第8話ただひたすらに修練を続ける女
ワニの巣食うあたかも伏魔殿のような庭園を通過した後、ようやくアイリーシャは玉座の間らしき部屋に辿り着いた。
廊下同様赤を基調とした室内。漆塗りの玉座の隣には大きな銅鑼が置かれている。この部屋でこの国の主である羅刹王母との謁見が行われるはずなのだが。
「九百参拾八、九百参拾九・・」
確かに、彼女はそこにいる。
「九百四拾五、九百四拾六・・・」
長い髪を左右の耳の上で大きな輪の形状に結い上げた髪型。肩幅が広く、全体的にがっしりとした『筋肉づき』をしていた。
「九百五拾六、九百五拾七・・・」
彼女は玉座の前で、腕立て伏せをしていた。しかも左腕のみで。
「あの。鄭国。あれって」
「ええ。昨日あったでしょう。羅刹王母様です」
「いや。名前を聴いているんじゃなくて」
アイリーシャは、羅刹王母の一メールほど上を指さした。
「あの人の上に乗っかっている物体。あれ、なんなのかしら?」
羅刹王母の上には、だらしなく服を着たオーク。
そうとしか形容しようがない物体が乗っていた。
その物体は羅刹王母の背に胡坐をかいて座りつつ、布袋に入った米菓子をボリバリと音を立てながら咀嚼している。王母の背や髪の毛に米菓子の食べかすが降りかかろうともお構いなしだ。
「ブフ?お前はもしかしてボクについて尋ねているのか、ブフー?」
生き物が知的であるかどうか。という学者の判断基準にその生物が言葉を使えるか否か。というものがあるらしい。そういう意味で彼は間違いなく知的であった。
そんな知的なオークにアイリーシャは逆に尋ねられてしまった。
「え?あ。そうですが?」
「ボクは八戒って言うんだブー。羅刹王母さま胃の一番の子分なんだブフ♪」
「八戒?それがお前の名前か?」
「そうなんだな。よろしくブフー」
体型からして、凄く八戒な奴だ。アイリーシャはそう思った。
「ボクは羅刹王母さまの命令ならなんだってするんだブフー」
「それじゃあなんでその羅刹王母様の上に偉そうに座って、菓子食っていますの?」
当然の疑問を、アイリーシャは八戒にぶつけてみた。
「羅刹王母さま直々の勅命だブー。筋肉鍛錬のお手伝いなんだブー♪」
「嘘でしょ・・・」
「九百九拾九、壱千」
どうやら皇后が腕立て伏せを終えたようだ。八戒は羅刹皇后の背中から降りる。
「さて。次は大臀筋の鍛錬だ」
羅刹王母は一旦その場でしゃがんだ。
すると八戒は羅刹王母の両肩に当たり前のように肩車の座る。そして、羅刹王母はその行為になんの疑問も抱かずにその場でスクワットを始めた。
「ちょっとまてぇい!!」
たまらずアイリーシャは叫んだ。
「鄭国。その五月蠅い寝ている時に耳元にまとわりつく蚊のような女は?」
「羅刹王母様。昨日お会いしたガロア国よりの親書を持参した者でございますよ。もうお忘れになりましたか?」
「ああ。そう言えば一緒に食事をしたような気もするな」
羅刹王母はチラッ。とアイリーシャの顔を見ると、再度スクワットを再開する。
「だからマテやコラァッア!!」
「いちいち五月蠅い奴だのう」
「そうでございますね」
「ブフ?本当に喧しい奴なんだなぁ。ボクみたいに落ち着きがないとカレシができないんだなぁ」
八戒も含めてアイリーシャは己の存在を全否定された。
「いや。お前はとりあえずその人から降りろ。今すぐ」
「ブフ?」
「本当にやかましい奴だな」
羅刹王母はスクワットを中止し、肩車していた八戒を床に降ろした。
「そこまでして妾の筋肉鍛錬を阻害しようとするのならば、それなりの覚悟があるのであろうな?」
筋トレをしていた羅刹王母はネコ科ヒョウ亜目にも似た眼光でアイリーシャを睨み付ける。両手を組み合わせ、指を鳴らす。
先ほどまで筋肉トレーニングをしたせいもあるのだろう。上腕筋からたれた汗が、大胸筋を伝って腹筋を流れ、大腿筋に到着する。
その発汗と筋肉の動きがよくわかるのは、羅刹王母が半裸に近い姿をしているからである。全裸ではなくあくまでも半裸なのは、この羅刹王母なる女性が衣服らしきものを身に着けているからだ。
いや。これは衣服と呼べるのだろうか?
その色は翡翠。乳房と臀部を申し訳程度に覆い隠す肌着のような形状と、同じ素材で造られた思しき手甲と脚甲。
「なんなんですか!!それが女王のする恰好ですかっ!!」
「ほう?これはこれは。妾に意見する者など随分とまぁ久しぶりだな。理由を聞こうか」
羅刹王母は玉座に座ると、ようやく女王風に偉そうに右手で頬杖をついた。ただしビキニアーマー。
羅刹王母が玉座に座ると同時に素早く美形の鄭国が走り寄り、理髪店の美容師が使うような小さな竹ぼうきで筋力トレーニング中についたと思われる米菓子を払いのけている。
そして八戒は。
あ、床に落ちたお菓子の破片を舐め食ってやがるぞこいつ。
「あなたこの国の女王。皇后でしょーがっ!!なんでそんな格好して筋トレなんかしてますのっ!!!」
「筋力鍛錬か?これは妾の政務じゃ」
「だからそれのどこが皇后の役目なんですのっ!!」
「これだから政(マツリゴト)をしたことをない方は困ります」
ハケを用いて羅刹王母の髪の汚れを取っていた鄭国が口をはさんだ。
「先代皇帝が亡くられてすぐ、羅刹王母様はこの国の新たな皇帝、女帝として即位されました。ですがその行為は勿論の事、羅刹王母様のの政(マツリゴト)自体が気に入らず、謀反を企てる者、暗殺者を送る者。そういった輩は後を絶ちません。警備の兵ももちろんおりますが、万一に備え、王母様は自ら御身を己自身の手で護る鍛錬がかかせいなのでございます」
「そんなに酷い政治しているんですか?」
アイリーシャは確認することにした。
「そうですね。たとえば単なる思い付きで婚姻に関する法律を変えまくりました」
「具体的には?」
「一つ。夫が妻以外の者と交わったなら、妻は夫を殺しても良い。この場合妻は罪に問われない。
一つ。子を宿した妻は親族から大切に扱われなければならない。
一つ。おりものが来ていいない娘と交わってはならない。交わった者は串刺しの刑に処す。
一つ。妻と離縁する際は役所に届け出を出さねばならない。不備があった場合または正当な理由なき者はこれを罰する」
「どれもいい法律に思えますけど・・・」
「九歳の子供と交わりたいとか、女房が年取ったから離縁して若い女と結婚したいとか、挙句の果てに獣や男同士で結婚したいなどと申す者共が乱を起こしたのです。軍を率いて鎮圧せねばなりませんでした」
「・・・そういう事もありうるかもしれないわね」
「それとこれは羅刹王母様が即位して最初の秋の事です。支配地域の村々の代表を集め、
こうおっしゃられました。『今年の稲の収穫は奴隷女総出でやらせる。助力してもらいたい者は申し出るように』皆喜んで申し出たそうです」
「この国にもあるのね。奴隷制度」
「人の話は最後まで聞いてください。さらに羅刹王母様はこうも言われました。春に収穫する冬越し麦の種蒔きは奴隷女にやらせると。さらに農作業のない冬場は国の労役をやらせようと思うが、それは村人ではなく奴隷女にやらせようとさらに春の収穫も奴隷女にやらせようと」
「碌な女帝じゃないんだ」
「当然ながら、種蒔きも収穫も土木作業もすべて肉体労働でございます」
「貴方こんな奴に仕えていて恥ずかしくありませんの?」
アイリーシャは羅刹王母を指しながら言う。
「重ね重ね言いますが人の話は最後までお聞きください。王母は田植えが終わった後、奴隷女達に夏の間だけ軍務に着くよう命じました。それだけでなく、各地の村々に御触れをお出しになりました」
「どうせ碌でもない命令でしょう?」
「そうですね。奴隷女達に兵士として基本的な訓練をさせただけでございます。それから仕上げとして百万の女奴隷を自ら率いて燕国に攻め入りました」
「ひゃくまん?」
アイリーシャは自分の耳が悪くなったのかと思った。鄭国がホラ話をしているのかと思った。どちらでもなかった。
「奪い取った領土に今まで奴隷女達を使っていた者達を開拓民として強制移住させました。ざっと三十万人ほど送りましたでしょうか」
「そういえばなぜか送り込んだ開拓民と旧燕国の民がなぜか徒党を組んで妾に反旗を翻しおってな」
鄭国に髪の汚れを取って貰った羅刹王母は玉座に座り直す。
「ブフー。愚かな連中だったブー」
「彼らもまさか元奴隷女百万の軍勢に蹴散らされるとは思わなかったでしょうな」
「その人達は今どうしてますの?」
「大半の者は夫や子供を持って幸せな家庭を築いておるな。独り身の石女は妾だけじゃ」
アイリーシャの問いに、羅刹王母は答える。
「ブフー。羅刹王母さまは石という鋼女なんだブフー」
確かに鍛え抜かれた全身の筋肉はそれ自体が鋼鉄の塊と化している。これならば鎧など不要かもしれない。
「さて。娘よ。この羅刹に用があったのであろう?赴きを聞こうでないはないか?」
「え?は、はい。こちらが父上からの親書になります」
アイリーシャは父ラスカリスからの手紙を羅刹王母に向けて差し出した。鄭国はその手紙を受け取ると羅刹王母に見せた。
「開封せよ」
「承知しました」
羅刹王母の命を受け、鄭国は親書を開封した。
Than the king of the empire Galois to the king of the foreigners the land
Thanks to the friendship of the intention of the magnificent tribute and your country
That my daughter Airisha as honorarium to your wife, you will be wishing to promote the friendship of the proof in your country
「読めぬ」
羅刹王母は手紙を放り投げた。
しょうがないので鄭国が訳して読むことにする。
「外国人の地の王に帝国ガロアの王より。
壮大な捧げ物とあなたの国の友好の意思に心よりの感謝を致します。
謝礼として私の娘アイリーシャがあなたの妻にすることを、あなたの国で証明の友好を促進することを望むものです」
羅刹王母は手紙と、アイリーシャを交互に見比べ。
「その内容に間違いはないか?」
「はい。だいたいあっております」
と鄭国は答えた。
「ちょ、ちょっとまってください!羅刹王母様!貴女一応女性ですよね?!」
「うむ。そうではあるが」
「女同士で結婚はできませんよっ!!」
「交わることできるぞ」
「えっ??!」
「妾は両方ともイケる口だ」
「ブフー。流石は羅刹王母様だ。ボク達にできない事を平然とやってのけるんだブフー」
「お待ちくださいっ!」
鄭国が怒鳴る。
「羅刹王母様!御自身が定めた法を自ら犯すつもりでございますかっ!!」
「何か問題あるのかえ?」
「国法第百七十七条初経のない女子と姦淫した者は二十年の労役に課す!」
「え?それ重くなくて?!」
「いや。それくらい罰則を重くせねば愚行を行う者を減らせぬでな」
「わかっているなら自重なさってください」
鄭国は羅刹王母をたしなめる。
「ブフー?でも逢璃紗のお父さんは羅刹王母様と結婚するように言っているんだブー?結婚して家族にならないとお父さんに失礼になるんだブー」
八戒が変な理屈で羅刹王母を擁護する。
「それはガロアの王が我が西梁の国家元首。つまり羅刹王母様を男性だと勘違いなされたのです。従ってこんなのものは無効です」
「だからといって遠路遥々赴いてくれたこの娘を無下にする事もあるまい」
羅刹王母は暫し考える素振りを見せたのち。
「そうだな。妾と同じ鼓舞寵姫になるがよかろう」
「コブチョウキ?」
「寵姫というのは皇帝が正妻以外に娶る妻。要は愛人の事だ。死んだ先代皇帝には妾も含め十六人の妃がおったが一夫多妻となれば苛烈な競争が生まれるのは必然。単純なやり方では声をかけてもらうことすらかなわぬ。そこで妾は一計を案じたのだ」
「どのような策を?」
「まず皇帝が戦場に赴くのだ」
「珍しいのですね。わたくしの父上は帝都の玉座にふんぞり返るだけで城の外に一切でないひきこもりのロクデナシと鄭国は評価していましたが」
「それでその戦場に妾もついていくのだ」
「それだけで特別な寵愛が受けられるようになるのですか。随分と簡単ですね」
「いや違う。具足を身にまとい、その状態で夜伽をするのだ」
「・・・それってやりにくくないでは?」
「むしろ大喜びであったぞ。妾が講じた工夫はそれだけではないぞ。先帝の帰還の際馬を飛ばし、妾だけ一晩先にこの楼蘭の都に舞い戻った」
「宴の準備でございますか?」
「宴とは少し違うな。朔の夜。妾は闇に紛れてこの紅鎧城に密かに潜入した。そして妾以外の寵姫十五人をすべて排除した。翌朝玉座に他の寵姫の亡骸を並べ、『なぜこのようなことしたのか』と問う先帝にこう答えてやったわ。『貴方様の御寵愛を受けるにたる妃はこの私一人で十分でございます』とな」
「そ、そんな事してだいじょうぶだったのですかっ!!」
「具体的にどのように邪魔者を始末したのか実演してみせよう」
そう言って羅刹王母は玉座から立った。
「娘。ちとこの椅子に座ってみるがよい」
「椅子に。で、ございますか?」
勧められるがままアイリーシャは玉座に座る。
「そうだ。お前は寵姫役。八戒と鄭国は城の警備兵役だ。この謁見の間を適当にうろつくがよい」
「承知しました」
「わっかんたんだブフー」
鄭国と八戒は玉座の間を前後に。左右に。それぞれ規則正しく歩きはじめる。
「さて。始めるぞ」
羅刹王母は謁見の間の入り口まで行くとその実演とやらをはじめた。
彼女は入り口すぐそばの柱に飛びつくとそのままするすると登り始める。そして、天井の梁をつたい、床を歩く鄭国達の視界に入らない様に移動する。そして玉座の前にするりと音を建てずに降り立つ。
そして、玉座に座ったアイリーシャの首を絞め挙げた。
「ほれ。この通り。妾は一晩のうちに城内の兵士誰にも気づかれずにすべての寵姫を排除することに成功したのだ」
アイリーシャが喉をかきむしり、白目を向き、泡を吹き始めたのを見て、羅刹王母は満足げに笑い、それから後ろにいる鄭国らの方に彼女を放り投げた。
そして再び玉座に座り直す。
「妾がこんな事をした理由は簡単だ。『妾がこんな事を考えるのだから他の寵姫も似たような事を企てるはずだ』という酷く簡単な理由だ。実際、寝首を掻こうとした寵姫の何人かは酷く手ごわい相手でな。口から溶解液を吐き、透明化能力を持つ青蛙公主。霊獣を操る獣吉公主。そして正妻の褒似。いずれも死闘であったな」
「もうしわけないのですがどの御方も人間でないような気がします」
鄭国はそう小声で指摘した。
「さて。鼓舞寵姫となるならそれでよし。客人としてもてなそう。そうでなければ蛮国から送り込まれた密偵として手荒な扱いをせねばならんが。ん、如何した?」
アイリーシャは床にうつ伏せになり、涎を吐いていた。
「どうやら気絶しているようです」
アイリーシャの具体を見た鄭国が羅刹王母に告げた。
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