▶③
翌日、俺は眠たい垂れ下がる瞼をこすりながら目覚めた。俺の周囲でどんなことが起きようが、他人が苦難に直面していようが俺の日常は筒がなく、今日も今日とて始まるのだ。
適当に服を引っ張ってきて着替えて朝飯にあり着く。朝食は大事だ。一日のエネルギー源だからというのもあるのだが、スイッチを入れるいい機会になる。
「ちゃんと食べてね」
と言われてもなぁ。お腹に入っていかないのが朝という時間だから。そもそも俺は少食なんだよ。さくっと食事は済ませるタイプなんだ。だらだらとは食べずに、摂るより済ませるって感じだ。
砂埃にまみれて走る車のコマーシャルが終わり、いつもいつの間にか点いているテレビは今日の天気を教えてくれる。昨日は曇りだったが、どうやら今日は快晴らしい。晴れっていいよな。雨が降って喜ぶ学生は小学生とガキが抜けない中学生ぐらいなもんだ。高校は滅多なことがない限り休みにならない。南の国の大王は風が吹いたら遅刻して、雨が降ったら休むのに不公平だ。
同時に今日の日付をアナウンサーが告げる。告げるというよりかは
今日は何の日?
という朝によくある雑学コーナーが始まる。
「本日五月二十五日は―」
五月。二十五日。今日も五月二十五日だ。昨日も一昨日もそうだった。アナウンサーは今日も全く同じ言葉を繰り返す。
「今日は何の日でしょうか、それでは、一つ目のヒント行きます」
そして出演者は思い思いにヒントに関連しそうなことを言いまくる。誰も知りもしないから当然だけど。
でも俺は知っている。特にこのコーナーで取り上げられる事柄は二つだ。
大阪夏の陣開戦。
第二次世界大戦・日本本土空襲。
戦いに関連する出来事が起きた日であることを強く強調し、必ず戦争の悲惨さを伝える映像を流したり、コメントを口々に言う。命の大切さとか、とかとか。大事なことではあるのだけれども、流石に二週間近く同じモノとなると見飽きてくる。ほかの特集も見てみたいものだ。
例えば、これは俺が調べたことだが、今日は広辞苑の初版が刊行された日らしい。千九百五十五年の出来事だそうだ。戦い以外にも文学的な出来事もあるのだ。戦いの日だと決めつけるには早いのでは、と最近これを見る度に頭に浮かぶ。
グレゴリオ暦で年始から百四十五日目、年末まで二百二十日。
時がいくら刻まれようと進まない世界になってからもう十六回目、とメモの正の字を一つ書き足して思う。これは数えだしてからなので実際は何日経過したのか分からないが、それでも違いをつけるために今は必要だ。
「準備できたー?」
実のところ俺は訳あって先輩の一人暮らしに居候している。いいだろう羨ましいだろう男子諸君。現実はそんなに甘くないことを教えてやる。甘いだけの時間など今のところない。俺は完全に息子化したというか先輩が母親化したというかどちらにしても家の中ではこの程度の距離を保たれてしまっている。それはもちろん初夜? じゃなくて居候初日に拒否られてぐれた俺が悪いんだけど。こればっかりは現実が悪いんじゃなくて俺が悪い。何があったかは黒歴史だから語らないこととする。取りあえずはしくじったってことだけさ。
身の丈に微妙に合わない制服に裾を通して、それからやる気を落とす。学校めんどい。
「はやくー」
どうしたって変わらぬ世界の
▶
学校への道のりで先輩に今回の依頼内容などの状況を大体説明した。するとこれを聞くなりすぐに把握して、ある程度の結論まで出してしまうのだから流石である。
このさすがという言葉は流れるに石と漢字を当てるが、どうやら中国の故事が由来らしい。隠遁しようとした人が石を枕で寝て、川の流れで口を漱ぐような生活をしたいと言おうとしたのだが、間違えて川の流れで寝て石で口を漱ぐような生活をしたいと言ってしまったらしい。それを指摘された人は捻くれた言い分で返し、川の流れで寝るのは耳を洗うためで石は歯を磨くためなのだと。それを聞いた人は、無理やりこじつけた感は拭いきれないけれども、よくごまかしたな、さすがだと言ったそうだ。ここから流と石を当て字として使用してさすがを流石と書くんだとか。
ここまで聞くと自然と疑問が生じることであろう。
流石ってそれほどすごいことでもないのでは?
それは明らかに現代人である我々が意味を取り違えている他にない。間違っているのは流石ではなく我々の捉え方の方だ。
流石という言葉は本来、あることを認めながらも相反する感情を抱いていることを指す。俺の場合も例外ではない。
俺は先輩に感嘆しつつも疑念を抱かざるを得ない。いつも妬み焦がして嫉妬する。先輩は俺に何をさせたいのか、何も分からず当惑して翻弄している。
ここまでの情報をすでに彼女は知っていたように思える。俺の話を聞いているときは新情報を得たというより確認している感じだったからだ。もしも俺の仮定が正しいのだとすれば、彼女は情報を得られる手段があったのでは? だとしたらわざわざ俺が調べる必要がなかったのではないか。単なる予備に過ぎなかったのでは? と疑心暗鬼に陥りそうになる。
「絶対転校生が何かしたよね、これ」
俺が迷ってどうする。今はやれることをやるしかない。俺が今考えるべきは二組の奇妙な現象について説明をつけることだ。
「坂田……さんでしたっけ。知ってますか?」
「いや、それが全然知らないんだよ。同じ学年なのにさ。イケメンだ、との噂は聞いたことあるんだけどそれぐらいでね。まあ、転校生だからっていうのもあるんだろうけど。それでね、転校生の知り合いに話を聞きに行くぞー、おー」
いきなりのテンションと展開についていけない。先輩は行動力がありすぎていつも唐突に物事を進めてしまう。因みに、本人に直接聞かないのは今日欠席しているかららしい。
確かに二年の上級生に知り合いの
時計の針はくるくると昼時へと進み、俺は弁当箱を握りしめて教室の前に向かい合う。目の前に
立往生四苦八苦していると、ドアは自動で勝手に開いた。もちろん俺は触れてすらいない。扉は俺の同居人かつ部の先輩である
先輩は入り口に立ち尽くしている俺を見て瞬きをした。そして、
どうしたの?
と言った後にわざわざ笑顔を作って、
おいで
と手招きをするのだ。
どうしてもどうしようもないこの不可抗力に抗えずに思わず立ち尽くすが、他人の視線を多く浴びていることに気付くと、すぐに我に返った。周囲は上級生ばかりでどことなくアウェー感が纏わりつく。ビジターで肩身を狭くしているようだ。俺はそそくさと先輩達がいる席へと足早に駆けつけ、そっと腰を下ろす。
坂田京介という人物を知っているという先輩の知り合いというのは同じクラスの友人だそうで、昼食がてらどう? と登校時に誘われ、それで今に至る。
「初めまして、
向こう側から丁寧に挨拶された俺はお辞儀を返し、
〉拙者の名は沓形で候
とか言いたない。
俺はその明空さんと目が合った。礼とも呼べぬ雑な礼をして頭を上げた時にこちらを見ていたから俺が合わせたとも言えなくないんだが。とにかくふと合った視線の先の、彼女の眼はそのままで、俺は目が離せなくなってしまった。不思議だ。彼女の純粋な瞳は怖いぐらいに澄んで透き通ってありのままに写しているようだ。いや、実際そうなのかもしれない。穢れないままに、汚れた物も美しい者もオリジナルできっと映るのだろう。
そんな彼女に俺はどう映ったのか分からないが、続けてこう言った。
「なんだろう、あ、なんか色内の弟みたいだね。一応助手なんだっけ? うん、確かに、ボーイフレンドでもないし、友達にしては軽すぎる。でも相棒にしてはちょっと物足りないかな」
言いたいだけ放って、言い尽くした様子な彼女は、率直な感想について、
どうかな?
という笑みを浮かべる。
感想なんて言われると思わなかったし、正直不意を突かれた心境でまったく反応できなかった。すべて見通すことのできる占い師に未来宣告された気分だ。あと弟なのね。俺は先輩が母親ぶっているとか思っていたが、姉と考えればなかなかすんなり受け入れられる。なるほど、そういう感覚だったのか。それならば一線引かれてもおかしくないし吞み込める。呑み込んでしまう。
「明空、あんまり
はーい、と明空さんは気の抜けた返事をする。本来の目的を忘れていたのは俺の方だった。危ない危ない。
坂田京介のことを知っているという彼女は、色内先輩の唯一無二であろう親友に値する友人の未知道乃明空さんである。友人は多い人なんだけど仲良くしているというか
「とは言ってもそこまで親しいわけじゃないから、あまり詳しくは知らないんだけど、小学校の頃に同じクラスだったんだ。六年生の時に東京に引っ越すとかで転校してさ、てことは最近戻って来たって事になるんだろうね。特に目立たない性格だったからなぁ。読書好きの物静かな性格だったな。たしか」
先輩は、何かちょっとしたことでもいいから事件やトラブルはなかったか聞いた。過去の悔恨か何かを理由にしている可能性はある。人間関係を完全に断ち切るような状況にクラスをしたのだ。当てつけや復讐が原因なら話は早い。だが、
「特になかったな、けっこう愛想良かったし、誰かとトラブルになるようなことは無かったんじゃないかな。あ、結構イケメンだったんだよ、彼、今はどうだろう。相変わらずかっこいいんじゃない?」
興味なさそうに紙パックの野菜ジュースをじゅるじゅる言わせた。
「女子は?……女性関係は?」
スイッチ入った。探偵っぽく言い直した先輩に聞き取り調査でもしている気分なのだろうか。こういう時にふざけているのはなかなか無い気がするが探偵より
「そうですねぇ、確かに京介君と直接のトラブルは無かったみたいですけど、その周囲がね。いや、ここだけの話で私から言ったことは秘密ですよ」
「ええ」
「その、女子はいじめが酷くって。常に暴発していたものですよ。物関連に対するのは常にありましたし、何か一つの集団というか治安部隊っていうのがありましてね、女子に人気の高い男子に手を出そうものなら数で制裁を加えるっていう恐ろしいことがありまして。京介君とは全然関係ないんですけどね、あれ? どうしたの恒君?」
「あ、いや、何でもないです」
まさかこんな大暴露を平気でするとは。女の子ってつくづく怖い。正直耳を塞ぎたかった。聞いていて気分の良くなるような内容の話では決してない。今日の昼飯はサンドイッチにしたから昼食を早急に終わらせてしまった。だからどこか手持無沙汰であったのは確かなのだが、そんなに暇そうだったか。それとも心中を読まれたのかも。占い師ならあり得る。
「もう少し詳しく聞かせてもらえますかね」
刑事ごっこまだやってるよ。少しは周りの目を気にしたほうがいいんじゃないですか? ダダ漏れよ。
「それまだやります?」
「……もう少し詳しく聞かせてっ」
可愛く切り返して、恥ずかしさを誤魔化してやがる。恥ずかしがるぐらいなら最初からやらなきゃいいのに。可愛いからいいけど。
「それでね、まあここまで来れば分かると思うけど、京介君のことが好きだって人も結構いたんだよ。そこでね、一人の好意を寄せる少女がいたんだけど、その娘が告白するって噂が流れたの。そしたら一斉に制裁だとか言って徹底的に潰しに掛かったらしいんだ」
それは惨く惨忍で苛酷。激甚で酸鼻を極めた陰惨的かつ暴虐的な手法による無情な仕打ち。後半の具体的内容に対しては無意識のうちに耳を塞いでいたかもしれない。とても言葉では言い表せないし、表したくない。それでも先輩は真面目に真剣に聞き逃さずに聞いていた。しかしこれもまた確認しているように俺には見えた。聞いていたのは色内先輩ではなく俺に聞かせているようだった。少なくとも俺にはそう見えた。
結論だけ言うと苦痛でしかない数々の愚行に苦しめられて、精神が持たなくなった彼女は死を選んだ。にこやかに語る顔に笑顔はなかった。笑顔に笑みは無かった。おそらく彼女はお節介な友人のせいで今はこうしていられるのだろう。先輩の過去をなんとなくだが想像がついたような気がして、どうでもいいが落ち着いた。
その時さ。思い付くのはいつも急で何の前触れもない兆候も
「お、すごい。恒君分かったみたいだね。あたしはまだなのに。持つべきは優秀な弟子だね」
先輩は相変わらず鋭い。テレパシーを使ったなどという
その通り。分かった。分かったよ俺は。
どうやら事の真相は誰か一人というよりも周囲の反応事態に問題があると見る方が良い。視点の変更。アプローチの車線変更。変えて変えて変わらずに考えて。至った先は解ではないけど事実ではある。ここまで一緒に情報を集めてみてきたなら誰だって分かるさ。
先輩も多分おそらく気づいてる。なるほどそれでか。同時にこれで違和感も取れたことになる。おそらく先輩は分かっていてもどうしたらいいのか分からないのだ。今回の問題は真実に辿り着くことはできるのだ。一介の高校生が分かったのだから難儀なことではない。分からない人は少し考えてみるべきだ。すぐに答えを求めるような国民性にいつからこの国はなったのだろうかと俺はいつも思っている。分かりやすくないとダメ。もっと分かるように言って、とかな。情報を整理してそれをとりあえず当てはめる。すると足りない部分が見えてくる。それを探して立証できれば完成する。それだけだ。
にやけた顔で仮説を立てたら後は成否を証明するだけ。考えることを簡単に放棄するな諦めるな。
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