第15話大都に残り、一人仕事をする男

 羅刹王母達が船に乗って出航した翌日。

 鄭国は紅鎧城内にある書斎にて書類の整理に追われていた。

 先日大通りを不法占拠していた商人達の店舗を象を用いて『合法的』に撤去した定型文の作成。下書きが済んだらそれを版画職人に渡し、大量印刷する。仕上げに自分の承認印を示すハンコを押して送付。不服がある場合は役所に別途申し出るよう追記しておく事も忘れてはならない。

 法整備は住んでいる。仮に今回の違法店舗を合法的に撤去した件について彼らには不服があるというのであれば、法の場において真真事を包み隠さず明らかにしようにではないか。正義はこちらにあるのだから。

 他にはここ数年の我が西梁国の財務状況の確認である。

 結論から言えば、羅刹王母は良き女皇。というのが鄭国の評価である。

 ごく一般的な国王や皇帝であれば国が豊かであれば意味な豪勢な園遊会を催したり、一年に一週間も過ごさない離宮を建てまくって国民に重税を課し、国を疲弊させ滅亡の時期を早めるのが普通である。

 が、羅刹王母が経費として計上しているものといえば国内の巨大反乱勢力である鬼方の軍勢に対する討伐隊の出征費用。

 先帝である神農殿下が亡くなった後、寵姫である羅刹王母が後をついで女皇となった。

 女性であり、なおかつ正妻でない羅刹王母が帝位にある事を快く思わない者達は極めて多い。

 今でこそ西梁国は安定しているものの最初の一年は毎週のように暗殺者が訪問していたし、毎月のように反乱やそれに乗じて領土を削り取ろうと画策する他国の侵攻は絶えなかった。

 それが月一になり、年一になり、取られた領土を取り返し。そして奪い返した分、管理せねばならない土地や町の数も多くなった。

 仮に一万人の住人の住む中規模の都市があったとして、商家倉庫民家空家宿屋納屋その他家屋すべてを探し回り、「こちらに羅刹王母様に逆らう鬼方の残党はいらっしゃいませんか?」と尋ねることは不可能な事である。

 今だに鬼方の軍勢は西梁国内に存在し、忘れた頃に反乱を起こす。

 友好的な近隣の国もあればあまりそうでない国もある。故に不穏分子は西梁国に分散し、潜伏し、乱を起こす機会を伺っているのである。

 他にはこの五年で台風による水害が二件。旱魃が一件。大火が六件である。

 敵対国家と隣接して、災害が起きても戦争が起こらないのは、災害には国境は関係ないからだ。

 台風は海も山も越える。従って西梁国で水害が起きた年は敵対する国も水害。旱魃が起きた年は敵対する国も旱魃などが発生する。食料などの必需品が欠乏するので戦争する余裕ない。

 数人から十数人程度の暗殺者を送りつけるのならばいざ知らず、戦争というのは数千人、数万人の『普通の兵士』がぶつかり合って行うものだからだ。

 彼らが戦うには、彼らが敵地まで歩き、そして戦場で食べる食料がいる。

 実際戦争の記録は豊作の年の方が多かった。

 一般的に兵士の主食は当然ながら米である。

 例えば西梁国の兵士には、戦場に向かう際には武器防具の他に、米一升と水筒。一巻の包帯と銀一匁を渡している。

 仮に一万人の兵士同士が山林で戦ったとしよう。

 敗走、引き分け、勝利。状況は問わない。

 末端の兵にとってそれは意味がないのだ。

 勝利した場合であったとしても、運悪く一騎当千の英傑に遭遇するなどして局所的に敗走する場合は必ずあるはずである。

 その場合兵士は生存しているのならば軽症、もしくは重傷を負っているのが普通と考えるのが当然である。そして、一般の兵士の多くは治療法術なぞ行使できない。

 そんな彼らが応急手当てとして血止めをするならば、清潔な包帯をおいて他にはない。簡易的な治療を山中で終えた一般兵は敗走を開始する。

 逃げるにあたって、空腹では戦場から逃げ去る体力すらないであろう。そこで米の出番である。米は精米した状態では、基本腐らない。

 食べる直前になったら、まぁこの場合は非常時なので兜などの調理に使えそうな入れ物に米をぶち込み、(腹を満たせばよいので、とぐ必要はない)水を入れて炊く。箸は木の枝などを拾って使えばいいだろう。

 人里まで歩いて脱出することに成功したら、銀一匁の出番である。人間社会で物を言うのはお金だ。一般兵士達は所持している銀一匁で店舗で自身の生存に必要な商品を購入し、故郷、或いは砦などへの帰路に就く。購入品はその兵士がその時に必要とされるもの自由裁量である。

 羅刹王母は言った。


「何ゆえそのようなめんどくさい事をするのだ?米と水を持たせたら、その分荷物が増えて動きが重くなる。戦場で体の鈍さは死に繋がるぞ」


 自分が仕える主君のその言葉に鄭国は思わず声を荒らげ、激怒してしまった。


「あんたこの世に生きる人間全部を自分と同じ水準に考えないでくださいよっつ!!普通の兵士は一万人五万人の敵を薙ぎ払うことなんてできはしませんよっ!!!」


「いや、妾とてせいぜい五十人百人を同時に相手にするのがやっとであって、それ以上の数を前にして無事でいられる自信はないのだが・・・」


「たとえばです!囮部隊を用意して、背後から本体が敵を奇襲攻撃かけるとしましょうっ!!」


「全軍まとめて正面からぶつかればよいではないか」


「ゴリ押しが通じるのは数において優勢な場合なのみですっ!!それになんの策もなしでは味方の被害が増大するばかりではないですかっ!!」


「囮部隊なんぞ出したらそいつらがやられてしまうのではないか?」


「ですからっ!やられる前に適当に戦って、そしたら逃げてよいと命令するのですっ!!逃げるのにも支度がいるのですよっ!!それとも何ですか?貴女は戦場で傷つき、倒れた無名兵士達数百名すべてのそばにどこからともかく黒装束の奇術師が現れ、『ククク、お前の死に場所はここではないのだ。まだまだ戦ってもらわねばな』と安全な後方まで瞬間移動で逃げ延びさせるというのですか?!!」


「鄭国。お前仙道であろう?そういう仙術が使えるのではないか?」


「使えませんよっ!!もし使えたら千里眼で場所を探り、十里先の敵国の王子のいる本陣に直接

精鋭の兵千騎を送り込んで戰を一刻もかけずに終わらせて見せますとも。ええっ!!」


 瞼を開けた鄭国の前には机の上に積まれた書類の山があった。どうやら居眠りをしていてたらしい。


「いかんな。久しぶりの机仕事のせいか?たいして働いていないというのに」


 一度椅子から立ち上がり、少し離れた別の小さな机に置かれた茶道具の元まで歩く。茶道具が仕事机と離れた場所に置かれているのは誤って書類を濡らしてしまわないための事前の策である。今回は見事に役に立ったようだ。

 茶碗の中にすっかり冷たくなった緑茶を注ぐ。


「そういやあの大喧嘩した後だったな。天主教の国と正式な外交関係を結びたいから、親書と少々の貢物を持参して西域へ旅立つように命令されたのは」


 行きに二年半。帰りに二年半。陸路で。馬を使い。

 この世界には、『ガソリン自動車』なるものは、ない。少なくとも鄭国が行った事のある西梁国と、天主教の国々と、その間の国には存在しない。

 その間、移動距離ほんの1600里過ぎない。キロメートルに直すと6400キロ距離。

 なぁに。たいした距離じゃないさ。東京上野から埼玉大宮までがおおよそ60キロ。そのほんの

百倍程度の距離に過ぎない。

 おっと。この世界には上野も大宮なんて街もなかったな。わかりにくいたとえをしてすまなかった。

 ただこれを読んでいる読者には「この程度の距離なんて転生チーター様にはたいしたことない」

とでも理解して頂ければ幸いである。


「今から思えば羅刹王母様のあの命令は左遷に等しい物であったのかもしれないな」


 あまり重要ではないことだが、鄭国は瞬間転移術など使えない。

 そうでなければ荷馬車と共に行進し、往復五年もかけた天主教国家への旅などするものであるか。

 もし読者の中に時速100キロで飛行する魔術の類を習得しておられる方がいればぜひそれを用いた旅をお勧めしたい。三日も経たずに西梁国から天主教の国まで辿り着けるはずである。

 なお、途中睡眠や食事の休憩を取らないでぶっ続けで飛行し続けるものとする。

 鄭国は飛行術が使えないわけではない。だが、彼は思った。

 自分には無理だと。

 だから馬で西に向かったのだ。

 一日三度。食事を取り、日が暮れたら、寝る。

 天主教の国、神聖ガロアの王に親書の渡し、姫君である逢璃紗を連れて再び西梁国の帰還の途に。

 そして、ながいたびが、おわった。


「鄭国様、大変でございます!」


 久々の央国茶を呑みつつ物思いに書斎で物思いにふけっていた鄭国の元に兵士が飛び込んできた。

城内の見回りをする者ではなく、城門の守護する者である。


「何事だ?昨日私が店を壊した連中が苦情を言いに来たのか?裁判をしたのいのならきちんと役所に行くように懇切丁寧に説明してやれ。もっとも勝つのはこちらだがな。正義は我々にあるのだ。法廷が嫌なら暴動を起こせと言ってやれ。その時は天主教の国から連れてきた首輪鳥の傭兵団を使うだけだ。『仙道』の力抜きで民を制圧してみせよう」


 決然とした意思の篭った声で鄭国は言う。


「いえ。それが」


 兵士の持ってきた報告は少々違うようだ。


「城の門の前に化け物がいるのです」


「城の門?街の門ではなくて?」


 紅鎧城は楼蘭の都の中央に位置している。

 つまり、この兵士の報告そのままであるのならば。


「市中に妖怪の侵入を許したのか?!城壁の警備兵は?!全滅したのか??!!」


 津波の如く押し寄せた魑魅魍魎の群れに既に街門が突破され、妖魔の大軍に家々が蹂躙されているというのか。


「いえ。街の住人達は無事です」


 この兵士はとても優秀であった。最優先ですべき報告を鄭国に告げた。


「街の中に化け物が侵入しているのに住民が無事であると?」


 鄭国は兵士に確認を要求した。


「はい。城門の前にいる怪物は一体で、こちらを攻撃する気配はありません。ただその場を動かず、鄭国様を呼べと」


「それは本当に魑魅魍魎の類なのだな?」


 鄭国は再度確認した。


「それはもう。一目見ただけで化け物だとわかる代物で」


 鄭国は椀に残った央国茶の残りを飲み干すと。


「わかった。私が出向こう。それと念のために兵の待機をさせてくれ」


 女皇の留守を預かるものとして、当然の判断を即座に指示した。

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