第3話ごく普通の中世幻想世界の、すごく東の方

 その世界は、ごく普通の中世ファンタジー世界であった。

 ごく普通にオークがいて。

 ごく普通に女騎士が「くっ。殺せ!」と断末魔の声を挙げ。

 ごく普通に魔法学科があり。

 ごく普通に冒険者達が自称勇者を名乗り、傍若無人な振る舞いを行う。

 そんなごく普通な幻想世界であった。


 神聖ガロア帝国皇帝ラスカリスにアイリーシャは召喚を受けた。


「お前に頼みがある。この親書を届けてほしいのだ」


 その言葉を聞いたのは彼女が九歳の誕生日を迎える一ヶ月前の事であった。


「かしこまりました。おとうさま。ぶじやくめをはたしてごらんにいれましょう」


 その言葉に父である皇帝はたいへん満足げな顔になり、そして母は酷く不安げな顔であった。

 それはよく覚えている。

 初めての御遣い。馬車に乗って一日か二日。

 長くても誕生日までには城に戻る。

 彼女はそう考えていた。


 それから二年の歳月が過ぎた。

 そんなごく普通な『一地方』から離れる事、東方に三千里。

 人の足ならば三年間かかる国に、アイリーシャはいた。


「見えてまいりました逢璃紗様」


 アイリーシャが手紙を届ける先から来たという男がそう告げる。

 同時に彼はアイリーシャの最初の家臣でもある。

 最初はいろいろ問題がある男かと思ったが、二年間の旅の間この男は有能だという事は理解している。

 まず馬車ではなく馬に乗るようしつけられた。槍を持って兵隊のまねごとをさせられた。

 火をおこし、料理人のまねごとをさせられた。布と木の枝を組み合わせて簡単な家の造り方を覚えさせられた。

 そのどれもが役に立った。

 さらに二人の後方に一万人ほどの人間が続く。

 アイリーシャを護衛する兵士。と、言いたいところだが、実際にはそれは半分もいない。

 兵隊と一緒に旅をすれば山賊に襲われる心配はないだろうという行商人の方がむしろ多い。

 多くの女。そしてその子供。女性と子供の数は旅が続くに連れて街道沿いの寒村から引きづられるように集まってくるのだが、それらが『娼婦』と呼ばれる職種の行いで食いつないでいることに気づいたのはアイリーシャが初潮を迎えた後になる。

 大量のヤギや羊。牛などを追い立てるのは遊牧の民。一か所に留まっていては家畜の餌となる周囲の草を喰い尽くしてしまうからだ。

 小さな子供を連れた女性が遊牧民の男に話しかける。男はテントを建てると二人は中に入っていた。

 子供はしばし外で遊ぶ。

 ちなみにこの男女は夫婦ではない。具体的にテントの中で何をしていたか。それを想像できるようになるのはアイリーシャが「赤ん坊はどこから来るのか?」という事を経産婦から教えられてからである。

 輓馬によって運ばれる木材。商人の独りに話しかける男がいる。

 小さめの木材を格安で売れとかもうすぐ街だからいくらでも買い手はいるはずだとか交渉している。

 この男は軍隊付の武器職人だ。折れた弓の修理や矢の補充などを行う。

 馬車の上ですり鉢を使い、草をすり潰している老婆がいる。

 出来上がったものを見習いらしき若者が受け取ると、隣を並走していた荷馬車に積み込み、そこからまた別の草を出して老婆に渡す。老婆は再び草をすり潰し始める。どうやら馬車で移動しながら薬草の調合をしているらしい。

 ここまでくるともはや街一つがそのまま動いているようなものである。


 さて、改めてアイリーシャが前方に目をやれば確かに街の城壁らしきものが見えるではないか。

 それもかなり大きい。

 食料の購入は無論のこと、立派な屋根のついた宿に泊まる事も出来るかもしれない。


「かなり大きいのね。どれくらいあるのかしら?」


「南北も左右も五里づつはありますよ」


 一里は約5キロである。その時アイリーシャは。まぁ、大きな街があるなぁ。くらいにしか思わなかった。

 道は蛇行しながらもその大きな街に近づいていく。街の城壁の右端へと。


「あら?入り口が中央にない?」


 随分と奇妙な構造の街である。特に問題がなければ、こういう城壁に囲まれた都市は、東西南北のそれぞれ中央分の壁面部に正門があり、そこが入り口となっているはずだ。

 山だとか河川などがあり、入り口などが造れないなどの理由があればまだしも、周囲は開けた田園。あるい森林が見えるのみ。

 とてもそのような事情があるようには思えない。


「ああ。これは風水を考慮した結果ですよ」


「フースイ?」


「占いの一種でしてね。街全体を呪いから護る結果街の西門が壁の端っこに。南西部に存在するんです」


「それって効果ありまして?」


「それはもうバッチリ。その昔世界を滅ぼす魔力を持った邪悪な大魔術師がこの都市向けて戦略級超魔法を撃ち込んだのですが風水のお蔭で弾道がそれ、逸れた魔力は世界を一巡して邪悪の魔術師は背中に舞い戻り、自ら産み出した世界を手中に収めんとしようする手前勝手な欲望にその身を焼かれ、滅んだと聞きます」


「あらそーすごいのねー」


 どうせつまらん昔話だろう。アイリーシャは馬耳東風に聞き流すことにした。


 西門に近づいてみるとその周囲は荷馬車の行列で渋滞している。

 彼らはアイリーシャと共に二年間旅をしていた。或はその途中の旅路で加わった者達ではない。


「なんなのかしら?」


「彼らは近隣の農村から野菜などを売りに来た農民たちですよ」


 並走するように馬を歩ませる従者が説明する。


「街壁の中には畑や果樹園の類は基本的にありませんからね。日々の食生活に食料品は外部から購入するんですよ」


「それはわかるけど、それにしては混み過ぎでは?」


「街の西部に料亭街がありますからね。そこに直接卸すつもりなのでしょう」


 そして従者はアイリーシャの後についてくる一万人ほどの人々に声をかけた。


「街の北側に市場と倉庫がございます。商人の方々はそちらにお願いします。東側には兵舎や訓練所がございます。兵士や傭兵の方は給金のお支払いがあると思いますのでそちらにお願いいたします」


 家畜を連れた遊牧民や木材などの資材を荷馬車に積んだ商人達は街の北側に向かう。

 どちらも料亭で売るより市場で取引した方がいいだろう。

 武器や鎧に身を固めた者達は街の東側へ。護衛の給金を受け取るため。

 或いは次の仕事を見つけるため。これだけ大きな街だ。用心棒だの、別の街へ向かう隊商の護衛だの働き口はいくらでもあるはずだ。


「ちょっと。護衛の兵士を離してしまっていいわけ?」


「まったく問題ございません。今更山賊に襲われる心配など無用ですよ」


 従者は南門へと馬を進めながら言う。


「ここが目的地。西梁国の大都、楼蘭ですよ」


「セイリョー国の、ダイト?」


「首都とか王都とかいう意味でしてね」


 呆然と、南門を見つめるアイリーシャに、従者はさらに続ける。


「まさか。貴女は自分の旅路に終わりがないと思ってらっしゃったのですか?」


 そう。この従者の男の言う通りであった。

 二年前。父ラスカリスが手紙を届けてほしい。そう告げた配達先に、アイリーシャはようやく辿り着いたのである。

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