第5話法律的に正しい略奪

「何をぼうっとしてらっしゃるのですか?」


 すぐ隣から声をかけられた。アイリーシャの従者である。


「なに、って今もの凄い勢いでゾウが走り抜けて。通りに面した店と人をなぎ倒して行きましたわよ?!」


「おや?私には『ゾウが道を歩いただけ』にしか見えませんでしたがね」


 そう断言してのけると、従者は津波が引いた後の海岸沿いの港町と化した通りを紅鎧城に向かって歩いていく。母親について歩く子供のようにアイリーシャは従者の後を追う。

 店舗の残骸には店で売られていた商品に混じり、木製の檻に入れられたまま死んだニワトリ。

 首に縄をつけられたまま蹴りつぶされた豚の死骸なども混じっていた。

 それらはおそらくは店頭で生きたまま売りに出されていた食肉だったのだろう。

 アイリーシャは自分が産まれてから今まで食べた鶏肉や豚肉の量など覚えていない。だが、どういうわけか彼女に同情を禁じ得なかった。

 紅鎧城城門の右手には石壁に衝突した象が目を回していたが、その周囲を城の衛兵らしき者達が遠巻きに七、八人ほど取り囲んでいる。

 王城だけあって全身をすっぽりと覆うメールアーマーのようなものを着込んでいる。それの内側には絹であろうか。内側にたっぷりと布地の膨らみが見受けられる。これならばメイスの殴打にもかなり耐えられるのではないか。

 斬撃にも殴打にも弓矢などの飛び道具にも強いだろう。ただ、間違いなく非常に重いので、動き回るのには不向きだ。

 もっとも、一か所にとどまって王城を護るのだからそんな心配はいらないのかもしれない。

 そんな城の衛兵達に混じって一際目立つ人物がいた。

 その人はとても背が高い。周りの兵士よりも。肩幅が広く、がっしりとした体格である。当然ながらアイリーシャの従者よりも高い。

 遠目からは男性かと思ったが、近づいてよく見るとそうではないようだった。

 長い髪を車輪の如く結い上げていて、この街にいる女性達が着るごく一般的な絹製の服を着ているようであった。体に対する密着度は高く、袖は短く、足にはスリットがついている。

 体型がよくわかる服のデザインのせいで、それを着ている人物が胸が大きく、腰がくびれ、尻が突き出している事がわかった。

 つまりこの人は大柄ではあるものの、立派な女性なのだ。

 そんな彼女は長さ三メートルはあろうかという巨大な鉄斧を担いでいる。斧そのものはかなりの大きさではあるが、それを持っている女性自身が大柄なため、丁度いいサイズに思えた。

 これだけの獲物を力任せに叩きつければ重装騎兵の鎧を問答部無用で叩き壊して致命傷を負わせることが出来るだろう。

 彼女がこの大斧を振り回せば周囲にいる城の衛兵たちは木の葉のように吹き飛んでしまうに違いない。

 いや。むしろ彼女こそがこの兵隊達に命令達に下す立場の人物。女将軍か何かではないだろうか。身振り手振りで何か指図しているようにも見える。


「お久しゅうございます。羅刹王母(ラセツオウボ)様」


 アイリーシャの従者は両手を組むと大斧を担いだ女性に向かい膝をつき、恭しく頭を下げた。


「・・・誰だったかえ?」


 羅刹王母と呼ばれた女性は一瞬だけ彼に目をやると、すぐにその視線を象に戻した。


「五年前。天主教国への親書の返礼を持って出立した深沙神鄭国(ミョウサシンテイコク)でございます」


「ふむ。そういえばそんなこともあったようなきがするな」


 羅刹王母と呼ばれた大柄な女性は、相変わらずの気のない返事をする。


「そして。通りの店に貴方様の姿があるのを知って、その象をけしかけたのも私めでございます」


『貴様っ!!!』


 即応したのは大斧を持った羅刹大母ではなかった。

 彼女の周囲にいた衛兵たちが一糸乱れぬ動きで手にしていた槍を鄭国に突きつける。

 その槍には黄色字の毛並みに黒のシマシマの猫が描かかれた絵の布が巻かれているが、アイリーシャは随分と可愛らしい趣味をした兵隊だと思った。


「羅刹王母様の命を狙うとは不届き千万!」


「そこに直れ!」


「この場にて成敗してくれるわっ!!」


 今にもその槍を突きそうな兵士達に対し、


「やれやれ。五年ぶりに帰郷したと思ったら随分と兵の質が落ちたものですね」


 鋭利な刃物が七本も八本も突きつけられているというのに彼はまっこと落ち着いた様子であった。


「なんだ貴様!我らが貴様を殺せないとでも思ったというのかっ!!」


「そうですね。法的に無理でございます」


「この国をお治めになる羅刹王母様を暗殺しようとした罪!重罪!死罪!直ちに処刑せねばならん!!」


「ではその羅刹王母様にお尋ねしますが」


「なんだ。命乞いか?」


 腰につけたヒョウタンを口につけ、おそらくは酒を飲む羅刹大母。


「その服装からして。お忍びで市中を遊び歩いていたと思われます」


「まぁ楼蘭の街は安全だしな。万ヶ一にも妾の命を狙う輩がいたのならば」


 勢いよく振り下ろした大斧は、アイリーシャの従者の額前でピタリ。と、留まる。


「叩き壊してくれようぞ」


「国法第一章第一条にこうあります。『皇帝若しくは女帝はその権限において人民を統治すべし』」


「妾が民を支配せよということであろう?それがどうしかしたか?」


「同三条にこうあります。『皇帝及び女帝は神聖なものなり。それ犯すべからず。それ即ち反逆なりき』」


「そうだ。だから我らがこうやって羅刹王母様をお守り・・・」


 左手を出し、鄭国は口を挟む衛兵たちを制した。


「判例がございます。古公壇父(ゴコウタンボ)帝の後を継ぎ、虞仲(グチュウ)の代になった時のことでございます。若き帝は今後の政(マツリゴト)に役に立つのではないかと馬に乗ってお出かけになられました」


「妾もよくやるが、それでどうしたのだ?」


「すると脇道から一匹の豚が飛び出して参りまして、その勢いに驚いた馬が自分の背中から虞仲を振り落してしまったのでございます。振り落された若き帝は地面に落ちて頭を強く打ち、そのまま亡くなってしまいました」


「馬を乗りこなす事すら満足にできんとはもともと王の器ではなかったのだろうて」


「それで虞仲帝の死因となった豚と、その飼い主に対する裁判が行われたのですが」


「如何なる判決となったのだ?」


「『王は玉座に座ったまま病死なされた。豚とその飼い主は無罪』」


「理由を聞こうではないか」


「判決を下したのは虞仲の後を継いで皇帝となった季歴。理由は判決文の通り。というのは建前でして、実際には豚にけつまずいて死ぬような者は皇族として恥であると」


「なるほどのぅ」


「というのはどうやら建前らしくて、まぁその当時の文献を漁ってみたところどうやら世継ぎ争いがあったようですね。もっとも千年以上前のことですし、あくまで文献に書かれていることです。もちろん私は当時この国にいませんよ?あくまでもそういう記録があるだけです」


「なんだそれは。それで象をけしかけた事が帳消しになるのか?」


「でも、判例ですから」


 なんだか大変不服そうな羅刹王母に鄭国は淡々と続ける。


「あくまで個人的な見解ですが、当時裁判を行った者が『皇帝の死因となった国中の豚を皆殺しにしろ!』などという下らない下司(ゲジ)を出さなくて本当によかったと思いますよ?仮にそうなっていれば天災でも戦争でもないにも関わらず食料にする家畜が何故か不足し、多くの民草が飢え死にしていたでしょう」


「なにかそういう事した王様もいそうね」


 アイリーシャがそう声をかけると。


「西梁国は冬王朝、円王朝、東周王朝の後に出来た国ですから。現在に至るまで二千はあると言われています。その間に名君もいれば街役者と恋路に勤しみ顔は良いが政務も軍務も出来ない男を夫の皇帝にして国を亡ぼすきっかけにした愚かな姫君の話もありますから」


「しかし貴様がこの化け物をけしかけ、羅刹王母様を亡き者としようとしたのは事実であろう!」


「然り!然り!」


 城の衛兵たちは槍を上下に振りながら食い下がる。


「ではわかりやすく短く言い直しましょう。『城から出る時は命を狙われることもございますので、護衛などをお忘れなきよう。襲われた際は自己責任でお願いいたします』」


「確かに」


 羅刹王母は改めて大斧を振りかざし、鄭国を睨み付ける。


「妾は城から出る時は伴を断る事はあってもこの獲物を持ち歩くようにしておるな。単なるコケ脅しだがそれなりに効果はある」


 そして、大斧を振りかぶりながらこうも尋ねた。


「妾の命を狙った事には貴様の屁理屈に免じて無罪放免といたそう。ところで鄭国。貴様が放った象のせいで街が壊れた。怪我人。おそらくは幾ばくかの死人も出ているであろうな?

そやつらにたいしての弁解はあるか?」


「こちらをご覧ください」


 鄭国は懐から一冊の本を取り出した。かなり分厚い。


「なんだこれは?」


「そこの瓦礫から拾いました。おそらく書店の残骸ですね。この国法全書でございます」


「コッポウゼンショ?」


「科挙に挑む者。この国の役人になる者が読む本でございます。まぁ普通の町人や兵士には無用の長物でございますが。確認したところ去年出された最新の物。それの第六十四条をお読みください」


「六十四条?」


 羅刹王母は言われたとおりに本のページをめくり、国法六十四条の内容が書かれたところを探した。


「えーと。目的、この法律は道路における安全を確保し、車両と人間の円滑な交通を図り、道路における障害の防止を目的とする・・・。なんだこれは?」


「つまり道路はみんなのものなので事故がないように大切に使おうという事でございます」


「なんだ。ならそう書いておけばよいものを」


「そうだ王母様の仰る通りだ!」


「然り!然り!」


 兵士達はいきり立つ。


「そこから三十枚目の第二節をお読みください」


「第二節とな?」


 羅刹王母は分厚い本をパラパラとめくる。


「第二節危険防止措置について?違法工作物について。歩行者及び車両運搬具の往来に対し、危険を生じる可能性がある当該違反工作物が道路及び歩行帯に設置されていた場合当局はこれを設置者に対し撤去を命じる事ができる。設置者が命令に応じない又は設置者が不明な場合は公共の安全を確保をするために該当危険物を強制的に撤去することが可能である。撤去に関する費用は該当危険物を設置した者に対し当局はこれを請求することができる。撤去物に売却利益が見込める場合、当局はこれを撤去費用に充足させるため、保管公示する権利を有する?」


 きわめて難解な法律用語を聞いて、紅鎧城の兵士達は驚き戸惑った。


「ど、どういうことだ?」


「わけがわからないぞっ?!」


 そんな彼らの為に、鄭国は短く、わかりやすく説明してやった。


「つまり道路に不当に設置された物は問答無用で壊してもよく、さらにその中に金目の物があったら頂いてしまってもよいという事なのです」


「ちょ、ちょっとそれってドロボーじゃ!?」


「然り!然り!」


 この国の外から来たアイリーシャの言葉に、この国を護る城の衛兵たちは槍を上下に振って同意する。


『おう。持って来たぜ~』


 青い鎧を着た男と、兵士が四、五十人ばかり。東の方の道からやってきた。彼らは確かアイリーシャをガロア帝国よりこの地まで護衛してきた兵のうちの何人かではないだろうか。

 身に着けている武器や防具に差異はあれど皆左肩に首輪をつけられたカラスの紋章が刻まれている。


「さっそくですがこちらをご確認ください」


 鄭国は全身を青い鎧を着込んだ男から受け取った紙束を羅刹王母に手渡した。


「なんじゃこれは?」


「この楼蘭の街の地図と土地の登記簿でございます。この書類によりますと確かに紅鎧城から南門まで南北に走る目抜き通りが存在しておりますが」


 地図を広げて見せる鄭国。羅刹王母だけではなく、護衛の衛兵。もちろんアイリーシャにも、そして首輪鴉の兵にもその地図は窺い知ることが出来たであろう。


「さらに国法によれば目抜き通りの広さは馬車二台が交互にすれ違うことが出来、尚且つ往来の人通りを妨げることのない充分なものを確保すべしとあります」


「それって物凄く広くないか?」


「然り!然り!」


「初代武王帝が凱旋を祝う為とその見物客にこの道路の広さにしたもので、八代考王の代まで続きました。この同皇帝が戦死なされたので以後廃止されましたが」


「でも、家が建っているけど?」


「然り!然り!」


 アイリーシャがそう疑問に思う。この通りは馬車二台どころか一台通るのもやっとの広さしかない。


「それは『浸街』のせいです」


「シンガイ?」


 この場にいるほぼ全員が聞いた事のない単語であった。


「都市活動の主役は商人です」


「それはわかる」


『ていうか当たり前だろ』


「然り!然り!」


「しかし個々人の彼らの店舗はそれほど大きくはない。そこで商品の販売や接客は外部の通りへと依存するようになります。店の内部からはみ出して様々な商品が道端に並べられ、徐々に公共の場であるはずの店先が浸食される。この道路の不法占拠を浸街といいます。そして」


 鄭国は背後を振り返る。目の気通りの左側には象の突進によって全壊した店舗群と、右側にはまだ無傷な店が通りにならんでいる。


「元々この通りは十二分な広さがありました。それこそ複数な馬車が往来可能なほどに。それが三年ほど前に簡易な屋台が建ち始め、さらに各店の店主達がそれを常設の店舗へと増築してしまったのです。もちろん建っている土地は本来道路があるべき場所なのでこれらはすべて違法建築。道路交通法違反です。従って!」


 今度は鄭国が羅刹王母の眉間にその右の指先を突き刺した。


「国法第一条西梁国は帝が統治するものなり。貴女がこの国を治める女帝ならば、その権利と義務に基づき、然るべき措置を。即ち不法に建てられた違法建築物群を撤去せねばなりません!しかもここはあなたのおひざ元、目と鼻の先、楼蘭の城下街ですよ!!」


「だ、だがしかし・・・」


「だがしかしなんなんのです?!」


 羅刹王母は非常に困った顔になった。


「お前のいう違法な店の中には妾御用達の店というのも含まれておるのだぞ?」


 羅刹王母の言う通りであった。すぐそこの菓子店らしき店に『羅刹王母様御用達』の立札が堂々と掲げられている。


「そちらも法的にまったく問題ございません」


「法的に問題ないとな?」


「御用達の看板はその店の店員がこういうものがあったら売上が伸びるであろうと判断して勝手に造るものでございます。役所の許可など不要です」


「そうなのかえ?」


「実際、貴女様は今まで一度たりと御用達の看板を出すための許可証の書類に認め印を押したことなどございましたか?」


「そういえばないな・・・」


 どうやら羅刹王母は御用達看板に公式許可を出した覚えなど、一切ないようであった。


「では、敬愛なる羅刹王母様に成り代わり、我々が強制代執行をさせて頂きます。首領」


『おう?』


 首領、と呼ばれたのは青い鎧を身にまとった男である。


「この地図にある通り沿った右側の店舗。ありますね?」


『ああ。あるぜ?』


 青い鎧着ているせいだろう。少々くぐもっった声で男は答える。

ほうり

『重要だな。俺達は傭兵だからな。依頼を受ければどんな仕事でもやるが』


「不法占拠者の排除をお依頼したい。理由は先ほど説明した通り。道路に張り出した店の軒先部分を叩き壊し、店舗の形を登記簿標本通りの形に整えてください。何しろ国の定めた法を犯し、公共の場に違法物を置き、人々の安息を乱す簒奪者達なのです。一切の遠慮はいりません。遠慮なくやってください。なお報酬に関してですが予算が限られているため、こちらからは一切出せません。代わりに対象の違法物を除去した際に発見した貴重品を報酬として受領して構いません。ただし、対象範囲以外の店舗を損壊した場合はその修繕費用を逆に経費として請求させて頂きます。くどいようですが、予算には限りがありますので。それではよろしくお願いいたします」


『それってつまり?』


「この通りに面した道沿いの店。店頭だけ好きなだけぶっ壊して商品を持ち去ってよろしいってことです」


「ヒャッハー!さすが鄭国の旦那は話がわかるっ!!」


「いくぜお前らー!!!」


 首輪のついた鴉の紋章のついた傭兵団は、歓声を挙げる。平穏だったはずの楼蘭の街中に、突如吹き荒れる。破壊略奪の竜巻。

 ただし南大道り左右それぞれ十二メートルづつ。


「ヒャッハー!酒だーーーっ!!!」


「見ろよ!食料もたんまりあったぜ!!」


「お前馬鹿だな。ここは街中だぞ?砂漠のど真ん中で延々と彷徨い歩いているわけじゃあるまいし、食料なんて安く手に入るじゃないか」


「あ。そうか。じゃあ何を頂けばいいんだ?」


「おい!この上質の真っ白な紙を見てみろよ?!」


「こいつはすげぇ!ケツを拭くのに最適だぁ!!」


 ものの三十分ほどで通りはそこだけ洪水の過ぎ去った後となった。

 そして金目のもの、迂闊にも店先の銭箱に置いてあった金銭の類などはごっそり持っていかれてしまった。

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