▶④

 学校から飛び出して北大を左に流してまっすぐに走る。真っ直ぐ進むだけでいい。目的地はすぐ近くだ。赤信号待ちしながら息を整える。まだ七丁目を過ぎた辺りだ。あと、十分。くそ。

 すると進行方向の信号はすべて青になった。青一色だ。街中でこれはさすがにない。目の前で大の字に手を広げる少女はなんの疑問もなく急かす。

「いそがないと、じかんじかん」

 まったくこんな時に、いったいなんだ。

「はぁ、はあ。もう、その必要もなさそうだ、けど」

 時間停止。きっとこの娘が操作したに違いない。公園の鳩も羽もモデルと化している。動かないで、そのままのポーズで。

「何であんなまどろっこしいことをしたんだ」

 俺は息を整えて神に従う。神のお告げにやや耳を向ける。

「みらいはわかってもおしえちゃいけないことになってるから。どうしてもそうなっていてどうすることもできないから。でもなにもしないとくつがたはかなしむ。くつがたこうがかなしむことはわたしにとっていけないこと」

「だからなぞなぞにしたと。もう少し分かりやすくとか、ヒントとか付けれなかったのかな。だいぶぎりぎりになっちゃったんだけど。あと、先輩は無事だよね」

「わからない。でもしんではいない。それはあとじっぷんすぎのことだから。なぞなぞはぜったいわからないようなかんじじゃないといけないの。わかるようなかんじとか、すぐにけんとうつくものとか、てんけいてきなかこにつかわれているようなものでつたえることはいけないの。それぐらいみらいのじょうほうはだいじできちょう」

 今回ここまで来れたのは奇跡だろう。人脈の大切さが改めて身に染みた。

「で、わざわざ俺を足止めしなくちゃいけないのはなんでだ。ここから先に行っちゃダメなのか、未来が変わるから」

 少女は首を振って続ける。

「かわるのはかまわない。べつにだいじょうぶ。でもやくそくしないといけない。このせかいのやくそく」

 約束。この世界の約束。

「もうわかっているみたいだからおしえちゃうけど、このせかいはあたしがつくったの。だからこのあいだおしえたとおり。あたしがかみさまだよ。やくそくていうのは、みとめるというやくそく。くつがたがここにきたりゆうをみとめるやくそく。にげないでちゃんとみとめるというやくそく」

 俺がここに来た理由。俺自身が理解していることなのか。逃げていることを止めて認める。ただし、向き合う必要はない。

 息もだいぶ整ってきて俺はビルを背に付けて続きを耳に入れる。

「うん、むきあわなくてもいいからみとめないといけない。くつがたはこうこうせいかつ、どうだった」

 高校生活? 俺はまだ卒業していないはずだけど。

「げんじつせかいでのこうこうせいかつはたのしくなかった。とくべつななぞもなければミステリもせっきゃくもない。あさはやくにおきてあるいてちかてつにのってがっこういってじゅうぎょうでいちにちがおわってまたかえるだけ。たんていぶというなまえにひかれていってはみたけどただのどくしゃぶでしかない。かんがえをひろうしたいだけのじこけんよのあつまりだとくつがたはおもった」


 

▶▶▶


 これは現実世界に俺がまだいた時の話。

 進学当初、中学から高校へとエスカレーターしたわけだが、きっと高校生になれば楽しいことがあるはずと胸を高鳴らせていたのは事実だ。だが現実は勉強漬けの日々。進学校の名に恥じないようにとか両親の期待だとか洗脳文句を放って、結果だけが求められた。普通公立の友人は馬鹿だと罵って笑ったので絶交した。確かに知識を詰め込むだけの日々は退屈だし、部活もやっていないし滅多に遊ばないので友達もいない。ここまでやっているのは極少数だろう。クラスの大半はテスト近くになれば、

だるい。

〉早くテスト終わらないかな

〉なんでテストなんてあるの

〉勉強してる?——してなーい

 などという会話が繰り広げられるだけだ。俺が高得点とっても一番には成れない。一年のうちに成績上位一桁に載ることは無かった。人当たりのいい奴がたまに褒めてくれたり、勉強を教えてと言って来た男子にはノートをそのまま渡した。宿題やってないから写させてはしょっちゅうあった。あとは授業や行事の時の最低限の会話しかしてこなかった。

 

 その中でも、よく話しかけてくれる人がいて、仲良くしようと思って、友達になれそうだと勘違いした時に初めて相手の心に踏み込んだ。高校生になって初めて。でもそれは誰にでも同じように接しているだけで、友達になろうとは言ってくれたがそれは距離を作ってのことだった。多少は許容してくれたり妥協してくれていたように思えたけど上手くやっていくための世渡り術に過ぎなかった。どこか距離を感じたので、それをある度に体現化してきた。だから友達はできなかった。表面的な付き合いでしかなかった。人付き合いってこんなものだと思っていた。

「だけどいちねんのおわりにもんだいはっせい」

 そう。別に忘れていたわけじゃなくて触れる必要がなかっただけ。初めて高校生が楽しく感じて同時に現実を忌み嫌うきっかけになったのこと。確か暖冬で雪の少ない二月の話だ。

「がっこうにつくと、あめもゆきもふっていないのにずぶぬれのじょしがいた。かばんやつくえのじょうたいからみてもあきらかないじめだ。もちろんくらすめいとはみてみぬふりで、くつがたもはじめはそうだった。せんせいは、それはねっしんではんにんをとことんついきゅうした。だけどだれひとりとしてしんそうをしっているひとはいなかった。なんにちもつづくのをみてきぶんがわるくなったくつがたはうごきはじめた」

 特別仲が良かったわけでもないので生態や行動範囲も知らなかった。だからと言って直接救助をすると対象がこちらに向きかねない。教室や校内で直接手を下しているところは俺の見た限りでは見たことがない。指さして馬鹿にしているというよりかはその様子を見て楽しむ愉快犯だろうから新しいターゲットを作るのは得策とは言えないし、その的になる俺が嫌だ。先生方もそこまで無能ではなかろう、このご時世だから神経をとがらせているから警戒を強めているはずだ。 

 ということは校外で毎朝登校時に起きているとみて間違いない。だからまず観察から始めた。本人は俯いているだけで、何も話さない。特例で休むことを担任は許可したが、負けたくないの一言で意地を張った。だが、大人の助けも頑なに拒んだ。噂だが自分の問題だから自分で解決すると言っているらしい。

 他にはというと、いつも保健室とかに連れていかれて着替えさせられているぐらいなもので大人しすぎて収穫ゼロ。そこで対象を変えてクラス全員に変更。そこで分かったのがみんな楽しそうだということだ。別に笑っていたりはしゃいでいるわけではないのだが、どこか満足げに見えた。

 明らかな孤立と唇を噛みしめる表情から自作自演の線は薄い。最近は登校前に誰かに拭いてもらったようでずぶ濡れというより、小雨に当たった程度にまでなっている。タオルを握るようになったのは昨日からだ。犯人は必ずいる。彼女が探偵部という部活に所属していたことを思い出して乗り込んでみることにした。

 

 部員一同皆歓迎してくれて、同時に困っているという相談も受けた。部員数がぎりぎりのためこのまま辞めてしまうと存続が危ういんだとか。すごくどうでもいいし危機感も感じなかったが、面白そうだったので引き受けた。

 事件前まで仲が良かったというか、可愛がっていたらしい部長さんの証言により、自宅と通学路性格と部での様子ぐらいは聞けた。なんでも家が近所だったことがその中を加速させたらしい。

 俺はその通学路を放課後に一通り歩いてみた。家とは方向が真逆だったけど、取り立てて受験生というわけでもないし、何より勉強以外のことをするのが楽しくて仕方なかった。

 彼女は南区から通っているらしい。バスに乗っているとすぐ目についたのが豊平川だったので、適当な停留所で降りて散策してみる。ひとつ前の停留所まで戻る形で歩いたがそこまでは痕跡なし。手がかりとなったのが停留所の水たまりの後を見つけたことだ。

 バス停の周りは雪かきがされていて開けている。近くの雪山付近だけ湿っぽい雪になっている。車の排気ガスで黒くなっている雪は多いのだが、雨でもないのに湿っているのは不自然だ。

 石山通は大きな通りで車の往来も多い。見渡せば、色が変わった雪が川のほうから続いているのが分かった。これで犯行場所と方法は明らかになった。

 しかしそこは寒かった。俺は殆ど外には出ずに、地下鉄一本で学校に着けるからあまり気にしなかったが、外でバスを待つと凍えそうだ。雪は少なくても冬は冬だと実感したものだった。

 

 帰りのバスで運転手さんに聞いた話で、朝いつも濡れたまま一人で乗車する少女の話を聞いたことがあるという情報を得られた。

 そのままバス営業所まで行き、朝の担当をすることがある運転手と話ができた。毎日担当になるわけではないらしいが、ここ最近見かけるようになったのは確かのようだった。

 初めに乗ってきたときは、不思議には思ったものの誰一人として話しかけることはなかった。他人行儀なのは国民性か。

 二日三日と続くとおばあさんがハンカチを差し出してくれたそうだ。それをきっかけにタオルがいつの間にか車内に常備されたそうだ。少女は謝って感謝した。誰もがいじめだということは分かっていたそうだ。止められないからせめてもの救いの手を、ということだったみたいだ。

 いつも胸が痛い、と運転手は言った。助けてやってくれと言った。赤の他人にここまで言えるのだ、日本の人情も捨てたものじゃない。

 


 ここから一気に解決というか真相を話そう。いつまで神の効力があるか分からないしな。認めることが必要ならばそうするさ。

 犯人はクラスの俺以外全員だった。クラスに馴染もうとしなかった俺は問題から外されたというか問題視さえされなかったわけだ。

 事の発端はとある自称金持ちハンサム坊ちゃんがいたことなのだが、これがなかなかに我儘で俺も目に余る存在ではあった。ただし、彼に逆らわなければ法外的な優しさを受けるそうで、人気は高かったそうだ。問題はこの坊ちゃんがその少女に拒絶されたこと。

 なんでも様々な力でモノを言わせてきたことで有名だったらしい。思い通りにならなかったこと自体がないので、断れるというのはそれほどまでに彼にとって衝撃的だったんだろう。

 そんなこと周りから見れば傍迷惑なだけでどうでもいいのだが、こいつの影響力は中学時代からエスカレーターされてきたらしく、一派ができるほどだった。

 逆らうことは得策とは思えなくなるのが、彼の両親で、世間的に有名な医者二人の息子だということ。そんな後ろ盾があるにも関わらず、拒否をするということは世間を敵に回すことになることと同等だと彼は言い、実行したのだ。

 どこからかは未だもって不明だが、彼の人脈を使って登校の際に川に毎日突き落とすことを行った。執拗に。毎日毎日。

 この様子をクラスの皆はただ笑っているだけ。助ける人は誰もいない。だから俺が改善の一手を打った。学校から制服を借りて彼女は登校するようになり、自分の制服に学校で着替えることにした。突き落とす実行犯はなかなか手が出せないような人達らしく、根本を抑えることは困難を極めた。

 この様子を気に食わないのがハンサム一派で、「おまえの席、ねぇから」状態にしてしまった。さすがにこれには心が折れたのか彼女は崩れてしまった。

 収まることは無いまま俺が今度は納められた。

「もう、余計なことしないで」

 彼女は俺を拒絶した。これにて事件は終わらないまま継続の道を選んで終わった。謎であったのは俺だけで知らなかったのは俺だけで。探偵みたいに嗅ぎまわって得意げにしていた俺が一番の迷惑物で。引いても押してもダメになった俺は諦めた。そして現実を忌みって嫌った。


▶▶▶



「くつがたがぜつぼうしたのはなぜ」

 心の中を読めるというのは中々に厄介な能力だ。嘘も欺瞞もだんまりも通用しない。

「きぼうをもったから。ひょうめんじょうのつきあいではなく、いつかはこころからかいわできるひとたちだと、しんじてしまったから。そのためにはこちらがこころをひらくひつようがあるとおもって、くつがたはうごいた」

 そうだ。

「でもかならずきょりをとられてそれをたもたれる。いっぽすすめばいっぽさがってしまう。いっぽうでこちらがさがってもすすんではこない。ほっとかれるだけでなにもない」

 そうだ。

「うわべだけの、ひょうめんだけの、うわっつらなゆうじょうはいらなかった。ひとりでいいから、こちらをむいて、じぶんをむいて、むきあってほしかった。だからそれがどうしてもかなわないげんじつにぜつぼうした」

 そうだ。

「『沓形恒は絶望した』」

「そうだ、その通りだよ。てらちゃん」

 


 本物を偽物で覆いつくして、偽物が本物だという偽物を忌み嫌うのは当然だろう?

 


 そして俺は当然のように、ここにきて、ようやく許された一つの疑問をぶつける。

「君は誰なんだい。どうして僕をここに連れてきたんだ、この時間ときの進まない世界に」

「『ルグランはジュピターを正し、沓形のペットが正体。他の何者でもない照隠しがすべて』」

 

 また暗号か。うんざりするほどこの世界に来てから暗号に立ち向かったがこれはその必要がない。なんでも俺はこの暗号を知っているというかこれは俺が作った暗号だ。暗号というか目くらまし程度なのだが。中学生の時に暗号を作って解きあう的なのが流行して流れで作ったものだが、正解者はいまだにゼロの自信作でもある。だから答えを知っているのは俺だけ。心を読めるのなら別だけど。

「君はやっぱり神様なんだ。なら言葉を慎まないとね。改めて神様にお尋ねするけど俺がここに来た理由は?」

 この暗号の答えは神さまで、これがそのまま答えなら未知道乃照は神さまということになる。心を読めたり未来がわかったり、俺のことを詳しく知っていたり。神様だからできたのだといわれれば納得してしまうかもしれない。


 暗号のルグランとジュピターはエドガー・アラン・ポーの小説「黄金虫」に出てくる登場人物で、ルグランが宝探しの最中に右と左を間違えていることに気付いてジュピターを正す場面から引用したもの。俺のペットが正体というのは、俺のペットであるプルは黒猫だということを示している。ここから関連してポーの小説「黒猫」に出てくる黒猫のことを指しているのだ。その名前がプルートーと言い、冥界を司る神の名前と同じ。つまり正体は神様ということ。暗号というのは一部の人にしか分からないようになっているものだから完成度は極めて高いと言えよう。

 最後の照隠しは目くらましでありながら、これ一つで解を示すことにもなっている。照と名前が付いた神が隠れたことを日本神話では岩戸隠れというのは有名だろう。ざっくり言うと、天照大神が岩戸に隠れてしまい、世界が闇になってしまうという話だ。

 俺は天照大神を照れ神と縮めて神を示唆もしたつもりだが、今となっては照が隠れたのか照が隠したのか曖昧だ。名前が一致するのが偶然とは思えないからもしかすると本当に天照大神かもしれない。まあ、神様に名前を聞くのは野暮だろうから止めておくけど。

「もういかないと。まにあわなくなるよ」

 どうやら時間切れのようだ。俺は虹別色内を助けに行く。俺の諸事情はもう分かってるんだ。認めたくないから受け入れたくないから誰かに押し付けてほしいだけ。それだけ。



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