大簾 舞 辰の上刻
少し寒い気がした。この寒気は外気によるものでもなければ室内の低温による物でもない。でも寒いのはやっぱり嫌だからエアコンを少し付けた。
本州にいたころはエアコンをつけることで暖を取るのが当然だと思っていたが、こっちでは完全に灯油ストーブだ。もちろんこいつが稼働するのは冬場のことであって、真夏の今は冬眠している―夏だから
ぐすっすり寝ていても寝ていなくても使われるときになれば起こされて強制就労される身を考えれば、少しかわいそうだなとも思ったけど、でもやはり寒いのは嫌だから冬場には頑張ってもらう。
私は施設の出身、と言われている。自分で自分自身の生い立ちがはっきりしないのは生まれたときからと言うか、記憶があるころからはすでにそこにいてそこが家だったから施設などと呼ばれていることを知ってそれが何を指すのかは物心がつく頃になって知った。別に何とも思わなかった。家には変わりなかったから。
北海道の金持ち爺さんに勝手に拾われて小学生最終学年の時に
私は爺様にいわれるがままに勉強して受験して中高一貫の今の学校に入った。色内に助けられたのは去年の事で、その時からようやく前向きに生きられている。ちょっと遅すぎたかもしれない。
懐かしいな。
懐かしいなんて感情を持てるようになるってことは過去に愛着があるって解釈で間違ってないと思う。しがらみ縛られるのもそれはそれで問題で嫌だけど、好きになれないのはそれでいやだと今は思う。
▶▶▶
転校したてほやほやの私には
好きな食べ物。
好きな遊び。
好きな有名人。
〉何か、好きなことはない?
〉何が好きなの?
》ごめんなさい。特にないんです。
無い。なかった。施設にいた頃も同じぐらいの年頃の男の子や女の子からあれこれ誘われてそのまま乗って、それを好きだと言ってはみたけど好きになれずに持て余してた。とことん興味を持てなかった。可哀想な残念少女だったのでした。
〉じゃあ、これ知ってる?
私はそれをまた好きになろうとしたけどできなかった。だから好きになったふりをして過ごした。友達ってこういうことだと思った。
流れる雲を見ながら今日大きな地震が起きたらどうなるんだろうとか考えていたある日、私は敵になった。その当時、におい付き消しゴムなるものが小学生の間で流行し、皆で見せ合って嗅ぎあってにこにこしていた。良い香りというよりかは甘い香りが付いた用途不明の消しゴムだ。お香なのか消しゴムなのか区別できないぐらいおかしかった。
「舞が私の消しゴム盗んだ」
私はこの流行の時にこう言われて敵―つまり悪い犯人ってことになった。言いがかりでしかなかったけど、論より証拠。私の筆箱にはそれが入っていた。
謝るしかない。誤っても謝って済むなら謝ればいい。
〉謝って済むなら警察はいらない
なんてことを言い出すんだろうって思った。示談で、謝罪で済む程度の事に一々警察官の手を煩わせていたらそれこそ税金の無駄使い。でもなんか説得力があるような空気になってしまって、クラスから孤立して私は敵になった。敵になったからには排除されなければいけない。私が学んできたこの世の
「ちょっと待って、明空さん。彼女は、舞さんは何もしてない」
〉は? だって、舞の筆箱から出てきたじゃん。
「誰かが故意に入れたかも」
〉んなわけないじゃん。ばかじゃないの。
「それじゃあ、これは何?」
そう言うと、私の筆箱にセロテープを張ってはがして黒い台紙に張り付けた。
「これが証拠。私はあなたが入れていたところを見たわ。でもそれだけじゃあ、証拠にならないんでしょう?―警察が必要ね。鑑定してもらいましょう」
みるみる青ざめていった
実際あの程度の指紋じゃ、誰のかさえ判別つかないし彼女のものだとは確かに言い難い。
敵は私から明空になった。
明空曰く、転校生だからってちやほやされていた私が憎かったらしい。ただそれだけ。小学生の小さな嫉妬による小さな事件。私にとっては大きかったけど。
その後、未知道乃明空はいじめの標的になった。彼女は当時クラス一人気の高い男子に告白した後の出来事であったため、余計に嫉妬と憎悪が便乗しあって生意気だとかその手の感情が増幅されて大きな事件になってしまった。元はと言えば私が元締めなので捨て身で割って入ったけれども、私は役に立たなかった。
色内はこれも解決した。
私は二度救われた。救われたと思い込めた。心底惚れ込んで初めて執着が湧いた。
▶▶▶
「ふぅ」
エアコンのリモコンは午前七時過ぎを指している。いくら夏休みだからと言って
先ほどまで共にに夜を過ごしていた彼はシャワーを浴びているのだろう水の音がする。もう見てしまったのでこれ以上の興味はない―といえば嘘になるけれども、でも嫌われるよりかはましだ。
失恋ってつらいんだね。
彼は私のことを嫌いになんてならないだろうし、先ほどもそう言ってくれたからそう思いたいけど後悔が残る。軽率な行動だったかもしれないけど自分に勝てなかった。
私そんな娘じゃなったんだけどな。
初めて出会ったときは物珍しさからと興味百
色内ファンから恒のファンに移り気していたのかな。たぶん違う。色内ファンは辞めていない。辞めたつもりはない。恒はただ好きなってしまったんだ。私の好きなアイドルと取り合って負けた。それだけなのに。それだけでそれでしかないのに。
振られて失って初めてそれが恋だって分かって―分かっていたはずなのに認めなかった私がばかだったんだって言うのは言うまでもない。
もう泣き明かしちゃったから涙なんて出る気配もしないけど、まだ泣いている気がする。これは悲しみか悔恨か愛しさか。
「いい加減、服着てください。さすがに男子が狂っちゃいます」
シャワーから上がってきた。残念なことにティーシャツをすでに着ている。
「私はそうしてくれても構わないんだけど?」
「勘弁してください」
そんなこと言いながらもやっぱり隣に座ってくれる彼は優しい。視線の置き所に困って頬が赤くなっているのが可愛らしくて愛おしい―今は風呂上がりだから赤いってことにしといてやる。
「じゃ、その、お願いします」
まったく、さっきこの美人お姉さんを振ったばかりの坊やにお願いされてそれを躊躇いなく聞いているあたしって。
私のためじゃなくて彼の想い人のためなのに。
だから、少し悔しかったからこれは私のためのものだと勘違いして思い込むことにした。
「一つだけ。一つだけ聞いてもいい?」
「ええ」
「恒くんは浮気とかしないよね?」
「え。えぇまあ、そうですね。でもそれは解釈の違いで最終的にはってことです。結果、浮気をしなかった」
「つまり?」
私はこの自信があるんだかないんだかどちらとも取れる口調も、また好きだった。
「世の女性は浮気をしない男性を好みますが、それは一途に自分を思って欲しいだけ、自分だけのものにしたいということではなく、浮気ができるほど自分の彼はかっこいいけど私のために浮気はしない人がいいって意味なんです。自分の場合は、ほら、度胸とかないですから。浮気ができない男なんですよ」
「安心した」
「なら、よかった」
未だに視線が定まらない彼はほんとどうしようもない。自分から言い出したことなのに。仕方ないなぁ。
私は永遠に形だけのなぞっただけの偽物でもどこまでも続くような永遠に、小さく
私は彼——
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