▶②

 俺はこの時ほどスマホの無能さを呪ったことはなかった。それぞれの単語の意味ならすぐに出てくるがそれは役に立たない。能のないのは主人である俺の方だろと言わんばかりのアンドロイドは時間切れで液晶画面を消した。

 目に映るものは噴水だけ。そう、噴水。一定の時間に決まった水量だけ同じ水圧で上空に押し出されることで起こる現象。市民憩いの広場である大通公園にも圧巻だ、という程ではないが、そこそこ大きな噴水がある。

「おー」

 先ほどから隣で水量が増して噴水の全体が大きく見えるごとに、一々律儀に歓声を上げている少女がいる。

 未知道乃みちみちのてら

 先輩はバイトがあるからということで早々に離脱。今はこの女の子と二人きりになってしまった。

 今日の主な業務は子守だ。未知道乃家は本日全員出かけて家を留守にするというので、俺が面倒を見ることになった。

 え?

 それは五分前のこと。

「先輩ちょっと、聞いてないですよ。謎解きはどうするんですか」

 終わったら一緒に考えるから、あとよろしくね~。

 遠ざかる声には絶望感しかなかった。完全にはめられた。最初から謎解きなんてするつもりなかったんだ。まんまと餌に釣られて、のこのことやってきた俺は小学生と二人っきりになってしまった。そして五分後の俺がこれだ。

 おい。

 そんな簡単に赤の他人に子供預けちゃって大丈夫ななの? 俺があんなことやこんなことするかもしれないよ? いいの?

 ……すいません、そんな度胸ないです。

 完全に見抜かれたうえでの人選だ。これは絶対色内先輩の入れ知恵に違いない。前々から告げ口でもされていたのかもしれない。それはそれで信用されている証なのかもしれないけど複雑だ。再会したら文句言ってやらないと。

「ね、ねえ。どっかいかないの」

 えぇ。どうしよう。どうすんの。今はそれどころじゃないが、でもどうしようもない。もしかしたら何かヒントが手に入るかもしれない。手がかりは少女これしかないのだから。

 この年齢の子供が喜びそうな場所、どこだろう。ゲームセンターはどうだろうか。普通に楽しめそうじゃ……だめだいくら散財することになるのか想像しただけで戦慄してしまう。

 漫喫は……飽きるだろうし、ウインドウショッピングなら……楽しめるだろうが俺がすぐに疲れてしまいそうだ。

 市内になんかあったかな。あんまり遠く行くと帰りの時間を考えると遊ぶ時間と時間制限タイムリミットが極端に減るから駄目だ。円山動物園の遊園地!……はとっくに潰れたし、どうしよう、思いつかない。

「おー」

 まだ噴水に合いの手を打ってるよ。

 そんな彼女を見ていたところで妙案はすぐには浮かばない。待て待て落ち着こう。大丈夫だ、札幌がそんなに楽しめない街であるはずがない。きっとどこかにあるはず。大都市札幌だ。世界観光ランキングでアジア二位世界七位を記録したこともある百九十万都市だ。いつのまにか新日本三大夜景に何故か成ってしまっていた札幌だ。年がら年中祭りをやってる札幌だ。——どうにもなんでもあるようであって何にもない気がするのは気のせいだろうか。

 名案がないので動物園でいいじゃないかそうだそうしようというわけでそうする。

「照ちゃん、動物園はどう? 行ってみな——」

「却下」

 おうふ。まじか、何でかなぁ。動物嫌いなんだろうか、小学生に人気のスポットだとは思うんだけど、遠足で行き過ぎて嫌いになったのかもしれない。あそこの遠足率は市内高すぎ。

 それでは、科学館はどうだろうか。札幌市青少年科学館。うん、交通の便もいい新さっぽろだし、それもだめなら割と近隣のサンピアザもいいだろう。水族館なら楽しめると思う、きっと。

 新さっぽろだ。意を決して、噴水が沈むのに合わせて首を縦に振っている少女に提案する。

「青少年科学館はどうだろう。近くに水族館もあるし、お魚を見に行くというのも——」

「あれがいい」

 へ? あれって……テレビ塔?

 小さな少女の小さな指は確かに赤を基調とした塔を指している。

「てれびとう」

 そういえば俺も昇ったことない気がする。あまりにも身近すぎて全く考えつかなかった。ちょうどいい機会だし暇つぶしになりそうじゃないか。色々思考を張り巡らせて考え込んだわりにはしょぼい選択だが。

 照が望むのならそうしよう。



 と言うことで、ただいま展望台へのエレベーターに乗っております。高校生六百円と小学生五百円のチケットを買って昇っております。照が特典付きのチケットをご所望でありましたので、購入と相成った次第でございます。たけぇ。後で姉に請求しよう。

 エレベーターの扉が開き、展望台へと降りる。

 あ、意外と広い。もっと狭いイメージだったのだが意外と広いじゃん。ただ人が疎らなだけかもしれないが。

「お――」

 連れはというと、元気よく勢いよくガラスに突っ込んでいった。すぐに手すりで止まって良かった。

 今日は平日である。俺は学校が何かの記念日だとかで休みだが、それでもそこそこ混んでいる。すごく混んでいるわけじゃないところが札幌らしい。ただ疎らだ。だから札幌が好きなんだけどな。

 妙な感傷に浸っていると手招きをする少女が視界に入った。仕方ない、今日は俺のためではなく彼女のために時間を使う日だ。奴隷になったつもりで相手をしよう。執事のほうがまだ待遇いいけど、結果のためなら何でもしている辺り奴隷と変わらない。

「みてみてさっきのふんすい、おぅおぅ」

 いや、しかしここまで喜んでもらえるとは

「——おもいもしなかった。きてよかったなぁ」

 え?

 今日は驚いてばかりだ。やっぱり疲れてるのかな。だから今心の中の言葉が口に出ていたかもしれない。それだとだいぶ

「はずかしいなぁ。……ニヒヒ」

 言葉に詰まる。小さな出来事に大きく圧倒されて身動きが取ろうとしなくなっていた。

「びっくりしました? おどろかせたならあやまらないと、ごめんなさい」

 少女は目の前で満面の笑みを見せるだけ。

「どうです、とき《時間》はすすんでいるのに同じとき《時空間》にとりのこされたかんそうは」

 ここに居たとは。こんなことになるとは。でも間違ってはいなかった。この時期特有の湿った空気と共に南風が吹いた気がしたから間違いなかった。

「——もう慣れたよ」

 俺は一息つきながら手すりに寄り掛かって返事をした。まさかこんなところでラスボス登場とは、ずいぶんと粋な計らいじゃないか。

「ききたいことがあるのでは? いまのうちですよ」

 その通り、山ほどあるとはこのことだ。相手は身の内を密かに明かした。手の内は明かしていないが正体は嘘偽りないだろう。神だか魔王だか天使だか悪魔だか魔法少女だか知らんがこの世界の創造主であることは間違いない。永遠に五月二十五日から抜け出せないこの世界の主だ。でもそれはまだ先の話だ。これは布石程度にとどめておくのが安牌。

「暗号のヒントを教えてくれ」

「ほー、そっちですか。なるほどなるほど」

 くるくると回りながら人込みから離れていく。

「いやあね、もっとほんしつてきなしつもんとかがくるとおもったんですが、ニヒヒ」

「どうせ答えてくれないだろ。その気があるなら暗号なんて作らない」

 さすがですねー、とあざとい笑顔をこちらに向ける。

「だいじょうぶです。ヒントはあとでさしあげますよ。ちょっとむずかしすぎましたもんね、しかたない♪しかたない♪」

 何処まで馬鹿にされるのだろうか。あれをなぞなぞという方がおかしい。ぐちゃぐちゃに混ざりすぎで詰め込みすぎだ。解かせることが狙いである暗号ならば解き方ぐらい普通供えてあるものだ。タヌキの暗号でも狸の挿絵ぐらいは供えてある。

「じゃあ、ひとつだけなら。ひとつだけならちゃんとこたえてあげますよ」

 一つか。どれを選ぶのがベストなんだろうか。

 日付が変わらないこと、明らかにここが現実世界ではないこと、そしたらここはどこなのか。異世界ファンタジーだとか平行世界パラレルワールドだとか言うつもりなんだろうか。

 この思考さえも彼女に読まれているのかな。敵わない。先輩みたいに敵わない。

 色内先輩、どこに行ったのかなぁ。なぞなぞとの関連性は、まさか本当に居なくなるわけじゃ……ないよな。

 落ち着け。

 冷静に静寂に冷淡に沈着に冷酷にあれ。

 俺が一番今知りたいのはただ一つしかないじゃないか。きっとそれがすべてで伏線の集合地点だから。でもそれはやっぱり最後のほうであって今じゃなかった。いきなり答えを教えてもらおうだなんておこがましかったのだ。少しは考えなくてはいけないのが世の常だ。

「君は一体誰なんだ」

 これに対して少女は、それだけはまだ『ひみつ』と答えた。



▶ ▶ ▶



 テレビ塔を後にした少女はただの少女に過ぎなかった。近くのビルを指しては飛び込んであれこれねだり、ショッピングを楽しもうとするのだ。女性の買い物の疲れる点は何を買うのか何が目的なのか分からないところにある。あっちへふらふらこっちへふらふら。店の中でも外でも変わらない。そこにあるものすべてを楽しもうとする。

 だが俺は絵に描いたようなどケチなので何も買ってやらない。見て楽しめ。身の程を改めて弁える良い機会にするといい。

 小学生に対して大人げなさ全開スタイルでいるとさすがにチビは拗ねてしまった。気がつけば狸小路まで来ていたので仕方なくチビのご機嫌取りをする。


 二丁目。

全部で七丁目まである狸小路商店街の二丁目には一丁目近く、つまり北側にたい焼き屋みたいなのがある。ふくろうやきとか言う物で名の通り形が鯛ではなくてふくろうだ。

照を梟の前に座らせて餡を二つ注文する。店名に合わせてだか知らないけど、なぜかここには梟がいる。全四羽。種類とかあるんだろうけどよくわからない。じっとして動かないから一瞬本物かどうか疑うレベルだ。たまに首を動かすので、通りすがりの気になった観光客は本物だとやっとわかる。この店ができてからよく見かける光景になった。

 一緒に首を傾けている照を見ているとどうにも子供にしか見えないのだが、それは見てくれの話だと自分に言い聞かせる。正体はまだ明かせない秘密だということはいずれ話してくれるのだろう。どうでもいいけど『いずれ』って現代語だけど『いづれ』となると古語だよね。

 つまり思わずボーっとしてふくろう焼きを口に運んでいたわけだが、どうもそれが不服だったらしい。

「つまんない」

「俺はもうつかれた」

 俺は疲れたんだよ。あちこち振り回されるのは慣れている方だと思っていたが甘かった。子供の体力と気力は無尽蔵に涌き出るらしく止めどない。

「もうすぐ先輩も帰ってくるから、それまで寝てろ」

ぶぅ、と膨れたがどうやら折り合ってくれるみたいだ。よかった。近くにゲームセンター、ペットショップと魅力ある施設があるだけにこれ以上の体力消耗はしたくない。本題はこの子の子守りではない。先輩の救出なのだから。

 まるで蜻蛉の目を回すかのようにくるくると指を回している照を俺と梟はじっと見ていた。 


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