から現れたのは、肩にかからない様に短く切りそろえられた黒髪。

 黒曜石に似た光沢を持つ手甲、脚甲、喉当て、胸当て、草摺りを身に着けている。

 要は、「最低限保護すべき箇所ちゃんと守っている」のだ。極めて合理的と言えよう。

 黒糸縅でそれらは互いに結びとめられ、固定されている。脚と後腰には短刀を備えつけておくための支えがあった。その姿を見た優曇華院は。


「どこかの姫君でしょうか?」


 甲板上にはバナナの皮はなかったが、彼女はその場で派手に転倒した。

 なおこの船にバナナはないが、南に二百里ほど行けばバナナの樹が生い茂る熱帯の島国がある。


「この恰好を見てどうしてそういう発想に思い至るわけっ!!?」


 彼女は優曇華院に向け臀部を突き出した。

 黒糸縅は中環跳の辺りからのび、殿裂を保護するように存在する長強あたりにある黒曜石色の金属を留めている。ようするに左右の環跳はほぼ剥き出しということだ。

 なに?説明がわかりづらいだと?

 要するに「股間は紐状の前張りで気持ちだけで隠されているが、ほとんど丸見え」ということだ。

 明白(ドゥーユーアンダースタンド?)

 優曇華院は数珠を持った手で説法を聴く聴衆から少し離れたところにいる人物を指示した。

 そこには彼女とさして変わらない井出達の、相違点があるとすればやたら筋骨隆々な逞しい女性が船の修理用の木材で木人を組み立て、スパーリングをしていた。


「あちらにおわす御方はこの西梁国を治める羅刹王母様です」


「どこにでもいそうな女戦士に見えるけど?」


「裁縫と筋肉鍛錬が趣味なだけの、西梁一億の人民の頂点に立つ御方。と、家臣の一人からお聞きいたしました」


「ふーん、裁縫と筋肉鍛錬が趣味・・・って一億?!!」


 黒糸縅の鎧を着た女は酷く?驚いた様子であった。


「それって日本の総人口とほぼ同じ数じゃ・・・」


「あ、いえ。でも税金逃れで子供が生まれても役所に届けが出されていないのとか、田舎の田舎の小さな村落まで調査が終わっていないと言っておりましたし。そもそも西梁国は広大な中原の地すべてを支配しているわけではございませんから。属国、同盟国、敵対国、交流のある辺境の国々を含めていけば軽く五億は越えるとその者はいっておりましたが。ところで貴女様は」


「見ての通り、いや。勘違いしているようだから訂正しておくけど、アサシ、いや。暗殺者よ」


 暗殺者、黒糸縅の鎧を着た女その単語を聞いて、胸だのへそだの股座だのを凝視していた連中がそそくさと離れていく。

 羅刹王母は。

 あ、八戒とアイリーシャを放り投げてお手玉にしている。


「そうですか。貴女は暗殺者なのですか。して、お名前は?」


 暗殺者。その単語に、優曇華院はなんの恐怖も怯えも感じないようすであった。


「ミッドナイトアイ」


 黒髪黒糸縅の鎧の彼女はそう名乗った。


「逢様。貴女は御仏を信仰しますか?」


 優曇華院は引き続き尋ねる。

 さらに、ミッドナイトアイと名乗る自称暗殺者の手を「ためらいもせず握った」。


「仏?確かにうちの祖父母葬儀は仏式だったけど」


 ミッドナイトアイはそう答えた。


「素晴らしい!御仏を信じる貴女に仏法の光があらんことを」


 優曇華院はミッドナイトアイの両手を固く握りしめている。

 手甲をしているとはいえ、数珠を掴んだままでは痛いではないのだろうか。

 その数珠から仄かに光りが零れている事に、ミッドナイトアイが気づくことはなかった。


「ところで、優曇華院さん。あんたに尋ねたいことがあるんだけど?」


「はい。なんでしょうか?」


「貴女尼さんみたいだけど、その幽霊の類とか退治できるのか?」


 その質問に優曇華院はこう答えた。


「簡単です!御仏を信じる心があればよいのです!!それさえあれば幽鬼など怖るるに足りません!!!」


 駄目だこの女は。ミッドナイトアイがそう思った矢先である。


「だいぶお困りの様子。陽があるうちは御安心を。沈んだ後は私のところにいらっしゃい。護って差し上げます」


 黒糸縅の鎧の暗殺者を抱きしめ、他の誰にも聴こえぬように優曇華院は耳元でそう囁いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る